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転機


 通されたのは、応接間的なスペースなのだろう。エメラルドグリーンのガラスでできたようなテーブルがあり、丸い一人用の奇妙な形のソファが五つ。それに包帯姿の(この包帯も丈一郎の知っている物とは違う、なにかゴムのような素材だった)丈一郎とハルナ、コロンボ田中氏(と丈一郎は仮称した)がそれぞれ座っている。


 壁や天井は先程丈一郎が目覚めた部屋と同じように、若干の透明感のある白でここもまた照明器具が見当たらないのに充分に明るい。手元には渡されたどうにも表現し難い味の飲み物(とても健康に良いドリンクと説明された)。ペットボトルを柔らかくしたような素材の入れ物に入れられている。丈一郎はもう一度それに口をつける。はっきり言うと、不味い。


 「まず、私達の事から説明しましょう。我々…というか私は、銀河連邦警察、地球支部所属のハルナ。さっきは宇宙人と言ったけど、元はれっきとした地球人なの」


 「え?どういう……」


 いきなり事情がわからなくなった丈一郎に、待った、とハルナが手の平を向ける。


 「まぁ、まずは順番に話を聞いてくれる?とりあえず銀河連邦の話をしないと。ちょっとスケールのでかい話だけど素直に聞いてくれると嬉しいな」


 ハルナの言葉に、ひとまず丈一郎は頷いた。ここで文句を言っても始まるまい。


 「銀河連邦……と言うのは地球人向けの呼称ね。銀河系に住む高度な技術と知性を持つ生命体が結成した連合国家のようなものだと思ってくれればいいわ。残念ながら地球人はまだ技術と知性レベルが未熟と言うことでこれには加入していないのだけど、というより一般的には他所の知的生命体なんてみんな知らないしね」


 ハルナは少し残念、と言った風に首を振った。それから手元のドリンクを少し飲んで口を潤す。


 「高度な技術を持つと、やっぱりそれを悪用する輩がいてね。そいつらはいろんな星で悪さをするもんだから、それをとっ捕まえる為に様々な星で捜査活動ができる特別な権限を持つのが銀河連邦警察。私達の組織ね」


 なんとか理解した、と丈一郎は頷く。


 「そんな悪い奴らの中に、まだまだ未熟な技術レベルだけど、住みやすい星を見つけた連中がいた。連中はこっそりとバレないようにその星に潜り込み、慎重に侵略活動を開始した……何を隠そうその星が」


 「地球……ですか?」


 その通り、とハルナもまた首を縦に振る。


 「銀河連邦に所属していない土地とは言え、自分達の追っているホシが悪さをするのを見逃すほど銀河連邦警察も甘くない。しかし、まだ他の星の知性生命体の存在も確かめられていない地球人の前に姿を現して、こうこうこういうワケだから、この星に捜査に入ります、ってのは銀河連邦の法律で禁止されているの。あくまで一定レベル以下の技術や知識の生命体に不必要な刺激を与えるのは好ましくないってね。失礼よね、全く」


 ハルナは少し憤慨しているようだが、その銀河連邦の言う事も丈一郎にはわからないでもなかった。幼稚園の子供に大学の授業を受けさせても仕方ないというような事なのだろう、多分。


 「地球に侵入した悪者もバカでは無いわ。銀河連邦警察が活動した事を知れば捜査の妨害をしてくるでしょう。表立って動く事の出来ない銀河連邦警察は、能力と理性に優れる地球人を極秘に選抜し、特別捜査官として協力を求める事を決定しました。そうして選別されたのが……」


 「ハルナさん、なんですか」


 エヘンと(それほどボリュームがあるわけではない)胸を反らして誇らしげに頷くハルナ。


 「そしてコロンボさんも」


 「ああ、そのオッサンは違うの」


 「そんな事言わないでよハルナさぁ~ん」


 あっさりと丈一郎の言葉を否定するハルナに、コロンボ田中(仮称)が情けない声を出した。


 「まぁ全く無関係ではないんだけど、この話は後で。とにかくこの人は銀河連邦警察の所属では無いわ」


 きっぱりと、まるで存在そのものを否定するかのように冷たい口調でそう言うハルナの脇でコロンボ氏は明らかにしょんぼりしてしまっていた。


 「私の他にも何人か銀河連邦警察の一員となった地球人はいるわ。あなたを助けた……」


 ハルナの言葉に割り込むように、ドアがシャッと開いて一人の長身の男が入ってきた。  


 「やぁ、お目覚めか。無事でなにより」


 男は猛烈に、という言葉を付け加えたくなるほどの爽やかさで目を細めニコッと笑った。少し日に焼けた顔から覗かせる白い歯が眩しい。おそらくハルナより年上だろう。少し長めの髪は、今どき珍しく結構きつめにパーマがかかっている。ハルナと同じようなツルツルテカテカした謎の素材の服を着ているが、その上から皮ジャンを羽織っていてなんだかよくわからないアンバランスなファッションになっていた。


 「レイヴァン、お帰りなさい。この人が加賀君を助けてくれた機動捜査官、レイヴァンよ。この人も地球出身。正真正銘の日本人なんだけど」


 レイヴァンと紹介された男性が丈一郎に近寄り、よろしく、とひたすら爽やかに握手をしてくる。大きな手が力強く手を握るものだから丈一郎の腕は悲鳴を上げた。


 「あ、ありがとうございます……助けていただいて」


 「いや、当然の事をしたまでだ。むしろキミのお陰で子供達を無事に救うことができた。ありがとう。犬男は……残念ながら逃がしてしまったが」


 痛みを堪えて礼を言う丈一郎に、うむ、と満足そうに応えてレイヴァンもソファの一つに腰を下ろす。丈一郎は気にかかっていた子供達が無事に助かったと聞いて安心した。


 「私も、レイヴァンも銀河連邦警察とその悪の組織の戦いに巻き込まれて……それでスカウトを受けたの。その時地球人としての生活をほぼ手放すことになってしまったけど、仕方ないわね、大事な地球の為だから」


 さらっと明るい表情を変えずに凄い事を言うハルナに丈一郎は驚きで固まってしまった。


 「そんな……」


 「まぁ軽く言ったけど私もだいぶ迷ったけどね。でも両親はすでに他界していたし、実際問題そんなに難しい事ではなかったわ。休暇には旅行とか行けるしね……レイヴァンは」


 「正義の為だからな、他に選ぶ道は無かった」


 ハルナに会話を振られたレイヴァンは目を閉じて力強くそう言った。


 「こういう人だから」


 「すごいんですね……」


 先日までの丈一郎なら、何言ってんだコイツらと思ってしまう話だったがさすがに人間が犬の怪物に変身するところを見てしまえば、ハルナ達の話を疑う事が出来なくなってしまう。確かにアレは『妖怪』というよりは宇宙人のスゴイテクノロジーと説明されたほうがまだ納得できた。この不思議な作りの部屋や彼らが着ている服、手渡された飲んだことも無い不味い飲み物も説得力を増す材料に見える。丈一郎を驚かせるためだけにこんな面倒な仕掛けはしないだろう。


 「さて、加賀君……だったね」


 レイヴァンがずいっと近付いて丈一郎の目をまじまじと覗き込んできた。


 「は、はい」


 あまりにもレイヴァンが近付いてくるので少し引きながら、丈一郎は返事をした。レイヴァンはしばしそのまま丈一郎の目や顔を、何か鑑定でもするかのように真剣に見つめてから少し身を引いて口を開いた。


 「……なるほど。これも運命、というのかもしれん」


 「レイヴァン、やっぱり?」


 「ああ」


 深刻そうに話すレイヴァンとハルナ。


 (……?)


 事態を飲み込めていない丈一郎に、レイヴァンは深い息を吐いて、覚悟を決めたという面持ちで話を始めた。


 「ハルナから説明の途中だと思うが、なにぶん時間が無い。私たちから頼み……というか相談があるのだが」


 丈一郎の胸に猛烈に嫌な予感が生まれた。ここまで話をされればなんとなく予想はできると言うものだが。


 「話の通り地球は今宇宙人の侵略を受けている。これはもう十年も前からの話だ。我々はこの隠岐剣市にヤツらの本拠地があると推測しやってきた」


 「十年……!じゃあこの街の『神隠し』事件は……!」


 脳内に閃いた恐るべき可能性に驚きの声を漏らす丈一郎にレイヴァンはそうだ、と頷いた。


 「この街の人間を誘拐し、少しずつ『工作』を始めている。最初は慎重にやっていたため察知するのが遅れてしまったが、ヤツラも計画を進める為なのかその手口が大胆になってきた。その為我々もようやく尻尾を掴みかける所までこれたのだがな」


 レイヴァンは申し訳無さそうにそう言いながら、ギリリ、と拳を握り革のグローブが鳴る。


 「本来なら多数の捜査員を動員したいのだが、我々は表立ってこの星での活動が出来ない。しかも間の悪いことに、地球から少し離れた星で大暴れしている連中がいて、私も近々その星へ応援に行かねばならないのだ」


 急な話の展開に丈一郎は目を見開く。宇宙ではそんなに大事件が頻発しているのか。


 「そこで、だ」


 レイヴァンがゆっくりと大きな手を丈一郎の右肩に乗せた。重く、温かみのある手の平。


 「昨日の犬男のような奴がいる以上、最早この街は非常に危険な状態と言わざるを得ない……加賀丈一郎君、君があの場にいたのは偶然かもしれないが私には宿命にも感じる。増援がまわせるまででいい、この街を守る戦士になってもらえないだろうか」


 なんとなくそんな話の流れになるような気はしていた、が丈一郎とて軽々しくそんな現実離れした責任の思い話を受けるわけにはいかないと判断できるくらいの脳味噌はあった。


 「レイヴァンさん……話はなんとなく理解できました。貴方達がウソやジョークを言っているのではないと……俺には思えます。でも、俺は高校生になったばかりで、捜査とか、戦いとかそんな事が出来るとは思えません……。他の、もっとしっかりした人の方がいいんじゃないでしょうか?」


 できるだけ落ち着いて、考えをまとめながら丈一郎はレイヴァン達にそう伝えた。丈一郎とてトラブルが嫌で断っているわけではない、しかし刑事の父を知っているからこそ、警察の仕事が未成年にもできるようなモノでは無い事を理解していた。しかも相手は未知の宇宙人なのだ。


 レイヴァン達も、丈一郎が理性的に話しているのを聞き、その通りだと各々が頷いた。しばし間を置いてレイヴァンが言葉を返す。


 「私達の非常識な話を信じてくれて、さらに熟慮した返事をしてもらえてありがたい。本来であれば君の言う通り、未成年にこんな事を頼むのは間違っているのだろう。しかし丈一郎君、君が人一倍正義感と勇気がある事を私達は知っている。我々には何よりそのような人間にこそ、力となってほしいのだ」


 「レイヴァンさん……」


 「しばらくは私も地球にいる。その間少し考えて欲しいのだが、何ぶん時間が無い……機動捜査官の装備と簡単な訓練だけでも受けてくれないだろうか」


 備えは何よりも大切な事だ。


 父は幼い丈一郎に何度もそう教えてきた。何をするにでも、不測の事態に対応できるようにしておけば、大切な物は守れるものだと。


 (……これは、本当に宿命なのかもしれないな……)


 もしかしたら行方不明の父の事もわかるかも知れない。それにこの人達は俺の事を諦めたりしないだろう、と丈一郎には思えた。それでも、一人でしっかり考え直す時間が欲しい。目を閉じてゆっくりと頷きを返す。


 「わかりました。とりあえず訓練だけは受けてみます。その先の事は少し考えさせて下さい」


 丈一郎の返事に三人が晴れやかな笑顔を見せた。


 「ありがとう丈一郎君。早速、と言いたいがもう夜中……と言うか朝の五時でな、君の家の方には事故にあって病院で処置中と伝えてあるが、まずは帰ってご家族に元気な姿を見せてあげてくれ。今日は本当にありがとう」


 五時、と急に現実的な言葉を持ち出されて丈一郎の身体をずぅんと疲れが襲ってきた。


 「そう言えば、地球を侵略しようとしている奴らって、何者なんですか?」


 丈一郎は疲れた顔でレイヴァンに尋ねる。レイヴァンは真剣な眼つきで丈一郎の顔を見つめ、静かに、しかし敵意を込めた口調でその名を口にした。


 「奴らは……侵略組織『ビゲル・ゲフィズン』。恐るべき科学力を誇る犯罪集団だ」


 「『ビゲル・ゲフィズン』……」


 それが、この隠岐剣市を、そして地球を狙う、<敵>の名前だった。






 不思議な感覚だった。眩い朝焼けに屋根を輝かせる住宅街を見ながら、グリーンの光に包まれゆっくりと丈一郎は空から降りてきている。超高空に滞空しているレイヴァン達の宇宙船、次元航行機動宇宙戦闘艦V-ルゼスタとか言う巨大な飛行物体から自宅の前に向かって降下しているのだ。


 (やっぱり……ガチで宇宙の人なんだなぁ……)


 実感は沸かないがこうスーパーテクノロジーを見せられれば、ハルナ達の言う事を否定する事は出来ない。とにかくいろいろ見たり聞いたりした事を納得できるように自分の中でまとめなければならん、と丈一郎は無理やり前向きな思考をする事にした。


 やがて白いスニーカーの爪先が地面に触れる。目の前には見慣れた小さな自宅。立て続けに大変な目にあったがともあれ無事に帰宅できたようだ。自分の体重を支え、ゆっくりと降下させてくれたグリーンの光の柱がスゥッと薄まってやがて消えてゆく。丈一郎が安堵の溜息をつくと、帰り際にハルナに渡された、左腕の少し大きめの液晶画面を持つスポーツウォッチ風の時計が振動しているのに気が付いた。


 教わった通りに右側の赤いスイッチを押す。


 『ハローハロー、ハルナです。通話状態は良好ですか?どうぞ』


 携帯電話で話すよりもずっとクリアな、ハルナの明るい声が時計から発せられた。丈一郎もおずおずと(もうこの程度では驚く気にもなれない)時計を口元に寄せ話しかける。


 「加賀です。とても良好です。今家に着きました」


 『あー、無事でよかったわ。こんな時間まで引き止めてしまってごめんなさいね』


 「いえ、俺も怪我を治してもらいましたし、こちらこそありがとうございます」


 丈一郎の返事に、ハルナも少し安堵したような口調になった。


『大したことはしてないわ。じゃあ今夜また時間を頂戴。寝不足で大変かもしれないけど…』


「わかりました。都合が付いたら連絡します」


『ありがとう、よろしくね』


 ハルナがそう言うと、時計の液晶に通話終了というメッセージが表示された。少し見た目は変わっているが、現代の地球のテクノロジーから乖離しているようなモノには見えない。そういう風にわざわざ作っているのだろう。


「さて……」


 眠くて仕方ないが、まずは家族に事の経緯……というかハルナがでっちあげたウソを説明しなくてはいけない。母は確か英会話スクールの研修旅行で家を離れているはずだから、残っているのは妹の梨依菜だけのはずだ。まだ眠っているかもしれないから、音を立てないようにゆっくりとドアを開け……。


 ダダダダダダダダ!!


 安い木造の階段を勢い良く駆け下りてくる足音が家中に響く。この調子ではお隣はおろか周りの十軒二十軒にも届いているのではないかと思えた。


 「梨依菜!階段はゆっくり下りろ!」


 足音に負けないように声を張り上げると、またも頭痛に襲われた。頭を抱えしゃがみこんでいると目の前に妹、梨依菜が息も荒く駆けつけてきた。


 「お兄ちゃん!大丈夫なの!?」


 妹の梨依菜は十四歳。丈一郎と同じ艶のある黒髪を頭の両脇で短く結っている。髪型とその童顔とは相反するように中学二年にしては発育が良く、身長もそうだがその胸は不必要にすくすくと育っている。おそらく学校でも無駄に目立ってしまっているのだろう。風呂上がりに溜息を漏らすのを見るのも一度や二度ではない。


 「あ、ああ大丈夫だ……まだ朝なんだから静かに……」


 まるで二日酔いのオヤジのように左手を額に、右手を梨依菜に向けて呻く丈一郎に、梨依菜は大きな瞳に涙を浮かべながらしがみついた。豊かな胸がむぎゅぅと丈一郎の平たい身体に密着して形を崩す。


 (ブラくらいつけろ!)


 的外れのツッコミをしながら丈一郎は妹の腕から逃れるようにもがいた。兄ほどではないが健康に育った梨依菜は十四歳にしてはそれなりに力もあり、締め付けられると治りかけの身体のあちこちが痛む。


 「なんか……ぐすっ、病院の人から、お兄ちゃんがガス爆発に巻き込まれたって……検査してるけど大丈夫って聞いたけど、……ううっ、お兄ちゃんいつまで経っても電話もメールもくれないし、帰ってこないし、梨依菜凄く心配で眠れなかったんだから!」


 グスグスと泣きながら力一杯ベアハッグをかける妹をなだめながら、丈一郎はなんとかその手を引き剥がそうとする。


 「わ、悪かった!この通りだ。元気元気!」


 涙を流し、頬を真っ赤に染めながら梨依菜が本当?と兄の顔を見上げる。丈一郎は痛む首に鞭打ってぶんぶんと勢い良く頷いた。


 「よかったぁ……」


 それを見てやっと安心したのか玄関にへたり込む梨依菜。丈一郎も妹の絞め技から解放され、また嬉し泣きする妹を見てホッとしてその横に腰掛けた。涙を拭い続ける梨依菜の頭を優しく撫でる。


 「ごめんな、心配かけて」


 「……ホン、ぐすっ、トだよぉ……せっかく作ったご飯も冷めちゃったしぃ……一生懸命作ったのにぃ……」


 母がいない間は兄妹で順番に晩飯を作る事になっていた。前の日は丈一郎が苦戦しながら野菜炒めをこしらえたのだが、昨夜は梨依菜が一人で頑張ったのだろう。一人きりの夕食にさせてしまったのは可哀想だが、自分が食事当番の日じゃなくて良かったと丈一郎は思った。


 「ところで、何を作ってくれたんだ?」


 「くすん……ええとぉ……白身魚のムニエルに特製イチゴソースを掛けたのと、あとイチゴ、あまっちゃったからお粥に入れてみた!甘くて結構いけるかも!」


 涙を拭いてニコニコと笑顔を見せる妹の言葉に、丈一郎は血の気が引くのを感じた。梨依菜は留守にしがちな母の代わりに料理をすることが多く、簡単なものならそれなりに作る技術があるのだが何かと創作的な料理に挑戦する癖があり、特に好きなイチゴをいろんな物に流用したがる。稀に美味い料理ができることがあるものの、九割は失敗作(とは本人は認めないのだが)となってしまう。それでも一割の可能性に挑戦し続ける妹に母も丈一郎もこっそり苦労しているのだ。


 「梨依菜……ウチはあまりお金が無いんだから、高いイチゴはな……」


 「大丈夫、飯田の叔父さんが持ってきてくれたやつだから!あ、お粥温めなおしてくるね!」


 (あのオッサン余計なことしやがって!)


 たまに遊びに来る遠い親戚の顔を思い出しながら丈一郎は胸中で文句を言った。梨依菜はそんな兄の気持ちも知らず台所に駆けて行く。あんなに心配をかけてしまった兄として、これは食わない訳にはいかないだろう……と丈一郎は仕方なく腹を括った。


 ゆっくりと立ち上がりながら靴箱の上に飾ってあるフォトフレームを見る。そこには子供の頃、家族四人で出かけた海で撮った写真が入れられていた。まだ若い母、ようやくまともに喋り始めるようになった梨依菜、浮き輪を振り回す丈一郎、そして真っ黒に日焼けして、グラサンをかけて笑っている父、慎一郎。


 丈一郎は、無事に日常に帰ってきた実感と、これから先の大きな不安を噛みしめながらスニーカーを脱いだ。家の中に甘ったるいなんとも言えない匂いが漂ってきた。


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