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3話

 深い眠りに落ちたユーリックの寝顔をひとしきり眺めると、ルシアンはそっと視線を送っただけで魔力を緩めた。

「安心して眠るといい」


 静かに立ち上がり、外套を羽織る。足音ひとつ立てずに部屋を後にすると、屋敷の外は月光に沈んでいた。


 石畳を歩き、夜の街へと身を溶かす。人々が眠りについた後、吸血鬼だけが蠢く時間帯だ。

「さて……“真祖”とやらに、顔を出してもらおうか」


 気配を辿り、寂れた教会跡に足を踏み入れる。そこには、一人の影が待っていた。かつて己が血を与え、吸血鬼とした存在――。


「やはりお前か。余計な入れ知恵をしてくれたな」

 ルシアンの声は冷ややかに響いた。


「ご主人……いや、“始祖”ルシアン。私は、貴方に選ばれた存在です。だからこそ証明したいのです。人間よりも優れた存在であることを。人工の吸血鬼も、研究も……すべては、貴方に振り向いてもらうために」

 その瞳は狂気に染まりながらも、どこか子供が褒めを欲するような必死さを帯びていた。


「……カイラム。お前に血を分けたのは、やはり失敗だったな」

 吐き捨てるような言葉に、カイラムは一瞬肩を震わせる。だが次の瞬間、苦痛すら喜びに変えるように笑みを浮かべた。

「その言葉でさえ、貴方が私を見ている証です」


 月光に照らされた廃墟の教会。

 その中央で、カイラムは跪くようにしてルシアンを見上げる。


「私がこうして動いているのも、すべて貴方に見てほしいからだ。血を与えられたあの日から、私はずっと……ただ、その証明を求めてきた」


 必死に言葉を紡ぐその姿に、ルシアンの瞳は冷ややかに細められる。


「……認めてほしいがために、わざわざ人間を唆してまでやる事ではないだろう」


 吐き捨てるような声。

 カイラムは怯んだが、なおも縋るように笑みを浮かべる。


「違う……違うんです!これは必ず役に立つ!不完全な吸血鬼を超える、新しい可能性を……きっと貴方は、私を――」


 その言葉を断ち切るように、ルシアンが背を向けた。


「愚かだ。お前を認める未来など、永遠にない」


 短く突き放す声音に、カイラムの胸は締めつけられる。

 だがその冷たさすら、彼には確かな「視線」として刻まれていた。


「……はは……やっぱり、見ていてくださるんだ」


 ルシアンが振り返ることはなかった。

 ただ背を翻し、月夜の闇に姿を消す。


 残されたカイラムの笑みは、執念と絶望の狭間で震えていた。




 夜は静かに更け、やがて朝が訪れた。

 東の空が淡く染まり始めた頃、ユーリックは目を覚ます。昨日の疲れも残らず、深い眠りを与えてくれた魔法のおかげで、気分は驚くほど清々しかった。


 身支度を終え、ルシアンの部屋を訪ねる。

 扉を開ければ、眩しい朝の光を背にルシアンが椅子に腰掛けていた。穏やかな表情を浮かべ、まるで昨夜の外出など初めから存在しなかったかのように。


「おはようございます、ご主人様」

「おはよう、ユーリック。よく眠れたかな?」

「ええ、おかげさまで」


 そのやりとりは、いつもと何ひとつ変わらない。

 けれど――ユーリックの胸中には、微かな違和感が残っていた。ご主人様が何かを隠しているのではないか。そんな気配を感じ取りながらも、問いただすことはしなかった。


「今日は王宮に向かうのだろう?」

「はい。昨日の件をハインリヒ陛下にご報告せねばなりません」


 王への報告は大切な務めだ。

 余計な思考を振り払い、二人は王宮へと向かった。




 

 相変わらず王宮の空気は堅苦しく、ルシアンにとっては退屈な場所でしかない。報告など本来ならユーリックひとりで充分。だが昨日共に足を運んだ以上、今日は顔を出さぬわけにもいかなかった。


「――よもや人間の仕業だとはな。」


 報告を受けたハインリヒ王は深いため息をつき、頭を抱えた。吸血鬼に対抗できる人間は少ない。吸血鬼に抗えるほどの知識や才覚を持ちながら、その力を正しく使わず、狂った研究に傾けてしまった……実に惜しい人材だ。唯一喜ばしいと言えば、その標的が同じ人間ではないと言うことだが、結果的に吸血鬼を増やす行いを見逃すわけにはいかない。捕らねばならなかった。


 ルシアンは沈黙を守ったまま、その言葉を胸中で反芻する。

(惜しい、か……。おそらくその人間はもとより狂う素地を持っていた。だが決定的に踏み外したのは――カイラムが唆したからだろう)


 心中に過ぎないその思いを、彼は表情ひとつ動かさず飲み込んだ。


 何ひとつ表情に出すことなく思考を飲み込むルシアンを、王も重臣たちもただ冷淡に見えると受け止めていた。

 けれど――長年傍らに仕えるユーリックだけは違う。主人の声色や視線の揺らぎに、ほんの僅かな「隠し事」の影を感じ取っていた。

 だが今は、それを問いただす時ではない。ユーリックは静かに息をのみ、沈黙を選んだ。



「……まあ、私に会いたいようだからな。いずれ向こうから姿を現すだろう」

 淡々と告げるルシアンに、場の空気が一瞬張り詰めた。


 それ以上言葉を重ねず、ルシアンは静かに踵を返す。ロングコートの裾が翻り、広い間に冷ややかな余韻を残した。

 ユーリックも王に一礼し、主の後を追って謁見の間を後にした。




 石畳を進む馬車の中、沈黙が支配していた。

 王の前で口にした言葉以上のことを、ルシアンは一切語らない。ただ窓の外を眺め、人の往来を無関心に追う


「……やはり、何か隠しておられますね」

 堪えきれず、ユーリックが小声で問う。


 ルシアンはわずかに笑みを浮かべると、静かに口を開いた。

「昨夜、少し外に出てな。懐かしい顔に出会っただけだ」


「……私の知らない方、なのですか?」

 ユーリックの声には、わずかに嫉妬めいた響きが混じっていた。


 ルシアンは視線を窓の外に向けたまま、口元だけで微笑む。

「さて……どうだろうな」


 答えにならない返答に、ユーリックはそれ以上追及できず、胸の奥にざらつく感情を押し込めるしかなかった。





 屋敷に戻ったユーリックは、台所で黙々と夕餉の支度をしていた。包丁の音だけが響く中、ふと先ほどの会話が脳裏に蘇る。


 ――懐かしい顔に会った。


 その一言がどうにも胸に残っていた。思い返せば、ルシアンの声音にはかすかな陰りがあった気がする。普段の揺るぎない調子とは違う、淡い哀しみの影のようなものが。


 もしかして……会った相手は、人間ではないのだろうか。

 そんな考えが一瞬だけ胸をよぎる。根拠があるわけではない。ただ直感のように、そう思わされてしまったのだ。


 しかし、すぐに首を振る。主人が語らぬことを詮索しても仕方がない。自分の知らぬ過去にまで踏み込むのは、きっと迷惑になる。

 そう言い聞かせるように、ユーリックは包丁を握る手に力を込めた。


 目の前の務めに集中すべきだ。

 ――主人が語らぬことを、無理に暴こうとするべきではないのだから。


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