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物語のレストラン~短編集~

雪狐と人

作者: 桜 夏姫
掲載日:2013/11/24

「行ってしまうのですか?」



 そう問う声は、多分震えていたのだと思う。


「あぁ。親が決めたとはいえ結婚しなくてはならない。それに、俺の年齢だと、ここに来るのは、もう無理だろう?」


 問いかけではなく、確認の言葉。彼の年の数を両の指で数える。十九……その数字の表す意味を知り、ぎゅと、雪狐は、自分の衣の裾を握りしめた。


「はい」


 口からこぼれたのは、感情を押し殺した機械的なまでの返事。「また」「元気で」そのようなやり取りは、なかった。

 なぜなら、再びこの地を踏み入れることが彼にはできないのだから。別れの言葉を口にするのが、怖かった。引き留められない己の無力さをかみしめながら、遠のく背中をただ見つめる。


 彼が再びこの地に足を踏み入れることはない。その事実が、胸に痛みを与える。

 もう彼の背中は見えない。夜霧に姿を隠してしまったのだから。


「わしの忠告をお前さんはちゃんと聞いていなかったのか?」


 後ろから深みのあるしぶい声が、かかる。


「忠告無駄にしちゃいました。すみません、長老様」


 震える声。衣を濡らすのは、朝露に似た何か。


「傷つくのは、いつもこちら側じゃ。向こう側は、時がたつとわしらの事なぞ忘れてしまう」

「はい」

雪狐ユコ。お前さんは、あの人間のことを好いていたのか?」

「……わかりません」


 着物の布越しにふれあうたびに胸の奥底でろうそくの炎が揺れた。その感情の名前を雪狐は知らない。


「どうして……どうして、人間は、大人になるとこの山に入れなくなってしまうのでしょうか?」

「人間にとってここは夢に似た場所じゃ。大人になっていくにつれて人は汚れていく」

「汚れ……そのせいでこの森に入れないのですか? でも、あの人は!」

「少しずつだ。流れに身を任せて、大人になっていくのじゃ。進んで大人になろうとするもの。あがいても、時の流れは等しくその年を連れてくる」

「私はあの人の傍に居たい。でも、無理なのですね」

「人間には、大切な何かを踏み台にしてでも、手に取りたいものがあるのじゃ」


 名誉や地位、金、時にそれは異性だったりもする。この森の住民にとっては、何の価値もないもの。それに、人間は固執するのだと、長老様は言う。だけど、雪狐にはどうしても思えなかったのだ。やさしく雪狐の銀の尾を梳きながら、ふもとの世のことを語る彼の心を満たすものが、そんなくだらないものだとは思いたくなかった。この森で一番大事なのは生きることを楽しみ感謝すること。たくさんの奇跡の重なりで出会ったものを大切にしあうこと。思い合うことだ。


 人間になってはいないから、妖である雪狐たちと合い話すことができる。なぜなら、その時期の人間はまだ何でもないからだ。妖と同じ。何かであると同時に何でもない状態。あいまいで不確かな存在。


「ふもとへ降りたとしても、もうあの人は私を見つけられないのですね」

「あぁ、人に成ってしまうからだ」

「人に成る前。なんにでもなれて、でもなんにでもなれない存在。また、そういう存在がこの山にやってくることはあるのでしょうか」


 雪狐の問は、ふわりと空気の中に溶けだした。


 一〇年後、雪狐の問の答えはやってきた。


 すっかり習慣となってしまったふもとの様子を探る行為。そんな雪狐の下に一人の幼子が駆け寄る。


「おねえちゃんが、お父さんの言っていたユコ?」


 頑是ない幼子は、舌っ足らずの口で雪狐の名を呼ぶ。癖のある濡れ羽色の髪、猫のような大きくてくりくりとした瞳。それは、あの日の背中の持ち主に瓜二つだった。


「えぇ。あなたのお父さんは、この森に入ったことがあるのね」

「うん。お父さんが教えてくれたの。とってもきれいで優しいお狐様がいる森で、よもぎと遊んでくれる

んだって」

「そう」

「あ、これね。ユコにあったら渡してって頼まれたの?」


 あの人にそっくりな子供から渡された手紙。そこには、あの人がまだ子供だった時雪狐に教えてくれた

文字で一文書かれていた。その文字を、雪狐は何度も何度も目で追うと、よもぎを抱きしめ瞳から暖かな

しずくをこぼした。




課題作品です。「もしも、私―――――――たら、ここに迎えてくれる?」と同じ世界観です。だけど、ちょっと昔のです。テーマは、「19歳」。だけど、書いていて、テーマがどこ行ってしまった!って感じです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 少し切ないながらも優しい読了感が持てました。短い文章なのにきちんと纏まっていて、情景が浮かんできました(^^) [一言] 狐と人間の恋。 実ることはありませんでしたが、その繋がりは次世代に…
2013/11/24 12:03 退会済み
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