追跡(前)
「嬉しいなぁ、もう四年ぶりだよー」
天にも舞い上がりそうなほどの笑顔で妹の梨依菜が、紙袋を抱えてショッピングモールを歩くのを見て、丈一郎は肩身の狭い気持ちになった。
ハルナから手渡された『謝礼金』(一体この日本円はどこから出ているのか見当も付かなかったが)は一人の高校生が受け取るには少なくなく、また命を懸けて戦った報酬としては多くもなく……まぁそれなりの額であった。丈一郎はその半額を自分と家族の為にこっそりと貯金に回し、残りのお金から妹のぱつんぱつんのパジャマを新調してやろうと思い梨依菜を連れ出したのだ。
「はしゃぎすぎじゃないのか」
「お兄ちゃんは私がどれだけパジャマを我慢していたか知らないの?四年だよ!?下なんか短パンみたいなもんだよ!?ヘソだって丸出しで去年の冬なんか何回風邪ひくと思ったかわかんないよ!」
興奮して、新しいパジャマの入った袋をぱんぱん叩きながら詰め寄る梨依菜にわかったわかった、と手を振っている内に二人は新しく入ったランジェリーのテナントの前に着いた。店中に貼り付けられているチラシにはでかでかと開店セール30%OFFと書かれている。
その店内をチラチラと見ながらモジモジしている妹を見て丈一郎は口を開いた。
「どうした梨依菜」
「いや、あの、新しいの……欲しいなぁ……って……」
さすがに妹の下着事情は把握していないが、安いものでもないしそれほど数は無いのだろう。最近特に成長の著しい胸の事を考えれば新しいブラくらい買ってやらないと何かといろいろよろしくない気がする。
丈一郎は財布を開いた。女性物の下着の値段は良くわからないが何とかなるだろう。財布を閉じて梨依菜に投げて渡す。
「あんまりのんびり選んでたら先に帰っちまうからな」
「ありがとうお兄ちゃん!」
感謝の言葉もそこそこにぴょんぴょん跳ねながら梨依菜はパステルカラーの店の中へ消えた。さすがにランジェリーショップの前でうろうろするのは恥ずかしいので少し離れた休憩スペースに行こうと後ろを向く、と、丈一郎は予想しなかった人物と出会った。
「こんにちは、加賀君」
「い、委員長……」
背後にいたのは寅子だった。怒っている、という程でもないがどこかしら不機嫌な顔をしている。例の一件以来、丈一郎は寅子の笑顔を見たのは数えるほどしかないんじゃないかと思った。
寅子は梨依菜と同じ柄の紙袋を抱えていた。
「委員長もパジャマ買いに来たの」
「う、うん。もうみんな……破れちゃったから」
破れちゃったから、を恥ずかしそうに小さい声で言う寅子を見て丈一郎はこの前の会話を思い出した。なるほど、この街にはパジャマ難民が少なくとも二人いるらしい。
そんな事をボンヤリ考えていると、寅子が丈一郎の胸をツン、と少し強く突っついてきた。視線は先程より一際キツい。
「加賀君って、彼女の下着の買い物にも付き合うの?」
いやらしい、とは言わなかったが、その両目は口以上に丈一郎を批難していた。
「か!?いや、あれは違う!妹だよ」
慌てて弁解するが、妹でも結局おかしいような気がして言葉を継いだ。
「いや、バイト代入ったから買ってやろうと思って……ええと、どう言ったら変じゃなくなるんだ?」
「妹さん?」
しかし寅子はその弁解を聞いていなかった。驚いたように梨依菜の入っていった店内の方を見やる。すっかり奥の方に入っていったため見えようも無かったが。
「あの……アレで?」
アレでというのは梨依菜の胸の事だろうか。二人は背格好は似通っているが唯一そのバストのボリュームだけは陰と陽と言っていい程の明暗があった。寅子が梨依菜を年下と考えなかったのも仕方ないかもしれない。
が、丈一郎は寅子がその控えめな胸にコンプレックスを持っているのを既に脳にしかと叩き込んでいるのであえて気付かないようなフリをした。
「アレでというか、アレがウチの不肖の妹でございますが」
「あ、ああ、ゴメンナサイ。ちょっと……ビックリしちゃって」
さすがに失礼と思ったのか寅子もすまなそうにそう言った。しかし視線は梨依菜の消えたランジェリーショップの方を泳いでいる。
(まぁ、しょうがないか)
女性の体の悩みは、実感は出来ないが理解の出来る問題ではある。丈一郎は話題をそらそうとした。
「ウチは……親父がいなくてね。それでバイトやレイヴァンさん達の手伝いをして、自分と妹の物を買わないといけないんだ」
「そうなんだ……偉いね」
同情は買いたくないので明るく言ったのを、寅子は酌んでくれたようだ。
「ハルナさんから結構貰ったから、だいぶ楽にはなりそうだよ」
「加賀君は、ずっと続けるの……?お手伝い」
先程とは一転、心配そうに問う寅子に心配掛けないように、務めて明るい声を出す。
「『ビゲル・ゲフィズン』が神隠しの首謀なら、親父の行方もわかるかも知れない。捕まっているなら助け出して、生活費を稼いでもらわないと」
気楽そうに言うが、未知の科学力を持つ宇宙人に対抗する事を蕎麦屋のバイトと同じように寅子に思わせるのは無理があった。何より、寅子自体が『ビゲル』の被害者である。
「加賀君に何かあれば、妹さんが悲しむよ?」
「気をつけるよ。それに、委員長の体も元に戻さないと、ね」
付け加えた言葉に、寅子の顔が急に真っ赤になる。それは友人としての優しさだとわかっているが、「お前の為に、命張ってやるよ」と言われれば年頃の乙女としては興奮せざるを得ない。
「そ、それって……痛!」
「委員長!?」
頬を火照らせた寅子が、急に手首を押さえる。思わぬ言葉に興奮して心拍数が上がったのだろう。変身抑止の為の装置が働いて、寅子の血圧と興奮が引き潮のように遠ざかっていった。
「大丈夫……いい加減馴れないと、ね」
「いや、そんな装置に馴れる前に治療薬を手に入れよう。なんとかしてあのジジイの研究室を探し出さないと。……委員長はどこで改造されたか覚えてないんだっけ」
急に現実的な話を振られ、寅子ははっ、と夢から覚めたような顔になった。
「あ、う、うん……ごめんなさい。どこか暗くて……深いような所に連れて行かれたような気がするんだけど、全然意識がはっきりしていなくて……」
悔しそうに俯いて寅子がそう言う。
「じゃあ、仕方ないよ。他に手がかりを探そう。誰か改造された人を助ければいいのかもだけど、都合良くそんなのがいるわけが無いし……」
うーむ、と二人の高校生が頭を捻って悩んでも、宇宙人が巧妙に隠れている場所はわかりようもなかった。第一そんなに簡単にわかればとっくにレイヴァンとハルナが解決しているだろう。
考えても埒が明かない、と捻った首を戻した所で梨依菜が派手な赤い袋を抱え帰ってきた。さぞや満面の笑みだろうと思って顔を見ると、妹は何か複雑な顔をしていた。
「どうした、いいのが無かったのか?」
「いや、ちゃんと買えたけど……もしかして、お兄ちゃんの彼女?」
視線は寅子の方を向いている。丈一郎は妹の不躾な態度に慌てた。
「ち、違う!同じクラスの委員長で水天宮さんだ!ゴメン委員長、これがさっき話してた妹の梨依菜」
無理やり頭を下げさせながらお互いの紹介をする。梨依菜はバタバタと兄の手を剥ぎ取って、申し訳無さそうに謝った。
「すみません、兄がモテた所を見た事が無いもので疑ってしまいました」
「梨依菜!」
そんな兄妹のやり取りに、寅子は笑いながら手を振る。
「別に、大丈夫。こちらこそお兄さんにはいろいろお世話になってて……」
「お世話……ですか?」
想定の範囲外だというように目を丸くする梨依菜だったが、寅子もその規格外の胸に驚いていた。
(中学生……なのよね?)
カップサイズで言えば間違いなく3つは離されているに違いない。寅子は涙を堪えながら丈一郎に視線を移す。
「じゃあ、私もう帰るね……宿題も多いし。加賀君もゲームばっかりしてないでちゃんとやらなきゃダメだよ」
「わ、わかってるよ」
じゃあ、と言って寅子は踵を返した。その後姿を見ながらくい、と梨依菜が兄の袖を引っ張る。
「どうした?もう服とか買う金は無いぞ?」
「ううん、そうじゃなくて……お兄ちゃん、あの人みたいなタイプが好きなの?」
「だから違うって言っているだろ」
心底めんどくさいといわんばかりの口調で丈一郎がそう言うので梨依菜もそれ以上の追求はやめたが、寅子の姿が小さくなり角を曲がって消えるまで視線は外さなかった。
もう五月も終わりに近付いていた。長い陽は植物を一斉に成長させ、枝や葉が驚異的な速度で伸びる。それに従い生活圏が拡大した有象無象の昆虫や節足動物が大量発生する時期でもあった。
すっかり夜になった暗い雑木林の中、生い茂る茂みがガサリと揺れて、ぺちんという間抜けな音が響いた。
「どうした」
「蚊だ」
訊ねた方の男、モヴァイターが溜息を漏らす。
「いやな季節になったな」
「まったくもって、そうだな」
答えた方も仮面を着けたモヴァイターだ。パズニベーノに逃走された実験体の捜索を命じられた二人である。さすがに白衣は脱いで目立たない黒いシャツを着ているが、どちらにせよ仮面は外せないので街の捜索も夜にしか行えない。
モヴァイターの中には情報収集班として、一般市民と同じような格好をして活動するものもいるらしいが二人にはその権限が無かった。
「仮面を外せない俺達が捜索活動って、無理が無いか?」
「キレたパズニベーノ様は、ああなるともうどうしようもないからな。ほとぼりが冷めるまで外にいた方がいいのさ」
隠れていた茂みから身を出して、背伸びをしながら先輩のモヴァイターが言うのを聞いて、後輩の方が前から思っていた疑問をぶつけた。
「様って……お前さんはもうすっかり『ビゲル』の人間になっちまったのか?」
「ん?ああ、なんかこう毎日仮面から洗脳波を浴びているとこうなっちまうのかな……でもどっちにせよ、俺は社会のはみ出し者だったし、別に『こっち』側でもいいんだけどな。そんなに仕事大変じゃないし」
後輩は頭を振った。視線や表情が交わせないので、モヴァイターにさせられてからは大げさなジェスチャーが増えた気がする。
「俺も元々家族も友達もいない一人モンだったけどよ……でもアイツらが地球で好き勝手するのはなんつうか、腑に落ちないっつーか」
「まぁな、でもあんな科学力持ってんだぜ。ホントなら力づくで征服してもいいのになんか気を使ってくれてるというか……意外と優しいヤツラなんじゃないか?」
「ホントにそうか……?」
二人は県道に出て、市街地に入る交差点まで歩いた。塗装の少し剥がれた自販機に近付いて後輩がコーヒーを買う。
「最近オレたちの邪魔をするって言う、なんかピカピカした変身ヒーローみたいな連中。アイツらが助けてくれたりしないのかな」
「見かけたら助けてもらえばいいんじゃないか?でも無理に脱走すると、仮面から電気ショック受けて記憶喪失になったり頭おかしくなったりするらしいから気をつけろよ」
「え、マジかよ」
「この前そのヒーローに仮面をひっぺがされたナントカって自転車屋のオヤジもちょっとショックでおかしくなって、今は再調整中らしい」
「うげえ……やっぱいやだな、この仕事」
先輩も続けて自販機から炭酸飲料を買う。ポケットからマイストローを出して、それを仮面の口のところにある呼吸穴に挿した。
「ま、なるようになるさ」
「気楽だな、先輩」
後輩はがっくりと肩を落としながら、パズニベーノの改造人間に反応する探知機のスイッチを入れた。
「ただいま」
スライドドアを開けながら入ってきたレイヴァンはいつもより少しやつれていた。
「お帰りなさい、大変だった?」
ハルナからミネラルウォーターを受け取りながらレイヴァンが疲れた笑いを漏らす。
「もともと資料相手の仕事が苦手だってのもあるが、あの海賊共几帳面に工作帳簿を作り込んでやがってな、その照らし合わせが延々終わらなくて……」
レイヴァンがよろよろと椅子に腰掛けた所に、ハルナはコロンボから受け取った資料を持ってきた。
「事件かい?」
「『ビゲル』も負けず劣らず仕事熱心みたい……なんだけど、今回もへんてこな内容だわ」
受け取った資料に目を通しレイヴァンも唸る。
「メガネ泥棒……なぁ」
「メガネを盗まれて困る人はいるでしょうけどコンタクトの人だってたくさんいるし、それにコレ、グラサンとか伊達メガネも盗んでいるらしいのよね」
不思議そうに横から資料を眺めるハルナ。レイヴァンは水を一気に飲み干すと、資料ごとグラスをハルナに返した。
「メガネなら何でもいいというわけか。しかし、即効性の強い催眠ガスで被害者を昏倒させている可能性が高い、となれば急いで解決しないといけないだろう。メガネだから良いと言うワケじゃないが、金品や危険物まで盗まれたら厄介だ。ハルナ、丈一郎君とコロンボさんを呼んでくれ」
「りょーかい」