13話 ジルと能力と
仕切り直し、刹那の硬直状態が流れる。
「シッ!」
先に仕掛けたのはジル。あえて挑発に乗り、不動で佇む柚子へと駆け出す。
数秒で得物の射程範囲に収め、切っ先を柚子の胴体へと向ける。
繰り出すは走力を乗せた突き。
刺突剣とは違う、簡素なショートソードでは効果の薄い攻撃に見える。だが、柚子を地に着かせた時と同様、能力による風の刃を槍状にまとわせることでデメリットを軽減。同時に、ショートソードとの相対距離を攪乱する。
狙いは腹部。半身となった柚子は突きでは非常に狙いにくく、避けられることが前提となる。
ジルの風刃の攻撃範囲を知らない柚子は必要以上に警戒し、不可視の刃が届くかなり前に回避行動に移ると予測。また、射程距離のわからない刺突に対し後方へ逃げるような真似はしない。
逃げ場は右か左、あるいはジルの脇や頭上。
ジルの本命は正にその移動後。
回避前である柚子の体の中心に剣を差し込み、どの場所に移動されようと対応できる位置と重心を確保。あとは強化された反射神経と筋力を使って無理矢理追撃をかける。
あとはこちらのペースに追い込めば、リードは奪えるはず。ジルはそう考えていた。
ジルは攻撃後の柚子の動きを何パターンも予測し、眉間に力を込める。
「……っ!」
短く強く、吐き出された息。
それは果たしてどちらのものだったのか。
ジルの突きは虚空を貫き、柚子の身体はそこにはない。
(バカな!)
しかし、初撃の結果は同じであれど、その後の未来はいくつも浮かべていた推測をことごとく打ち破る。
柚子は『風纏刃』に触れるか触れないか。紙一重の距離まで引きつけ、剣の全容が見えているかのように上半身をわずかに右へとズラして回避し、一歩踏み出した。
たったそれだけの、必要最小限の動きで見えざる刃を乗り越え、ジルを自身の間合いに迎え入れた柚子。
ジルは突きの勢いそのままに制動が利かず、柚子の一歩分の前進により両者は密着状態にある。
「らぁ!」
「グゥオ!」
超近接距離での邂逅。己の領域を殺された武器を退け、己の領域へと誘った無手が制す。
ジルの鳩尾に突き刺さった、左のアッパー。胴体に深く沈み込み、身体が自然と『く』の字に曲がる。
「ふっ!」
柚子は腹から腕を離し、右足を後ろへ引く。反対に左足は高々と垂直に上げ、断頭台のごとくジルの背中へとかかとを落とす。
「クッ!」
ジルは柚子から逃げるように前方へ飛び込み、これを回避。飛び込み前転で素早く後ろを振り返り、右手のショートソードを柚子へと向ける。
「カ、ッハ! ……よく、見切れ、タナ?」
「そう驚くことじゃないさ。さっき攻撃をわざと受けて、能力による延長分を目と身体で測ったんだよ。わざわざ肉体を切らないようにしてくれたんだ。活用しない手はない、って思ってな。
おかげで見えない剣のリーチはおおよそ把握できた。正に、肉を切らせて骨を断つ、ってやつだ」
ジルの二度の攻撃をただで受けたわけではなかった柚子。また、ジルの『風纏刃』の最大効果範囲が調節できないことも幸いし、柚子の目論見は見事に成功。
風による刃のアドバンテージの何割かを失い、歯噛みするジル。
「どうした? 随分余裕がねぇじゃねぇか?」
「……ハン、ヌかせ。まだまだネタは、出そろってねぇんダ。カーテンフォールにゃ、まだ早い、ッテナ。楽しみにしとけヨ」
左手で腹を押さえ、息が荒くなっているジル。平静を装おうとして失敗。客観的にも単なる強がりにしか見えない。
「へぇ。そいつは楽しみだな、っと!」
笑みを一層濃くした柚子。膝を曲げて足に力を溜め、能力とともに一気に解放。今までの踏み込みよりも鋭く、速い。一息にジルへと接近。正面から見つめ合い、紙一重の距離までお互いの顔が引き寄せられた。
「ッワ!」
突如目の前に現れた柚子に驚愕を隠せないジル。その動きは、一ヶ月前に優弥へと襲いかかった動きとほぼ同じ。
ジルはわずかに上半身を仰け反り、反射的にショートソードで切り払いそうになる。
が、柚子は再度急加速でジルの目の前から消失。瞬時に背後へと回り込む。
(もらった!)
一度目の接近で猫騙しの効果を与えてジルをひるませ、体勢を若干崩したところで相手の死角に入った。がら空きの背中は隙だらけ。
柚子は移動時の回転も利用し、遠慮なく回し蹴りをジルの背中へ叩きつけた。
「……っつ!」
しかし、ダメージを受けたのは柚子だった。
見ると、ジルはこちらを一瞥もせず、ショートソードを背面に持ってきて、柚子の蹴りの軌道上へ差し込み、防御していた。
ジルの怪我に配慮し、能力を使わず放った蹴りは剣に弾かれ、つま先に電流が走る。
「まだ、まだぁ!」
柚子は顔をしかめるも、即座に両足を地に着けジルの左側面へ移動。わき腹に向けて右の拳の追撃をかけた。
しかし、柚子の正拳はすでに待ち構えていたジルの左手に吸い込まれ、あっさりと捕まる。
「お返し、ダ!」
強化された握力が柚子の拳を固定し、とっさに抜け出すことができない。
ジルは柚子へと顔を向け、ショートソードを横薙ぎに振り、胴を薙ぐ。
「うぐぅあ!」
回避が困難だと判断し、柚子は左腕を防御に回してショートソードを受け止めた。切断よりも殴打に近い『風纏刃』に覆われた西洋剣の重い一撃に、苦しげな吐息が漏れる。
とっさに膝を着きそうになるが我慢し、拳を掴む拘束がゆるんだ隙に右手を解放。柚子は能力を使ったバックステップで一気にジルから距離を離す。
「へ、なかなか効いたぜ。俺の攻撃を察知したのも、能力の一つってわけか?」
「アタリだ。よく気づいたナ?」
「あんたは肉弾戦に慣れてはいるようだが、動きがどうにも我流臭い。勘も弱そうだしな。にもかかわらず、さっきの俺の攻撃はことごとくかわされた。能力の存在を疑うのが普通だ。
俺の攻撃の対処速度から考えて、何らかの形で俺の動きが見えていた可能性が高い。おそらく、肉体付加系に分類される、視界や視野を拡大させる効果に似た能力じゃねぇか?」
ジルの剣三つ目の能力は、柚子の推測通り視野を拡張させる『全方位視』。
目線の動きなど関係なく、三百六十度を見回すことができる能力。しかし、視野を広げると視力が半分になる、脳への負荷が格段に上がるといったデメリットも存在する。
デメリットのおかげで使いどころの難しい能力であり、ジルが使用を決断したのは通常の目視で柚子の動きを追えなかったため。
たった数秒の能力行使で響く頭痛を我慢し、ジルは感心と呆れをない交ぜにした表情をした。
「…………よく頭が回るヤツだ。ホントウにニクタイ系の能力者ナノカ?」
「なるほど、その様子だと図星みたいだな」
情報系の能力者と競えるくらいの柚子の洞察力に、今度こそ感嘆の息を漏らすジル。ただのDランクという認識は外していたが、さらに柚子への評価を上方修正する。
「全く、ユズと闘ってると、オレが急にヨワくなったように思えるぜ」
何気なく口にしたジルの一言。
それが、柚子の琴線に触れる。
「……おい」
「ン?」
「俺の名前を気安く呼ぶな。昨日会ったばかりのあんたに、俺の名前を呼ばれると不愉快だ」
真剣で、それでも楽しそうだった雰囲気が一転。目を鋭く細め、威圧感を込めてジルを睨む柚子。こだわりというには強すぎる感情を押しつけ、有無をいわさない空気を放つ。
「そう言われてもナ。ファーストネームを呼ぶのがオレらの国では当たり前だし、直すのはムズカシイゼ?」
「それでも、止めろ」
張りつめた空気を無視し、おどけて見せるジル。初めて挑発に反応した柚子に、言葉で冷静さをなくそうと内心でも笑みを浮かべる。
柚子はそれに取り合わず、短く簡潔に意思表示。
「分かったヨ。なるべく注意するゼ、ユズチャン」
明らかにわざとだと分かるように、柚子の名を口にするジル。薄く笑みをかたどり、からかうように小さく肩をすくめる。
ジルの悪びれず、改めようとしない態度に、柚子はキレた。
「二度目はねぇと、言ったつもりだが?」
静かに、はっきりと口にした警告。
怒りが柚子の心の大部分を支配しながら、理性をわずかに残し、暴走を起こさないギリギリを見極め、感情を制御する。
能面のように無表情となる柚子。意識的に、志向性を持って、ジルへと殺気が放たれた。
「…………っ!」
予想外の反応に、ジルは己の行動が竜の逆鱗に触れる行為であったと、今更ながらに気づく。
喉がひりつく。全身に脂汗がにじむ。呼吸がしにくくなる。血の気が引き、悪寒が背筋を駆け巡る。知らず、ショートソードを握る手が震えていた。
先ほど無意識に漏れたものとは違う、研ぎ澄まされた気配。まるで人体の急所すべてに凶器があてがわれているような、どうしようもない絶望感さえ覚える。
このままでは喰われる。
ジルは今まで多くの化け物じみた能力者と対峙し、初めて明確な命の危機を感じた。
「ハ、ハハ。たかが呼び方、ダロ? そこまで怒るナヨ。カワイイ顔が、台無しだゼ?」
「……あんたには、どうしても譲れないこと、他人に冒涜されたら許せないことはあるか?」
「エ?」
「俺の場合、あんたが『たかが』と言ったことだ」
宥めようとした言葉も、逆にあおり文句となってしまったジル。脳は柚子と対峙することに警鐘を鳴らし、心臓の打つリズムは次第に早くなっていく。
「本気の全力で行く。加減はするが、気ぃつけないと死ぬぞ?」
戦いを楽しむ顔から、相手を倒すための顔へ。ほんのわずかも容赦を残さず、柚子は己の肉体を、精神を、能力を使う感覚を研ぎ澄ませる。
そして、膠着が解かれる。
「ッガ!」
ほんのわずかに、柚子の足が動く。
それは決して踏み込むような強さではなく、床を擦る程度の動作だった。
瞬く間。その言葉が体現されたかのような、ほんの一瞬。
予備動作もなく、コマ送りのような速度で距離を詰めた柚子のミドルキックが、ジルのわき腹を穿つ。巨大なハンマーでサンドバッグを殴ったような音が響き、肉体を軽々と飛ばす。
まったく反応できなかったジルは防御もままならず、数十メートルを転がり、フィールドの壁にぶつかって地に伏す。
「ッ、アアアアアアアア!」
動きが止まり、始めて蹴られた箇所の異常に気づいた。
心臓の拍動とともに肉を焼かれるような痛みが襲う。自然と体を丸め、抑えつけようとするも、思考を明滅させる痛覚の波が大きくなるだけ。
「うそ……」
フィールドの外で見ていた雅が、呆然と呟く。
雅だけではない。この場にいるほぼすべての学生が気づいた。
柚子の移動速度。蹴りの保有する威力。『肉体強化』が施された肉体の肋骨を折られ、下手をすれば内蔵にまで損傷があるであろうジルの様子。
そのどれもが、Dランク程度の能力を使った結果ではありえないということに。
導いた結果の理不尽さ、ありえなさは、むしろAランクに通ずる。
「立て」
うずくまったまま動けないジルへ、突きつけられた声。
「ウッ、グゥゥ」
「無防備な相手に構う気はない。立て」
ゆっくりと歩み寄り、動けないジルを睥睨る柚子。
「おいおい……、それでもAランクの能力者かよ?」
落胆と失望が込められた言葉が、吐き捨てるように降ってくる。
下であるはずだった者が、上にいるはずだった者を蔑み、見下している。
まるで、初めから柚子が絶対的な強者であったよう。柚子はただ佇んでいるだけで、ジルの自尊心をことごとく破壊していく。
「ウッ! ……ッダア!」
弛緩しきった体を叱咤し、身体強化に任せてジルはようやく立ち上がった。Aランクの能力者であり、校内でも指折りの実力者というプライドが、柚子の言葉を否定しようと奮起する。
だが、ジルの肉体は今までにないダメージですでに限界を迎えていた。『肉体強化』があっても、二本の足で立っているのがやっと。剣を握る手にも力がほとんど入らない。
「あまり、バカにするなヨ。オレだって、イタリアを代表して留学した、Aランクの能力者ダ!」
残った力を絞り出すように、ジルは大声で自身を鼓舞する。規格外の力を持った下級生を前に、それでも強い意志を宿した瞳を向ける。
そして、震えるショートソードを両手で握り、武器に込めた最後の能力を発動させる。
「……クラエ!」
それは、何の変哲もない逆袈裟切り。柚子の左下から胴体を切り上げる軌道で刃が迫る。が、振るわれる剣に対戦直後の勢いはなく、柚子が能力を使わなくとも簡単に避けられるスピードでしかない。
「……」
揺れる剣筋を眺め、しかし柚子は回避の素振りを見せない。むしろ剣がなぞる延長線上に左手をあてがい、受け止めようとしていた。
刹那。
剣と拳、二人の能力が激突する。
「……っ!」
(モラッタ!)
心の内で先に勝利を確信したのはジル。
体を切断する鋭さも、吹き飛ばすほどの力もないジルの剣。
だというのに、柚子の腕を襲った衝撃は予想をはるかに凌駕する重さ。柚子は思わず息を呑み、爆発的に増加した運動エネルギーをその身で受ける。
ジルのショートソードに込められた最後の能力。相手の能力をコピーする情報操作系の能力『他力模倣』。
一度でも敵の能力にショートソードを触れさせれば、自動的に能力に関する情報をトレースし、自身の能力の一つとして扱うことができる。
例によりBランクの力までしか引き出せないが、柚子の『力点収束』は力学的エネルギーを増幅させる能力。物理攻撃において、他を圧倒できる攻撃力を誇る。
元々の運動エネルギーが小さくとも、能力の限界までエネルギーの増幅につぎ込めば、金属でも粉々に砕けるほどの力には昇華できる。
コピーした能力の性質もそうだが、ジルが勝利を確信できる別の理由は、初見の『他力模倣』には奇襲の側面が強いため。
一般人と比べて人数が少ないとはいえ、現在世界中で多種多様な能力者が存在する。当然、能力研究の授業しかり、似た内容を持つ能力者も複数いる。
しかし、全く同じ能力が二人以上いるというのは、実は確認されていない。細かく能力を精査すると、どこか微妙に異なる点が必ず発見されるのだ。
また、『力点収束』は任意発動型が多い能力の中でも、常時発動型に分類される珍しいタイプの能力。同種の能力を持つ能力者自体が少ない。
『他力模倣』により任意発動型の能力となったことを除き、戦闘中にいきなり自分と同じ能力をぶつけられれば、大抵の能力者は混乱して反応が遅れる。能力者同士の争いでは、その一瞬の隙が決定打となりえる。
よって、『他力模倣』は高確率で有効打となりえる。
「…………ウソ、ダロ?」
そのはずだった。
思わず漏らしたジルの言葉。それが現実を如実に伝えている。
ジルはショートソードにコピーした『力点収束』にのみ能力を集中させ、柚子が迎撃に使った左腕ごと吹き飛ばすつもりで、一撃を放っていた。
「今のは危なかった。まさか俺の能力を使ってくるとは思わなかった。下手すりゃ腕が粉々にされてたな」
柚子は、ジルのショートソードと接触した左拳を固く握り、淡々と口にしながらも小さく安堵の息をこぼした。その表情に、いかほどの痛痒も受けた様子はない。ただ、剣との接触部分からは一筋の血が流れていたが、それ以外に目立った外傷はない。
「オマエ、どう、やって……」
「あんたのショートソードの接触面に力を集中させ、あんたが武器に加えた運動エネルギーとほぼ同じ力をぶつけて相殺したんだよ。俺の能力でできる、唯一の防御法だ。もっとも、多少の傷は負ったみたいだが」
その言葉に、ジルは戦慄を覚えた。
「バカな! アノ一瞬で、そんな芸当デキルわけがない! 情報系の能力者でもムズカシイことを、一般人とホボ同じ処理速度しか持たない肉体系の脳じゃ不可能なハズだ!」
柚子は簡単に言ってのけたが、それを実行しようとなると、緻密な物理学的ベクトル演算処理を、正確かつ瞬時に行わなければならない。
ショートソードの刃の幅、接触する拳の位置と面積、力の加わる方向と大きさ、その他にも細かい微調整。それら全てを計算し、ジルの剣と同質で真逆の方向へと寸分違わずぶつけなければ、勢いを殺すことなどできない。
柚子の能力が不足していればジルの攻撃が通り、過剰であれば逆に自身の力で己を傷つけてしまう。まさに諸刃の剣ともいえる防御法。
しかも、柚子はジルの能力『他力模倣』を知らず、ジルのショートソードをその身に受けて初めて『力点収束』が使われたことを知った。
つまり、ジルの攻撃の対処を、斬撃が接触し、腕を破壊しきるまでのほんのわずかな時間で、全ての計算を終えて実行したことになる。
「自分の能力についてはあんたたちと同じ、ガキの頃から散々仕込まれてきたんだ。俺は現在進行形の力学的エネルギーを反射的に計算できるよう、頭と体に叩き込んでる。そういう意味では、肉体系の能力者の脳みそも、一つのことに特化させれば馬鹿にできたもんじゃないぜ?」
幼少より能力を交えて稽古をすることが多かった優弥と柚子。その経験から、優弥は主に相手を投げる際のタイミングなど細かな技術を学び、柚子は能力に必須なベクトル概念を体得。
柚子の場合は何度も攻撃を受け、体感での衝撃を自身の主観で数値化し、計算している。ほとんどがその身に受けて覚えた、反射的な動作。
肉体系の能力者は運動神経が高く、運動に関しては伸びしろも大きい。その恩恵で、今の柚子と優弥があるといえる。
「表情を見る限り、今のがあんたの奥の手らしいな。なら、そろそろ終わらせるぞ!」
「…………ッギ!」
柚子は受け止めた腕で剣をはじき返し、右足の上段蹴りをジルの左肩に突き刺した。
うめき声とともにショートソードを取りこぼすジル。もはや剣を振るどころか、握ることさえできなくなった手は痙攣している。
「あんたは俺の怒りを何度も買っている。度重なるエロ発言に、これだけの人数の前で肌を露出する羽目になった恥辱。それに何より、警告をしたにも関わらず俺の名を二度も呼んだ。忘れたとは言わさねぇぞ!」
すでに戦意を喪失しているジルに向け、柚子は激情を晴らすように左手で一撃を見舞う。ジルの顔面をとらえた拳は能力の助けを借り、ジルの体を数メートル吹き飛ばす。
「ウ……ア……」
倒れ込んだジルの口からは、呼吸とともに言葉にならない音が漏れでる。視線は虚空を漂い、意識もはっきりしていない。
「あんたの敗因は、Dランクの俺を舐めすぎたことと、俺をキレさせたことだ」
ゆっくりとジルへ歩み寄り、柚子は彼の胸ぐらを右手で掴み上げ、目線の高さを無理矢理合わせる。脱力しきった男性を片手で持ち上げることを、柚子は能力を使用して実現。
「俺を本気で怒らせたらどうなるか、その身に刻んで覚えとけ!」
柚子は再び左拳を強く握り込み、大きく振りかぶる。
ほどなくして射出されたそれは、ものの見事にジルの鼻頭を折り、かろうじて繋がっていた意識の糸をぶっつり切断した。
後ろに大きくのけぞった頭を揺らし、ジルは背中から地面へと倒れ込んだ。
起きあがってくる気配は、ない。
「そこまで」
すると、これまで口を挟まず静観していた審判役の琴葉が口を開く。同時に、待機していたカンナが障壁を解き、フィールドへと入ってきた。
「……は?」
そこで、柚子は目の前に現れたものを見て、間抜けな声を上げてしまった。ジルを殴った体勢のまま固まり、呆然と見つめるしかできない。
そんな柚子の心情を斟酌せず、琴葉は淡々と事実を口にした。
「勝者、ジル・レティツィア」
柚子の眼前を踊る文字群。
そこには、はっきりと「You Lose」と書かれていた。
『……ええええぇぇぇぇ?』
驚愕と疑問が入り交じった大勢の声をファンファーレにして、柚子とジルの対戦は幕を下ろしたのであった。




