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貴内条:(明爛)四節
四、明爛二年、大倭亡刈部。以刈部民衆流于貴内。刈部為奴婢。
明爛五年、王死。子「胡胴」嗣之。於是、奴婢叛王。乱数二年、遂王中矢而死。王、在二子兄明燉、弟寧礼。明燉討寧礼而為王。寧礼率刈部、遷于赤広。
四、明爛二年、大倭刈部亡ぼす。以て刈部の民衆く貴内に流る。刈部は奴婢となる。
明爛五年、王死す。子、胡胴これを継ぐ。ここにおいて、奴婢、王に叛く。乱数えること二年、遂に王矢に中りて死す。王、二子あり。兄明燉、弟寧礼。明燉、寧礼を討ちて王となる。寧礼は刈部を率い、赤広に遷る。
四、明爛の治世二年目、大倭が刈部を亡ぼした。そうして刈部の民がおおく貴内に亡命してきた。刈部は貴内の奴隷となった。
明爛の治世五年で王は死んだ。子の胡胴があとを継いだ。このとき、奴婢が王に反逆して乱を起こした。乱は二年続いたが、ついに王は、敵の矢にあったって死んでしまった。王には二人の子供がいた。兄は明燉、弟は寧礼という。明燉は寧礼を倒して王となった。寧礼は刈部をひきつれて赤広に遷った。




