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予兆



 午前中は恐ろしい眠気と、胃の中でぐるぐると(何故か)なかなか消化されないお粥との戦いだった。体育の授業が無かったのは幸いだったが、その代わり居眠りを最大限に誘発する古文の授業に丈一郎は悲鳴を上げそうになった。


 ようやく昼休みになり、まずはいつも愛食するヤキソバパンを頬張り胃を落ち着かせる。それから田舎の学校にしては珍しい三階のテラスエリア(実際はちょっとまともに作ってある程度の屋上のようなものだが)に行ってベンチで寝ようと階段に向かった。


 (……委員長?)


 丈一郎は上がろうとしている階段の踊り場に、大きなダンボールを抱えて立ち止まっている女生徒を見つけた。小柄で、もしかしたら妹の梨依菜よりも小さいかもしれない。さらさらのロングヘアと太い黒縁のメガネが特徴的なその女子は間違いなくクラス委員長の水天宮寅子だった。


 いかめしい名前に反して、背も低く地味な印象だが、小動物のような可愛らしさが同級生の間ではコアな人気を呼んでいるようだった。ダンボールからはポスターのように丸めた紙の筒が何本もはみ出している。さっきの地理の授業で使った地図を運んでいるのだろう。


 物思いに耽っているのか、窓の外を見ながら立ち尽くしていて動く様子が無い。


 「委員長、なんか面白いものでも見えるのかー?」


 丈一郎は気軽に声を掛けたつもりだったが、当の寅子はその不意打ちに驚いて飛び上がって振り向いた。


 「きゃ!?……か、加賀君かぁ……なんだ驚いちゃっきゃああああああああ!」


 呆けているところを見られたのが恥ずかしかったのか、慌てて取り繕うような笑顔でダンボールを抱えながら寅子が階段を下りようとした、が足元がよく見えていなかったのだろう。いきなり一段目を踏み外しびっくりするほど綺麗にくるりと宙を舞う。


 (ウソだろ!?)


 丈一郎は反射神経に全身を従わせダッシュで階段を駆け上がる。両手を広げ、寅子の小さな身体を抱えるようにした。同じように降ってくる邪魔なダンボールはヘッドバッドで横に弾き飛ばす。


 「よし!……っと、あ、ああああ!」


 うまくキャッチはできたものの、二人分の体重を支える為に踏ん張っていた左足がズルッと滑った。一旦は寅子の落下の勢いを抑えられたもののまた改めて二人は絡み合いながら廊下へと転がり落ちてしまう。


 「あ痛ててててて……委員長、ごめん上手く捕まえられなくて」


 「ううん、こっちこそごめん、ケガ無かっ……痛っ!」


 メガネを直しながら丈一郎を見上げた寅子が、立ち上がろうとして急に足首を押さえた。「だ、大丈夫!?捻挫か?」


 「ううん、大したこと……」


 そう言いながら再び立ち上がろうとするが、再び痛みに耐え切れず寅子が廊下にへたりこむ。どうやら相当痛めてしまった様だ。


 「無理に動かさない方がいい……保健室も近いし、おぶっていくよ」


 「えええ!?いいよ大丈夫だよ!」


 「いや、でも歩けないだろ?まぁ一緒のクラスになったばっかの男に掴まるのは嫌かもしれないけどさ、ちょっと我慢してくれよ」


 丈一郎が軽い口調でそういうと、寅子は顔を真っ赤にして何も言えなくなって俯いてしまった。


 (ずうずうしいかな、でも仕方無いよな)


 と思いつつ、丈一郎は寅子の落としたダンボールや地図を集める。ふと、階段の脇にピンク色のカバーの付いた携帯電話が落っこちているのに気が付いた。


 「これ、委員長の?」


 ウサギのストラップをつまんで、へたり込んでいる寅子を振り返る。すると真っ赤だった顔を今度は蒼白にして寅子は丈一郎に手を伸ばした。


 「あ!?そ、そう!ごめん、画面見ないで!!」


 「あ?ああ、大丈夫、見てないよ、はい」


 あまりにも慌てた口調でそう言うので、その気迫に押されるようにして丈一郎はおずおずと携帯電話を手渡した。


 「ご、ごめんね、せっかく拾ってくれたのに」


 渡された携帯を胸元に抱きかかえるようにして、アハハと照れ隠しに変な笑いをする寅子に丈一郎は肩をすくめて見せた。


 「いや、元はと言えば俺が声を掛けたのが悪いんだし……何、変なケータイ小説でも読んでたの?」


 「ち、違うもん!」


 ぷぅー!と頬を膨らませて否定する寅子の顔は、今朝見た梨依菜の顔と同じくらい幼く、また可愛らしく見えた。


 しかしこれでも彼女は若くして中々のやり手で、最初は大人しそうな寅子にクラス委員長を押し付けるようにしたクラスメート達も、遅刻や忘れ物、掃除のサボリに厳しく注意し、てきぱきとみんなに仕事を分担させて働かせる寅子に一同驚きを隠せない程であった。今ではクラス内だけでなく、他の同学年のクラスや先生にもその敏腕が知れ渡っている。


 だからこそ、声を掛けたくらいで階段を踏み外したり、携帯電話を拾われてあたふたする寅子の様子はどことなく違和感があった。


 (ま、そんな所もあるってことか…)


 「とりあえず保健室行こうか、さ、捕まって」


 寅子はしばし躊躇したが、自力で歩く事が不可能だと認めると恥ずかしそうに目の前でしゃがむ丈一郎の背に身体を預けた。妹とは違う、小柄で軽い華奢な身体を落とさないようにゆっくりと立ち上がってから段ボールを持ち上げる。


 「だ、大丈夫?重くない?」


 「全然大丈夫だよ。むしろ委員長はもっと食べた方がいいんじゃない?段ボール持つから、委員長落ちないように掴まっててね」


 そう言うと丈一郎は慎重に歩き出した。何かとイチゴの匂いをいつも漂わせている妹と違い、耳の後ろから柑橘系の爽やかな匂いが漂ってきて丈一郎は少し緊張した。


 (朝ギリギリでシャワー浴びてきてよかったぜ……)


 保健室は階段のすぐ傍だった。むしろもっと遠くに作っとけよ、とも思ったがこれ以上校内を歩き回って無駄に噂を作るのも寅子に悪いだろう。少しだけ隙間がある扉に行儀悪く爪先を突っ込んで足で開く。と、寅子がコラ、と言いながら軽く丈一郎を叩いた。こういう事に逐一厳しい委員長である。


 「こんちわー、急患ですー」


 「何よ……あら、随分ニヤニヤしちゃうシチュエーションね」


 丈一郎の声に答えて奥から気だるそうな妙齢の白衣の女性が現れた。寅子とは違うオーバルの細い銀フレームのメガネと、すこし手入れを怠っているボリュームのある栗色のロングヘア。この高校の専属保険医の山本教諭だ。


 山本が言葉通りニヤリと丈一郎の背中の寅子を見るので、寅子はまた顔を赤らめて陰に引っ込んでしまった。バランスが崩れるのを直すようによいしょと背中を揺らしながら丈一郎が説明する。


 「先生、そこの階段からこの子が落っこちちゃって……足首を捻っちゃったんです。ちょっと歩けないくらい痛めたので見てもらえますか?」


 「ほいほい、お名残惜しいだろうけどそこの椅子に座らせちゃって。どれどれ……」


 そんな事ありません、と小さく反論する寅子の言葉は放置して、テーピングと湿布の用意をして山本は寅子の足元へしゃがみ込んだ。


 「ふうん、だいぶ激しくやっちゃったみたいね……そんなに激しいプレイだったの?」


 「違いますよ!」


 教育者にあるまじきジョークに丈一郎がツッコミを入れる。当の寅子はピンとこなかったのか顔を伏せたままだ。


 「まぁまぁそう怒らない怒らない。確かに歩くのも辛そうだから湿布で冷やして少し休んでもらうわ。あとはやっとくから、アンタはもう帰っていいわよ」


 「え、あ、はい。よろしくお願いします……」


 急にお役御免を申し渡され、少し拍子抜けしてしまったものの丈一郎は素直に段ボールを抱え上げる。コレを片付けに行けばもう休み時間もほとんど残ってないだろう。


 「じゃあ委員長。これ資料室にもっていけばいいんだよね。俺がやっとくからゆっくり休んできて」


 「あ、ごめんね!私が頼まれたのに」


 「いいよいいよ、委員長はよく働いているからさ」


 横で山本がひゅーひゅーと下世話に囃し立てるのをスルーして丈一郎は保健室を出た。


 (早く治ればいいけど……しかし午後の授業かったりぃなー)


 寝不足の丈一郎には、不謹慎ながら保健室で寝られる寅子が少し羨ましかった。放課後にレイヴァン達から手解きされるであろう訓練の事を考えると自然と溜息が出た。







 「彼氏、冷たいわね」


 テーピングをしながら山本がそう言うのを、一瞬自分の事を言っていると気付かず「は?」という顔をしてから、水天宮寅子は顔を真っ赤にして両手を振った。


 「ちっ!違います!彼は只のクラスメートで……」


 「そうなの?随分親しそうだったけど。それとも最近の子は結構みんなベタベタしちゃうのかしら」


 「いや、あれはやむなく……それに加賀君、彼がああいう人だってだけで私は……」


 モゴモゴと言い訳をする寅子にクスリと笑いながら、終わったわよと山本は立ち上がった。


 「いいじゃない、お似合いよ」


 「からかわないで下さい……」


 もう寅子の顔は真っ赤になりすぎて弾けてしまうのではないかと思うほどだ。山本もいい加減可哀想と思ったのか(もしくは飽きたのか)、空いているベッドのカーテンを無造作に開ける。


 「しばらくは横になってなさい。どうせ歩けないんだし。それに寝不足なんじゃないの?顔に出てるわよ」


 「え!?」


 寅子は、ばれないだろうと思っていた体調不良をあっさり看過されて驚いた。


 「乙女はしっかり寝ないとね。いい女になれないわよ。悩みがあるならついでに聞くけど?」


 「い、いえ!大丈夫です。ベッド、お借りします」


 はいはい、と山本は飛鳥の傍を離れてデスクに戻っていった。寅子も不自由な片足を庇いながらのそのそとベッドに上がる。


 (彼氏とか……いたことないし)


 丈一郎の広くがっしりした背中を思い出し、また寅子は顔を赤くした。彼氏彼女になったからといってあんなことはしないと思うのだが、確かにあの背中に乗っている間は妙にときめいてしまったな、と十数分前の感触を反芻する。


 (おんぶなんて、子供の頃お父さんにしてもらって以来だな……)


 それから、携帯電話を山本に気付かれないようにこっそり取り出しメーラーを起動した。


 メールボックスには寅子の寝不足の、そして先程階段の踊り場で悩み事に耽っていた正にその原因となるメールが届いていた。


 先日から行方不明の、父親からのメールが。




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