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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

企画短編

労働死者

作者: 銀玉鈴音



 地下鉄に一番必要な物は何かと聞かれたら、崇志は『窓』と答える。

 窓が無い地下鉄は、車輪の付いた鉄の棺桶だ。



 地下を走る列車に『窓』は意味が無い。

 意味が無いから廃止された。車体の剛性を少しでも上げる為にだ。

 今、崇志が乗っている地下鉄には一切の窓が無い。


 ガタンゴトンと轟音を上げる地下鉄に揺られながら、今日もきっちりと整えられたスーツにネクタイを締めて、血の通っていない青白い顔で崇志は会社に向かう。


 生前は葬儀会社の営業だった崇志の仕事は無くなっていた。

 崇志が亡くなる前に同僚に引継ぎが出来た事は良かった。少なくとも仕事が無くなる事は無いのだから。


 崇志の今の仕事は会社に行き、机にずっと座る事だ。

 机があるだけでもマシなのだろうか、ブラック会社に勤める労働死者が『ずっと立っているだけ』という仕事を押し付けられたと言う話を、労働死者に対する虐待だと評する朝の新聞を読みながら崇志は錆び付いた心を必死に動かそうとする。


 怒りも同情も、何も感じなかった。

 ただの文字の羅列、それ以上の意味が崇志には受け取れない。


 どちらにしても、悪名高い労働死者雇用促進法のおかげで首を切られる事が無いのだ。切りたくても、切られたくても、同じ会社に縛られ続けるわけで、多少扱いが酷かろうが何だろうが、大して崇志には関係が無い。

 立とうが、座ろうが、仕事と言う果実が無いのだ。


 この身が朽ち果てるか、会社が朽ち果てるまでこの地下鉄で出社し、会社の机に座り、定時になったら帰り、またこの地下鉄で帰宅するのだろう。

 ただ、今のところは今朝の朝刊記事と比べるとホワイトな扱いをしている自社の労務部に関しては、崇志のすっかり薄くなった心でも感謝をしている。


「――まだ感謝が出来る」

 崇志は淀んだ視線を朝刊から中釣り広告に向け、呟いた。感情の揺らめきが生まれた事で、何か口にしなければいけないような気がしたからだ。


 地下鉄碑ヶ史山通り線。逸者(いっしゃ)から神社(かみやしろ)へ向かう最中に、旧タイプの車両なら必ず備えていた『窓』が意味を持つ区間がある。地上を走るのだ、地下鉄が。


 かっての崇志なら空が青いか、曇っているか、それとも雨なのか。過労で倒れる前の日常ならば楽しむ事が出来ただろう。だが、今の崇志には出来ない。


 窓がふさがれた地下鉄では、それが出来ない。

 ……尤も、窓がふさがっていなくても出来るわけがないが。


 崇志は少し眉根を寄せて、悲しく感じるフリをする。

『何事もトレーニングです、感情をなくしてはいけません。まずは表情筋が硬直しないように全身で表すようにしましょう』

 無責任に言い放つカウンセラーの言葉を思い出す。思い出すだけで怒りがこみ上げた日が崇志には懐かしい。

 いや、懐かしいという感情が生まれるだけでも儲けものか。今日の崇志は少々調子がいいようだ。

 ガタンガタンと揺れる列車の車輪の音が変わる。籠ったような音から、少し開けたような音へ。


 窓が無い地下鉄から外を望む事は出来ない。

 だが、崇志に残された想像力でも、外の風景を想起する事は容易であった。

 街中に蘇った死者が溢れ、日々の生活を送る。死んでいるのに生活とは、全く滑稽な話だとは思う。

 今日も延々と犬の散歩に明け暮れる死体や、学校へ登校する死体が見れる事だろう。中には生者も混じっている事だろうが。


 某国が開発した細菌兵器か、ウイルス兵器が原因という噂はまことしやかに流れていたが、誰もそれを証明する事は出来なかった。

 ゾンビ病と名付けられたその病気は、死人が蘇るという一種おぞましい症状を発症する。

 感染者は世界全体で数億人とも言われ、一時は世界が滅びるのではないかとも噂された。


 ただ、まぁ、噂は噂だ。実際に世界は滅びなかったのだから。


 蘇ったゾンビ達は、肉が腐るわけではない。

 腐って無くなっていくのは、心なのだ。


 崇志を乗せた地下鉄は、荒々しい音を立てながら地下の駅へと滑りこんだ。

 こんなにも荒々しい運転を出来るのは、生者だからだろう。

 死人相手の商売だから荒々しく運転しても良いのだ。どうせ崇志達が抗議しようと考える事は無い。

 磨耗した心を少しでも守ろうと車掌も必死なのだろう。


 ガツッと強烈な衝撃が走った後に、プシュウと空気の間の抜けた音。滑るように窓の無い地下鉄の扉が開く。

『まもなく、終点、不死ヶ丘(ふじがおか)……お忘れ物の無いようにご注意下さい。お出口は右側です……』

 陰湿なアナウンスと共に乗客がホームに吐き出された後、鉄の棺桶の蓋は滑るように閉まり、ゆっくりと引き上げ線に向かう。

 

 改札へ向かう途中、ホームから駅のレールの上をふと崇志は見た。

 崇志の同僚が一人分、レールの上に()った。動き出す気配は無い。


 ――ああ、お前は持ってたのか、天国行きへの切符を。


「だけどまぁ、それとは別に、葬式を挙げるなら自社(ウチ)で上げるようにあらかじめ手配しておけよ」

 崇志の仕事は座る事だけだ。

 ただ、ちょっと口を出してもいいだろうと思う。愛社精神も磨耗しないようにしないとな、と嘯きながら、止めていた足を再び動かし始める。





 今日もまた、変わらない一日が始まる。

 生者も死者も心を腐らせながら――

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― 新着の感想 ―
[一言] こんな感じの作品がもっと見たいな!
[一言] 死んでも死にきれねえ(物理)。 それまでの常識ではあり得なかった「死」の体験者がありふれている世界ですか。 生者である以上経験則的な死を観測出来なかった時代は過ぎ去り、死してなお理性的に日常…
[一言] はじめまして。 とても面白かったです。死人のように生きている人間と、生きているような死人。 飛び込みした同僚は生者なんですよね?ゾンビになった人たちは自分では死ねないんですか?心がないか…
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