表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/47

第5話

 ナンパ事件の翌日、残業を終えて家に帰ると部屋は静まり返っていた。

 電気がついているからあいつも帰ってはいるはずだが……。


 スーツから着替えてリビングへ。

 するとソファでぺしょぺしょになった戦友がうつ伏せで横たわっていた。


「おかえりなさい、藍野くん……」


 力のない声で鳴宮は呟く。


「あ〜今日はお疲れモード?」


 こく、と頭だけが動く。

 昔も大きなプレゼンの後やイベントの翌日はこうなってたっけ、懐かしい。


 ソファの肘掛部分に座ってスマホを取り出す。

 俺にできることと言えば、彼女が話し始めるのを待つくらいだ。


 数分後、鳴宮はもぞもぞと動き出す。


「労わって!」


 彼女が顔を上げてこちらに擦り寄ってきた。

 よく見ればまだ着替えてないのか……もしかして晩ご飯もまだか?


「はいはい、晩飯作るから待ってろよ」


 偽装といえども夫婦は夫婦。二人で暮らしていかねばならないのだ。

 料理に洗濯に掃除と、家事はできる人間がやればいい。


「ん〜その前に撫でて!」


 距離感がおかしいだろ。


「どうした、幼児退行か?」


 ぬるりと伸ばされた彼女の手は俺の手を掴むと、強制的に頭の上に乗せた。

 さらさらの髪が指の間を通り抜ける。


「つーかーれーたー!みんなして相手は誰なんだとか、いつ結婚したのかとか、式はするのかとか」


 あぁ……昨日ナンパしてきた何某君に結婚したって堂々と言い放ってたもんな。


「こっちは人間関係に波風立てずに仕事したいだけなのに」


 再びぺしょっと溶ける鳴宮、頭上の手はそのままに。

 指の先から熱と呼吸が伝わってくる。


 どこか背徳的な感覚。


「あと5分……いや2時間はこのままで……」


「2時間は長すぎるから5分な」


 ゆったりと手を前後に動かすと徐々に上がる体温。彼女は身体をよじる。


 やがて永遠にも思える約300秒が終わり、鳴宮は身体を起こした。


「充電完了!ありがとう藍野くん」


「急速充電だな、スマホにも導入したいくらいだ」


「バッテリーに悪そうね……あ、5分でこれだけ回復するならさ、」


 ふと彼女の言葉の続きがわかる、わかってしまう。

 どう考えても。


「それはナシだな」


「なんでよ〜!会社でも休み時間にちょっと会うくらいじゃない」


「誰かに見られたらどうするんだ」


 空いている会議室に非常階段の踊り場、自販機の前が安全なのはフィクションの中だけ。

 会社にいる以上、常に誰かの視線を気にしなければない。それが悲しくも社会というものだ。


「もし見られたら、ね。私たちの整然とした夫婦っぷりを見せつけてやりましょう!そう、こんな風に」


 一度は離れた手が再び彼女の頭に添えられる。

 もう自分で撫でられに来てるじゃないか。


「はいはい見られたらな〜そんなことにはならんが」


「んふ、言質取ったからね……それじゃ、ご飯一緒に作ろっか!」


 それだけ言い残して、鳴宮は上機嫌にキッチンへと踊り出した。

 急速充電というのは本当みたいだ。


◆ ◇ ◆ ◇


 大皿に入った麻婆豆腐をレンゲで掬う。

 手早くできて簡単、やはり食品会社には頭が上がらない。


「これ、せっかくフライパンから一枚の大皿に移して、そこから各々自分の皿に入れるなら、最初からそれぞれの取り皿に入れればよかったのでは……?」


「と思うじゃん?」


 にひっと口の端から息を漏らす。


「こういうのが夫婦としてやっていくために大切だと思うの。同じ釜の飯を食う、じゃないけど、しなくてもいいこと敢えてをしましょうよ」


「洗い物増えるじゃねぇか」


 鳴宮は人差し指を天に向けると左右に揺らす。

 その自慢げに唇を尖らすのやめてくれ、かわいいが。かわいいけど。


「甘いわね、藍野くん。それですら愛おしいのよ、新婚というのは」


 言われて思い出す。そうか、俺たちって新婚なのか。

 指輪も渡してなければプロポーズもまだ、式を挙げたわけじゃないし新婚旅行にも行ってない。


 それら全部を含めて考えるなら、少しばかりは彼女に歩み寄ってもいい気がしてくる。

 まぁ必要経費だ。


「あら、『ちょっとくらいは鳴宮に合わせてもいいかな』って思った?」


「ナチュラルに頭の中を読むな。どんな特殊能力だ」


「これくらいは乙女の嗜みよ。あと家では『ひな』って呼んでみない?親の前で苗字呼びは変だし」


「乙女……ねぇ」


 御歳28、俺はもうおじさんって呼ばれ出す歳だぞ。


「あー!言っちゃいけないこと言ったんだ!」


 むきーっと顔のパーツを真ん中にぎゅっと集めて、彼女は麻婆豆腐をかき込んだ。


 みるみるうちに皿が白色に侵略されていく。


「正直な話をすると、私は新婚旅行とか別にどうでもいいと思ってるの。あなたと(・・・・)結婚できたし、それでいいの」


 落ち着いた口調に戻る。

 目を伏せて薄く笑みを湛えた彼女は、まるで美術館に展示されている神話を表した彫刻のようで。


 その美しさに、豆腐と一緒に言葉を飲み込んでしまう。

 辛口のはずなのに、甘い。


「だからナチュラルに頭の中を見るなって」


 沈黙を守れたのはたった数秒。


「あなたがわかりやすいのがいけないの」


 あれだけ剛毅に食べたのに口の周りは綺麗なまま。

 そんな所作にすら気付いてしまうのは、あの頃より距離が近くなったからだろうか。


「それじゃ、じゃんけんといきましょうか。今宵の洗い物をかけて」


 楽しそうに笑った彼女は、拳を握りしめて俺へと突きつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ