一話 夢の中の憧憬
何かが、私の中に入り込むような感覚だった。背中を抉られる激痛と衝撃に耐えられず馬車の中で膝をつく。
目の前で、私に突き飛ばされた私の愛しい皇子様が、目を見開いて私を見つめた。貴方の瞳に映る私はきっと、背中から溢れ出す血に塗れ、折角、貴方がプレゼントしてくれたドレスは汚れと血で目も当てられないほどになっているかもしれない。けれど、私は、その時こそ貴方の瞳に映れて幸せだったんだ。
クロエ・クロムウェルはこの一に軍事力、二に政治力と国を支えるのに必要な力が揃った大国、ハルバード大帝国で四つある公爵家のうち、王族に次いで最も権力の高いクロムウェル公爵家第一子だ。
国の宰相を務める父、ライル・クロムウェルと国王の姉姫である母、ソフィア・ハルバードを両親にもって生まれた。
父譲りの濃い黒髪は艶やかで柔らかく緩やかな波を描き、母譲りの朝焼け色の瞳はすこし垂れ目気味で、どの宝石よりも美しいと謳われた。傷一つない無垢な肌に、ぷっくらとした桃色の唇。長い睫毛は影を作り、整えられた眉は平行線で少し太い。
クロエは、誰もが認める美しい娘だった。
幼い頃、母に連れられて行った宮廷で迷い、庭園で泣いていたところをこの国の王太子、アシュレイ・ハルバードに助けて貰ったことで恋に落ち、彼の婚約者となった。
誰よりも美しく、誰よりも賢くあり、誰よりもアシュレイを愛する娘なのだ。
だからだろうか、クロエは自分に入り込むナニカの見せる"情景"を信じたくなかった。
それは、絵だった。
1枚目は、小さな四角の箱に映る、目の前にいる可愛らしい娘と彼女を愛おしそうに見るアシュレイを嫉妬に塗れた顔で睨む自分と瓜二つの娘。
2枚目は、彼女をありとあらゆる場面で虐める"箱の中のクロエ"。
3枚目は、とある舞踏会でアシュレイがプレゼントしたという彼の瞳の色をしたドレスに赤いワインを零すクロエ。
4枚目は、怒ったアシュレイが、クロエを大勢の人の前で、クロエの罪を暴く二人。
そして、最後にクロエは異才の一つであるモンスターテイムの力で手に入れた魔獣を解き放ち、愛しい彼の命を奪い自分の命と共に絶とうとした。だが、そこで女神の加護を持つ彼女が光の力で魔獣を浄化し、彼の命を救った。
罪を暴かれただけでなく、皇太子を殺そうとしたクロエは大罪人としてそのまま、近衛騎士達に連れられ地下牢へ。見事、罪を暴いたアシュレイと娘は、国王の名の下に婚約を認められた。
物語はそこまでで、終わりだった。クロエが、どうなったのかもわからない。けれど、きっと、碌な事にはなっていないのだろうなと、クロエは思った。
ーーアシュレイ様は、正義感のお強い方だから。きっと、欲に溺れた私を許さないだろう。そうでなくとも、私は彼に好かれていないのだから。
赤い髪は、燃え盛る紅蓮の炎のようで、黄金色の瞳は強い意志を宿している。まだ若いけれど体格も良く、若い頃の皇帝によく似ていると言われていた。剣術の才能も、魔術の才能もあって、今までの努力の成果で知識もある。文句なしに次期皇帝の立場にあるアシュレイは、クロエの憧れであり、愛しい人であり、正義の味方だった。
そんなこと、分かりきっていたはずなのに。命を張って守った彼を私は私自身の手で死へと誘おうとした。愚かで無謀で馬鹿げた計画で。
アシュレイの側に立つのは、自分ではなく、あの娘こそが本来のアシュレイの運命なのだろう。
ーーああ、でも。出来ることなら。
隣に立つのは、私でありたかった。
そう呟いて、私の意識は海の底へと沈んだ。
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目を覚ますと、クロエは自室で眠っていた。不思議と背に受けた傷は傷まず、体の体調も良かった。ゆっくりと体を起こして、ベッドの端に足をつく。誰かを呼ぶよりも先に浮かんだのは、夢の中で見た憧憬。単なる夢に過ぎないと思っていても、どうしても頭の中では自問自答が繰り返される。
もし、あの夢が正夢だったら?あれは、予知夢なのでは?答えなんて分からないし、それを確かめる術もないのは分かっているのに、考える事をやめられない。
――きっと、疲れてるんだわ。
こういうときは、"あの子"を呼ぶのが一番いい。両手を前に掲げて、あの子の姿、形をイメージする。あの子を召喚するのに、イメージがいるといっても、ほんの些細なことさえ思い出せればいいのだ。
次に、心臓から流れる血を辿るように、魔力を流していく。掲げた両手の前に、魔法陣が現れ、機能するかのように、ぐるぐると廻りだす。そして、そこからゆっくりと"あの子"は出てきた。
輝く水色の宝石のような角、大きな空色の猫目、垂れ目気味の耳で体毛は白と黒だが尻尾の部分だけが綺麗な水色。
「キュウ!」
「いらっしゃい、アビィ。」
アビィは、クロエがまだ幼い頃領地の森で迷子になったときに見つけた魔獣である。人懐っこいのかクロエに甘えてすり寄ってきて、森への出口を教えてくれたアビィをクロエはひと目で大好きになり両親に王都まで一緒に連れていきたいと頼んだものだ。無論、クロエの両親は迷った。アビィは、とても珍しい魔獣で、中々目にできないことで有名な魔獣だった。だからか、その生態も、攻撃手段もわからないし、もし何かあったあとでは遅いのだ。たが、クロエは父親の予想以上に頑固だった。
ならべ自分は領地で暮らす。王都には帰らないと駄々を捏ねるクロエに負けて、一緒に連れて行く許可を出した。勿論、テイムするという幼児には無理難題の条件付きで。だが、っクロエには幸いにも魔獣使いの異才があり、なんなくアビィをテイムしてみせた。それから、10年ともに過ごしてきたのだ。
魔法陣から現れ、カーペットの上で二回回ったあと、クロエの膝に飛び乗ってきた。無論、クロエはそれを抱きしめる。
「私も会いたかったわ、アビィ。一体、どれくらいの間眠ってしまっていたのかしら?」
「キュゥゥ?」
クロエの言葉を聞いて腕の中で愛らしく首を傾げるアビィに、分かるわけ無いかと苦笑いをしたクロエはベッドの端にあったランプ置きのテーブルに置かれた小さなベルを手にとって、魔力を流す。
チリンチリンと、部屋全体、否、屋敷全体にベルの音が鳴り響いて、クロエの起床を知らせた。
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「体調は如何ですかな?」
「不思議と、なんともないの。あれほど、大きな怪我を負ったのに。」
クロエの起床のベルを聞いて駆けつけてきたのは、両親だった。息を切らして走ってきたであろう母ソフィアと仕事で忙しいだろうに放り出してきた父ライル。二人は、クロエの姿を見るなり、安堵したように笑った。それからきつく抱きしめられたあと、公爵家お抱え医師であるモーリスを呼んだのだった。
「私もお話は伺いましたぞ。魔獣から殿下を庇って重症を負ったあなたを殿下が貴重な治癒魔法にて治してくださったのだとか。怪我を負って直ぐにかけたからここまで治ったものの、少しでも遅れていたらどうなっていたか。いやはや、即死するほどの攻撃でなくてよかった。」
「まぁ、殿下がクロエを!」
傍らで驚くソフィアにクロエの頭はそっちのけでアシュレイを想っていた。元々アシュレイのこととなると頭がお花畑になるクロエは、アシュレイに救われたという事実が嬉しくて、自身の体を抱きしめる。
彼のために、国の将来のために擲った私を彼は助けてくれた。まだ、アシュレイに必要とされている。
そんな気がして、嬉しかったのだ。
「あの、アシュレイ様は…?」
「ここ最近、毎日のように見舞いに来ているらしいですから、もうそろそろ来るのではないですかな?」
――なんてことなの。
クロエはモーリスの言葉を聞いて、直ぐに立ち上がる。いきなりのクロエの行動に吃驚して皆目を見開くが次のクロエの言葉で苦笑いをこぼした。
「早く、支度をしなきゃ!アシュレイ様に会うのに、こんな姿では恥ずかしすぎるわ!アン、着替えを!キールはお茶の用意をして!」
「「はい、かしこまりました、お嬢様。」
「キュイ‥」
ソフィアの腕の中で、呆れたような声を出したアビィに部屋は笑いで包まれれた。
ご観覧ありがとうございます。
この話を作ろうとした理由はまぁ、思いつきでしたね。
出来れば感想ください