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吾輩は壁である。

作者: ぬぬぬ
掲載日:2017/04/05

 吾輩は壁である。種族はコンクリート。名前はまだない。 

 もしあったとしたらそれをつけた奴はかなりアブナイ奴だろう。まあそんなことしそうな奴を俺は一人知っているが。

「造られた」時の記憶はない。ずっと昔から生きている?気もするし、つい最近のことかもしれない。

 視界は常に固定、目を瞑ることも移動することも、寝ることも出来ない。

 俺の記憶にあるものといえば、毎日目の前で話しかけてくるニンゲンのことがほとんどだ。俺の周りには、いつも同じ光景が広がっている。

  俺の棲み処は薄暗い。かび臭い土の匂いが辺りに立ちこめ、たまに視界の端に映る蜘蛛やらダンゴムシやらが俺とニンゲンの数少ない隣人だ。目の前に積まれた山ほどの食料品が、陰で覆われた世界でその巨体を俺らに晒している。

 そんな黒いカビだらけの世界で、ニンゲンは今日もそのガリガリの腕を前に組み、体育座りのような恰好をして俺に話しかけてくる。

「いやぁ、今日の飯は絶品だぜ!信じられるか?鯖の味噌煮だぜ?こんなうめぇもんがまだ隠れてたなんてなー」

 奴はそう言いながら俺のまっ平らな体をデコピンで弾いてくる。鬱陶しかったので一睨みすると、彼は「あぁわりィわりィ、痛かったか?」と言いながらその手を引っ込める。

(痛かったんじゃねえ、その鼻くそついた指で触られたくなかっただけだ)

 そんな俺の無言の苦情を聞き流し、奴はほくほく顔で蓋をひっぺがしにかかった。

 長い爪を起用に使い、「ほーれほーれ、素直になれよぉ」とドン引きするような口調で缶詰に語りかける。

 そして鼻歌まじりに棒を鯖に突き刺し、口に入れたその瞬間__彼は表情を一変させ、先程とは打って変わって深刻な表情へと変わった。その眉間に刻まれた皺は、朝いつも彼にぐちゃぐちゃにされる簡易ベッドのシーツもかくやというほどだ。

(どうした、もしかして腐っていたのだろうか。大丈夫だ、こんな薄暗がりの中、毎日の大半を寝転がって過ごしているお前も十分腐っているはずだ。マイナスとマイナスはプラス、たとえ腐った缶詰でも、捕食者も立派に腐っていれば消化は可能だ、メイビー)

 なんて屁理屈を心中でこねている中、彼は齧りかけの鯖を見たまま、微動だにしない。

 まさか本当にヤバい鯖だったのか、こいつは既に鯖の味噌煮に生きる気力を奪われてしまったのか__俺が本気でそう心配し始めた時(いや鯖の缶詰がどこをどうやって生きる気力を奪うんだ)、男はゆっくりとその体を地に横たえ、目を閉じ、手足を縮めた。(え?ちょっと待ってこれマジなやつ?)

 そして次の瞬間__



「げっっっっきぃうまだよぉぉぉぉ!!!」

 そのあらんかぎりの喜びを爆発させた。「舌の上で鯖と味噌煮が絶妙なビートを刻みやがる!(そりゃ鯖の味噌煮だからな)その魂の鼓動に俺の味覚は一目惚れだぜぇ!(こいつチョロイな)我が、我が鯖の味噌煮は世界一ぃぃぃ!!(謝れ、全世界の美食に謝れ、つーかそれお前が作ったんじゃねーだろ)」

 俺のこれまた無言の突っ込みを奴は下手糞なステップで下手糞にスルーしながら、バカみたいにくるくる回る。そのうちただ踊るのには飽きたのか、えっちらおっちらコサックもどきをやりだした。開始五秒で転んで見事な尻餅をつくその様子はどうみてもアホのなかの阿保。

 ……しかし俺は、その三流ピエロみたいなはしゃぎっぷりに少し理解できるものがあった。 

 今、現存している食料は、実際のところ乾パンがほとんどと言っていい。

『食いものがあるだけありがたくない?』とか思っちゃったそこの君、乾パン地獄のヤバさを舐めてはいけない。あの無味でパッサパサの食感が何日も何日も続き、しかもカロリーがかなり低いため一食に摂取しなくてはいけない量も半端ではない。

 より詳しく聞きたい人は常に似た

ような食感の笹をはむはむしてる黒白哺乳類さんに聞いてみてほしい。彼らならその無味のパサパサっぷりについて全力で熱弁してくれるだろう。

 そんな保存ステータスにスキルポイント全振りしたような食品を毎日食べ続けていれば、もしかしたら鯖の味噌煮も高級マグロの味噌煮に昇華させることもできるのかもしれない……というような暇潰しの考察をしているうちに、奴も鯖の味噌煮を食べ終わったらしく、「燃え尽きた……鯖のヴァルハラで、真っ白に燃え尽きた……燃え尽きて今度は焼き鯖が食いたくなった……」と呻きながら今度は妖怪タレ舐めとなって缶をベロベロ舐めまわしていた。(余談だがこれほど自分の視界をずらせない不便さを恨んだことはない)

 そして土の上にどてっと寝そべり、虚空を眺めながら彼はふと呟いた。

「……ここに閉じ込められ、何年経ったんだろうなぁ……」

 ******************************

 初めて俺に自我が芽生えたのは、彼が地面に四百六十五個目の傷をつけている日だった。

 記憶にあるのは奴が満面の笑顔でこちらに話しかけている光景。周りはくすんだ灰色の牢獄だというのに、彼はそんな虚無を心底楽しんでいるように見えた。

 彼の視点の定まらない笑顔は違和感の塊で構成されていた。

 その異質な気持ち悪さに最初はたじろいだものの、やがて慣れていった。もとより俺は壁、奴の話を聞く以外、特にすることもなかった。

 彼は色々なことを話してくれた。

 トイレットペーパーは私的にスコッティが一番お尻に優しいこと、栄養学的には牛の一キロよりバッタの一キロの方が効率的なこと、金玉が蹴られると死ぬほど痛いのは種を残すうえで絶対に必要な部分であり、後の体はおまけだからということ……というような死ぬほどどうでもいいことを、奴は毎日俺に吹きこみ続けた。

 ただ話すだけでなく、「お前に教えてやるよ……真の『壁ドン』ってやつよなぁ!」と汚い手のひらをビタァっと押し付けてきたり、「ちょいと俺のストレッチに付き合ってくれや」とやはり汚い手のひらをビビタァと押し付けてきたり、「なんか触りたくなったんで触るわw」とやっぱり汚い手をビビビタァっと押し付けてきたり……などなどといった手のひら率100%のスキンシップもよくされていた。おかげで俺の可憐な灰色の肌は今や奴の手垢だらけだ、絶対に許さん…ッ

 そんなあまりの笹のまずさにバンブーで棒高跳びにチャレンジするパンダ並みのくだらない日常の中で、たった一度だけ、彼はなぜ自分がこんなところにいるのか話してくれたことがあった。

 *******************

 彼は元々地上に住んでいた。仕事は工事員、新米だった彼は地下室の拡張のため、災害用シェルターの地下に通勤していた。

 ある蒸し暑い夏の日、先輩達がたまたま用事で席を外しこれ幸いと仕事を怠けていた時__天地が割れるほどの大地震が起きた。地面が揺れ出した時、彼は最初は神に感謝した。自分は今まさに災害から身を守るに最適な場所にいたからだ。

 しかし、その地震は如何せん規模が大きすぎた。彼は備蓄されていたラジオで、実はこの災害で、世界大陸の約三分の二が水没したことを知った。

 悪いことは続く。設計ミスか、はたまた人知が及ばないほどの天災だったのか、その両方か__地下避難シェルターは半壊、辛うじて彼はこの備蓄倉庫だった場所へ逃げ込んだ。

 大声を出して助けを呼んだ、何度も何度も壁を叩いて自分の居場所を知らせようとした。しかし、奮闘虚しく、誰も来てはくれなかった。

 そして、長年を彼はたった一人で過ごしてきたそうだ__

 ***********************

 自我が目覚めてからどのくらいたっただろう。地面には日にちを刻む傷がびっしりと並び、もはや数えることなど不可能に近い。

 奴は今日も俺に話しかけてくる。何度も何度も、心から嬉しそうに話しかけてくる。

 たまに電池切れのラジオで俺をゴールに見立ててサッカーをしたりもする。彼のお気に入りのスポーツのようで、これだけは何度無言の圧力をかけても止めてくれない。せいぜい「おお、すまねぇ」なんてフケだらけの頭をポリポリする程度。

 時にはなぜか突然の反復横跳びをしだすこともある。でもすぐに息切れして倒れる。そして俺に「今何回だった?」なんて聞いてくる。知らねぇよと返すと、「え?君って数も数えられないの?幼稚園生以下だねーw、保育所の壁からやり直せば?ww」と撲殺したくなるような回答が返ってくる。

 最近は食料山まで話しかけ始めた。乾パンのまずさについて、日々「訴訟起こすぞゴラァ」といちゃもんつけている。

 いずれあの食料山も自我が目覚めるのだろうか。たとえそうなっても、声が聞こえるのは奴だけだろう。

 そして俺の声も食料山には届かず、聞こえるのは奴だけだろう。

 ここは彼の精神世界。

 何もかもが有って、何もかもが無い。

 存在すらあやふやで、肯定するのは全部彼。

 何もかも自由で欺瞞。何もかもが不自由で真実。

 そんな狂ったどこかの世界で、今日も俺たちは暮らし続ける。



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