19話 美少女とお人好しと
カンナと別れ、優弥、柚子、隆也の三人と優弥視点で影が薄くなった美姫は校舎を後にする。
「なぁ、優弥……さん」
「ん? 何、新崎君?」
校門を出たところで、隆也が遠慮がちに優弥へ声をかける。視線は何処かへさまよい、決して優弥の方は向かない。
「何度も聞くけど、その格好、どうにかならないでしょうか?」
「う~ん、期待を裏切って悪いけど、今は何ともならないよ?」
「しつこいぞ隆也。いずれ戻るんだから、諦めろって」
呆れたような視線を向ける柚子に、隆也は恨めしそうな視線を送る。そのやりとりを、優弥は苦笑して眺めていた。
現在、隆也は優弥と柚子に挟まれて歩いている。
『美姫の姿』をした、優弥と。
カンナが戸惑ったように、女性の容姿となった優弥は不思議と美姫よりも女子力が高く、外見も内面も美人のそれ。そのため、隆也は優弥に対して気後れし、緊張していた。
事情を知らない人たちから見れば、隆也は見事な『両手に花』状態。事実、校外へ出るまでに男子たちから大量の視線をもらっていた。そのせいで、隆也はいらぬストレスも被っている。
「……くっそ、何で俺が睨まれなきゃなんねぇんだよ」
「ごめんね? 嫌な思いしてるのって、僕のせいだもんね……」
思わず悪態を吐く隆也に、申し訳なさそうに頭を下げる優弥。ずっと自分たちに視線が集まっていたのは優弥も察しており、中でも悪意ある視線が隆也に集中しているのも気づいていた。
いくら美少女になったとはいえ、中身は男のままである優弥。周囲からの視線がきつい気持ちも、針のむしろになっている隆也の気持ちも、分からないわけではなかった。
「い、いや、優弥さんのせいじゃないですよ?」
「でも……」
暗い表情の優弥に慌てて取り繕う隆也。なおも言い募ろうとしていた優弥だが、先に柚子が口を挟んだ。
「ってか、何でさっきからちょくちょく優弥に敬語使ってんだよ? 隆也がやっても気持ち悪ぃだけだぞ?」
「当たり前だろ! こんな外見も内面も可愛い子、始めて見たんだから緊張くらいするわ! うちの学校は外見がよくても、中身残念な女子ばかりだから、こんなにときめかねぇんだよ!」
能大付属校に通う生徒は、男女ともに美形の割合が多い。
理由として、体格面では能力者の能力の恩恵や生育環境がある。
肉体系の能力者は能力の性質から均整の取れた体つきの者が多い。
情報系の能力者は逆に華奢な体型が多いが不健康ではなく、どちらかといえばスレンダーと称すべき体型の者ばかりなので虚弱に見えない。
また、生育環境では島の学生はほとんど自炊しておらず、朝と夜は学生寮の寮母が、昼は学食が、バランスのよい食事を提供している。食事量にも一定の制限がかけられているため、極端な栄養失調、または肥満はほとんどいない。それが、学生たち、特に情報系の能力者の健康の維持に一役買っている。
また、能力者に外国人の血が混ざったハーフが多いのも美形が多い理由の一つ。能力者の遺伝子を用いた人工授精が一般化した現代、ハーフやクォーターなどさほど珍しい存在ではない。
しかし、遺伝で得た能力の問題か、ランクがその人の価値だと育った閉鎖的環境の問題か。能力者の人格は協調性に欠け、個性的になる傾向がある。逆に、控え目な性格である優弥の方が周囲から浮くくらいには、一般人と比べて能力者は我が強い。
癖が強い女性たちを目の当たりにしている隆也が、魂の叫びを上げるほどには、能力者とは扱いづらい人種なのである。
「一応中身は男なんだし、そんなこと言われても嬉しくないんだけど」
『確かに、本来の体の持ち主である私も、ユウ君のかわいさには負けるわ。男の子なのに、どうしてこう、女の色気が出るのかしら……?』
「そんなこと僕に言われても分からないよ……」
美姫の視線を受けながらの深刻な呟きに、優弥は脱力気味に返答する。
「ほう? 隆也、その発言は俺も中身が残念だとでも言いたいのか? ん?」
一方で、隆也の台詞に悪意を感じた柚子が笑顔を浮かべ、無礼な口を利いた顔を鷲掴みにする。
「え? いや、それは言葉のアヤで、いたたたたたたた! アイアンクローを止めろ! 止めて! お願いだからああぁぁ!」
自分の言葉の意味に気づいた隆也はさっと顔が青くなり、とっさに弁明しようとするが、時すでに遅し。万力のように絞められる握力に成す術もなく、必死に柚子の腕をタップし限界を告げる。
「止めてあげなよ、柚子ちゃん。すぐに手が出ちゃう短気さを何とかしないと、新崎君が言ったこと、全否定できないよ?」
「うっ!」
優弥がやんわりとだが的確に柚子の痛いところを抉る。図星を突かれた柚子は思わず手の力を緩め、隆也を解放していた。思うところがあるのか、隆也を絞め上げていた手のひらを見つめたまま固まっている。
柚子の拘束から逃れた隆也は、声にならない声を上げながらしばらくうずくまる。
「いっつつ……。すまん、優弥。助かった」
「ううん、別にいいよ。立てる?」
薄く微笑みを浮かべて、優弥は隆也へと右手を差し出す。
見上げた隆也は息をのむ。
少しだけ前傾姿勢になり、自分だけに向けられた、美少女の笑顔。差し伸べられた手は小さく白い。
ふと、風が少女の髪をさらう。顔にかからないようにか、少女は逆の手で流れる髪の毛を耳にかける。たったそれだけの動作が、隆也の動悸を更に早める。
「お、おう。だ、だだだ大丈夫だぞ? 平気ですよ?」
動揺を隠そうとして失敗した隆也は、おっかなびっくり優弥の手を取り、立ち上がる。動作の一つ一つがぎこちないのは仕方ない。そして、周囲からの殺気がこもった視線が激増したのも、仕方がない。
「そんな恐る恐る手を取らなくてもいいのに。変な新崎君」
自分の一挙手一投足に反応する隆也に、優弥はくすくすと小さく笑う。何度か美姫の体で生活したことのある優弥だが、美姫の容姿で養父以外の男性と接したことは始めて。隆也のぎこちない態度がとてもおかしく感じられる。
「わ、笑うなよ! ってか、美姫さんだっけ? 外見がその人になってから、優弥だってどことなく女っぽいじゃねぇか! お前こそ変だぞ!」
美姫の肉体へと変化してから、優弥の所作はどう見ても女性のそれ。男性らしさがまるでなくなったせいで、余計に女性らしく見えてしまう。
「それは仕方ないよ。お姉ちゃんの能力で強引に性転換してみないと分からないかもしれないけど、ベースは僕の肉体とはいえ、今は完全にお姉ちゃんの肉体なんだ。
男性と女性とでは肉体の構造が違うでしょ? 多分、脳の構造や性器の違いによるホルモンバランスの違いとかで、思考が若干肉体に引っ張られるんだ。だから、所作がちょっと女の子寄りになっちゃうのは、どうしようもないよ」
美姫の『万象改変』による肉体の再現率はほぼ百パーセント。遺伝子の一つ一つから新たに構築し直しているため、DNA鑑定をも誤魔化すことができる。
単に見かけだけではなく、内臓、骨格、脳や脊髄といった中枢神経に至るまで、美姫のそれへと変化している。さすがに美姫が生前蓄えた記憶や経験などは再現できないが、それでも肉体は女性のもの。
そのため、優弥の言動が女性側へ偏るのは不可避な現象であった。
ちなみに、生物学的には美姫の体ではあっても、存在している肉体も精神も優弥のもの。よって、美姫の体であることにより『霊感体質』が消えるということはない。
「それでも、細かいとこで色々と変わりすぎだろ。ぶっちゃけ、油断したら惚れそうになるんだが」
「それは勘弁してね。説得力ないけど、僕は男なんだから。恋愛対象として男の子と付き合うつもりはないよ」
「そ、そうか。……そうだよな」
冗談半分の告白ながらばっさりと一刀両断され、本気で落ち込みそうな勢いでうなだれる隆也。
その隣で自身の女性らしさについて思考を巡らせ、会話にも参加せずに虚空を見つめる柚子。時折、優弥の方へ視線をやり、大きくため息をつく。
女性化した優弥に見事に撃墜された二人。
『……女の子のユウ君も、やっぱり素敵ね……』
いや、影も薄く密かにやられている幽霊も一体。
優弥以外は一気に静かになり、当の本人は小首を傾げていた。
自分の中で何とか折り合いをつけ、何とか立ち直った二人と一体。気を取り直して雑談混じりに自宅へと向かう優弥たち。
「……っ!」
「わあっ!」
「な、何だ?」
すると、何の前触れもなく、背後から大きな爆発音が大気を揺らした。
振り返ると、背の高いマンションのような建物から出火している様子が見て取れた。
「あれ、学生寮だよな? 火事、か?」
混乱しながらも、状況を把握しようとする隆也。
「いや、ただの火事じゃなさそうだぞ」
猛る炎とくすぶる黒煙へ柚子の鋭い眼光が注がれる。
すると、再び三人の目の前で連鎖的に発火するマンション。それは二度、三度にとどまらず、小爆発が重なって一つの爆発音になり、たちまち建物全体を飲み込んでいく。
『あんな不自然な現象、どう見ても能力者の仕業ね』
「だね。行ってみよう」
美姫と優弥は確信を持って能力者による火災だと判断。
すぐさま現場へと足を向け、走り出す。
「俺も行く!」
「え? ちょ、お前ら、待てって!」
疾走する後ろ姿へ追走する柚子と、困惑気味に二人に続く隆也。
能力の補助がないため、普段よりも時間をかけて移動することとなった優弥と柚子。
「はあっ、はあっ、すごい人だね」
「全くだ、な。こいつら、どっから、湧いたんだ?」
肩で息をする優弥と、多少息を弾ませた程度の柚子がマンションへとたどり着くと、そこには遠巻きに火災を眺めている人だかり。
中にはマンションの住人らしい学生が茫然自失としている様子がうかがえるが、ほとんどが火事を見に来ただけの野次馬だと推測できる。
「そりゃ、この島は表面上はうんざりするほど平和だからな。なんでも、暴走の危険性をなるべく減らす為らしくて、生徒同士の諍い以上の事件なんて、そうそう起きないんだよ。
そのせいで、こういった大きな事故や事件が起こると、珍しがって誰もが好奇心からよってくる、って寸法だ」
「趣味、悪いぞ?」
「そりゃ、悪かったな」
数秒遅れて追いついた隆也。大勢の人垣を目にして、やっぱり、と半ば確信していた光景に肩をすくめる。
隆也の言葉通り、周囲に群がる野次馬は全員学生。携帯電話で写真を撮ったり、友人同士で何かしらはしゃいでいたりと、火事をただのイベントくらいの認識しかない様子。
同じ学校に通っている友人が被害にあっているかもしれないのに、あまりにも他人事のように人的災害を楽しんでいる野次馬たち。優弥も柚子も険しい視線を浴びせる。
「……ん? 何で警察官がいるんだ?」
一通り集まった野次馬を見ていた隆也が、マンションの入り口付近で、数人の大人に混じって人越島では見慣れぬ制服姿の男たちに気づく。
「何言ってんだよ、隆也。誰かが警察に通報したからに決まってんだろ?」
柚子が奇妙なことを言う隆也に疑問を投げかける。
「いや、本土じゃそれが常識だとしても、こういうときはこの島じゃ警察の代わりに学校の先生や数少ない大人たちが駆り出されるんだ。そうすれば大抵の事件は解決するからな。
それに、この島にそもそも警察署や交番なんてないぞ? だから、警察官そのものがいない。たとえ能力者の警察官でも、それこそ能力持ちの犯罪者を連行するとか、何か用事がないとここには来ないはずだ」
人越島に警察が配備されないのは、隆也が述べた理由の他に、一般の警官が対処できる可能性が薄いということ。また、能力を持つ警官も、ライセンスを所持して一般人と混ざって生活している能力者への抑止力として全国に配置されているため、人員不足であるということ。
これらの事情もあり、人越島の治安は未然に事件の元を絶つ方へ力を割くという、後手の方策しかとれないでいる。
「お? 入り口から誰か出てきたぞ」
優弥と柚子もマンションの下へと視線を向けると、ちょうど数人の警官がマンションから飛び出し、後ろから少年たちも転がるように続く。
「ん? あれ、親父じゃねぇか?」
「え? 師匠?」
『嘘、お父さん? 何でここにいるの?』
中に残っていた学生たちを避難させていた、数人の警官。その中に見知った顔を見つけた柚子が先に声を上げた。
優弥と美姫も柚子の示す先にいた人物、義雄を見つけると驚きに目を丸くする。
しかし、義雄は優弥たちには気づかず、周囲の部下へと指示を飛ばしている。
「あれ、変だな。寮生の避難が終わってるはずなのに、まだ焦ってるような気がする」
「確かに、言われてみれば……」
避難した少年たちを誘導した後もなお、せわしなく動く大人たちに、優弥が不審に思い、隆也も同意。
『っと。ただいま。今お父さんたちの話を聞いてきたけど、どうやら最上階に近い階層に住んでいる女の子が一人、取り残されてるみたい。ちょっと建物の中を見てきたけど、二十八階のここから見える部屋に、確かに一人だけ避難し損ねてたわ。本人はのんきに寝てたけど。
これだけ燃えてればエレベーターも階段も危険だし、防火壁も全部閉まってるから、中からの移動は制限されてるみたい。
かといって、情報系の能力を使って鎮火や救助するのも厳しいわね。外からの救助は高所すぎて不可能に近いし、中から昇ろうにも下手をすれば建物自体が崩れかねないしで、手が出せない状況みたいね』
いつの間にか姿を消していた美姫がふよふよと帰還し、現状を優弥へ伝える。そして、優弥を介して柚子と隆也にも情報を知らせると、二人とも眉をひそめる。
「この島に消防車とかないの?」
「警察署とかと同じ理由でないんだよ」
「空を飛べるような肉体付加系か、情報操作系の能力者は? そいつらだったら何とかなるんじゃねぇか?」
「なるほど、それならもしかしたらいけるかもな」
『残念だけど、飛行能力を持つ能力者は基本的に自分一人の体重を支えるだけで精一杯だから、現実的じゃないわよ。偶然この場に私と同じランクの能力者がいれば話は別だけど、Sランクは私も含めてワガママなやつばかりだから無理でしょうね。
それに、そもそも今日は結構風が強い日だし、上に行けば行くほど風にさらわれやすくなるわ。考えなしに外から行けば、ミイラ取りがミイラになるわよ』
「お姉ちゃんが言うには、ダメみたい」
「そうだ! 優弥の姉ちゃんは? あんときみたいにすげぇ能力使えば、一瞬で何とかなるんじゃねぇか?」
「残念だけど、お姉ちゃんの力を借りてこれだけの規模の火を消そうと思うと、それなりに時間がかかるんだよ。能力の構成から行使、鎮火までは大体三十秒はいると思う。
でも、今日はもう能力を使いすぎたから、お姉ちゃんに頼んだとして、今の状態じゃ長く見積もっても十数秒くらいしか僕の能力が保たないね。回数に換算して、二・三回程度かな? たったそれだけじゃ、とてもじゃないけど被害者の救出まではできないよ」
優弥と柚子が意見を出すも、隆也や美姫から待ったを受ける。隆也が思い出したように提案した美姫による救出案も、優弥の能力限界により破棄。
優弥たちも打開策を考えるが、どれも有効的とはいえないものだった。
義雄たちが手をこまねいている間にも、火の勢いは強まっていく。外から能力による消火活動を行ってはいるが、能力の暴走による干渉を受けた炎は衰えを知らない。
ただ不幸中の幸いは、能力が介入しているためか、隣接した建物への被害はほとんどないこと。外壁が多少焦げてはいるが、能力に対する対策が施された壁面の助けもあり、それ以上の火災の侵攻を妨げている。
「……隣の建物から屋上に飛び移って、上から助ける、っていうのは? それならまだ現実的だと思うけど?」
全焼は免れないマンションと、隣のマンションの被害の差を見比べていた優弥が、控えめに提案。
「おいおい、優弥。言うほど簡単じゃねぇぞ? まず、燃えてるマンションは周りのマンションよりも数階分高い。風の問題もあるし、どうやって飛び移る気だ?
もし、それをクリアできたとしても、帰りはどうする? まだ高層までは火が来てねぇから、部屋までは階段で行けても、どうやって人を一人抱えて安全な建物に戻るって言うんだ?
第一、下からの火もすぐそこまで来てっから時間もねぇし、そんな危険なこと誰がやるんだよ?」
優弥の新たな意見に、柚子は苦言を呈する。
だが、しばらくの思案の後、強い光を瞳に宿した優弥が二人を見返す。
「僕が行く。言い出しっぺだしね」
『ユウ君っ?』
「ゆ、優弥っ?」
「……本気か?」
美姫と隆也は驚きに目を剥き、優弥を凝視する。対し、柚子は台詞自体は予想できたようで冷静だが、それでも声音には優弥を引き留め、行かないで欲しいとすがるような響きがあった。
「勝算はあるよ。ギリギリの綱渡りだけどね。とにかく、師匠のところに行こう。僕の作戦だと、最低でも師匠とお姉ちゃん、柚子ちゃんの協力が必要だから」
『私が?』
「俺の? っておい! 待てよ、優弥!」
突然の指名を受けた美姫と柚子は戸惑うが、優弥がすでに背中を向けて走り出していたため、一人と一体は慌てて後を追う。
「お、おい! 二人とも!」
駆けだした優弥たちに出遅れ、人垣が邪魔をして着いてこれなかった隆也の声を聞き流しつつ、優弥と柚子は人と人の間に生じているわずかな隙間をくぐり、囲いを抜ける。
「師匠!」
「親父!」
「……美姫? …………いや、その呼び方は優弥だな? 隣にいるのは柚子か?」
頭一つ飛び出して声を張りあげた優弥と柚子。聞き覚えのある高い声に振り返り、二人の存在に気づいた義雄は困惑しながら近づく。
「こんなところで何してる? 危ないからさっさと帰れ」
「残された女の子、僕が助けに行きます!」
「なっ! どこでそれを……、そうか、美姫だな?」
『うわ、即バレしてるし』
突拍子もない再会と優弥の言葉に数瞬狼狽する義雄。しかし、すぐに美姫の存在を思いつき、優弥の近くにいると思われる美姫へと鋭い視線を向ける。
美姫は美姫で、視線が合わずとも義雄の剣幕に肩を竦め、居心地が悪そうに優弥の背へ隠れた。
「お前がその姿で手をこまねいていると言うことは、一日以内にすでに憑依を使って、残っている使用時間が少ないんだろう? それに、美姫が探ったのなら状況は分かってるはずだ。
美姫の力を借りれる場合ならまだしも、今はほとんどただの学生であるお前に、任せられると思うか?」
ただ優弥の姿を一目見ただけで優弥の現状を推理した義雄は、厳しい表情で優弥を見下ろす。
「でも、ただこの状況を黙って見ていることなんて、できないよ。悔いや恨みを残した幽霊は悪霊になり、大なり小なり生きている人に悪影響を与える。能力者だったら、なおさらヒドいことになりかねない。
師匠だったら分かるでしょ? 僕たちと一緒に、悪霊と会ったことのある師匠なら」
優弥が能力で目に映す幽霊は、美姫のような人を見守る守護霊や、人に干渉する気のない無害な浮遊霊以外にも、人に悪意を持って害をもたらす悪霊が存在する。
それは、主に死んだ土地に未練を残す地縛霊や、死んだ原因となった人間へ取り憑き悪意をまき散らす怨霊など。彼らはほとんど全員が悲惨な最期を遂げている。
人越島へ引っ越してくる前、優弥、柚子、義雄はある悪霊を相手にしたことがある。当時を思い出し、柚子と義雄は揃って顔をしかめた。
優弥はマンションに取り残された少女が死ぬことにより、悪霊化することを危惧していた。
「確かに、あれは危険だが、だからといってわざわざお前が行く必要はない。ここは俺たち大人に任せて、早くここから離れろ」
「いや、少なくともこの中じゃ、女の子の救助は僕が一番適任だよ」
先ほどよりも声のトーンを抑えた義雄が諭そうとするが、優弥は一歩も引かず、視線を義雄へと合わせる。
「何だと?」
「建物内だけど、防火壁や能力で火は防げても煙はどうするの? 師匠の風でも一瞬でしか視界を晴らすことはできないだろうし、密閉空間じゃ風の操作は使いづらいんでしょ?
もう建物の中は煙で充満しているだろうし、師匠たちは視界を確保できるわけ? 僕なら、お姉ちゃんの誘導を頼りに迅速な行動が取れる。
早く救助に行かないと取り残された子が一酸化炭素中毒でも起こしかねないよ」
火事の死亡事故の一番の原因は焼死ではなく、煙による一酸化炭素中毒の割合が高い。だけでなく、火事の煙は著しく視界を塞ぎ、足を鈍らせる。
ただ、煙の影響を一切受けない美姫の補助があれば、ここにいる大人たちよりも早く、安全に助けることができると優弥は考えている。
「しかし、どうやって中に入る気だ?」
「隣の建物から飛び移る。柚子ちゃんの『力点収束』を借りて、ね。万が一、距離が足りなかったらお姉ちゃんの補助もある」
「戻るときは? 残された要救助者とともに、どうやって脱出する?」
「お姉ちゃんに能力で大気を固定してもらって、隣の建物までの道を作る。それを使えば、助けた子を僕が背負えば戻ってこれる」
優弥は柚子と隆也に説明したときから、柚子の『力点収束』による跳躍を考えていた。現在、能力の過剰使用により能力を使えない状態ではあるが、美姫の能力で回復させればすぐにでも再使用が可能。
柚子の能力だけでは風で流され、飛距離が足りなくとも、カンナとの試合時のように美姫に足場を作ってもらえば補える。
また、懸念されていた建物からの脱出も、美姫の能力を使えば大気を凝固させ、人が二人乗っても崩れない程度の道を作ることは難しくない。
「落ちたらどうする?」
「師匠の能力でクッションを作って欲しい。師匠の能力強度じゃ、あの高さから落下する人間を受け止められないのは知ってるから、僕とお姉ちゃんが何とかする。そのために、時間稼ぎとしてお願いしたいんだ」
「……その計画で、成功するのか? 優弥の能力は持つのか?」
「ギリギリだけど、何とかなるよ。というか、何とかさせる」
優弥が義雄に協力を仰いだのは、落下したときの保険。もし、何らかの要因で落ちてしまった場合、優弥は美姫の能力で地面をマットのようなものに変化させ、衝撃を殺せば問題ないと考えた。
しかし、それは美姫の能力がいくら強力でも危険極まりないこと。
なにせ、優弥の試算では美姫の力を借りれるのはギリギリで三回。下手をすれば、二回で能力の限界を迎えるかもしれない。また何とか一度使える余裕ができたとしても、一度の能力使用にまごつき、時間を浪費すると、数秒ももたず能力が使えなくなる可能性も否定できない。
さらに、体を支配している精神の影響も強く受ける。美姫の意識が支配していれば、美姫の能力は離れている場所にも作用するが、優弥の意識のままだと直接触れているものにしか効果が届かない。そして、体と精神を結合するためには一度の能力使用で数秒を要する。
つまり、優弥は落下してしまった場合、自分と救助した少女が転落死してしまう前に、『地面に手を触れて』美姫の能力を発動しなければならない。
能力の発動のタイミングを少しでも早すぎたり、遅すぎたりすると二人とも死ぬ。
優弥は、美姫の能力を発動させられる時間を少しでも稼ぐため、義雄の能力による空気のクッションを用意してもらい、落下スピードを抑えてもらおうと考えたため、協力を頼んだ。
『待って! そんな穴だらけな計画じゃ、ユウ君が危険すぎるわ! 断固反対よ! 危ないことは止めて!』
黙って優弥と義雄の会話を聞いていた美姫だが、もはや限界だった。
美姫は優弥に能力を貸す側であり、生まれたときから優弥の能力についてともに考えてきた、最大の理解者。
優弥の力を知り、優弥の能力の全容を知らない他の人間なら、もしかしたらできるかもしれないと安易に考える。しかし、美姫には優弥の限界も知っているし、優弥の口にしたことが無理難題だと理解できた。
一つのことを、ほんの少し間違えただけで、優弥は死ぬ。
美姫は若くして死んでしまったが、優弥よりはわずかに年を重ねていた。故に、自分の享年より先に死亡させたくないという気持ちが強く働く。
「俺は反対だ。リスクを負うのがお前だけで、俺たちは指をくわえて待っているしかできないなんて、俺には耐えられない。計画も無茶苦茶だ。むざむざ優弥を死なせるようなこと、認めるわけにはいかない」
「悪いが優弥、お前の勝算とやらを聞いてもなお、俺も賛同しかねる。お前は俺の大切な家族であり、警察が守るべき一般人だ。そんなお前を、危険にさらすわけにはいかない」
続いて、柚子と義雄も、優弥を止めようと異議を唱える。
「お姉ちゃん、柚子ちゃん、師匠……。みんながダメだと言っても、僕は協力してもらうし、取り残された子を助けに行くよ」
『……ユウ君!』
「優弥!」
「何故、見ず知らずの他人のために、そこまでする必要がある? ただの学生であるお前が、何故?」
固い決意を瞳に宿し、美姫たちを見返す優弥。美姫と柚子は声を高くし、優弥の腕をつかむ。義雄は何が優弥をそこまで突き動かすのか、理解できずに問いかける。
「僕は元々困っている人を放っておけないし、自分が何かできるのに何もしないのは、おかしいって思っているんだ。普通の人じゃ不可能なことを成し遂げるのが、能力者の務めだと僕は思っている。
なにより、たくさんの思いが込められた僕の名前に恥じない生き方をしたいから」
ふと、優弥の頭にとある夢で見た映像が流れる。
笑顔で手を振る幼い自分と、それを囲む三人の男女。
涙の跡を頬に残し、それでも微笑む彼らの言葉を、思い出す。
「……名前?」
「『人を思いやれる、優しい人間になるように』、だよね? そう願ったのは、他の誰でもない、お姉ちゃんと、師匠と、公江さんだよ?」
『っ!』
「む……」
優弥の言葉に、美姫と義雄は何も言えなくなった。
「僕は、大好きな人たちがくれた大切なものを守るために行く。他人の為なんかじゃない。みんな勘違いしてるみたいだけど、僕は案外自己中な人間だからね。
大丈夫。僕はこんなところで死ぬつもりはないし、無茶は絶対しないよ。それじゃあ、頼んだからね」
穏やかな笑みを浮かべ、自分を愛してくれる人に信頼だけを残して、優弥は隣のマンションへと入っていく。
取り残された美姫たちは、呆けたように優弥の背中の残滓を見つめる。
「…………はぁ。優弥にはいつも迷惑かけてるし、これでおあいこだな」
最初に動き出したのは柚子。苦笑とともに吐き出した言葉を置いて、優弥の後を追うように隣の建物へと入っていく。
「ったく、誰に似てあんな頑固になったんだ……。将来が心配だな」
呆れと心配の混じった呟きを落とした義雄。背後を振り返り、自身と同系統の能力を持つ部下に新たな指示を出す。
『ユウ君は、ずるいよ。あんな顔されたら、反対なんてできないじゃない……』
向けられた無条件の信頼。
誰よりも愛する男の子が預けていったのは、何よりも大切なはずの命。
優弥が頼りにしているのは美姫の能力。かつて美姫に破滅を導いた『万象改変』の力に魅入られた、他の人間と変わらない。
しかし、優弥には美姫を利用しようとする打算や欲望が一切ない。あるのは、美姫に対する純粋な親愛。それは、美姫の能力では決して得られない、美姫が何よりも欲しかったもの。
『上等よ。あんなに自己中で、あんなにお人好しに育てちゃった責任くらい取ってやるわ! ユウ君の、「優弥」の家族として恥ずかしくないようにね!』
それだけで、美姫の想いは飽和する。
浮遊していた足が虚空を噛みしめ、屋上へと向かっている優弥へと飛び出した。




