Ⅰ <邪視> 第一章 世界の扉 1
県立泉崎高等学校、創立以来県内でも指折りの進学校とうたわれるこの高校において、その位置を揺るぎないものとする上で不可欠な制度があった。
それがちょうどこの季節の節目ごとに行われる学生の恒例イベント、定期試験。その成績の開示である。
堂々と人の目につくところにその掲示板が存在し、生徒の表情を一気に曇らせる。それが大抵なのだが、珍しく濁りのないまなざしでそれを見つめる生徒が一人存在した。
と、客観的な立場で語る私こそ、張本人である。
全教科満点、堂々と首席という項目にその名前が記されている。そんな私のやや後方より群れができ始めていた。
用済みであったためその場を退く際にひっそりとささやかれる声が耳に入る。賛辞の言葉ばかりが飛び交うが、これにはこのイベントの度ということもあるが、そうそう慣れるようなものではない。
(あ、ねぇ……あの人が天野さんでしょ……? 一位の……)
(そうそう……! しかも次期生徒会会長候補でしょ……? さすがだよね……)
(しかも体育祭のクラス対抗リレーのアンカーとか……本当にありえないくらい完璧だよね……)
これらは誇張しているわけではなく全て事実である。虚偽は一切ない。これが泉崎高校の≪天野雪梅≫なのである。
噂の数は本当に多く飛び交っているが、大抵のことは事実である。優秀な成績、抜群の運動神経、この二つが主であるが、家庭環境が複雑ゆえに厳しく育てられ、優秀になった良家の子女、校外での活動が全く不明のミステリアスガール、ユニークなものだと天野雪梅に告白した男は絶対に失恋以外の道がない、つまり諦める一択といったものがある。
恋愛に関しては真剣に考えたことがないため、特別な付き合い方が分からないというのが本音だったりするのだが、噂に則るならば、私の家庭環境の関係で、付き合えない特別な事情や、将来の婚約者などの存在が妄想されていることであろう。
どちらにしても、恋愛とは年齢の分と等しい年数分無縁である。
そして忘れてはいけないのが、この右目である。
この眼帯という白い境界の先に、誰もが憶測のつかないミステリーが存在していると噂するのだ。
常時眼帯の為、こればかりは疑問に思う者が多いのは当然である。ある時は不思議ちゃんと呼ばれ、ある時は病気と言われ、またある時はオカルトの一種と囁かれ、挙句の果てには中二病が治らずに高校まで来てしまったと言われた事さえある。
秀でた噂だけでなく、この目に関してはむしろ悪い印象が多い。私自身でもよくわかっていない以上、本当にそれを取ってみろと言われる際には丁重にお断りさせて頂く。
それでも執拗に外せと言われることもあり、適当な言い訳が必要になる。ゆえに、テンプレートを用意してあるのだ。
過去に負った大やけどの傷痕があまりにもグロテスクに残ってしまい、それはもう酷く醜く、恐怖感さえ与えかねないから隠しているという嘘で通している。
女性なら顔面の傷というのは気にするのは当然であろう。
本当に何も起こらなければ、この眼帯は必要がないのであるが、疼きとともに発生する「それ」はありとあらゆるものを破壊する。
ガラスを割り、車を爆発させ、人体には傷をつける。最悪の場合それは命をも奪うことになる。
かつてそこまでの大きな事象を引き起こしたことはないが、小学校高学年だっただろうか、水泳の授業でプールを破壊して同級生数人が病院へ搬送されたこともあった。
これに気付いてからかなりの年月が経過したが、やはり外すことには抵抗がある。それほどこの目は私にとって奇怪であり、恐怖の対象であるのだ。
掲示の成績を確認し終えた生徒が教室へ戻る。自分は中庭でひっそりと持参した弁当を広げて食した。中身など、自分で作った以上、シンプルで飾り気のない鶏そぼろのご飯と、夕飯の残りの簡単なポテトサラダなどで、弁当ならではの「中に何があるか」といった楽しみなど一切ない。
食したあとは次の授業の担当教員にテストの成績をやけに褒められ時間を費やしたため、予習の確認などの時間を削り、いつもよりも遅く予鈴に気付かされた生徒と共に教室へ戻る。
成績の話で乱れた空気が作る教室の賑わいは、いつも通り、いやそれ以上に騒がしかった。教師も顔をしかめていたが、私は学生として当たり前のことを全うする、そう、授業に勤しむことに徹していた。
無心に限りなく近いところで、試験の解説を含む授業の内容を書き写し、復習すべきポイントには蛍光ペンで印をしっかりとつけた。
その後の放課後は、しばらく試験期間中ということもあり、蓄積された生徒会の山積みの業務を片っ端から片付けにかかる。
現時点での自分の役職は書記、活動としては、学内での部活、委員会との連携を保つためのディスカッション内容を手書きでまとめる、イベントや日々の活動内容を日誌に記帳するなどが主だが、生徒会会長をはじめ副会長、会計などと共に、学校生活の質の向上をはかるための生徒の模範となる姿勢を貫くという役割を担っている。
学内の活動において自分たち生徒会メンバーのしていることは、当然学外にこの学校を知ってもらう上での顔としての広告塔的な役割でもある。
次期会長候補と私が言われているのも、会長自身の信頼が厚い上に実力も備わっているという客観的な判断からであろうが、私自身がこの学校をまとめるにはさすがに不安がある。
「天野さん、次の役員選挙の応援演説はもちろん会長である自分がつとめるから君はしっかりと言いたい事を述べるだけでいいからね」
「会長……私にそんな……会長といった大役が務まるでしょうか……?」
「大丈夫、自分のような無能でもできたわけだしさ。天野さんならもっとより良くできるさ」
そんな会話をしていたことを思い出しながらその日の業務は終わり、黄昏時の校舎をあとにした。
夕日に染まったなだらかな坂道を上り、高台から町を見下ろせるような位置にそびえる静けさの漂う公園の中へ足を運ぶ。
寄り道といえばまあそういうことになるだろう。静かな空間で少しばかり空を見上げて深呼吸したくなった。やっと一呼吸ついて試験期間からいつもの日常に戻ろうとしているのである。
夕暮れ時の公園は、遊ぶ子供の姿どころか人影ひとつなさそうに見受けられた。明日も今朝見上げたような清々しい青空を拝むことができそうな、まばゆい夕日が徐々に傾き始めていた。