貴内条:(共和)十節~十一節
十、楚蠟治国八年死。然後「丙虎」選。丙虎下民。有武。因功禦下原、為将民信篤。丙虎曰「天無上下、地無広狭、人無貴賤。之然。而、乾坤有上下。天上無窮。地下不易。因自有別。云徳輶如毛。故有徳者必軽、小人必重。之如天軽上、地重下。是以民必有上下。此理乱則莫天地、民不治。故我正之。」丙虎復上中下民。
十、楚蠟国を治むること八年にして死す。然る後、丙虎選ばる。丙虎は下民なり。武あり。下原を禦ぎたる功によりて、将となり、民の信篤し。丙虎曰はく「天に上下なく、地に広狭なく、人に貴賤なし。これ然り。而れども、乾坤上下あり。天は上に窮りなく。地は下に易ず。因りて自づから別あり。云ふ徳の輶きこと毛のごとし。故に徳ある者は必ず軽く、小人は必ず重し。これ天は軽くして上り、地は重くして下るがごとし。ここを以て民は必ず上下あり。この理乱れば、則ち天地なく、民は治らず。故に我はこれを正す」と。丙虎、上中下民を復す。
十、楚蠟は国を八年治めて死んだ。その後、丙虎が選ばれた。丙虎は下民であった。武の才能があり、下原の侵攻を防いだ功績で将軍となり、民の信頼も厚かった。丙虎は「天に上下がない、地に広い狭いがない、人に貴賤がない。これらはその通りだ。しかし(天の中で上下がないとはいっても)乾坤には上下があるではないか。すなわち天は上に限りなく、地は下にあって動くことはないのだ。したがって、天地には自ずと上下の区別があるのだ。昔から徳は毛のように軽いといわれている。そのため、徳のある者は必ず軽いし、つまらない人間は必ず重いのだ。この理は天が軽いために上り、地が重いために沈むようなものだ。そのため(本来の人の素質として尊い卑しいというものがなかったとしても)民には必ず上下がある。これは(ちょうど軽いものが上に、重いものが下にいくというような)自然の道理であるから、これが乱れていては、(原初において天地が別なく無であったように)天地はなくなり、民も治まらない。だから私はこれ(楚蠟の制)を正しくする」といった。そうして、上民中民下民の身分制度を復活した。
十一、丙虎治国三年。糟瀞攻貴内。丙虎遣子超胡于華太。華太王連衡貴内。
貴内華太戦糟瀞於毬屯。糟瀞敗退毬屯。華太更追之、攻糟瀞於触太。是於糟瀞王入辺死。
貴内華太、二分糟瀞之治国。以貴内併下原九馬、華太呑糟瀞、入尾、赤広。
十一、丙虎国を治ること三年。糟瀞、貴内を攻む。丙虎、華太に子の超胡を遣す。華太王、貴内と連衡す。
貴内と華太は毬屯にて糟瀞と戦ふ。糟瀞敗れて毬屯を退く。華太、更にこれを追ひ、攻触太において糟瀞を攻む。ここをもって糟瀞王、入辺死す。
貴内と華太、糟瀞の治国を二分す。以て貴内は下原、九馬を併せ、華太は糟瀞、入尾、赤広を呑む。
十一、丙虎が国を治めて三年、糟瀞が貴内を攻めた。丙虎は、息子の超胡を華太に派遣した。これによって華太と貴内は連合軍を作った。
貴内と華太は毬屯で糟瀞と戦った。糟瀞は敗れて毬屯から退却した。華太は追撃して、触太の地で戦いとなった。ここで糟瀞王の入辺が死んだ。
貴内と華太は糟瀞の領土を分割した。貴族は、下原、九馬の地を獲得し、華太は糟瀞、入尾、赤広の地を得た。
十、
乾坤:天と地
「徳輶如毛」:中庸(礼記)からの引用。
「之如天軽上、地重下」:神代記一節を参照。




