3.人間と心
心という概念は謎に満ちています。
心は脳の活動であり、単なる電気信号だと言う人もいるようですが、仮に単なる電気信号だったとして、人間のこの複雑なふるまいを可能にする電気信号が自然発生するでしょうか。
地球に適応した結果だと思う方もいるかと思います。それはそれで説得力があるかもしれません。
しかし自分はあえて逆に考えました。
心を持った人間が発生するように、この地球が創られたのではないかと。
ここからは、イデアのエーフェスのおさらいです。
エーフェスはイデアにあるものを実在させるために実在の宇宙を誕生させました。
が、実在する点や線や円は、イデアにあるものと違って完全ではないことに気づきます。
実在というのは完全な対称性を保っていませんから、不完全なのは当然のことです。ゼロから生まれたこの世界は、プラスもマイナスも等しく持ち合わせています。
しかしエーフェスはまだそのことを知らないので、完全な実在を創るためにもっと細かく手を加えようとします。
そのために、自分自身が実在するための器が必要だと考えました。
結果生まれたのが、“人間”です。
つまり人間は神様の器であり、人間は神様と同等の心を持っているというわけです。
この初期の人間がどういう振る舞いをしたのかは“イデアのエーフェス”を読んでいただけるとわかると思います。
以下、イデアのエーフェスから引用――
そしてエーフェスは、ついに自らの心の器となり得るものを創りだしました。
その器を“人間”と呼ぶことにしました。
人間にはしっかりと、エーフェスと同じくらい大きな心が宿りました。
それは、エーフェスにとって初めての他人でした。
しかし、その器はとても脆く、あっという間に壊れてしまいます。
何度創り直しても、やはりすぐに壊れてしまいました。
そこでエーフェスはこう考えます。
「人間をもっと頑丈にしよう」
エーフェスは頑丈な人間を創りました。
しかし、頑丈な人間は身動きが取れませんでした。
「人間に身を守る力を与えよう」
エーフェスは人間に力を与えました。
しかし、力を持った人間は人間同士で壊し合ってしまいました。
「人間に身を守る知識を与えよう」
エーフェスは人間に知識を与えました。
しかし、人間はエーフェスも思いつかないようなものを沢山創りだして、創りだしたものに壊されてしまいました。
エーフェスは困り果てた上、次第に人間が怖くなってきてしまいました。
人間がすでに、エーフェスの理解を超えたものになりつつあったからです。
――引用ここまで。
そしてエーフェスがどうしたかというと、
以下、イデアのエーフェスから引用――
そこでエーフェスは、人間を管理する心を創りました。
エーフェスはそれを“神”と呼ぶことにしました。
神を人間に伝えるため、エーフェスはついに、人間として生活することを決めます。
これまでの経験をすべて詰め込んで、エーフェスはとても美しい青い星を創りました。
それからエーフェスは、人間として生きる練習をするため、イデアの中にエデンという場所を創ります。
エデンは青い星に似せて創られていて、その中に創った箱庭で、エーフェスは生き物の心を育てたり、植物の心を育てたりすることを学びました。
そしてしばらくエデンでの生活を送ったあと、エーフェスは青い星に生まれました。
――引用ここまで。
こうです。
察しの良い方はお気づきかもしれませんが、神という抑止力を人間に伝えるために青い星に生まれたエーフェスこそ、アダムなのだと考えています。
つまり聖書の物語とは、エーフェスの自作自演だったというわけですね。
聖書には寓話(教訓的な内容を、他の事柄にかこつけて表した、たとえ話)的な側面も多分にあると言われています。
これは人間が自分の力に溺れて自滅しないように、ある種コントロールするためのお話だったのではないかと思うのです。
これはあくまでコロンシリーズの世界でのお話、ですが。