ラムネと亡霊
現実なんて、無くていいのに
汗で服が肌に張り付いて、その不快感で目が覚めた。
この汗の原因は、夏の暑さだけではない。連日見る夢のせいだ。
割れたラムネ瓶を頸動脈に突き刺されて死ぬ夢。ここ最近は、全く同じ夢を見ているような気がするが、死因以外のことは鮮明に思い出すことができない。逆に、死因だけははっきりと覚えていられることが気味が悪い。
少し歯がゆい気持ちが残っていたが、夢なんてこんなものだろうと割り切って起き上がる。時計を見ると、針はまだ六と七の間を指している。夏休みにしては早起きしすぎたかもしれない。せっかく祖父母の家に来ているのだから、もう少しのんびりしたいものだ。
顔を洗ってさっぱりしようと、洗面所に向かう。扉を開けようとしたところ、従妹の千夏と鉢合わせた。
「あ、おはよう、カイ兄ちゃん」
「ん……おはよう……」
僕の名前はカイではないし、こいつの兄ちゃんでもない。しかしもう何年も言われ続けているから、否定するのも面倒だった。
「今日は早起きなんだね。昨日なんてお昼までぐうたらしてたのに」
「昨日はたまたまだよ。布団が僕にしがみついて来たんだ」
「ふふ、嘘ばっかり」
もちろん嘘だ。真夏だというのに、布団にそんなことをされては困る。
いたずらっぽい笑顔を浮かべた千夏の脇を通り、洗面所の前に立つ。寝起きでボサボサの髪と、とぼけた表情が鏡に映る。顔を洗ってドライヤーをしたが、髪型は整ったが表情はあまり変わらなかった。どうやら元からこんなもんだったらしい。
「ねえ、カイ兄ちゃん。連れてってほしい場所があるんだけどさ」
ここに帰ってきて千夏と会うと、いつもこういった頼み事をされる。こいつを何度自転車の後ろに乗せてあぜ道を走ったことか、数えきれない。
「別にいいけど。どこに行きたいんだ?」
「この前行った駄菓子屋さん。またあの景色を見ながらアイス食べたいなーって思って」
家から自転車で十分ほど走ったところに、古くから続く駄菓子屋がある。店の前には田園風景が果てしなく続いていて、なんともノスタルジックな雰囲気を醸し出している。
「分かった。でも、メシ食べてからな」
「うん、ありがと」
そう言い残すと、足早に去っていった。
もう少し寝室でごろごろしていようと思っていたのだが、どうやらそれは叶わないようだ。
じいちゃんの自転車に乗ろうと思っていたのだが——、タイヤはパンクして、ところどころが錆びついている。じいちゃんももう年だから、乗る機会がなくなったのだろう。とても乗れそうにはなかったので、駄菓子屋には歩いて向かうことにした。
空から降り注ぐ日差しに加えて、今日は風が少ない。じっとりとした暑さに襲われて、やっぱり家に籠っていればよかったかと思ったが、千夏の笑顔を見ると、そんなことは言い出せなかった。
「ねえ、カイ兄ちゃん。手繋いでもいい?」
「……お前なあ、もう小学生だろ? 僕に甘えるのはもう卒業しろよ」
それに、僕ももう高校生だ。従妹と手を繋いで歩くというのは気恥ずかしいものがある。
「まだ小学生だもん。子供は甘やかされるのが仕事なんだよ?」
「随分と楽な職業だな」
「私は将来、このビジネスで億万長者になるんだから!」
「いつまで子供でいるつもりなんだ、お前……」
甘えが職業なら、収入源は親からのお小遣いだろうか。
低収入だ。
仕方ないから、手は繋いでやった。ひんやりとしていて、柔らかい手だった。
いや、ひんやりと言うよりは——
「なんか冷たいな、お前の手」
「カイ兄ちゃんが熱くなってるだけじゃないの? 私と手繋いで照れてるんでしょ」
「そんなわけないだろ。僕を誰だと思ってるんだ? 百戦錬磨のカイ兄ちゃんだぞ」
「へー。女たらしなんだね」
「…………」
よくないワードセンスだ。非常によくない。
「言っておくがな、僕は案外一途な男だぞ」
「実直なんだね」
「そうだな」
「失職なんだね」
「そ……れは違うな」
自分が既にビジネスを確立しているからと言って、人を勝手にニートにしないでほしい。
いやそもそも、学生は失職しない。まだ就職さえしていないのだから。するとしたら退学だ。
「もし本当にそうなったら、私が養ってあげるからね」
「情けなさすぎるだろ、従妹のヒモとか……」
そんな話をしているうちに、駄菓子屋に到着した。昭和の景色をそのまま切り取ったかのような、レトロな建物。前方には田んぼ、背景には一面にひまわりが咲き誇っている。
中に入り、千夏はスイカバーを、僕は瓶のラムネを買ってから、再び外に出る。一度遮断されていた、暑さを搔き立てる蝉の声が、また僕らを襲った。
昔から何度も飲んでいるからだろうか、ラムネは簡単に開けることができた。中身を口に運ぼうとしたところで——、千夏がこちらを見ていることに気が付いた。
ただ、静かに。僕を見ている。
「どうかしたか? 早く食べないと、アイス、溶けるぞ」
「……うん、ちょっと、考え事してただけ」
千夏はアイスを一口かじる。そして俯いたまま、再び喋りだした。
「もう叔母さんから聞いたかもしれないけど……、私、都会の病院に行くことになったんだ」
「ああ。知ってるよ」
「病気が悪くなってきちゃったから……。あんまり会えなくなっちゃうかもね」
「……そうだな」
「寂しい?」
「それは——」
それはお前の方だろ、と。言いかけたところで、何か違和感を覚えた。
違和感というか、既視感というか……、同じような会話を、以前もしたような気がする。
昨日も、一昨日も、その前も。毎日のようにしていたような……。
一つ気づいてしまえば、他にも既視感はたくさんあった。
寝起きですぐに千夏と鉢合わせたこと、駄菓子屋に行きたいとお願いされたこと、スイカバーとラムネを買ったこと、このベンチに二人で座ったこと。
初めてのはずなのに、何度も、何度も繰り返していたことのように、何度も経験したかのように感じる。
「——なあ、千夏」
それを聞いてしまえば、何かが壊れてしまうかもしれなかった。だけど、聞かずにはいられない。
「この話、前にもしなかったか?」
「……………………」
返ってきたのは、長い沈黙だけ——では、なかった。
目線。
両目いっぱいに涙を溜めて、嬉しさと悲しさが混ざりあったような目線を、こちらに向けていた。
それに驚いて、思わず手を滑らせて、ラムネを落としてしまった。
瓶が割れる、甲高い音が静かに響く。
その音を聞いて、はっきりと思い出す。
『今日』という日の記憶を。
長い、長い、記憶を。
「な、なんだよ、これ……」
僕が、何度も死んでいる。
殺されている。千夏に。
「やっと、思い出してくれたんだね」
「思い出すって、何を……? 僕は一体、何を思い出したんだ?」
「私たちは、繰り返してたんだよ。この一日を。ずっと、何回も。今、カイ兄ちゃんの頭の中にあるのは、そのときの記憶だよ」
それはつまり——、ループしているということ。マンガの世界のように、同じ時間をループしている。
「いや、なんでだよ……」
「……私のせいなの」
親に怒られているときのように、申し訳なさそうに目を伏せる。溜まっていた涙が零れて、地面に歪なしみを作った。
「私が、カイ兄ちゃんのこと、殺しちゃったから……。大好きなのに殺しちゃったから。 ずっと一緒にいたいって……思っちゃったから……。だから、カイ兄ちゃんも巻き込んじゃったの」
しみは、どんどん広がっていく。
本当は、言いたいことはたくさんある。
だけど、こんなに悲しそうな姿を見せられては、叱ることも、怒鳴ることも、できそうになかった。
「それで……、いつまで続くんだ、これ」
「このままだと、いつまでも終わらない。永遠に続く。……たぶん」
言いながら、千夏は僕の足元にある瓶の破片のうち、一番大きなものを拾い上げる。
また僕を刺すつもりかと身構えたが、どうやらそのつもりはないらしく、破片を胸元に抱き寄せた。
「じゃあ、僕らはどうすればいいんだ?」
「カイ兄ちゃんにできることは、私を好きになることだけだよ」
「そいつは……難しい話だな」
「だからね、私がなんとかしなきゃだめなの」
そして千夏は、おもむろに破片を自分の首元に当てて——、
深く、突き刺した。
「…………⁉」
「ぐっ……、ぅ」
破片をすぐに引き抜くことはせず、千夏は自分の首を、大きく引き裂いた。
僕にしたときと同じように。
何度も僕を殺したのと、同じように。
大量の血が、辺りに飛び散る。僕の頬にまで温かい感覚があり、そして千夏は、地面に倒れこんだ。僕はそれを両腕で抱え込む。
「……、っはは……痛いなぁ、やっぱり……」
浮かべた笑顔は、涙と苦痛で歪んでいた。
「お前……っ、なんで、こんなこと……」
「このループはね……、私の、カイ兄ちゃんへの想いのせいで起こってるの。だか、ら……私が満足できなくても……っ、諦めさえ、すれば、済む話だったの」
苦しそうに、荒い呼吸を交えながら、言葉を紡ぐ。
「カイ兄ちゃんを殺さずに、私だけが死ねば……。私たちの心中が、なかったことになって、ループも……っ、終わる、はず……」
だからって、一人だけで苦しむな——なんてことは、言えなかった。
一緒に助かる方法を考えよう、なんて言葉は、思いつきもしなかった。
いくら従妹とはいえ、自分を殺した相手を思いやれるほど、僕はできた人間ではない。
「じゃあね、カイ兄ちゃん……。一緒に過ごせて、夢みたい、だった、よ……」
そして千夏は、静かに息を止めた。
僕の方からおやすみのキスをする気分には、とてもなれなかった。
その日、ある都市部の病室にて、一人の少女が息を引き取った。
数か月に渡り眠り続けた後、まるで優しい夢でも見ていたかのように、幸せそうな面影を残して、この世から去った。
静かに雪の降り注ぐ、冬の日のことだった。




