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妖虎(前)



 「よう丈ちゃん、すっかり元気そうだな!」


 翌日は土曜日だった。バイト先の<伊勢屋>の暖簾をくぐった丈一郎に、もう六十をとっくに過ぎた主人とおかみさんが明るい顔を見せる。


 「心配していたんだよぉ、ガス爆発に巻き込まれたって……大丈夫なのかい?」


 でっぷりした体型に似合ってというか似合わずというか、おかみさんは気のいい人で(唯一旦那である主人には厳しいのだが)心底心配そうに丈一郎に近付いてくる。


 丈一郎は踵を合わせて深々と二人に頭を下げた。


 「もうすっかり大丈夫です。心配かけて、すみません!岡持ちも台無しにしてしまって……あれは、弁償させて下さい」


 バイトの途中で『事件』に巻き込まれたとは言え、潰れた岡持ちに関しては犬怪人を殴りつけた丈一郎に責任がある。正直懐は厳しいが、大事な商売道具を壊しておいてゴメンで済ませるほど丈一郎は筋の通し方を知らないわけではない。


 「いいんだよぉ丈ちゃんが無事なら!ねぇ父ちゃん?」


 「おうよ、どうせ年代物でフタの立てつけも悪かったんだ、買い換えるのに丁度よかったって事よ」


 主人はバンバンとピカピカの岡持ちを叩いた。前と同じ物だ。メーカー品だが結構いい値がすると聞いたことがある。


 「そんな、でも……」


 「いいっていいって、それよかもうすぐ出前の蕎麦が茹で上がるから持ってってくれ。丈ちゃんがいない間久しぶりに出前に出たら、腰とケツが悲鳴上げちまってよ」


 本気で辛そうな顔をする主人におかみさんが豪快に笑いながら相槌を打つ。


 「ホントにもうすっかりポンコツになっちまってねぇ」


 「うるせえや!そんな訳だからよ、これからもよろしくな丈ちゃん」


 そう言われては丈一郎も食い下がれなくなる。懐の深い老夫婦に感謝しつつ、丈一郎は真新しい岡持ちと自転車のカギを受け取った。







 バイトの後、梨依菜の携帯に少し遅くなるとメールをして、丈一郎はレイヴァンとハルナの元へ合流した。今夜は母がいるから丈一郎が中華鍋を振らなくてもいい。


 「順番に行こう」


 ハルナの持ってきたコーヒーを飲みながらレイヴァンが切り出した。


 「例の犬男だが、丈一郎君の華麗な一撃で脳にちょっとしたショックがあったようだ。『神隠し』に遭った時の事、改造された時の事、『ビゲル』の本部等の情報はほとんど思い出せないらしい。これは、『ビゲル』の記憶操作かもしれないがな」


 「じゃあほとんど手がかりにはならないって事?」


 不満そうにハルナ。


 「身元はわかっている」


 レイヴァンの言葉にコロンボ田中氏がくたびれたカバンからワープロ打ちの書類を出し、エメラルドグリーンのSF感溢れるテーブルの上に置いた。この人のやることだけ、このハイテクな艦内に対してひどくローカルというか違和感があるな、と丈一郎が関係ない感想を持つ。


 「戌田稔彦、三十六歳独身、隣町にある旅行代理店の営業部に勤めていた……が、三ヶ月前に『神隠し』に遭い捜索願が出されていた。前にも公然猥褻でしょっ引かれたことがあるらしいが、これは会社の人間は知らなかったそうだ」


 「そうですか……」


 丈一郎がげんなりしながらコーヒーを啜る。怪人になった時より人間の時の方がやっかいな事をするというのは、なんとも理解に苦しむ話だ。


 資料に目を通しながらレイヴァンが難しい顔をする。


 「丈一郎君が見た、自転車屋の横田氏の件も合わせて推測するに……この街の『神隠し』には『ビゲル』が関わっており、その被害者は少なからず、奴らの構成員として働かされている可能性がある……」


 一同が順番に頷く。父親に関して不安のある丈一郎も今は飲み込んだ。


 「で、水天宮さんという人の方はどうなの?」


 ハルナがコロンボに話を振った。丈一郎も無意識に身を乗り出す。父親より今はそちらのほうが気がかりだ。先日は調査中という事しか聞けていなかったが……。


 「うむ、まず犬男の行方を追っている途中で、<豆腐の水宮>……水天宮のご主人が数日前に行方不明になったという噂を聞いた。店に行ってみるとシャッターは下ろされ、『数日間お休みさせていただきます。申し訳ありません』という貼り紙があった。筆跡は柔らかい丁寧な書き方で、水天宮家は父娘二人暮らしらしいことから恐らく加賀君の級友、娘の寅子さんの書いたものだろう」


 「俺は、そんな事全然知りませんでした……そもそも彼女の実家が豆腐屋さんだったことも。おそらくこの事はクラスメートも知らないんじゃないかと思います」


 丈一郎の言葉にコロンボが頷く。


 「どうやら、娘さんは実家が豆腐屋という事にコンプレックスがあったようだ。高校に上がってからは誰にもこの話をしていないらしい。偶然か意図的か、中学時代の友人の少ない学校に進学したようだ……まぁそれはさておき、ご主人が行方不明になった後も、娘さんは家にいたわけだが、どういうわけか彼女は捜索願を出していない」


 「……どういう事ですかね」


 レイヴァンの疑問に、コロンボは今度は首を左右に振った。


 「わからん、加賀君にも先日聞いたが、娘さんは父親が行方不明になった事を誰にも言っていなかったようだ。私が不自然に思い昨晩<豆腐の水宮>を訪れると、貼り紙が変えられていた。『勝手ではありますがしばらく休業いたします。申し訳ありません』……筆跡は、その前とは違い硬い書き味で、まぁお世辞にも上手い物とは言えない物だった。呼び鈴を押したが、反応は無く電気メーターもほとんど回っていない。夜十二時になっても同じだ。加賀君の方からクラスメートに当たってもらったが、娘さんが誰か知り合いの家に泊まりに行くといった話は無かったらしい」


 話続けて喉が渇き、コロンボはぐいっと一気にコーヒーを飲み干した。これはコロンボの馴染みの店で売っている焙煎したものを彼が丁寧に挽いた粉で、コーヒーには疎い丈一郎にも美味しいとはっきりわかる上物だ。だからハルナも文句も言わずコロンボのカップにお替りを淹れる。


 「すまない。警察も調査を始めたようだが、なにせここ最近『神隠し』が多すぎる……どうせいつか帰ってくると思っているフシもあるしな」


 「『ビゲル』は何故人を攫うんです?」


 丈一郎が疑問をぶつけた。何故科学力に優れる宇宙人がわざわざ地球人を捕まえて仲間にするのか。丈一郎にはそこが理解できなかった。


 「直接的な目的は、労働力の確保だろう。『ビゲル』が前回侵略した星では相当の総力戦が行われ奴らの構成員も激減したらしい。地球侵略に当たってまず組織力の拡充を図っているのだろう。地球で活動させるなら、地球人の方が何かと都合がいいだろうしな」


 「逆に言えば、今なら私たちのように少ない人数でも何とかなる、と連邦警察局は考えているわけね」


 レイヴァンの解説に、ハルナが勘弁して欲しいわ、という仕草をする。


 「そして、根本的な目的……何故『ビゲル』が地球や他の星を侵略するのか?という事なんだが、正直これがはっきりとわかっていない。宗教的な組織ではない事、そしておそらく母星という物を持たない事からもしかしたら安住の地を探しているのかもしれない」


 「共存共栄したくとも、地球も土地が余っているわけではないからな」


 「余っていたってあんな連中と一緒に暮らせるわけ無いでしょう!」


 冗談めかして言ったコロンボにハルナが厳しい口調でツッコミを入れる。コロンボは耳に手を当てながら帽子を取った。


 「すまんすまん、悪かった。……というのが現状だ。私は引き続き水天宮親子の捜索に戻る。丈一郎君、今は心配だろうがあと少し時間をくれ」


 「……よろしくお願いします。くれぐれも気をつけてください」


 丈一郎も探しに行きたいのはやまやまだが、素人があちこち歩き回ったところで力になれるとは思えない。唇を噛みながらコロンボに頭を下げた。レイヴァンもジャケットを着込み立ち上がる。


 「丈一郎君は訓練だな。初歩的だが有効な打撃技を使えるようになってもらいたい。毎日大変だと思うが、付き合ってくれ」


 「わかりました。……そういえばレイヴァンさん、聞きたい事が」


 「何かね?」


 いつも通りレイヴァンの笑顔は爽やかである。


 「俺の……コードネーム、ですか?何で<ジェイガー>なのか聞いて無くて」


 「ああ、あれか」


 レイヴァンはゆっくり丈一郎に正対して真剣な顔で口を開いた。


 「<ジェイ>、は丈一郎のJからだ」


 「はぁ、じゃあ<ガー>は……?」


 「加賀のガ、から使わせてもらった」


 がくっ、と丈一郎がうなだれる。まさかそんな安直なネーミングだったとは。


 「じ、じゃあレイヴァンさんも本名のもじりなんですか?」


 「そうだが」


 「なんていうお名前なんですか?」


 「それは秘密だ」


 丈一郎は思わずポカーンとした。


 「いずれ話す事もあるだろう、が、この戦いが終わるまで私は元の名を名乗る気は無い」


 秘密を持つ男、レイヴァンは丈一郎にハルナの真似をしてウィンクをした。


 








 ヘトヘトになった身体を引きずって家に帰ってきた丈一郎を迎えたのは、またしても甘ったるい珍妙な匂いだった。


 「梨依菜!今日は母さんいるんじゃないのか!?」


 身の危険を感じて靴を脱ぎながらキッチンに声を掛けると、梨依菜の返事よりも早く母親がひょっこりと顔を出す。


 「おかえり」


 「母さん、いるじゃないか……なんで梨依菜が晩飯作ってるんだ?」


 キッチンの方から妹の元気な声が響いてきた。


 「今日はいいアイデアが思いついたのー!梨依菜特製BBR!」


 バーベキュー的な奴か?と思うほど丈一郎は脳天気ではない。おそるおそる問いかける。


 「BBRって何だ!」


 「ベリー・バター・ライス!」


 うげええええ、と食べてもいないのに、その禍々しい響きに嘔吐感に苛まれて丈一郎は母親に助けを求めるような顔を向けた。


 「母さん、何で止めないんだ」


 「意外と美味しいかもしれないわよ?」


 「本気かよ!!」


 涼しい顔で言う母親に丈一郎は批判の声を上げる。母親はそんな丈一郎の耳をつまんで小さな声で耳打ちした。


 「あの子だって私達のために元気に振舞って頑張ってくれてるの、わかるでしょ?アンタがこないだ事故に巻き込まれた時も泣きながら電話してきて大変だったのよ、お父さんの事を思い出して」


 それを言われると何も言い返せなくなってしまう。家族の絆と胃袋の平和が丈一郎の心の天秤で激しく揺れた。


 「アンタこそ、最近何か始めたらしいけどあんまり危ない事して心配掛けるんじゃないわよ」


 「お、おう……」


 銀河連邦警察の事は何一つ話してはいないが、さすがにこう帰りが遅い日が続くと怪しまれるな……と丈一郎は臍を噛む。風呂に入ってくる、と言って家に上がる丈一郎の背中を、母親はやれやれと言わんばかりに溜息をついて見送った。








 

 日曜の夜を回ってもコロンボからの連絡は無かったが、翌月曜日、心配と妹のアイデア料理で痛くなった胃を押さえながら登校した丈一郎は、少し前で校門を通り過ぎようとしている寅子を見て驚きで目を見開いた。


 思わず声を掛けそうになるが、俯いて深刻そうに歩くその表情を見てギリギリで口に蓋をする。一旦学校から離れ、手首の通信機でハルナを呼び出した。


 「もしもし、加賀です」


 「……ゎあ。おはよう丈一郎君、早起きね……むにゃ」


 「もう八時半ですよ。そんな事より水天宮さんが学校に来ました!」


 「本当!?」


 バタバタとベッドから起き出したような騒がしい音までがクリアに聞こえ、丈一郎はハルナが慌てている様子を思い浮かべ無意識に口元が緩んだ。


 「様子はどうなの?」


 「なんか、落ち込んでいるようでした。他には特に変わったところは見かけられませんでしたけど、まだ話してないので……」


 「わかった、田中さんに伝えるわ。丈一郎君はあくまで普通に接して。くれぐれも週末の話なんて振らないように、詮索は敵に余計な警戒を与えるわ」


 敵、という言葉が心に突き刺さる。ハルナとて他意は無いだろう。状況が不透明な分、慎重になる事を強いられている。丈一郎は自重するよう自分に言い聞かせた。


 「了解です。何か情報があれば下さい」


 「オッケー、任せといて」


 通信を切り、丈一郎は先程見た寅子と同じくらい深刻な表情をして校舎を睨んだ。

 





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