「そこどん」
そこどんは どんぞこもりです。
どんぞこに おっこちてきたひとを ずっと みまもって、
ずっと あんないをしています。
たとえば、きょうふのどんぞこ。
たとえば、ふこうのどんぞこ。
たとえば、かなしみのどんぞこ。
どんぞこに おっこちてきたひとは、
たいてい ないているか、たくさん じたばたしています。
そうして おっこちるのがおわると、
ぐったり ぼんやり すわりこんでしまいます。
さあ、そこどんのでばんです。
おっこちてきたあとが そこどんのでばんなのです。
まずは まいごみたいなかたを そっとたたきます。
「やあ、やあ。けがはないかい?」
ふりむくのを まってから、
「ぼくは、どんぞこもり。そこどんさ。
さあ、ここまでくれば、あしがついたろう?」
てをさしだして、やっぱり まっています。
「あんないしてあげる。
ほら、たって。いっしょにいこう。」
そこどんは うつむいたままの だんまりさんと
てをつないで どんぞこをあるきます。
「はしご、かいだん、やすむベッド。
きもちのいい いすもあるよ。どれがいい?」
だんまりさんは うつむいたまま くびをふりふり、
「どれも いや。つかれてしまったもの。」
そんな だんまりさんに、
そこどんは きさくに わらいます。
「いいよ、いいよ。すきに おしよ。」
おっこちてきた だんまりさんは、
どんぞこの いすに すわって、
どんぞこの ベッドで ねむって、
しばらく やすみます。
すると、ふしぎなもので、
「ねえ、そこどん。どうやったら かえれる?」
じぶんから、いうのです。
そこどんは にっこりわらって、
はしごや かいだんに つれていきます。
「さよなら、そこどん。ありがとう。」
おっこちてきた だんまりさんは、
いまはもう はいあがって のぼっていくひとです。
とちゅうで ふりむいて、
ぶきように わらって、てをふります。
「どういたしまして。」
そこどんは うしろすがたが みえなくなるまで、
ずっと にこにこと てをふっています。
「だいじょうぶ、また おっこちてきたって、
いつだって、ぼくは どんぞこに いるからさ。」
きょうも、そこどんは おおいそがしです。
こんばんは、水瀬です。
夜が好きなので、こんばんは。
自分はがんばれと誰かに言うのがとても苦手です。元気?と聞かれて元気だよと答えるのも苦手なので、いつもそこそこだとか答えています。落ち込んでいるなら悲しむだけ悲しんだらいいと思ってしまうのです。泣きたいだけ泣くことの何がいけないのだろうと、逃げることの何がいけないのだろうと、どうしてもひねくれた自分は思ってしまうのです。永遠に泣き続けることは出来ないし、ずっと落ち込むことだけしていられるわけでもなく、お腹が空いたら何か食べて美味しいと思うこともあるでしょうし、思わず吹き出してしまうようなこともあるかもしれない。
どん底まで落ちたら足が付く。
足が付いたら立つことも座ることも歩くことも寝るのも出来る。だったらそれがいいじゃないと、そこどんは言ってくれました。だからこのお話はがんばれというのが苦手な自分の、だぶん精一杯の「だいじょうぶ、たぶんなんとかできちゃうから」です。
読んで下さってありがとうございました。
何か届けることが出来たなら、そんな幸いはありません。
水瀬透