12話
ルシアンの耳に、微かな唸り声が届いた。
それと同時に、吸血鬼の気配と――人の気配。
駆けつけた先で目にしたのは、吸血鬼が人間の男に襲われているという異様な光景だった。
それは、かつてユーリックが目にしたものと同じ構図。
「ふむ、こいつが例の……」
まじまじと観察するルシアンをよそに、ユーリックは素早く吸血鬼へと斬りかかる。
またもや獲物を奪われた男は、掌に残る砂とユーリックの顔を交互に見やった。
「またキミかぁ……」
悔しさというより、呆れに近い吐息を漏らす。
だが、その視線がルシアンへと向いた瞬間、表情が一変した。
「もしかして、始祖?始祖なんだろう、そうなんだろう!?嬉しいなあ、ボクのために連れてきたのかい!?」
子供のように興奮して詰め寄る男に、ルシアンはたじろぎもせず、むしろ興味深げに観察する。
「ボク、ゼノスって言います!ずーーーっと会いたかったんです!」
「ほう、それは何故だ?」
声をかけてもらえたことに感極まったのか、ゼノスは小刻みに震えながら笑みを浮かべる。
「――体の一部を、ください!」
夜気を裂くようなその言葉に、ユーリックの動きが止まる。
一方でルシアンは、驚くでもなく、微笑をわずかに深めた。
「……なるほど。先程の欠陥品のようにか」
ゼノスは食い気味に頷き、嬉々とした笑みを浮かべる。
ルシアンはおもむろに、白銀の髪を数本、指先で引き抜いた。
ユーリックは一瞬ぎょっとしたが、指や耳ではないことに胸を撫で下ろす。
何をするつもりなのか――問いかけることなく、ただ静かに見守った。
ゼノスは息を呑み、まるで宝物でも受け取るように両手を差し出す。
その瞳は、狂信者のように輝いていた。
だが、次の瞬間。
「……あっ」
ゼノスの指先に届く寸前、ルシアンの髪はふわりと形を変え、小さな蝙蝠となって夜空へと飛び去った。
残されたゼノスは、夢から醒めたように呆然と空を見上げる。
「ご覧の通り、私の一部を持ち帰ることは不可能だ」
「そ、そんな……!」
愕然とするゼノスの様子に、ユーリックは心の中で小さく呟く。
(――ざまぁみろ)
そんな従者の内心を知ってか知らずか、ルシアンは静かに言葉を続けた。
「それに……お前のしている“実験”は、成功しない」
ゼノスの目が再び光を帯びる。
「どうして?」
ルシアンは、淡い笑みを浮かべたまま、ゆっくりと答えた。
「私の細胞が、必要だからだ」
ルシアンの細胞が必要――。
つまり、たとえ耳を切り取ろうと、爪の欠片ひとつでさえも、先ほどの髪のように消えてしまい、持ち帰ることは不可能ということだ。
ゼノスはしばし沈黙したのち、何かを呟きながら、ゆらりと闇の中へと姿を消した。
あの屋敷で見た資料を照らし合わせると、ゼノスが吸血鬼を作ろうとしているのは間違いない。そのために吸血鬼の体の一部を使って実験している。
しかし、それが無駄だと突きつけられた以上、ゼノスは無闇に吸血鬼狩りを行うことはないだろう。
ユーリックは、その気配が完全に途絶えたのを確認してようやく息をつく。
だが、隣に立つルシアンの表情は逆だった。
彼には、ゼノスが何を考え、何をしようとしているのか――すでに想像がついていた。
(しばらくは姿を見せないだろうが……)
不穏な空気を感じつつ、ルシアンはユーリックと共に屋敷へと帰っていった。




