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「はぁ!? まだ帰らないって、どういうことよ!」


翌日は、朝から修羅場だった。


玄関先で、由実と自由が対峙している。

自由の足には怯える功居がしがみつき、義信と居枝は兄妹の睨みあい(といっても睨みつけているのは由実だけだが)を少し離れたリビングの入り口付近で見つめていた。


義信が迎えに呼んだ車が到着したことが、事の発端だ。

由実は兄と共に家に帰るつもりで、その車も帰宅のためのものだった。

しかし、自由は由実と一緒には帰らない、と言ったのだ。

功居と共に麻耶の見舞いに行ってから、と。


「お見舞いなら昨日行ったでしょう! 何でもう一回行く必要があるの!」

ここまで由実が怒りに目を吊り上げるのは、兄の行動に懸念があるからだ。


「約束しちゃったんだよねェ……」

「約束?」


自由は頷き、由実ではなく功居に話しかけた。


「功居くん、先に行っててくれる? すぐに追いつくから」

「でも、じゆう……」


ぷるぷるしながら功居は自由を見上げて躊躇を見せたが、やがて頷いた。

自由が持たせた見舞いの菓子が入った箱を持って、「……いってきます」と先に家を出て行く。

居枝は手を振ってそれを見送り、自由は再び由実に向き直る。

言い争いを見せたくないという自由の意図は伝わったのだろう、由実は功居のことに関しては触れずに、自由の返答を聞いた。


「昨日のより美味しいお菓子持ってってあげるって」

「そんなの……っ! 功居くんが持ってってあげればいいだけでしょう! 自由がわざわざ行く必要ない!」

「そうだね」


自由は由実の言葉を肯定したが、己の意思を撤回することはしなかった。

由実は怒りのあまり真っ赤になるのを通り越して、むしろ青白い幽鬼のような顔になる。


「……治してあげるつもりなのね」

それは、確信の言葉だった。


自由は答えない。

だが、由実は肯定と受け取った。


「お母さんとの約束を忘れたの!? あんなに、使っちゃいけないって、それなのに……! どうしてお母さんの意思を蔑ろにするような真似ができるの! そんな真似、できるなら……っ、」


由実は言葉を詰まらせた。

その目は赤く染まり、滲む涙で潤んでいる。


「由実」

その先を、制止するように自由は呼んだ。

しかし、由実は続けてしまう。


「どうして、お母さんを助けてくれなかったのよ……! この、人殺し……!」


由実は、自身の言葉に斬りつけられたように、傷ついた色をその瞳に浮かべた。

自由は妹に手を差し伸べることも叶わず、ただ静かに立ち尽くす。

とうとう涙を零し、くずおれそうになった由実を支えたのは、義信だった。

暴言を口にしてしまった彼女ではなく、それを口にさせた自由を、義信は睨みつける。


「……ごめん」


自由の小さなその謝罪は、狭い廊下に響いた。


「でも、俺は、行くよ」


由実の肩が揺れる。

彼女は何かを口にしようとしたが、嗚咽にそれを邪魔された。


「……居枝さん、お騒がせしてすみません。お世話になりました」


普段のだらしない態度を隠して、自由は彼なりに背筋を伸ばし、立ち尽くす居枝に頭を下げる。


「行ってきます」


自由は振り返らず、出て行った。


空は今日も変わらず青く広がっている。

――もう少しで、行ける。

太陽の光に目を細め、自由はそう思った。


やがて、地上へ視線を下ろし、自由は歩き出す。

功居に追い付き、共に麻耶の元へ行くために。





自由が去ってしばらくして、何とか由実は涙を抑えた。

気遣いの眼差しをくれる義信と居枝に、何とか微笑みすらする。


「……私、帰りますね。居枝さん、本当にお世話になりました。最後の最後でみっともないところを見せちゃってごめんなさい。落ち着いたら、改めてお礼に伺います」

「お礼なんて。……気をつけてね」


由実は毅然と、玄関を開けて外に出た。

義信も車まで由実を見送る。


「ごめん、ちゃんと家まで送っていきたいけど……」

「いいんです。むしろ、忙しいのに何日も煩わせちゃって、すみませんでした。せっかくノブさんが手を尽くしてくれたのに……、」

言いかけて由実は唇をきゅっと引き結んだ。


「……明日から久しぶりの学校ですし、帰ったら予習もしなくちゃ。ノブさん、それじゃあ、また」

「……ああ、」


義信は外から車のドアを閉め、運転手に車を出すように言った。

車が見えなくなるまで見送り、義信は一度居枝の元へと戻る。


「……義信くん」

戻った義信に、居枝は憂慮の表情を向けた。


「由実ちゃんはやっぱり知らないのね、力の、代償を」

「そうです」

「何てこと。それじゃあ……、」


先ほどのやり取りで察してしまったことを、居枝は苦く呑み込んだ。


「もし、自由くんが本当に麻耶ちゃんを助けたなら――」

「ええ、」


最悪の未来を、義信は肯定した。


「ですが、簡単にそうさせるつもりはありません。なので、俺は自由の後を追います」


居枝がその言葉を追究するより先に、義信は深く頭を下げる。


「数日間、本当にありがとうございました。迷惑をおかけしましたが、また二人が遊びに来ることを許してもらえればと思います。もしくは是非、皆さんでFreeにお越しください。ケーキをプレゼントさせます」


プレゼントさせる、と言った義信に、こんな時だが居枝は笑った。

義信は何も諦めていないのだ。

そう――何も。


「また連絡します。それでは」


泰然とした様子で背を向けた義信が去った後も、居枝は玄関のドアを見つめて祈った。

皆が、笑って過ごせる未来を。






自由が追いつけば、功居はほっとした表情を隠さなかった。


「じゆう……」

「ごめんね」


謝罪の言葉に、ふるふると功居は首を振る。

手を繋いで一緒に歩き出せば、少年は躊躇いながらも切り出した。


「……おねえちゃんは、なんで、おこってたの?」

「え」

自由は返答に迷う。


「おねえちゃん、まやちゃんのこと、きらい……?」

「あ、ああ、そうじゃないよ」


功居が暗い顔なのは、そんな誤解を深めていたかららしい。


「えっと……、ほら、何日もうちを留守にしてたから、片付けとかしなきゃいけないんだけど、俺がそれを手伝わずにお見舞い行くって言ったから怒ったんだよ」


全くの嘘ではない方便に、しかし功居は一層肩を落とした。

なんで、と自由がうろたえていると、功居は縋るような目を向けてくる。


「じゆう、帰っちゃうの……」


今度はそっちかァ、と自由は苦笑した。

過ごした時間は短いのに、これほどまでに慕ってくれる功居に自由としても情がうつっているのを否定できない。


「うん、お店をずっとお休みにしてるわけにもいかないからね」

「おみせ……、おれ、いく」


一大決心を固めたような顔で、功居は自由を見上げた。

それに、自由はこう答えるしか術を持たない。


「――ありがとう」


待ってるよ、とは言えなかった。



やがて、二人は昨日と同様大きな和風建築の事務所に到着した。

昨日持ってきた菓子が功を奏したらしく、自由も功居ほどではないが柔らかい雰囲気で迎えられる。

ちょうど麻耶も起きていると面会を許され、二人は廊下を進んだ。

その途中である。


「……お嬢さんを治してくださるんで?」


ずずいと迫って来た千里に、自由は閉口した。


「え、っと、それに関しては昨日答えを返したはずですが……」

「はい。ですが、わしはお嬢さんを助けることを諦めるとはお約束しておりやせん。もちろんこちらからは関わりませんが、兄さんが自分から進んで治してくれれば問題ないんで」


凄まれて、自由は引きつった笑いを浮かべるしかない。

昨日あれだけきっぱり義信が断言したのに、自由の力を千里は信じているようだ。


「俺にはそんなことは……」

「不思議な力を持ってあるのは、兄さんだけじゃありやせん。だからこそ、わしは自分が見たものを信じとるんで」


千里が視線で指すのは功居だ。

そうか、と自由は納得してしまった。

功居の力を知っていたからこそ、彼は自由の力を錯覚で済まさなかったのだろう。

縋りつかずにはいられなかったのだろう。

それでも自由は、この時首を振った。

曖昧な返答も、必ず助けられるという根拠のない約束も、それらは拒絶より残酷だと、自由は知っていた。


「……すみません」


自由の返答に、すごすごと千里は引き下がるしかなかった。功居もいたので、彼を待っている麻耶のためにも、しつこく食い下がることはできなかったのだ。

強面の千里から逃れることができて、自由はほっとした。

そんな自由を、功居が物言いたげに見ている。

自由はそんな功居の頭を撫でてやった。


「……難しいよねェ、俺たちの力ってさ。使えって言われたり、使うなって言われたり」

「じゆう……」

「でも結局、決めるのは自分なんだよねェ」


おそらく功居はこれから、持って生まれた力に苦しむだろう。

自由と同じように。

けれどできれば、そんな未来来ないでほしい。

自由は思いながら、行こう、と功居を促した。

未来の功居を憂うなら、自由が今できることはたった一つ。

それこそが、きっと功居を支えてくれるだろう。

そう信じながら、自由は功居と共に麻耶の部屋へ入った。


「こんにちは」


二人がドアから姿を見せると、小さい声ではあったが、微笑みを見せ礼儀正しく麻耶は挨拶してくれた。

昨日自由が見舞った時には彼女は身体を起こしていたが、今日は横になったままだ。

功居はそんな麻耶に挨拶を返すと、ドアからベッドまでの短い距離を駆けた。


「まやちゃん、きょうもじゆう、おかしつくってくれたよ」

「ほんと?」


功居が誇らしげに掲げてみせた、菓子の入った箱に、麻耶は瞳を輝かせた。

ちなみに、見舞いの菓子を自由は功居にずっと持たせていたが、彼が面倒臭がったわけではなく、功居が自分が持って行きたいと離さなかったのである。

その中身はちゃんと家人に確認してからつくったもので、麻耶にも食べられるものとなっている。母の存命中、病気の母のために自由はいくつも母が食べられるような菓子を創作した。その内の一つだ。


昨日に引き続き、きらきらとした目で見つめられて自由は苦笑した。


「気に入るといいんだけどねー。あ、でも最後の仕上げがまだなんだ。功居くん、ちょっと貸してもらっていい?」


功居は不思議そうに首を傾げたが、素直に自由に箱を渡した。

功居もこの箱の中身は知らないのだ。

小さな二人に待ちきれない表情を向けられ、自由は苦笑を微笑ましいものを見るようなものへ変える。


――やっぱり、これが正解だ。


自由は受け取った箱を持つ手に力を込めた。


「功居くん、麻耶ちゃん、ちょっとだけ目、つぶってて」


最後の仕上げをするのだと告げれば、子どもたちは素直に目を閉じる。

自由はそっと箱を置くと、その中身ではなく麻耶の身体に手を伸ばした。


――麻耶ちゃんを、治す。


そう決めて、彼は願った。

二人の子どもたちが、ずっと笑顔で共にいられる未来を。


自由はしばらく麻耶の身体に手をかざしていたが、二人が不審に思って目を開けるより先に、その手を下ろした。

持ってきた菓子に、実際には最後の仕上げなどいらないので、「終わったよー」とすぐに二人に声をかける。

ぱちりと目を開けた二人に、自由は箱の蓋を開けて中を見せてやった。

それは動物の形をした可愛らしい菓子で、二人は「かわいい……」と呟いて中身に見入る。


「じゆう、すごい」

「それほどでもあるかなー。早速食べようか?」

「たべちゃうの……?」


あまりに可愛らしくて食べるのも可哀相に見えるらしい。

麻耶に潤んだ目を向けられて、自由は焦った。


「食べないと腐っちゃうからね。カビとか生えて真っ黒になったらそっちの方が可哀相でしょ? 美味しく食べた方がお菓子も喜ぶから!」


自由の必死な説得に、麻耶はこくんと頷いた。けれど彼女の瞳は曇ったままだ。


「でも、きょう、おきられ、なくて……」

「そう? でも今、結構顔色いいよ。無理はしなくていいけど……、身体、動かなそう?」


少々白々しいながら、自由は麻耶の身体のことを確認しておきたくて、そう言った。

自由に手を貸されて、麻耶はすんなり状態を起こす。


「――あれ?」

不思議そうに、彼女は自分の身体を見下ろした。

「さっきまで……、きつかったのに……、なんだか……」

きちんと検査してもらわなければ完治したかどうかは分からないが、大丈夫そうだと自由は内心ほっとする。


「調子がよさそうなら良かった。はいどーぞ」


自由は麻耶と功居にそれぞれ一つずつ菓子を渡した。

可愛らしい形を崩してしまうのが嫌なのか、二人はどこから食べるのか散々唸っていたが、やがて同時に齧りつく。


「おいしい……」

麻耶は一口目をのみ込んで余韻に浸ったが、功居は言葉もなくもふもふと食べ続けている。


「気に入ったようなら良かった。……じゃあ、そろそろ俺は行くね」

「えっ」


驚きの声が二つ重なる。


「もうかえっちゃうの……?」

「ごめんねー。ゆっくりしたいのは山々だけど、行かなきゃいけないところがあるんだ」


ひょろっと縦に長い身長を持て余すように、ふらりと自由は立ち上がった。

物分かりのいい子どもたちは自由を引き止める言葉を繰り返すことはしなかったが、その目が行くなと物語っている。

自由はそれに笑うと、二人の子どもたちの頭を軽く交互に撫でた。


「ごめんね。お菓子、ゆっくり食べて」

「……ありがと、じゆう」


礼儀正しい子どもたちは、礼を言うのも忘れなかった。

特に功居は張り切って、「ぜったい、おれ、おみせ、いく」と自由を見送る。

小さな手のひらがぶんぶんと振られるのを背に、自由は麻耶の部屋を出た。


――絶対、かァ……。すぐに俺のことなんて忘れてくれるといいけど……。功居くん、あんなにちっさいのになんかすっごく真面目だからなァ……。


は、と自由は顔を歪めた。

子どもたちの目から逃れて、彼は荒い息を吐く。


「――兄さん、もう帰られるんで?」


ふらふらとした足取りで廊下を進んでいると、後ろから声を掛けられた。

何とか無理矢理、自由は愛想笑いを浮かべる。


「ちょっとこの後予定があって……」


声をかけてきたのは、またもや千里であった。


「もっとゆっくりしていってくださっても……。いえ、どうにも顔色がお悪い。送らせやしょうか?」

「大丈夫デス……」


千里の声は気遣わしげだが、下心も多分に含まれていそうだ。

自由は首を横に振り、お邪魔しましたと玄関から外へ出た。


「ありがとうございやした」

自由のしたことを知らないだろうに、礼の声が最後に追いかけてくる。


ふ、と自由は笑いながら、どこかよたよたとした足取りで門を潜った。

空を見上げながら、自由は歩く。

家人の目が届かない場所まで何とか足を動かし――自由は、路上に倒れた。


「ぐ……っ」

胸が痛くて、苦しい。

それを堪えるように、彼は胸元のシャツを握りしめた。

くそ、と内心で彼は彼らしくなく毒づく。

こんなに苦しいのは、初めてだった。

だが、覚悟していたことでもあった。

苦しみをどうにもできずに、それでも自由は薄目で青空を見つめる。


――もうすぐだ。早く、早く……。


そんな彼の視界が、不意に翳った。


「――良い様だな、自由」

「ノ、ブ……」


掠れた声で自由が呼んだ通り、そこに仁王立ちで立つのは義信だった。


「これで懲りたろう。今後は由実ちゃんの言いつけを守れよ」


死に瀕している親友に言う台詞ではない。

改心して守りたくても、もう自由に守れる約束などないだろう。

自由は口元を歪め、それに直接の返答を返さず、切れ切れに告げた。


「悪ぃ、……あと、よろ、しく……」


喋るのも苦しい自由が何とか発した言葉だったのだが、自由を見下ろす義信に容赦はない。


「知らん」


――ひどい。

思いながら、何とか最後に自由は空の青を映し、瞳を閉じた。


「――自分の責任は自分でとれ、自由」


義信の冷たい声を聞きながら――自由は意識を失う。


――ようやくいける――父さん……。

最後に、そう独白して。




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