第2話
お見合いが終わって少ししてから。
婚姻届を出して書類上は夫婦になったものの、生活がそうそう変わるわけじゃない……なんて思っていた俺が浅はかだった。
あれよあれよという間に引越しが進み、会社から数駅離れた2LDKのマンションに生活拠点を移すこととなった。
鳴宮、なんて仕事のできる人間なんだ。
一通り荷物の整理が終わって、ソファに座り込む。
「あ〜疲れた……こんなに急いで引越しする必要あったか?」
台所でお湯を沸かしている鳴宮に聞く。
「親もびっくりしてたもんね……あ、ブラックでよかったよね?」
「おう、すまんな。そりゃスピード婚にも程があるからな」
彼女はマグカップを両手に持ってソファに腰掛ける。
「そこは『俺がコーヒーはいつもブラックなこと、覚えてくれてたんだな。好きだぞ、ひな』って言うところでしょ?」
口に含んだコーヒーを吹き出しそうになる。
いつもより甘い気がするのは、きっと気のせいだ。
「そのキザなセリフ言ってるやつ、俺か?」
「あなた以外に誰がいるのよ」
「似てないし、人生で言ったことないセリフを言わせるなよ」
「初めてならなお良しね。ほら、リピートアフターミー」
彼女はカフェオレの入ったカップを机に置く。
まったく悪ふざけが過ぎる。
俺とお前はただの同期、そうだろう?
「言うわけないだろ」
俺もマグカップをテーブルに置いて、部屋を見回す。
つい最近まで住んでいた単身用1Kとは比べ物にならないほど広い。
どこか自分の家とは言い難い香りに、嫌でも環境の変化を自覚させられる。
「どうしたの、きょろきょろして」
モコモコのパジャマに身を包んだ鳴宮が言う。
こいつ、家ではこんなかわいい服着るんだ。
「いや、唐突に一人暮らしが終わったなぁと」
数年間の快適生活ともこれでおさらばか。呆気なかったな。
家が会社に近くなったのはありがたいが。
「夫としての自覚が出てきたって認識で合ってる?」
すぐ話が飛躍するんだから。
「合ってない!……あ、というかお前の分の結婚指輪買わないとな」
この偽装結婚において一番大切なのは、鳴宮が左手の薬指に指輪を嵌めること。
RPGゲームじゃないけれど、魔除けのアイテムだ。
「あなたの分もね」
「えっ……俺もするのか?」
「当たり前じゃない。妻だけ指輪を着けるなんて、そんな恥ずかしいことさせるの?旦那様は」
旦那様と呼ばれた瞬間、肌が粟立つ。
こう、世の結婚を渇望している男性たちに申し訳が立たないというか。
とはいえ、とはいえだ。
企画課で猛威を振るっている鳴宮に口で勝てる気がしない。ここは大人しく従っておこう。
両手を挙げて降参のポーズ、鳴宮は満足気だ。
「経理と企画は場所的には遠いから、簡単にはバレないだろうしな」
「ん?」
「ん?」
同じトーンの声で二重奏。
「私、苗字藍野になるじゃない」
「書類上はな」
「え?」
「え?」
こいつ、藍野姓で仕事するつもりか……?
名刺だけじゃなくて、印鑑や社内システム、相手方へのお知らせもあるからそのままいこうや。
「な、鳴宮って苗字せっかく綺麗なんだから、そのまま使おうぜ。ほら、社内手続きとか大変じゃん。先方にも言わなきゃだし」
会社で藍野姓なんて名乗られてみろ、針のむしろだぞ。
屍の山の一部となった男性社員がゾンビになって起き上がり、どんな目で見られるか……。
最悪ボディガードを雇う羽目になるかもしれない。
「ま、それもそうね。じゃあ今はそのままにしておこうかしら」
何もかも見透かしたような目でこちらを見ながら、戦友はそう言った。
結婚の手続きで思い出す。
あぁ、大事なことを忘れてるじゃねぇか。
「すまん、そういえば婚約指輪もまだ渡してないわ……プロポーズもしてないし」
偽装とはいえせっかくなんだ、引越しもあって給料3ヶ月分をすぐにぽんっと出すのは難しいにしても、それなりのものを。
「んー……」
顎に指を添えて少し悩んだかと思うと、鳴宮はにっこりと笑った。
「じゃああなたが本当に渡したいと思った時に、とびっきりの言葉でプロポーズして欲しいな」




