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5話

 屋敷の一室。従者が丁寧に整えた寝具は、今朝も乱れることなくそのまま残っている。

 そもそもルシアンに眠りは不要だ。だがユーリックは毎晩欠かさず寝室を整え、朝には食卓を用意している。彼はその律儀さに感謝しながらも、何も変わらぬ寝具を前にすると、少し心苦しくもなる。


 窓辺に立ちながら、ルシアンは指先でガラスを軽く撫でる。冷たい感触の向こうに広がる光景を眺めながら、思考は自然と一人の従者へと向かっていった。


 ――私の知らない方、なのですか?


 あの時のユーリックの声音は、確かに揺れていた。だからこそ、過去のことには触れさせたくない。だが、そう伝えたところで素直に納得する従者ではないのも分かっている。


(賢い子だ。薄々気付いているのだろうな)


 ルシアンが血を分けた、数少ない存在――真祖カイラム。能力はルシアンより劣るが、それでも人の手に負える相手ではない。そして何より、ユーリックにとっては羨望の対象となるに違いない。


 だが――ルシアンは望まない。

 彼に同じ力を与えることも、眷属に変えることも。


(……お前の願いは叶えてやれそうにない)


 そろそろユーリックの来る時間が近い。

 ルシアンは椅子に腰を下ろし、いつものように従者を待つのだった。




 街外れの空き家。

 そこは噂通り、長らく人の手が入っていない様子を残していた。庭は荒れ、窓には埃が積もり、塗装の剥げた扉が夜風に軋む。


 けれど――完全に荒れ果てた廃屋というわけではない。

 扉の前には踏み固められた足跡が残り、窓の隙間からは淡い灯りが漏れていた。確かに誰かが、この家で暮らしている証だ。


 ユーリックは思わず息を呑む。噂は真実だった。

 隣に立つルシアンは、赤い瞳を細め、微かに口元を歪める。


「灯りはつけっぱなしだが、家主は不在のようだ」


 もし住人が例の人物なのだとしたら、今頃は“調達”にでも出かけているのだろう。そう推測すると、ルシアンは不在と知りながらも、無遠慮に扉へと歩みを進めた。


 軋む音とともに開かれた扉の向こうから、よどんだ空気が流れ出す。ユーリックもそれに習い足を踏み入れる。室内は放置されたままのようでありながら、確かに人が暮らした痕跡を残している。

 埃とカビ――その奥にする腐敗臭が鼻を刺し、湿った床には新しい足跡が泥を残している。古びた家具の上には使いかけの食器が置かれ、わずかに乾きかけた液体が残っていた。



 さらに奥の部屋へ進むと、ユーリックは思わず息を呑んだ。そこには粗末な机が据えられ、乱雑に散らばった紙片と薬瓶にまぎれて、血の気を失った何かが置かれている。白く乾いた体の一部――吸血鬼のものと思しき断片が無造作に積まれ、刃物で切り分けられた跡が生々しく残っている。


 人の暮らしと狂気の作業場が同居するこの部屋に、息を潜めるような沈黙が満ちていた。



「ふむ……なるほどな」


 呆気にとられているユーリックをよそに、ルシアンは机に散らばる紙片を拾い、目を走らせていた。感心しているようで、それでいて怒気を含んだ声音に、ユーリックは思わず足元の紙片を手に取る。


「……なんだ、これ。とても人間の考えることじゃ……」


 震える声でそう漏らしたユーリックの耳に、紙をめくるルシアンの指先の音だけが冷たく響く。


『試行第十二号:組織片の接合、拒絶反応により壊死。結合部は崩落、保存不能。失敗。

 移植の限界。形質の乖離が大きすぎる。異種の血統は馴染まない。

 代替案:血液サンプルより核因子を抽出。断片的形質から新たな個体を再構成できる可能性あり。』



 ルシアンは冷たく紙片を見下ろした。そこには――繋ぎ合わせの失敗と、血から“再生”を試みるらしい走り書きが混じっていた。どれも具体的ではなく、しかし十分に狂気めいていた。


「……さて、キミはこれからどうしたい?」


 唐突な主人からの問いかけに、ユーリックは動揺する。


「どう、とは……」

「キミが調査するべきと言ったんだ。私は、キミに従おう」


 その言葉に、胸の奥がざわつく。

 従者は主人に仕えるものだ。命令を受け、従うのが本分だ。なのにルシアンは、いつも大事な場面で判断を委ねてくる。

 まるで従者である自分を、対等に扱うかのように。


(本当に……意地悪だな)


 しばらく沈黙した後、ユーリックはぎこちなくも冷静に答えた。


「陛下に報告をしたほうがよろしいかと」

(本当は焼き払ってしまいたいが)


 ルシアンは小さく目を細め、どこか面白げに頷いた。


「なるほど。ならばそうしよう」


 紙片を机に戻すと、彼は足音も立てずに扉のほうへ向かう。ユーリックも続こうとした、その時だった。


 ――軋む音。

 外の扉が、風以外の理由で揺れた気配がする。


 ユーリックが息を呑むより早く、ルシアンは振り返り、赤い瞳を細めた。


「……戻ってきたか」


 その瞬間、足元に影が広がる。黒い波が床を飲み込み、ユーリックの身体を絡め取った。

 強く抱き寄せられたと思った次の刹那、影は形を失い、二人の姿ごと夜に溶けて消える。


 残されたのは灯りの漏れる廃屋と、夜風に揺れる扉だけだった。

 



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