誰もいない教室、すなわちボッチ 精霊のイタズラ2
さて、基礎魔法学の時間と相成った。
黒板の前にて教壇に立ち、ロウは声を張り上げる。
「これから基礎魔法学の授業を始める!」
張り上げた声は空気を揺らし、教室の隅から隅まで行き渡って溶ける。
「簡単に自己紹介するよ。教師紹介のときにも言ったが俺はロウという。年は25で上級魔術師だ」
たんたんっとチョークで黒板にそれらの情報を書き記す。
「誕生日は9の月の15日、みんなよろしくね」
然りと頭を下げたロウだが……その声に応える者はのいない。
「さて、早速授業を始めよう。ノートやペンの用意はいいかな?」
それは、まだ小さな子供に教えるような声音。
丁寧に丁寧に、ゴブリンにでも分かるように教えてるのか? というくらい丁寧に解きほぐしながら進行させる。
高等部の生徒にもなってこんな扱いをされたら、生徒達が怒りそうなものだが、反感は全くなく静かで物音さえもない。
それはロウの皆を黙らせるカリスマ故か、否か。
「まずは魔法について教えていくよ。では、魔法を発動するのに必要不可欠なものは何か? 君、答えてみてくれ」
ロウはチョークを前列真ん中の机に、ビシぃっと指し示した。
そこにいたものは分からないのかだんまりとしている。
まるで最初から誰もいないかのように。
「そう! 正解だ。答えは魔力。皆、彼に拍手を」
パンパンパンとロウは拍手をした。
正解者へ贈る品はないが、限りない賞賛を。
正解者はいないが、悲しく響く讃えの雨を。
褒めて伸ばすがロウの教育方針だ。
失敗を叱るより、成功を褒められたい。
幼い頃に受けた教育は、ロウの今の教育方針に影響している。
どれほどの成果を齎しても両親共に褒めなくて、逆にロウの成績がちょっとでも悪くなると母は火山が噴火するように怒鳴って、父は氷山のように静かに冷たく失望した。
ロウはそんなふうにされて親のプレッシャーに潰されそうになったりもして、褒めない教育はあまりよくないと考え、生徒には甘く当たることを念頭に置いている。
「その魔力がどんなものかを説明する。……魔力は万物に宿る力の源で、俺達人間も持つ。その力は様々で火を起こしたりしやすいものや、水を作り出しやすいもの、人によって性質は変化する。ひとまず、自分の魔力の性質を把握してみよう」
そういって、ロウは予め用意していた手のひらサイズの透明でひし形な結晶を取り出す。
「ジャジャーン! 属性測定結晶ー!」
未来に作られるといわれる某青だぬきのような口調。
「これは世界で一番古いタイプの測定装置で、自分の一番強い属性が分かるというものだ。逆にいえば、自分の一番強い属性しか分からないだけどね。まず、何が得意なら何色になるかを教えよう」
ロウは自己紹介が書かれた黒板を消して、教師の戦闘武器であるチョークを再び手にする。
書き上げるものは、魔力を込めたときの結晶が輝く色!
「火なら赤く、水なら青く、土なら茶色く、風なら緑く、光なら白く、闇なら黒く輝く。……さて、いまからこの属性測定結晶を皆に渡すので、調べてみよう! それじゃ、前の席の人は後ろの席の人に回してね」
教壇から降りて、ロウは結晶を生徒のいる数だけ列ごとに配布する。
だが、その行為をするのにはごく当たり前の条件があった。
人は栄養を摂取しないと生きられないように。
騎士は雇い主がいないと成り立たないように。
雲から降り落ちる水滴を雨と呼ぶように、当たり前の条件だ。
しかし、今回はその当たり前の条件が集まっていない。
結晶を配る相手……つまり、生徒がいないのだ。
「配るよ……配るからな……配るぞ……配る……」
悲しきかな、誰もいない。
ロウが悲しみに打ちひしがれていると、ベルトに添えられてある黒い宝玉が光り、消えた。
「クスクス、ロウ君、一人演劇は楽しいのぉ? クーロとしては長い長い茶番というかぁ、なんというかぁ、見てるこっちが悲惨な気持ちになって来ちゃったよぉ。でもぉ、とっても面白かったよぉ。一人ぼっちのロウくぅーん。いやぁ、ロウ先生かなぁ? クスクス」
ロウだけの教室、ロウだけの演劇場。
がらんどうとしたその場所に、突如として胸の大きい12くらいの女の子が現れた。
長く黒い髪に黒い瞳、身に着ける衣服も黒。
靴も黒。
腹の色も黒。
狼の耳も尻尾も黒。
黒の体現者といっても過言ではない彼女は……
「オスクーロ……。面白いっていってる時点で、見てるこっちが悲惨な気持ちになるって言葉が嘘になってるよ」
「本当だぁ。ロウ先生賢ーい♪ クスクス、賢いのに生徒一人もいないんだねぇ。ある意味凄いことだよぉ。快挙快挙パチパチぃ」
オスクーロは邪悪なニコニコ笑いで手を叩く。
尻尾をゆらゆら揺らしながら。
「はぁ、ありがとう。全然嬉しくないけど」
「ふーん……。あぁ、そ~だぁ♪ いいこと思い付いたぁ。人が集まらないなら魔法で人を操ればいいだけのことだよねぇ。クーロって天才♪ ロウ先生? 貴方が望むなら一杯生徒を連れてきて上げるよぉ?」
「連れてこなくていいからね」
オスクーロはふざけた口調だけど、本当にやってしまうことが怖いんだよなあ。とロウはため息を吐く。
闇の精霊オスクーロ、黒狼という魔物の魔力を多量に摂取していたため、出会った当時は狼型の精霊だった。
今ではロウの魔力が大多数を締めているため、人間に近い姿となっている。
精霊は摂取した魔力に応じて通常の姿が変わっていく。
人間の魔力を摂取すれば人型となっていき、動物の魔力を摂取すればその動物の姿に変化する。
なお、意識を集中すれば、以前摂取した生き物に近い姿になれるみたいだが……。
また、その身に宿す魔力の属性はどんな魔力を吸収しても変わらないようだ。
「うーん、それにしてもぉ、言いたくなかったんだけどぉ、ロウ先生が一人で喋ってる光景ってぇ、ホラーでありぃ、友達が出来なくて空想の友達を作ってる寂しい人に見えたよぉ。クスクス」
「い、いいんだよ……。ほ、ほらっ、い、いきなり授業をすると勝手が分からないだろう! 予行練習だよ予行練習……!」
「クスクス、声震えてるよぉ。でもぉ、予行練習かぁ……」
オスクーロは何か悪巧みしているのか、尻尾をゆさゆさ大きく揺らしながら顎に指を当てて何か考えている。
そうしているオスクーロが座っているのは椅子ではなく机だと今更ながら気付いたロウは注意する。
ちゃんと注意できる先生なのだと、未来の生徒に主張するように。
「机は座る場所じゃないから、取り敢えずおりなさい」
「クスクス、降りて欲しい? そっかそっかぁ」
言われたとおりに妙に妖艶な笑みを向けながら右足下ろし、左足下ろしとゆっくりな動作でオスクーロは机から降りた。
(あれ、素直にオスクーロが言うこと聞くなんて珍しい)
ロウがオスクーロは何か企んでいるのでは、と注意を向けると案の定。彼女は先ほどのゆっくりとした動作ではなく、影に潜って素早くロウの胸の中に飛び込んで来る。
そして、服を掴みバネのようにそのままの勢いで背伸びして……
「ペロ」
ロウの口元を舐めるように舌を出す。
オスクーロにロウは口元をを甜められる……ことはなくて、咄嗟に手でガードした。
「あーあ、やっぱり防がれちゃったかぁ……。ざーんねん♪ ロウ先生の口元を舐めて、キャー淫行きょーしって叫びたかったのにぃ。クスクス」
「お前ね……自分から舐めようとしてそれはないでしょ!」
オスクーロは教師を辞めさせたいのだろうか。
そして、俺を犯罪者に仕立て上げたいのだろうか。こんな王国一の学校で平民の上級魔術師が問題を起こしたら、即刻駆除されてしまうよ。
ロウは依然として抱きついているオスクーロに注意向けながら思った。
「でもぉ、狼が口元を舐めるのは尊敬している証なんだよぉ? 受け取ってくれてもいいんじゃないのぉ、ロウ先生?」
「……せめて場所を弁えてくれないか。あとそろそろ離れて」
「そんなこといってるけどぉ、今までも全然受け入れたことないでしょぉ? 今度宿屋で口元ぺろぺろを受け入れるならぁ、離れてあげるよぉ♪ クスクス」
「いや、婚前の男がたとえ精霊にだとしても、女の子にみだりにキスみたいなことしちゃ駄目だろ!」
「……クスクス、ロウ先生はファーストキスを大事にする乙女かっていうくらい初心だよねぇ。そもそも、古今東西の乙女は婚前でもキスくらいしてると思うんだけどぉ……。でもぉ、そっかぁ……。これでも譲歩したのになぁ……」
今までとは違い、耳を伏せしゅんと落ち込んだ様子でオスクーロはロウから離れ、切なそうに笑う。
その表情を第三者が見たら、なに女の子にそんな表情させてんだクソ野郎、とやじが飛んできそうだ。
ロウのいいしれぬ罪悪感と、これは計算でやってるのだという疑念が、心中でせめぎ合う。
(オスクーロは少し腹黒いところがあるからこれは演技だ……、しかし、仮に本当に悲しがってるなら……)
そして、罪悪感が勝利した。
「……狼に擬態した姿ならやってもいいけど」
「……ほんとぉ? ロウ先生ありがとぉ……」
オスクーロはロウの両手をそっと掴み、上目遣いで愛おしい者を見つめるように目を細める。
存在を確かめるみたいに手をニギニギしてから、耳をペタンと伏せて尻尾は喜びを表しているのかゆっくり振りながら。
(今回は、演技じゃなかったか。よかった。拒絶しないで)
オスクーロの願いを聞いてしまえば、私の願いも聞いてというようにフラムや他の精霊達もあれやって、これやって、と強請ってくるだろうけど、喜ばれるならやれる限り叶えればいいか。とロウは微笑した。
「ロウ先生のそういうところ大好きぃ♪」
喜びで鼻歌でもしそうなくらい機嫌がよくなったオスクーロ。
しかし、次の瞬間……
「ほんとぉ、大好きぃ……。そういう、チョロいと・こ・ろ♪」
「なっ……」
オスクーロは滑らかな動きで、ロウに近付く。
ロウの両手と繋がっていた手は離され、離された手はロウの頬に添えられた。
そして、またつま先を伸ばし唇もとい舌を近づけてロウの口元をぺろっと舐める。
今回も手で防げた……ことはなくて、いきなりのことでロウは対応出来なかった。
「クスクス、顔赤ーい♪ ロウ先生、ごちそうさまぁ♪」
「あ、あ」
唇の周りは寝起きで涎を垂らしているわけでもないのに湿っていて、触れられたときの生温かった感触は、空気に触れて冷たくなる。
オスクーロは意地悪そうな笑みを浮かべて、自分の唇を舌でなぞった。
そして、ロウの肩に顎を置いてオスクーロはロウの耳元で囁く。
「女の子をそんなに信頼しちゃうとぉ、クーロみたいな悪い娘に引っ掛かっちゃうからぁ……。クーロ以外に無闇に優しくするのは駄目だよぉ♪ 覚えておいてねぇ。ロウ先生?」
ピクッと動く獣耳、しなやかに動く尻尾。
それらが体にあたり、撫でられ、黒く繊細な毛が擽ったくて、ロウは背を強張らせる。
耳元で奏でられた言葉の最後、フゥと吹きかけられる息。
どれだけ永く生きたとしても憶えている自信がある。
それくらい鮮烈な刺激にロウは身悶えた。