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「あらこのバニラアイス、いけるわ」

「ほんとですか? 良かったら一口くださいー。私の白玉進呈しますから!」


自由たちが麻耶の見舞いをしていた頃、由実と居枝の女性二人は買い物を終え、目に付いた甘味処に入って一服していた。

ちなみに由実が頼んだのは白玉あんみつ、居枝が頼んだのがクリームあんみつである。

朝から不機嫌丸出しの由実だったが、居枝と二人きりの買い物は存外楽しく、割と強引に連れ出されたこともすっかり過去のこととなっていた。

自由が小さく零した、『少し母さんに似ている』という言葉もある。

母を亡くしている由実にとっては、居枝と共に過ごす時間は、実の母と過ごしているような錯覚を起こさせるものだったのかもしれない。


「お兄さんが洋菓子屋さんなら、やっぱりお友だちと行くのはこういう、和風なところの方が多いの?」

「いえ、洋菓子屋さんも和菓子屋さんもどちらにも行きますよ。といっても、友だちとよく行くのはハンバーガーとかのファーストフード店とかですけど。こういうところって高校生のお小遣いじゃちょっと高くてしょっちゅうは無理だし……」

「確かにねぇ。じゃ、洋菓子屋さんに行ったらやっぱり敵情視察しちゃう?」


悪戯っぽく笑った居枝に、由実も笑って返した。


「そうですね、やっぱりうちにないケーキとか、色々試しに食べちゃったりしますね。でも、どこにでもありそうなケーキとかでも食べるかなぁ。その方が比較しやすいですし、それでここのケーキは良いとか、いまいちとか、判断したり」

「なるほどねー。なかなか商売熱心なのね。今のところ、最大のライバル店なんていうのはあるの?」

「客足だけでいうなら、有名なチェーン店とかには当然負けてますけど、味だけで勝負するなら、地域では兄の腕はピカ一です。まあ、好みもありますし、身内の贔屓目は否定できませんけど」


居枝は意外そうに目を瞬かせた。

由実がこうも素直に兄のことを認める発言をするとは、これまでの態度からは思えなかったからだ。

しかし、言葉を口にする由実は、甘いものを食べているというのに、苦虫でも噛み潰したような表情をしている。

素直なのか、そうでないのか、と居枝は茶を一口啜った。


「今朝作ってたゼリーもすごく綺麗で美味しかったものね」

「なんであんなやつの手からあんなに美味しいものができるのか、現実って本当に小説よりも奇なりですよね……」

「由実ちゃんは本当にお兄さんには容赦がないわね」

「容赦する必要を感じません。あんなやつ」


吐き捨てるように言った、由実の目には、憎悪にも近いものが浮かんでいて、居枝は不意をつかれた気がした。

気晴らしをして、少しは由実の苛立ちも和らいだのではないかと考えていたのだが、由実の苛立ちはまだその華奢な身体の内に燻り続けているようだ。

だがそれにしても、由実の怒りの感情は尋常ではない。

彼ら兄妹の関係には、何らかの埋めがたい亀裂があるようだった。


「……自由くんが力を使っていないか、心配?」

「誰があんなやつの心配なんか――」


ぎゅっとスプーンを握りしめて、由実は感情を抑えるように低い声で言う。


「ただ、私はお母さんとの約束が大事なだけです。お母さんは自由に力を使うなって言ったのに、自由はその言葉を軽んじてる……。だから私は、許しません。例え自由が力を使うことで救われる人がたくさんいても。私だけは許さない。あいつが力を使うことを。だって、そうじゃないと――」


その続きの言葉を呑みこんだ由実を、居枝は、憂慮を込めて見つめた。






ぼんやりしながら空を見上げて歩く自由と、とぼとぼと地面を見つめながら歩く功居。

麻耶の家、暴力団事務所を辞去してきた自由と功居は、対照的な様子で帰路についていた。

やがて功居の家の前まで辿り着いた二人だが、手を繋いでいた功居が突然立ち止まったので、自由はその手に引っ張られるようにして足を止める。


「どしたの? もう家目の前だよ」

「じゆう……、おれ……」


不思議そうに見下ろす自由を、功居は見上げた。


「ごめんなさい」

「へ?」


謝られる理由に思い当たるところはない。

きょとんとした自由に、功居は許してもらえないのかと思い詰めるような眼差しで続けた。


「力、つかうなって、お母さんが……。ごめんなさい」

「ああ、それ」


もしかしてあれからずっと気にしていたのだろうか、と自由が逆に申し訳ない気持ちを覚えるくらい、功居は真剣だった。


「別に気にしてないから、そんな謝らなくていいよ。それより早く帰ろう。居枝さんたちもそろそろ買い物から帰ってるだろうし」

「う、うん」


自由が軽く笑いかけながら言ってやれば、打って変わって功居は目を輝かせる。


「じゆうは、やさしい、ね」

「……それは、どうだろうねェ……」


口の中だけで呟いたので、それは功居の耳には届かなかった。

そうして、「ただいま」と帰宅した功居と自由を、居枝の「おかえりなさい」という声が出迎える。

直接の出迎えをしたのは由実で、それが仁王立ちだったものだから、ひっと息を呑んだ功居は、彼女から挨拶される前に自由の後ろに隠れてしまった。


「……ノブさんは?」

それにさらに気分を害した由実は、兄に対しおかえりを言うでもなく、つっけんどんに問いかける。


「もう少しかかるみたい。その内帰ってくるだろ」

「なら、いいけど。……余計なこと、してこなかったでしょうね、自由」

「してないしてない。ただお見舞いのお菓子届けてきただけだよ」

「……なんか、白々しい」


ぎくり、としながらも、由実が背を向けたので、自由と功居は靴を脱いで家に上がることができた。

功居はいち早くリビングからキッチンへ駆けていき、キッチンに向かう居枝の足に抱きつく。


「おかえり功居。自由くんもおかえり」

「どうも」

「あのね、帰って来て早速だけど自由くん、ひとつお願いがあるの」

「なんですか?」

「もう一泊してかない?」


思わず自由は由実を窺ってしまった。


「由実ちゃんと買い物してたら楽しくなっちゃって、色々買いこみすぎちゃったのよねー。旦那帰って来るの明日だし、食料減らしてってくれると有り難いんだけど」

「すごく嬉しいお誘いですが……、」

「由実ちゃんはいいって」

「え? そうなの?」

「……確かにちょっと、買い込みすぎちゃったから」

「多分、ノブのあの感じだと、うちに帰っても問題ないけど」

「店とかどうなってるのか分からないけど、今から帰って片付けするのは、それはそれで面倒じゃない? 今日はここでゆっくりしていきなさいな。その方が功居も喜ぶし」

「それじゃ……お言葉に甘えて」


そういうことで、自由たちはその日も功居宅に泊まることになった。

このことに、功居が舞い上がらんばかりに喜んだのは言うまでもない。






「まさか二晩も泊めてもらうことになるとは……、予想外に懐かれたな」

「そうねー。お前はいいわけ? こんなにゆっくりしちゃって」

「一応明日までは空けてある」


夜である。


五人で賑やかに夕食を囲んで後、既に功居は居枝に寝かしつけられていた。

由実も疲れたからと、早々に就寝している。明日家に戻ってからやらなければならないことも多いから、その方が良いとの判断だろう。


一方、自由はまたキッチンを借りて、菓子を作っていた。

自由の作業の様子を、義信が食器棚に凭れながら見ている。


「……そんなに作って、どうするんだ?」

「居枝さんと功居君にお礼。旦那さんも明日帰ってくるって話だしね」

「なるほど。てっきり明日も見舞いに行くのかと思った」

「……分かってるなら遠まわしに聞かなきゃいいのに」

唇を尖らせて、自由は抗議した。


「由実ちゃんが怒るぞ」

「知ってる。だからほんとは、家に帰ってからの方が油断を誘えたんだけどね。誤魔化しやすいし」


呆れたように、義信は溜め息を吐いた。


「お前のことだ、うっかり約束でもしてしまったんだろう。明日もお菓子持ってくるとか何とか」

「ノブ、前から思ってたけど千里眼でも持ってんのかー」

「馬鹿、自由が分かりやすすぎるんだ」


悪態を吐いて、義信は真面目な顔になる。


「……それでお前、力を使うつもりなのか」

「……まだ分かんない」


一瞬だけ自由の手が止まり、また動き出す。

普段の彼からは想像もつかない手際の良さで、菓子は完成に近付いて行く。


「お前でも悩むんだな」

「ノブお前、俺を何だと思ってんのさ」

「悩む頭もない阿呆」

「お前、ほんとに俺の友達?」

「ありえないと思うことは確かだ」

「……お前って、ほんとひどい奴だよね……」

「それなら友人としてのアドバイスだ。お前が悩む必要はない。止めておけ」

「……お前の苦労が水の泡だしね」

「分かってるじゃないか、鳥頭」

わざとらしく感心したように義信は言い、自由は肩を落とす。


「それに、今度こそ由実ちゃんを怒らせるだけじゃ済まないかもしれない」

「……それね、今回は確実にそうなるかも」


自由が零した言葉に、義信は目を見開いた。


「……自由、」

「誰かにこれ、言ったことあったか分かんないけど、何となく分かるんだよね。これは重いとか、軽いとか、すぐ治せるとか、ちょっとやばいとか。麻耶ちゃんの場合は、多分全身に病気が回っちゃってて、俺でも完全に治せるか分かんない。かなり普通の人に近いくらいまでは良くできると思うけど」

「お前、今日はそれを診に行ったんじゃないだろうな……」

「ノブ、怖いって……」


地を這うような義信の声に、自由はぎくりと肩を揺らした。


「お前の場合制約もあるしな……、まさかあの見舞いは餌付けか……?」

「そこまで考えてなかったけどさ……」


義信は握った拳を震わせた。

いっそ怒鳴ってやりたいが、場所が場所なのでできない。


「お前、やっぱ最初から助ける気まんまんだったんだな」

「ノブ、百年の恋も冷める般若になっちゃってるから……」

「誰のせいだと思ってる、誰の!」

「俺デス……」


後の仕上げは明日というところまで作業を終え、手錠をかけられる犯人のように腕を伸ばして手を洗おうとした自由に、義信はついと近付いた。自由がよける間もなく、その首を絞めてやる。その力の込め具合は、冗談以上のものを含んでいて、自由は青くなったり息苦しさに赤くなったりした。


「ぎゃあ、死ぬ、まじ死ぬ、ヤメテ!」

「後で殺してやるって伝わってたよな? 誰も俺を責めないと思うんだ。由実ちゃんも喜んでくれると思う」

「否定できない! でもどうせ殺すならせめてほんとに麻耶ちゃんを助けてからでお願い!」

「……ふん」


本当に自由を殺害しそうな一歩手前で、義信は手を離してやった。こんな馬鹿を自分の手で殺すのは割に合わないと思ったのかもしれない。

ぶつぶつと呪いの言葉を横で吐き続けている義信に冷や汗を流しながら、自由は何度か咳き込んだ後、片付けを始める。


「……俺、これでも結構繊細なんだよ」

ボウルなどの器具を洗いながら、自由は言い訳がましく呟いた。


「は? 何言ってんだ」

「……だからさ、こんなの何回もさ、ムリ」

「……そうかよ」


諦めのような溜め息を吐くと、義信は自由に背を向けた。

明日までは空けてあると言いながら、リビングに向かった彼が目の前にするのは、仕事用のパソコンだ。

残された自由も片付けを終えると、先に寝るからと言い置き、布団を目指して、また功居の部屋へ上がっていった。






自由が功居の部屋に入ると、眠っている功居の側に居枝が座ってその寝顔を見つめていた。

お邪魔します、と自由が呟いて足を踏み入れれば、居枝は顔を上げて微笑む。


「今日も早いわね。お菓子作り、終わったの?」

「はい。キッチンありがとうございました。結構作ったので、明日旦那さんが帰ってきたら皆で食べてください」

「ありがと。楽しみだわ」


居枝の笑顔は、失くした母の笑顔と重なる。

自由は目を細めて、静かに功居の隣の布団に入った。

おやすみなさいと告げて瞼を閉じようとするが、それよりも居枝が口を開く方が早い。


「……麻耶ちゃんを助けるの?」


功居から明日も一緒に見舞いに行くという話を聞いたのだろうか。自由は正直に答えた。


「まだ……、でも、多分、」

「そう。……私はね、君が力を使うことについてはやっぱり反対」


きっぱりと居枝は言った。


「第三者の私が言うべきことではないかもしれないけど、言うわ。功居は、力を使った後はいつも寝入ってしまうの。昨日もそうだったでしょう。……いつも、不安だわ。もう起きてくれないんじゃないか……、もう、笑って、くれないんじゃないか、って」


声が震えたような気がしたのは、自由の気のせいだったのか――。


「多分だけど、普通の人だったら使わないような大きな力を使うから、そのなくなった分の力を埋めるために睡眠が必要なんじゃないかって思うの。……自由くんも、そうなんでしょう。由実ちゃんが言ってたわ。朝寝と昼寝と夜寝が趣味だって。趣味なんじゃなくて、寝られずにはいられないんでしょう」

「……俺は、寝るのが好きなんですよ」


居枝は少し笑った。


「……自由くんに何かあったら、功居は泣くわ」

「会ったばかりの変人のことなんて、すぐに忘れます」

「そうかしら? でも、いずれにせよ、功居がいなくても、君には妹さんもいるし友人もいる。君がいなくなって悲しむ人間がいるということを忘れないで」

「……はい」


自由は素直に頷いた。

けれどそれは麻耶も同じ。

そして、生きるとすれば彼女こそふさわしいのではないかと自由は思う。

彼女はまだ幼く、生きられるなら無限大の未来があるはずなのだから。




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