表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地上の空  作者: 隠居 彼方


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/13

3



窓の外に広がる空の中、鳥が風を切っていた。


「いいなァ……」


畳の部屋でごろごろとしていた自由は、その姿を目で追うと、おもむろに立ち上がる。

そのまま、部屋を出、玄関をくぐり、外に出てしまった。


妹の由実と共に謎の男たちに追われ、親友である義信の伝手で隠れ潜んでから既に三日――。

拳銃を持った物騒な男たちから逃げていることなど嘘のように、静かに日々は過ぎていた。

もしかしたら本当に何かの冗談だったのでは、と由実は言ったものだが、連絡をくれる義信によれば、店の周りに人相の悪い男たちがずっと陣取っているらしく、帰るのは難しそうだ。


義信が用意した隠れ家は、住宅街にある、小ぢんまりとした一軒家で、ちゃんと手入れがされていて小奇麗だった。

食料や着替えなど、全て義信が用意してくれ、生活していくには何の不自由もない。


生活に不自由はないが、自由にとっては少々息苦しい毎日だった。

朝寝と昼寝と夜寝が誰よりも好きなので、外に出るなと言われていつまでも寝ていられるのは良かったが、問題は起きている時間である。


パティシエになっただけあって、自由は菓子を作るのも食べるのも好きだ。菓子を作って食べるのは日常サイクルである。作りたい、食べたいという欲求は睡眠欲の次に湧きあがってきて、それに関しては問題なかった。家庭用の設備とは言え、趣味で作る分には申し分ないものが揃っており、材料も時間もたっぷりあるのだ。


しかし、外に姿を見せてはいけないというのが、自由には耐え難かった。

由実はずっとピリピリしていて、カーテンを開けるのにも外から顔が見えると自由を叱責し、少しであっても外に出るのはもちろん駄目だと言う。


自由も一応、現状はちゃんと分かっているのだ。

だが、ずっとカーテンを閉めきった部屋に籠っていると、精神的に苦痛を覚えてしまうのは致し方ない。


特に自由は、空を眺めながらぼうっと時を過ごすのが好きで、空を見るのが癖であり、空が見えないと落ち着かないのだ。

空ウォッチングは彼の趣味の一つであり、習慣なのである。

そんな自由でも、この「禁空」とでも形容できる状況に、二日は耐えきった。だが、三日目ともなるといささかきつい。由実から感じる負のオーラにも時折身の危険を感じる。


そんなわけで、隠れ家への潜伏から三日目、由実が少し目を離した隙に、彼はようやく名前のごとく自由を得たのだった。


「……平和だなァ」


若白髪を風に揺らしながら、自由はしみじみと呟く。


青い青い空が、身体に染み入るような感覚。

その空の下の、爽やかな風もとても心地良い。

知らない道を思うがままに歩いていく彼には、警戒心の欠片もなかった。


やがて小さな公園が見えて、鳩がぽっぽと集まっているのを見た自由は、ふらふらとそれに近づいていく。

鳩の動きに気を取られていた彼は、だから気付かなかった。

小さな人影が、とてとてと向かって来ていることに。


「あ、」

不意に足元に衝撃を感じて、自由はぶつかってきた力の方向に逆らわず尻もちをついた。

「あてて……」

一体何が起こったんだ、と尻もちをついたまま、自由は目の前を確認し、少し焦る。

彼の目の前で、彼よりもずっと見事に転んでいる少年がいたのだ。


――ちっさい……。

自由は素朴に思う。

彼の店に来てくれる子どもたちの姿を思い浮かべて、五、六歳くらいかなと推測した。

しかし呑気にそんなことを考えている場合ではない。


「大丈夫?」

恐る恐る自由が声をかけると、少年はすくっと立ち上がった。

顔に土がついているが、大きな怪我はなさそうだ。

だが、自由は少年が膝をすりむいているのに気付いた。血が滲んでいて、痛そうである。

少年は当然自分の怪我に気付いているようで、立ち上がった後、自分の膝を見つめ、唇を引き結ぶ。それは、泣くのを堪えているようだった。

どうしよう、と自由はうろたえる。困りながらも、少年の顔の土を払ってやった。


「あー、ごめんな、足元注意してなかったもんで……、平気?」

「へい、き」


少年は口を開いたが、その丸い瞳にはうっすらと涙が滲んでいる。

困った時の癖で、自由は頭をかしかしと掻いた。

一応の兄であるところの自由は、小さい時も妹を目の前にこういう場面では困っていたものだ。


「あー、少年、俺がお詫びに怪我が治るようにおまじないをしてあげよう」

自由が告げると、少年は不審者を見る目で彼を見つめた。

「お母さん……、ヘンな人はムシしなさいってゆってた……」

変な人、と言われて自由は少しショックを受ける。

「……じゃあ怪我が治ったら無視しても逃げてもいいから」


意気消沈したまま、自由は、少年が怪我をしている膝の辺りに手をかざした。

彼は、母から使うなと言われたはずの、妹から使うなと厳命されているはずの、その力を使う。

力を使うこと自体は簡単だ。手をかざして、治したい、助けたいと願えばいい。


「いたいのいたいの飛んでけー」

やや投げやりに自由は呟いたが、彼の力の効果はすぐに表れた。

それは、一瞬のこと。

少年の膝の、痛々しかった赤みが消える。残ったのは、綺麗な皮膚だけだ。

少年は驚いて、自分の膝と、自由の手のひらを交互に見つめた。


「もうこれで大丈夫だろ。帰る時はこけないように気を付けてな」

へらりと笑って少年にそう告げると、自由は立ち上がった。

パンパンと、今度は自分についた砂を払っていると、くい、と服の裾を捕まれる。

「ん?」

見下ろすと、少年が瞳を輝かせて自由を見ていた。

先ほどとは一転した、尊敬の色。


「あ、ありがと」

「いえいえ、どういたしまして」

自由は苦笑気味に答える。

子どもは偏見が少なく、素直だ。自由は幼い日の妹の姿を思い返して、遠い目になった。


由実がまだ、目の前の少年くらいの年頃だった時には、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と可愛らしく懐いてくれていたものである。自由の力を知ってからは、人を助けることのできる兄だと、尊敬してくれていたようだった。

それが、今では……。


――まあ、しょうがないんだけどね……。


自由は少年の頭を撫でてやった。


「君、名前は?」

「いさや」

「いさやくんね。俺はよりゆき。じゆう、でいいよ」

少年は「よりゆき」なのに「じゆう」でいいと言われて少し混乱したようだ。

「じ、ゆう?」

「うん」

「じゆう」

自由が微笑むと、少年もにこりと笑った。

かわいい、と自由はまた少年の頭を撫でてやる。


「そう言えば、いさやくんは一人?」

自由が尋ねると、少年は表情を暗くした。

「……おれ、」

おや、と自由は首を傾げた。この少年は何か悩み事を抱えているらしい。

この年頃の少年がたった一人でいるというのは、今のご時世、いくら昼間とはいえ物騒なことだ。

もしかして迷子だろうか。でもこの辺りの地理は全然分からないな、というより俺もちゃんと帰れるんだろうか、と自由は呑気に思う。

その時だ。


「こら自由! あんた何してんのよ、あれだけ外に出るなって言ったでしょうが!」

「やべ、見つかった……」

焦って自由を探しに来たのだろう、息を切らせたままずんずんと、由実が公園に入ってきた。

「この馬鹿! 自分が置かれてる状況分かってるの!? ずっと思ってたけど、やっぱり脳味噌ないんでしょう!」

「お前それはひどいよ……」

「ひどいのはどっちよ!」


突然現れた女性が、怪我を治してくれた恩人を怒鳴りつけ始めて、少年は茫然と二人を見上げる。


「もう、とにかく早く戻るわよ。さっきノブさんから連絡来て、もう少しで何とかなるだろうからそれまでしっかり隠れてろって……」


恐怖の表情で、少年は自由の足の辺りに縋りついた。

由実は我に返って、見知らぬ少年に目をやる。

誰、と兄に聞こうとしたが、少年が口を開く方が早かった。

少年は、恐る恐る自由に聞いていた。


「……おに?」

「え」


自由は率直な意見に硬直した。由実もショックを受けたように固まる。

自由はあながち少年の意見は外れではないと思ったが、さすがの彼もそれを口にはできなかった。


「いや、一応人間だよ、これでも。ただの由実」

「どういう紹介してるのよ! それまさかフォローしてるつもりなんじゃないでしょうね」

顔を赤くして、由実は兄に噛み付いた。

さすがに「鬼」というのはひどい、と思う。まだまだ現役女子高生なのだ。

だがもし「鬼」のように見えたというなら、それは自由のせいである。

とにかくこの兄が悪い、と由実が凶悪な顔で自由を睨みつけた時。


「おい、お前たち――」


ぎくり、と由実は振り返り、げ、と自由は口元を引きつらせた。


――嘘……。


店に乱入してきた男たちのような黒スーツ、ではないが、もっとだらしのない服装で、彼らと同じような雰囲気の、サングラスをかけた人相の悪い男たち二人組が、公園の入り口に立っているのだ。

二人組は、色のついたガラスの向こうから、自由をじろりとぶしつけに見つめてきた。


「若白髪のやる気のなさそうな男と、若くてめんこいが胸のない女の組み合わせ。手配中の二人じゃねえか?」

「ちげえねえ」

「まさかこんな近くで見つかるとはな。手柄立てさせてもらうか」


一人はふんぞり返るように、一人は前かがみの姿勢で、脅しつけるように二人に向かってきた。

見つかった、と顔を蒼くしたのも束の間、由実は真っ赤になって「鬼」と言われた時よりも憤慨する。


「胸がないですって、ちゃんとあるわよ私は着やせするタイプなの!」

「どうどうどう」


それどころではない。自由は由実を宥めながら、さりげなく自分の後ろに庇った。

平和な、真昼間の公園で、男たちはごきりごきりと拳を鳴らす。


「怪我ぁしたくなかったら大人しくついてきてもらおうか――」


もうこれは頷いてしまいたい――。

万事休すかと思われた、次の瞬間。


「だめ」


自由の前に立ったのは、自由が助けた少年だった。


「いさやくん」

自由は驚いたが、少年の姿は相手にも予想外の驚きを与えていた。


「これは功居さん。どいてくだせえ。そこの男はうちに連れてくるように言われてるんで」

「だめ」


何故か男たちに丁寧に扱われている少年に、自由も由実も唖然とした。

男たちは困惑して顔を見合わせたが、やがて言う。


「功居さんの言葉でも従えませんや。この場は強引にでも、その男、連れていかせてもらいやす」


少年は唇を引き結んだ。

自分に優しくしてくれた自由を、男たちが手荒に扱おうとすることは、彼にとって許し難いことだった。


「だめ」


少年は腕を地面と水平になるように挙げてから、手のひらを男たちのうち小柄な方に向けた。


「なっ――」

成り行きを見守るばかりだった自由は息を呑む。

少年が腕を動かしたのと同時に、小柄な方の男の身体がふわり、と浮き上がったのだ。


「わ、わわわわわっ」

男はうろたえて手足を振りまわしたが、地面に足が着く様子はない。

そして彼は、勢いをもって、隣の男にぶつかっていった。

「おわ!」

ぶつかった方とぶつかられた方は、無様に地面に転がり、どこをどう打ちつけたか、のびて動かなくなる。

あっという間の、信じられない出来事だった。


ぽかんと一部始終を見つめていた兄妹は、視線を交わす。

――一体どういうこと……?

――分からない、けど……。


「いさやくん……?」

躊躇いがちに自由が呼びかけると、少年はびくりと肩を揺らして振り返った。

その瞳には、不安と、少しの後悔の色。

同じなのか、と自由は直感した。

この少年は、自由と同じ、人にはない力を持った――。


自由は口を開きかけたが、少年がぐらりと彼の身体に倒れこんでくる方が早かった。


「いさやくん!」

慌てて自由は少年の身体を抱きとめる。

少年は、自由の腕の中で気を失っていた。


「……どうしよう」

自由は途方に暮れる。

だが、一連の公園での騒動に終止符を打つように、一人の姿が公園の入り口に現れていた。


「功居」

怪訝そうな顔で、少年の名を呼んだのは、主婦らしい若い女性。

彼女は、倒れている男たちを見、自由たちを見た。


「これ、どういう状況?」

あまりに冷静に尋ねられて、兄妹は何と説明したものかと顔を見合わせる。

何とも言い難く、功居と倒れた二人組に視線をやる兄妹の表情に、女性は軽く溜め息を吐いた。


「うちの子が、何かやらかしたみたいね」

「……いさやくんの、お母さんですか」

「そうよ」


さばさばとした様子で自由に近づいてきた彼女は、細身の腕で息子の功居を抱きとり、大切そうに抱えた。


「とりあえず、場所を移しましょう。一応説明して、どういうことがあったのか。お茶くらいご馳走するわ」

「でも……」


躊躇ったのは由実だった。

自由は追われる身なのである。

見知らぬ人を巻き込み、迷惑をかけるかもしれないと思うと頷けなかった。

しかも、今倒れている男たちと少年とはどうも面識があるようだ。

下手に動けば、今まで逃げてきたことが水の泡になってしまうかもしれない。


「じゃあ、お言葉に甘えて」

しかし、妹の逡巡をぶち壊すように、いそいそと兄は女性の後についていこうとする。


「ってちょっと、何勝手についていこうとしてるのよ!」

由実は兄の耳を引っ張って耳打ちしたが、

「まーいいんじゃない」

へらりと自由は笑った。

「良くないでしょ! 追っ手のことがどう転ぶか分からないのに……」

「ノブがもう少しで何とかなるって言ったなら、隠れる場所がちょっと変わったくらい問題ないって」

「その隠れる場所に問題があるかもしれないじゃないの!」

由実はあくまでも慎重に行動すべきだと主張したが、自由は呑気な顔を崩さない。


「どうかしたの?」

「いえいえ」

「そう。こっちよ」

淡々とした風情の女性に、自由はついていってしまう。


「ああ、もう、この馬鹿!」

どうしようもなくて、由実は気まぐれな兄を追いかける。

後には、助けを呼ばれることもなくのびたままの二人組が虚しく残された。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ