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優弥と美姫と超能力と  作者: 一 一 
一章 入学と波乱と能力者と
19/24

18話 薄幸少女と放たれた火種と


 優弥が目を覚まし、美姫と柚子と隆也を連れ添って学校を後にした頃。

 人越島の中心部にほど近い、三十階建てのマンション。

 二十八階の一室に住む一人の少女が、電話を片手に緊張していた。

「あ、あのっ! わ、私なんかに何のご用でしょうかっ、会長!」

『……落ち着いて、金井さん。そう固くならないでいいわ。ちょっとした報告だから、そんなに怯えないで』

 通話相手はカンナ。今にもとって食われそうだと言わんばかりにビクビクしている少女、金井深結に苦笑をこぼす。

「は、はい。すみませんでした、会長」

『うん、いい子ね』

 一度は冷静さを取り戻した深結。だが、続くカンナの言葉に、一気に顔を紅潮させる。

(いい子? 私、いい子? うわ~! 会長に、褒められちゃった!)

 強くて綺麗で凛々しい、自身の憧れにぴったりと当てはまったカンナから送られた賛辞(?)に、喜びを隠せない深結。

 ミーハー気質があり、Dランクの能力者が誰もが持つ、強い者への羨望が強い深結。大抵のDランク能力者はそれに加えて僻みや妬みが含まれているが、深結のそれは純粋な憧憬。

 何気ないカンナの言葉に多少解釈は歪んだが、カンナを強く慕っているのがわかる。

『今日電話したのは、先日金井さんが巻き込まれた事件関係者の処遇について、簡単に話しておこうと思ってね』

 深結は昨日、秀に脅迫混じりのナンパをされた被害者。能力強度こそ低いが、深結は学校の中でもかなり整った容姿をしている。そのため、秀に目をつけられてしまったのは不幸だったといえる。

 どのようにして逃げ出そうかと機会をうかがっていたときに、見知らぬ男子生徒の介入により拘束が緩んだ隙をつき、脱出に成功。

 紫電の雨を何とかかいくぐり、結果的には助けてくれただろう男子には目もくれず、這々の体で自宅まで帰ってこれたのだ。

「そ、そうなんですか。それで、あの……、あの後どうなったんでしょうか?」

 深結が危惧していたのは秀の扱いと自分への報復への危惧。ただそれだけ。

 自分を庇ってくれた男子生徒がFDクラスの新崎隆也と親しげであったことから、彼もまたFDクラスなのだと予想。であれば、秀にボロボロにされているだろうことは想像に難くない。

 そもそも、自分よりもランクの高い能力者に喧嘩を売る行為自体、深結には理解できなかった。それに、見ず知らずの人間を助けようとすることも。

 人越島は弱肉強食の世界。Dランクの者は強者の存在に怯え、自分の身を守ることで精一杯。半端な正義感で人助けをするなんて、馬鹿のやることだと誰もが思っている。

 深結も幼少の頃から島で生活していた弱者の一人。秀の隙を作ってくれたことに感謝はすれど、名も知らない男子の無謀には愚かという他ない。そう感じていた。

『結論から言えば、貴女を助けに入った一年FDクラスの神田優弥さんが二年IBクラスの今野秀を昏倒させ、収束したの。その後は私が今野秀に忠告をして、一週間の謹慎処分を下したわ。念入りに忠告しておいたから、今後彼に絡まれるということは、ほぼないでしょうね。もし、懲りないようだったら、先生か直接生徒会室に相談してきなさい。

 ただ、今後の今野秀の暴走が発生する可能性を考えて、事実とは異なる噂が流れることになるの。一応、暴れる今野秀は私が止めた、という話になるわ。貴女はこの事件の被害者だから詳細を話したけど、真実は誰にも言わないようにね。

 以上だけど、何か聞きたいことはあるかしら?』

「えっ?」

 カンナの報告を聞き終えた深結は驚きの声を隠せなかった。

 深結を助けてくれた男子、優弥が今野を倒した。

 言葉にすればそれだけだが、衝撃はかなり大きい。

「あ、あの!」

『どうしたの?』

「今野先輩が、倒されたんですか? 肉体系の、それもDランクの能力者に?」

『ええ。完膚なきまでにね。驚きでしょう?

 それに、恥ずかしいことだけれど、私も彼に正式な試合を申し込んで、負かされたところなの。ちょっとしたトラブルはあったけどね。同年代では敵がいないと思っていた慢心を、見事に砕いてくれたわ』

 続き、カンナが笑いながら語る内容に、深結は絶句する。

 カンナは生徒会長であり、能大付属高校の生徒の中で最強と言える能力と実力を持つ。

 そんな彼女が、ただのFDクラスの人間に負けた。

 カンナの信者と言っていい深結にはまさに青天の霹靂だった。

「ほ、本当ですか? その、神田ってやつが、本当に会長を?」

『厳密には違うかもしれないけど、ね。優弥さんの能力と、優弥さんのお姉さんに負けたのよ』

「お姉さん、って、そんなの卑怯じゃないですか! 一対一で戦ってないんでしょ? そんなの無効です! 会長が気にすることないですよ!」

『いいえ。貴女は見ていなかったからわからないでしょうけど、あれは私の完全敗北。実質、お姉さんである美姫さんに一対一でやられたのだけど、彼女と戦えたのは優弥さんの能力があってこそ。だから、厳密には一対二ではないし、結果に文句はないわ』

 深結はどこか満足げなカンナの声に眉をひそめる。

 負けた者の語り口調とは思えないほど、カンナの雰囲気は軽い。それが、かつて何人もの能力者を下し続けた無敗の王であり、初めての挫折を味わっただろう者の態度とは、深結には到底思えなかった。

「どうして、会長はそんなに機嫌がいいのですか?」

『そう聞こえる? でも、そうね。確かに私は、今までにないほど機嫌がいいわね。楽しいのよ。とても』

「楽しい、ですか?」

『ええ。私には目指すべき人が、越えたいと心の底から願った人ができた。それも、あまり年の変わらない人で。私は今日から、挑戦を待つだけの王ではなく、一人の挑戦者になった。それが、とても楽しい。

 知ってる? 待つだけの王はとても退屈なの。変に絶対だと思われてるから、挑戦者自体が少ないし、いざ来てみれば期待外ればかり。それに、生徒会長という役職は雑用ばかりでうんざりしていたわ。生徒全体の模範にならなければいけないから、優等生でいなければならなかったしね。

 私は毎日が退屈で退屈で、それこそ暴走を起こしそうなほど鬱屈していたわ。不満ばかりが溜まって、いつかそれが爆発したとき、犯罪者に身をやつすかも知れない、って本気で考えたくらいだもの。

 でも、優弥さんと美姫さんが、私が溜めた汚泥を受け止めてくれた。私の退屈を吹き飛ばし、代わりに生きる目標をくれたの。彼らは振りかかる火の粉を払っただけでしょうけど、私にとっては人生の転機といってもいい出来事だったわね』

 いつになく饒舌なカンナ。

 今まで、カンナが相手にしてきた能力者の中で、敗北がなかったわけではない。年上や同ランクの能力者を相手に、何度か膝を突いたことはある。

 しかし、中学、高校と経るにつれ、かつて敗れた相手にも勝利を取り返し、島の中で純粋な戦闘能力においては頂点に位置していたカンナ。大学生や教師からも挑戦を受け付け、高校に進学してからは国内で無敗を誇っている。自らを王と称した表現は間違っていない。

 故に、本来Aランクの能力者にとってガス抜きであった戦闘が、カンナにとっては小さなストレスとなっていた。挑戦してくる能力者はすぐに倒れ、勝負を楽しめるような、実力が拮抗する相手とはほとんど巡り会うこともできない。

 加えて、成績が最上位であるために高校一年生から生徒会に所属することとなり、いろんな雑事に毎日が埋没していく。一つ一つが簡単な雑事とはいえ、量を重ねれば確実に精神的負荷になり得る。

 その他、複数の要因でカンナは心に疲弊を溜めていった。カンナが冗談混じりに口にしていた能力の暴走は、そのまま放置されていれば近しい将来起こりえただろう。

 能力至上主義に幼い頃からカンナも浸っているため、普段は低ランクの生徒には素っ気ない。しかし、同ランクの生徒たちも能力を競い合う敵であり、気軽に胸の内を話せるような友人など作れない。そうした環境が自らの心の内をさらけ出す機会を遠ざけ、よけいにストレスを過剰にしていった。

 しかし、限界寸前だった鬱屈を晴らしたのは、優弥と美姫。カンナにとって、優弥は自身を越えうる才能と技術を有した能力者であり、美姫は初めて「絶対に勝てない」と思えた敵。

 二人との戦闘を経て、カンナは気を許してもいいと思える対等の能力者と、目標とすべき能力者を同時に得た。その事実が、カンナにさらなる成長と心の安定を与えると、彼女自身確信していた。

 ここまで本音を晒したのはカンナにとって初めて。精神のタガが緩み、長い間抱えていた闇を解放したことを、誰かに知ってほしくなったのかもしれない。

『あら、私ったら。こんなこと金井さんに話しても迷惑なだけなのに。ごめんなさいね、愚痴っぽくなっちゃって』

「い、いいえ! そんな、迷惑だなんて思ってません!」

『そう? ありがとう。

 それじゃあ、私はまだ雑務が残ってるから、これで切るわね。念を押すけど、何かあったら学校に連絡してね。

 それじゃあ』

「は、はいっ! 失礼します!」

 通話が切れ、無意識に強ばっていた肩の力を抜く深結。

 直接の会話ではないとはいえ、能大付属高校の代表と相対したのだ。圧倒的弱者である深結には、理性的には嬉しく、本能的には危機が去ったことを安堵している。

 年齢が二つしか違わない憧れの対象は、深結のことを路傍の石程度にしか感じておらず、消すのも簡単だと考えているはずだ。己の生死を握れる人物を相手にするのは、例え大人であっても緊張を隠せない。

 歓喜の裏にあった深結の安堵は当然の感情といえる。

「でも、神田優弥、か」

 しばらくカンナとの会話の余韻に浸っていた深結だが、話題に上った人物の名を呟き、思考を巡らす。

(あのとき、ちらっと顔を見ただけだから詳しく覚えてないけど、そんなに強い人には見えなかった。もちろん、能力者の強さは外見とは全く関係ないけど、会長どころか今野先輩にもあっさり負けそうな人だったと思う。

 それなのに、どうやって勝ったんだろう? あの二人に……)

 突然現れた謎の人物。

 能大付属学校には珍しい転校生の一人。

 ほとんどが幼なじみである同級生たちに紛れ、突如浮かびあがった異常。

「う~ん、いくら考えても情報が少ないから無駄か。

 少し疲れちゃったし、ちょっとだけ寝ようかな」

 緊張から固くなった筋肉をほぐすように肩を回しながら、ベッドに横たわる深結。

(転校生が入学してそんなに経ってないのに、私の問題を越える大事件を起こすなんて、神田ってやつは相当なトラブルメイカーなの?

 そうでなくても、トラブルを持ってくる体質かも知れないわ。もしそうなら、余計に厄介な人ね。

 でも、考えようによっては、デメリットしかない私の能力よりは、マシなのかな?)

 深結の能力は『流動運気《ラック・ラック》』という情報操作系の常時発動型の能力。

 効果はその名の通り、運気と呼ばれるものを常に変動させる能力。一日のうちに幸運と不運が何度も入れ替わり、しかも自ら運勢を操作することができない。

 持っていて有利なものしかない能力にしては珍しく、デメリットが存在する、優弥の『霊感体質』とは異なる意味で特殊な能力。また、能力が引き起こす事象が確認しづらいという面でも『霊感体質』と似ている。

 今回、Bランクの秀に絡まれたのも『流動運気』のせいだと確信している深結。今までの人生で、全くの平穏だった日が一日としてない自分の不運と、トラブルに首を突っ込んでいた優弥の体質とを比べようとして、止める。

 睡魔が強くなってきたため、取り留めのない思考を中断し、深結は目を閉じた。


~~・~~・~~・~~・~~


 一方、能大付属高校の能力指導長室とプレートのかかった部屋には、二人の人間。

「琴葉先生、お疲れさま。今日は大変だったみたいだね」

 椅子に腰掛け、机に肘をついて柔和な笑みを浮かべる男性、政史。

「…………そうですね」

 彼の正面に立ち、無表情の中に疲労をにじませている女性、琴葉。

 美姫が起こした数々の問題を全て処理しきった後、琴葉は職員室で一休みしていた。すると、政史から突然呼び出しを受けた。

 普段の倍以上のストレスを抱え、琴葉は若干の苛つきを覚える。ただ、私的には配偶者とはいえ公的には上司。命令には逆らえず、政史の待つ部屋へ入ったところの第一声が労いだった。

「おや、これは予想以上にお疲れのようだね? お茶でも入れようか? 少しは落ち着くと思うよ」

「……お願いします」

 いつもはそういった誘いは遠慮する琴葉も、今日は素直に甘えている。政史は苦笑しつつも、コーヒーを二人分用意し、応接用の席へ座る。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 お互い一度口を付け、小さくため息をつく。

「さて、一応形式だからね。今日起こった事件についてはおおまかな報告を受けている。その場にいた琴葉先生には詳細を説明してもらうよ」

「はい」

 琴葉は居住まいを正し、能力開発館で起こったことを説明する。

 複数の生徒の問題行為から生徒会が提案した勝負をしたこと。

 聡とクレアの試合は通常通りの結果に、柚子とジルの試合は予想外の事態ではあったが特に問題にならなかったこと。

「そして、生徒会長の試合で問題が起こりました」

「生徒会長、今年も後藤カンナ君だったかな?」

 視線を上へ向けながら、政史は生徒会長の名前を思い出す。政史は人越島に住む全ての生徒の名前と顔を覚えている。情報系の能力者なら特に難しくない。

 当然、今年転入してきた二人の高校生のことも。

「はい。後藤カンナさんと、神田優弥さんの試合です。彼は一度後藤カンナさんに敗北しましたが、すぐに再戦し、情報系Aランクの能力者を倒してしまいました。それも、圧倒的なまでの能力で」

「神田優弥君、……ふむ、転入生のうちの一人だね。いやはや、天満柚子君といい、今年のDランクは侮れないみたいだね」

 薄く笑いながら、コーヒーを口に運ぶ政史。

「笑い事ではありません。これでは何のためのランク至上主義なのですか。彼らの異常な能力のからくりは直接本人たちに聞きました。内容からも脅威は高くありません。

 しかし、それでもDランクの一部の能力者がいきり立つのもまた事実。もし、この情報が全校に渡って伝わった場合、教授はどのように対処するのですか?」

「問題ないよ。Dランクがどんな小細工をしようが、所詮能力者のクズに変わりはない。気にするだけ無駄というものだよ? もしかしたら、天満君と神田君が特異なだけかもしれないじゃないか」

 実際、常時発動型の能力者は人数が少なく、かつ能力操作の訓練は通常の何倍もの努力が必要なもの。柚子が修得に数年をかけたように、一朝一夕で上位ランクの能力者を下せるようなものではない。

 琴葉もそう判断したから、情報の質としての脅威は低いと判断している。

「しかし、Dランクの生徒が生徒会長を倒してしまった、ということは大問題です。生徒会長は学校内で最も強い能力者と同義であり、特に後藤カンナさんは島内最強とうたわれています。ただのAランクの能力者とは違うのですよ? それに……」

「それに、何だい?」

「神田優弥さんの能力は、決して無視していいものではありません。あれは、『霊感体質』は危険です」

 まっすぐ政史の瞳を見つめる琴葉。右手は左腕を強く掴み、わずかに体を震わせている。

「へぇ、琴葉先生がそこまで言うなんて、初めてじゃないか? 一体どんな能力だったんだい?」

 しかし、琴葉の様子を見てもまだ政史は緊張感などなく、薄ら笑いを浮かべている。

「『霊感体質』は幽霊と呼ばれる非科学的な存在と接触するだけの能力ではなく、幽霊そのものを再現することもできる、らしいです。彼は実際、一人の化け物を蘇らせました」

「神田美姫、かい?」

「っ!」

 琴葉は政史が口にした名に、息を詰まらせる。

 思い起こされる記憶。Aランクの自分をまるで視界に映りこんだ虫を眺めるかのような瞳で見据え、琴葉の能力『過負荷領域』に干渉し、霧散させた少女。

 カンナよりは実際の被害が少なかったとはいえ、受けた屈辱はカンナと同等以上のもの。コケにされた悔しさもあり、ふがいない自分への怒りもあり、同時に美姫への恐れを確かに植え付けられていた。

 その場にいた人間ならば、忘れられない少女。

 しかし、事件の概要しか聞かされておらず、彼女の名を知らないはずの政史。どうして、美姫の名前を知り得たのか、驚愕を隠せない琴葉。

「なぜ、その名を……?」

「……くくく、そうか、やはり彼女か!」

 琴葉の疑問には答えず、さも愉快だといった表情で高笑いをする政史。

「神田の姓を聞いた瞬間、もしやとは思ったが、いやはや、まさか僕にこんな贈り物をしてくれるとはな! 急遽、彼女の所属するクラス担任を君に変更して大成功だったよ! あのとき、彼女を亡くしたと思ったときは本当に後悔しきりだったが、まだまだ風向きは僕に向いているようだ!」

 琴葉は呆然と政史の独白を、歪んだ哄笑を聞く。

 ずっと仮面のような笑顔しか見せない夫の、心底から楽しそうな笑い声。結婚してから初めて目にする彼の本心は、純粋な喜びに満ちていた。

「くっくっく、いやはや、すまない琴葉先生。僕としたことが、少し取り乱したようだ」

「い、いえ」

 ひとしきり笑った政史は落ち着いた様子を取り戻し、琴葉に軽く頭を下げる。

「それで、美姫君は今どうしてる?」

 あえて優弥ではなく、美姫の名前を出して問う政史。美姫にあまりいい印象を持たない琴葉は眉をひそめるが、私情を押し込め、答える。

「……神田優弥はすでに友人とともに下校しています。呼び出されるのならば、明日の月曜日を待った方がいいかと」

「ああ、そうなの。残念だなぁ」

 言葉通りに落胆する政史。琴葉はこれほどまでに表情豊かな政史を見たことがない。故人とはいえ、夫の気を引く女に、苛立ちと嫉妬の感情を沸き立たせる。

「じゃあ、明日の授業終わりでもいいから、僕の部屋に来るように言っておいて。それじゃ、下がっていいよ。お疲れさま」

「…………失礼します」

 退室を促され、琴葉は席を立ち、普段通りの仮面をかぶりなおした上司に頭を下げ、部屋を後にする。

 一人取り残された政史は窓際まで歩み寄り、眼下の学校の門を見下ろす。

「おかえり、『万象改変』。僕には、僕らの望む世界には、やはり君が必要だ」

 眼鏡の奥は光の加減で見えず、口角は再びつり上がる。

 上機嫌を隠さず、政史は窓に背を向けた。


~~・~~・~~・~~・~~


 ほぼ同時刻。

 人越島の港にはつい先ほど護送された正一郎と、風を操る能力者の刑事、さらにその部下たちが降り立った。

「ほら、さっさと歩け!」

 若手の刑事に促されて、のろのろと歩く正一郎。両手にはジャケットがかぶせられ、中で手錠型の能力抑制機が装着されている。

 正一郎の表情は硬い。約一ヶ月前の逮捕劇からずっと、まるで感情をどこかに落としてきたかのように無表情。刑事たちの指示には従うものの、どこか反応が希薄で鈍い。

 それこそ憤激に身を任せたことで精神を燃やし尽くしたように、能力の暴走を起こした人間とは思えないほど大人しい。

「……神田さん、何だかこいつ、不気味じゃないですか?」

「ああ。いくら何でも大人しすぎる。何か企んでるかもしれん。従順だからといって、気を緩めるなよ」

「わかりました」

 違和感を覚えた若い刑事の一人が、正一郎を取り押さえたベテラン刑事、神田義雄へと耳打ちする。

 義雄もそれに頷き、より一層の注意を促す。

 いわゆる燃え尽き症候群かと思案し、義雄は小さく舌打ちをする。

 能力者が精神にまつわる病気を発症するのは厄介なことこの上ない。

 能力は能力者の精神に依存し、不安定になると正一郎のように暴走の末路をたどる。それが、常に無気力状態になりかねない鬱のような状態であったとしても、暴走の危険がある。

 何故なら、無気力状態は能力の制御も無気力になる。つまり、後先考えずに命を散らすほどの強力な能力を行使する可能性がある。

 能力は普段、能力者が無意識下で「今は能力を発動するべき時じゃない」というストッパーをかけているため、無闇に発動しない。

 だがそれは無意識であるが故に、ちょっとしたきっかけで外れかねないもの。能力者はそれに上乗せして、発動させないという意識を用いて二重のストッパーをかけている。

 そこで、精神病を罹患した能力者はというと、(そう)状態では自重をせずに能力を解放する。一方、鬱状態では意識の枷がなくなり、不安定な枷だけで能力を抑えている状態となり、いつ爆発してもおかしくない不発弾のような存在となる。

 正一郎の兆候はまさに後者。能力抑制機をはめさせているとはいえ、些細なきっかけで能力が漏れれば、高い確率でタガが外れて暴走する。

 能力が暴走してしまえば、主に能力の意識的操作を阻害する効果の抑制機はあまり意味がなくなる。無意識の暴走は抑制できない。

 暴走は能力強度の一つ上を想定していなければ対処できないほど厄介な現象。たとえ能力操作技能で正一郎を圧倒した義雄が監視しているとしても、絶対に安全とはいえない。

(いくら暴走するリスクを減らす為とはいえ、ガキの頃から大きなストレスにさらされない環境を整えるなんて、上はバカばっかりか? むしろ幼少期にストレスの耐性をつけられるよう教育すべきじゃないのか。これだから、些細なことで暴走する輩が増えるんだよ)

 義雄は情報系の能力者だが、生まれたときは能力者ではなかった。そのため、人越島で生活してきた純粋培養の能力者とは価値観が異なる。

 一般的に、能力者の暴走はランクに関わらず忌避すべきものであり、対処が大変だという知識は流布している。そのため、人越島は能力者の精神的に安定した生活を送れるような環境を整えている。

 しかし、義雄はライセンスを取得した能力者が一般社会に進出し、能力暴走事件を起こす度に、人越島のシステムに疑問を抱いている。

 能力暴走を起こす者の大半は、少年時代を人越島で過ごしてきた若者。そして、暴走者の数は少しずつ増えてきている。

 すぐそこに起こり得る驚異に目を向けるなとは言わない。かといって、将来の展望を疎かにしていいわけではない。

 頭の片隅で疑問を抱きつつ、力なく歩く青年の背中を睨みつつ、義男はいつでも能力を発動できるように意識を研ぎ澄ませる。

「それにしても、道路の整備は完璧でも、移動手段がバスかタクシーってのは不便ですね。こいつを公共交通機関に乗せるわけにはいきませんし、車を持ち込めたら楽なんですが」

「言うな。島の人口の半分以上は未成年で、ただでさえ免許所持者が少ない上、敷地面積が小さいから不必要だと考える者ばかり。不要なものは可能な限り排除するこの島では、車が廃されるのは仕方がない」

 若い警官の愚痴に答えた義男が肩をすくめる。また、義男の説明に加えて、車の持ち込みが禁止されているのは生徒の交通事故の確率を減らす為でもあり、遠回しな能力暴走防止策でもある。

「それに、何で能力犯罪者の更正施設と、島の中枢である能力開発大学が隣合っているんでしょうか? 普通、犯罪者はそういう場所からは離されるものだと思うんですけど」

「島の中枢だからこそ、だろう。確かにこの島は能力者教育のために開発されたが、見方を変えれば能力者を指導できるほどの実力を持つ者たちの巣窟とも言える。

 逆に、島の沿岸部付近には一般生徒の居住区が建ち並んでいる。制御も力も未熟な能力者たちの卵が住む、な。常識的に考えて、どちらに犯罪者を集めればいいか、分かるだろう?」

「なるほど。よく分かりました」

 教員すべてが看守であり、島全体が牢獄。とすると、一日中看守が密集している島の中央に犯罪者たちが送られるのは必然。

 義雄が能力で空気の流れを読み、なるべく人がいない道を選んで、雑談少なく一行は進む。

 そして、能力開発大学が間近に迫ったとき、正一郎の動きが制止する。

「……………………」

「おい、何をしている。さっさと歩け!」

 ずっと俯き、下ばかり見ていた正一郎。不意に立ち止まり、見上げた先にあったのは学生寮であるマンションの一つ。警察官の誘導にも反応せず、ひたすら仰ぎ見る背の高い建物。

「立ち止まるな! 早く、」

「……おまわりさん」

 再度強い口調で先を促そうとした警官の言葉を遮り、正一郎は独り言のようにつぶやく。

「……何だ?」

 警戒を露わに反応したのは義雄。どんな行動にでても取り押さえることができるように、手のひらに風の流れを操作し、集中させる。

「俺、学生のとき、あのマンションに住んでたんです」

 義雄は正一郎から注意を逸らさず、彼の視線の先を窺う。

 学生用マンションは島の中心に近い分、外周部に近い学生寮よりもしっかりした作り。比較的資産に余裕がある子どもが住むマンションらしく、周囲のマンションよりも幾分か背が高い。

 ふと、義雄はこの島に住むだろう我が子同然の少年と少女を思い浮かべる。自分たちがもっと裕福であれば、島内でも安い家賃の学生寮に入れなくてもよかったかもしれない、と思うと複雑な気持ちを抱く。

 同時に、わざわざこちらの指示に抗ってまで口にした他愛のない台詞から、正一郎の意図が読めずにいる義雄たち。

「あのときは、何も知らなかった。外の世界が、あんなに生きづらいものだったなんて。苦しいことばっかりだったなんて。知らなかったんだ……」

 戸惑う義雄たちを後目に、正一郎の独白は続く。悔恨にも、ただの事実の羅列にも聞こえる。感情が抜け落ち、声の抑揚も少ない彼の言葉に、どのような思いが込められているのか。

「俺は、愚かだったんだ。井の中の蛙だったんだ。何も知らない、知ろうともしない、ガキのまま。ずっと、都合の悪いことには目を背けて、自分が傷つくことに直面すると、すぐに逆上してしまうような、ワガママな子どものまま時間を重ねてしまった……」

「……お前が勝手に告戒するのは構わないが、それは収容所に着いてからにしろ。今、俺たちがお前の懺悔を聞いてやる義理はないぞ」

 いつまで経っても歩きだそうとしない正一郎に焦れた若い警官の一人が、背中を押しながら話を終わらせようとする。

「ねえ、おまわりさん? 俺の人生って、俺が積み重ねてきたモノって、この島の環境のせいなのか? それとも、俺自身のせいなのかな?」

 しかし、正一郎は動じない。背を押されたために一歩足を踏み出すも言葉は途切れず、視線は斜め上に固定されたまま。

「こうしてお前に手錠がかかっているのは、お前自身の甘えが引き起こしたこともそうだが、人越島の閉鎖された環境が招いたこともまた事実だ。それを受け止め、自身の罪を認め、立ち直ればいい」

 虚空を見つめ、世界に取り残されたような寂しい後ろ姿に、義雄は語りかける。罪の意識があるのならばやり直せると、一時の激情に任せて足を踏み外してしまった青年へ。

 すると、始めて周りの言葉に反応した正一郎は、肩越しに義雄へと振り返り、微笑んだ。

「そうか。そうだな。おまわりさんの、言うとおりだ」

 いくらか生気を取り戻し、大人しくなった正一郎の様子に、周囲の警官たちはわずかに気を緩める。義雄にも笑みが浮かび、待機していた風が弱まる。

「それじゃあ、俺の過去はいらないよな」

 だから、正一郎の次の行動を瞬時に止められる者はいなかった。

「? 何を……」

 正一郎は能力抑制機がついた両腕を上げ、ずっと視線を送っていたマンションへとかざす。

 唐突な言動が理解できず、警官の一人が疑問符を浮かべる。

「っ! 檜間、お前!」

 憑き物が落ちたような正一郎の言葉と行動の意味に気づいた義雄。すぐに『薄風刃』の気配を強め、正一郎へと放とうとした。

「消えろ。全部、消えればいい」

 静かに、ぽつりと呟く正一郎。

 直後、いくつもの巨大な爆音がマンションを襲撃した。

「うわぁ!」

 一つ、二つ、三つと、マンションの壁から起こる爆発。それは、正一郎を拘束したときとは比べ物にならない大きさ。心理的な枷をすべて取っ払った、純粋な能力の姿。

 増えていく音と熱の暴力に、とっさに姿勢を低くし、耳を塞ぐ警官たち。

「檜間ぁ!」

 しかし、その場で直立していた義雄だけは動じず、風を纏った右拳を正一郎の鳩尾にめり込ませる。

「ごっ!」

 口から空気が漏れ、何の抵抗もできなかった正一郎はすぐに意識を手放す。

「か、神田さん! 火が!」

「わかってる! 一人は大学の治安担当に連絡しろ! すぐに応援をよこせってな!

 鎮火に適した能力を持ってないやつは、この馬鹿を施設に連れていけ! 今度は目を離すなよ!

 残りは俺と一緒に、マンションや周辺住民の避難誘導と鎮火だ! 人命最優先だってことを忘れんなよ!」

「わ、わかりました!」

 だが、マンションへの小規模な爆発は未だに続いていた。能力者の意識がなくなってもまだ、正一郎の意志を汲み取った能力が暴走を続け、建物を襲い続ける。

 炎に包まれていくマンションを睨み、義雄は大きく舌打ちをする。そして、数人の警官を連れて火災現場へと走り出した。


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