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遭遇(前)

挿絵(By みてみん)




 隠岐剣おきのつるぎ市の公立校に通う高校生、加賀丈一郎はバイトの蕎麦の出前で、いつものように岡持ちを片手にやや暗くなりかかった住宅地を自転車で走り抜けていた。


 身長は176センチ、程よく筋肉の付いたスポーツマン体型だが、事情により多数の運動部の勧誘を断り放課後はアルバイトに勤しんでいる。短く刈り上げた黒髪が夕方の緩い風になびいてゆく。


 季節は五月、ようやく夜も生暖かくなる頃で、冬はあっという間に山陰に落ち行く太陽も最近では大分のんびりと西の空に佇んでいた。


 (急げばまだ明るいうちに帰れそうだな)


 丈一郎はお得意様の一軒である古くさい一軒家の前に自転車を止め呼び鈴を鳴らした。


 「お待たせしましたぁ、<伊勢屋>でございまーす!」


 「あらあら、待ってたわ、いつもありがとうねぇ」


 年季の入ったドアが開き、やわらかいオレンジの照明の光を背負いながら恰幅のいい奥さんが出てくる。丈一郎は頭を下げながら慎重に岡持ちを玄関に運ぶ。


 「いつもありがとうございます!天そば三つお持ちいたしました!」


 「早くて助かるわぁ、こっちこそありがとうねぇ」


 いつもの調子でニコニコしながら財布を開ける奥さん。が、急に朗らかな表情を真面目な目つきに変えた。


 「そういえば、丈ちゃん聞いた?近くのホラ、<豆腐の水宮>のご主人、最近見かけないらしいわよ」


 「え、『また』ですか!?」


 「ええ、もう二日も音沙汰無しらしいわよ…他にも変なオバケ、また出るって言うじゃない?真っ赤なカラスだの脚の生えたサバだのでっかい黒い犬男だの。丈ちゃんも気をつけなさいよ」


 神妙そうに言いながらお代を丈一郎の手に握らせて、小太りの奥さんは蕎麦をよいしょ、と抱えでっぷりとした尻を振りながら入っていった。それを見送って、自転車にまたがりながら丈一郎が溜息をつく。


 「『また』…か」


 隠岐剣市は昔から、『神隠し』やら『妖怪』やらオカルティックな話が頻繁に聞かれる街である。それもいわゆる明治以前のおとぎ話まがいの伝聞とは違い、二十一世紀になってもなおこれらの噂が絶えず、日本はおろか世界各国からオカルト好きがよく訪れる。


 『妖怪』はまだしも『神隠し』はさすがにオカルトで済まされないので地元警察や消防団が捜索に当たるのだが、すぐに見つかるのは稀で一週間から一ヶ月、長ければ三年後にふらりと帰ってくる事もある。帰ってきたとしても記憶がなくなっていたり、何も言わずに他の土地へと引っ越してしまったりと、どこで何をしていたのか地元の人間にもわからずと、さらにオカルトの街として知名度を上げてしまっている始末だ。


 丈一郎にとっても他人事ではない。刑事だった父もまた、とある『神隠し』事件の捜査中に行方がわからなくなりもう六年になる。力強く、頼りがいのある父がよもや死んだりはしていないと思うが、無事に帰ってくると信じていた丈一郎も最近では自信が無くなっていた所だった。


 (親父…どこにいっちまったんだよ)


 またも行方不明者が出ているというのに、街を守るべき父が長年帰ってこないことが丈一郎には寂しく、またもどかしくあった。


 慣れた道、幼い頃の記憶を思い浮かべながら店へと帰ろうとしている所で、夕暮れの住宅街の静けさを甲高い悲鳴が切り裂いた。


 「!?」


 近い。声は幼く、小学生くらいの子供の物だ。丈一郎は見当をつけて自転車を走らせた。


 (どこだ……あれか!)


 二つ通りを挟んだ細い路地。コートを着ているような大人のシルエットとそれに怯えて塀の下にへたり込んでいる三人の小学生が視界に入った。大人の、おそらく男だろう、コートの前を広げてジリジリと子供達に近付いている。


 「ヘヘヘ……ホゥラ、よーく見るんだ……」


 (『妖怪』じゃあないな、変質者か?)


 人間相手ならどうとでもできる。警察官だった父から継いだ血を滾らせて、丈一郎は自転車から飛び降りながら子供達とコート男の間へ割り込んだ。


 「やめろ!」


 「?なんだテメェ!」


 男は痩せぎすで、三十代後半くらいだろうか、無精ひげにボサボサの髪でいかにも冴えないサラリーマンという風体で、見るからに安物のコートの下は完全に裸だった。威勢よく啖呵を切るその股間には丈一郎から見ても貧相なものがぶら下がっている。同じ男として情けなくなった丈一郎は、キッと睨みつけ怒鳴りつけた。


 「いい歳してくだらない事してんじゃねぇ!」


 「ンだと……ォ……」


 人相の悪い顔。目はやや血走り、ガクガクと震えている。怒りによるものか、もしくはクスリでもやっているのだろうか。


 子供の頃、空手と柔道を習っていた丈一郎は、ケンカは好まないものの腕っぷしにはそれなりに自信はある。対する男はけして腕力があるようには見えない。コートの中にも刃物などの危険物は無いようだ。丈一郎は毅然と男に警告を放った。


 「素直に帰るなら見逃してやる。やめないなら警察を呼ぶぞ!」


 「ガキがぁ……俺の唯一の楽しみを邪魔するのかァ!」


 怒りに満ちたその一言に他に楽しみはないのかよ、と丈一郎は心中で呆れたが、それどころではない出来事にその目が一杯に見開かれる。露出狂の男の目がおどろおどろしい紅の光を放った、と思うや否や痩せていた体躯が真っ黒に染まりまるでボディビルダーのように強靭な肉体へ変貌してゆく。


 「な、何が…」


 「調子に乗ってんじゃねぇぞゴラァ…ッ!!」


 男は、もはや只の露出狂の中年ではなくなっていた。筋骨隆々となった体躯は安物のコートを内側から引き裂いて、その身長は二メートルを悠に超えている。真っ黒に染まったと見えたのは全身から太い剛毛が生えているからだ。その顔は人の物から恐るべき怒る猟犬のそれに変貌していた。


 (『黒い犬男』!)


 先程の奥さんの話を思い出す。噂の元は、コイツか!


 グアアアアアアアアッ!!


 「!」


 巨大な犬男は耳をつんざく大音声の雄たけびを上げ、太い腕を横なぎに振り抜いた。


 「ぐ…うわあああぁぁぁ!」


 人間離れしたパワーに目にも止まらぬ速さ。犬男の一撃をモロに受けて丈一郎は吹き飛び地面に転がされた。殴られた左腕が猛烈に痛む。折れているかもしれない。さらに受身も取れずアスファルトを何度も転がった為に身体の至るところにアザができた。


 「クソが…邪魔しやがってよォ……さぁ、おじちゃんの家に行こうかぁ…」


 露出狂、いまや犬の怪人がじりじりと子供達に迫る。子供達は恐怖で完全に腰が抜けてしまい、悲鳴を上げる事も出来ないようだった。逃げるなど到底不可能だろう。


 (しっかりしろ!)


 恐怖と混乱と痛みで硬直しかかった頭と体に喝を入れ、丈一郎は急いで立ち上がった。どのようにして貧弱な中年が化け物に変身したのかは推測もできなかったが、今はコイツが何者なのかはどうでもいい。とにかく子供達を守らなければ!


 転がっていた空の岡持ちを手に握る。多少古びているがジュラルミン製の頑丈な一級品だ。勇気を振り絞り、右手でそれを振り上げながら丈一郎は背後から犬男に飛びかかった。


 「止めろ!」


 ガン!


 確かな手ごたえを感じた。が、丈一郎はまたも驚きで言葉を失った。殴りつけた後頭部は傷一つ無い。逆に岡持ちがアルミホイルのようにグシャリと凹んでいる。


 「テメェ…いい加減にしろよォ…!」


 苛立ちを隠そうともせず、振り返った犬男の丸太のような黒い巨大な脚が丈一郎を蹴り飛ばした。先の一撃とは比べ物にならない威力を腹部に喰らい、悲鳴も上げられず丈一郎は再び地面に叩きつけられる。


 「グ…ク、ァ…ハッ…」


 景色がぐるぐると回り、猛烈な痛みに呼吸もままならない。ボンヤリとする視界の中で巨大な犬男がドスン、ドスンと路面を踏み鳴らしながらゆっくりと近付くのが見えたが、丈一郎は痛みに耐えるのが精一杯で指一本動かすことが出来なかった。


 「今まで殺しだけはしなかったけどヨォ……お前は許せねぇなぁ……」


 怒りに満ちた獣の貌。大きな口から白い息と大量の涎がダラダラと垂れ流しながら丈一郎の傍まで歩み寄り、強靭な右脚で踏みつけようと振り上げる。


 (俺は……ここで死ぬのか……親父!)


 唐突な死の恐怖。平穏な日常が一瞬にして終わろうとしている現実に丈一郎の両目に涙が浮かぶ。成す術なく非常な最後の一撃を受けようとしていた、その時。


 「待てぇィ!!」


 野太い男の声が路地に響き渡った。同時に数発の銃声が轟き、犬男の側頭部を銃弾が襲う。


 「グァアアアアア!?」


 犬男が予想外の一撃に怯み後ずさった。痛みを堪え丈一郎は声の方を向く。レインコートのようなものを羽織った男が拳銃を構えこちらに走りよってきた。丈一郎の脇に屈みこみ、四十くらいのその男が声を掛けてくる。


 「大丈夫か?」


 とても大丈夫ではないし、返事をしたくとも依然呼吸もままならないため声が出ない。外見から何とか丈一郎が生きていることを確認した男は、すぐに犬男に視線を向けて握ったオートマチックのトリガーを引いた。


 「グゥ……オオオ!」


 次々と命中する弾丸。しかしその剛毛に包まれた犬男の身体を貫通することは出来ないらしく、流血はしていないようだ。痛みに悶えながら犬男はまたも丈一郎と男に近付いてきた。


 カチカチ、とオートマチックから空しい音が鳴る。弾切れのようだ。事態がまったく把握できていないがギリギリと歯軋りをする助っ人の顔を見て、助かる可能性がまた無くなったようだと丈一郎は思った。


 (何がなんだかわからないが……やっぱりここまでか)


 殺されてしまうのは心底悔しいが、子供達の為に命を張った事に後悔は無かった。ずいぶんと急で、ドラマチックな最後だったな…と覚悟を決める。


 が、助っ人の男はやおら空を仰ぎ、大声を上げた。


 「レイヴァン!ここだ!」


 「オゥ!」


 男の仰いだ先、周りの民家より一際高さのある小さなビルディングの上に、いつの間にか空に輝いていた満月を背負い大柄な人影が現れた。人影は、犬男とは違うもののその姿は明らかに異様である。頭部はヘルメットでも被っているのか丸みを帯びていて、首から下もバイクのプロテクターを大げさにしたような…まるで特殊部隊の防弾ジャケットを着ているようなシルエットだ。何より全身が、闇夜の中でありながら月光を反射して真紅の金属の輝きを帯びている。


 (何だかわかんねぇけど……何か『スゴイ』のが来た!)


 正体はわからないが、丈一郎はそのシルエットに不思議と魅かれた。頼もしかった父と同じような力強さを感じる。


 「何モンだテメェ!?」


 犬男もその謎のシルエットを仰ぎ威嚇混じりに誰何する。朦朧とする丈一郎の視線の先で、その人影は大仰な動きと共に名乗りを上げた。


 「銀河連邦警察……、機動捜査官レイヴァン!」


 (銀河連邦…?」


 丈一郎は聞いたこともない組織の名前を混乱する脳の片隅に記憶しようとした。ワケがわからないことが多すぎて、思考回路はもう機能を停止している。


 「知るか!邪魔するんじゃねぇ!」


 犬男が吠えるのを見下ろしながら、そのメタリックな外見を持つ人影、レイヴァンは腰から拳銃のようなものを引き抜いた。


 「アストラルバスター!」


 良く通る言葉と共に、その銃から眩い白熱の光線が発射される。


 (!?)


 再三驚きで丈一郎が目を見開く。光の奔流が犬男の足元に突き刺さり、爆発が起きた。アスファルトが高熱でえぐられ、融解し煙が立ち込める。


 「クソ野郎共がぁ!」


 犬男の怒声が爆発音の中響き渡った。視界を染める眩しい光と、身動きできない身体の上を乱暴に吹き抜けてゆく爆風。そして次々と起きる非常識な出来事と全身の痛みの中で丈一郎の意識はついに真っ黒な闇の中へ落ちていった。



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