邂逅 -c-
「今からお前は人ではない。私たちと同じ、竜だ。翼は無くとも、お前には大地を速く駆ける足がある。爪が無くとも、お前には爪より恐ろしい剣がある。そしてお前には、竜としての誇りがある」
「けれど母様、みんながあたしを人と呼ぶよ? 誰も、あたしを竜だと思ってない」
「鉄と火で森を焼き開く人間を、お前は快く思わないだろう。その心と、お前の力があれば、お前は立派な竜なのさ。不安がる必要など、どこにもないさね」
「けど……」
「――ウルスラ、よぉくお聞き。お前を生んだ番は、お前を見捨てて森に捨てた」
「私に取って食われるはずだったお前は、まだ小さいにも関わらず自分の置かれた状況を理解していたんだよ」
「一度死んだものを殺すことが出来るのは神様ぐらいのもの。そして、お前の振るう剣は私たち竜はおろか、神様でさえ切り裂く力がある。負ける筈が無いのさ」
◆
横たわっている。
自分の体が、床に転がっている。柔らかいヒトの寝床に、竜たる自分が寝転がっている。
まだ意識の焦点が合わないまま、ウルスラは考えを逡巡させていく。あの男に逃がされて、背中をギルドの連中に撃たれて、その後よく分からない男に抱きかかえられて、その途中で気を失った。
夢だったのか。そんな気休めも、背中にまだ残る痛みで掻き消える。傷口には手当のために巻かれた包帯と膏薬の匂いがあり、寝床のすぐ横には彼女が無二の信頼を寄せる竜殺しの剣が置かれていた。
そして剣の傍らにあるのは、彼女を抱えていた男の顔だった。
「……ん、ああ。目が覚めたのか」
腕を組みうつらうつらとしていた男が視線を上げる。
細面に浮かべる笑みは優しげで、血を見たこともないような印象を受ける。だが、魔物が多く潜むあの森を一人で歩くほどだ。その腕前は想像に難くない。事実、腕利きとも思えないが追手の二人を容易くあしらったのだから。
「見たところ、まあ人の子ではないだろう。あんな立派な剣の使い主でもあるしね」
「立派な剣……?」
傍らの剣に一瞬だけ目を流し、男はその顔をウルスラに向ける。
「――問おう。君の背中を射掛けた男が竜の姫君だと君を呼んでいた、それは本当かい?」
笑みはあくまで崩さぬまま、だが言いようのない威圧感を纏った男がウルスラに問いかける。揺れる金髪の奥に覗く双眸からは、底の見えない蒼があった。
ウルスラにとって、人間というのは刈り取るだけのものだった。弓を引こうと剣を振るおうと、それは無力な抗いでしかない。大地の守護者たる竜に楯突く、愚かな生き物でしかない。
だが、今のウルスラにこの男を振り払うだけの力はない。体さえ動けば剣を奪い返し、すぐにでも出ていける。だが、この体ではそれさえできない。この男の問いかけを聞き続ける他にすることもない。
「……人間はそう呼ぶわ。もう随分、飽きるほど聞かされた名前」
「言葉を解せず、ただ人間を遊ぶように殺すというのが光皇国を始めとした各国の竜の姫君に対する考え方だと取ってもらっていいと思う。だが、君はこうして僕と会話も出来ている。ただの下らない噂が独り歩きしていただけの話だ」
言って男は椅子の背もたれに体を預けた。品定めをするような感情のない目が寝床に横たわる彼女の身体に注がれる。
腹の底にこみあげてきた不愉快な気持ちに従い、ウルスラは寝床から立ち上がる。足がまだ思うようには動かないが、他愛ない冒険者程度であれは全く問題はないだろう。
「傷は浅くなかったが、不思議とほとんどふさがっている。どうやら大地の加護を、皇国の人間よりも受けているらしい」
「鉄で森を切り開き、炎で森を焼き払うお前ら人間より大地の加護を受けるのは当然だと思うけど?」
違いない、と男は笑いもしない。
「本来ならば守護者たる竜をこのように討とうとすることこそ大本から筋を違えている。豊穣に恵まれた大地をわざわざ汚すような真似をする奴らの気がしれないね」
肩をすくめた男は、すっと立ち上がり天幕を後にする。相対するのが竜の姫君だと知って背中を見せるという愚かしいにもほどがある。自信の表れなのか、それとも単にこの男が本当に愚かなだけなのか。
五体の感覚は万全にはほど遠いものの、剣を振るう程度には戻ってきている。立てかけられた剣を取り、あの男を真っ二つにするのに半秒もかからないだろう。
寝台から身を跳ね上げる。
布の翻る派手な音が響くより速く巨剣の柄を片手で握り、渾身の膂力をもって男の脳天へと振り下ろした。
だが、
「――そうそう、僕を簡単に殺せるとは思わないことだ」
「ッ!?」
青白い光が閃き、袈裟切りを弾き返す。
二度目だ。かつて、これほど短い間に二回も自らの剣撃を止められた記憶などない。
驚愕に歪むウルスラを見て、笑みは崩さず男は言う。
「人間というのは何分弱い生き物でね。だからこうやって外からの力に抗う術を持たなければ、生きることなんて出来やしない。――結界という奴だ、これを抜けられるようになれば体も元の程度まで回復することだろう。それまではゆっくり養生することだ。いいね?」
人差し指でウルスラの額を軽く突いた男は部屋を出ようと歩みを進めるが、そうそう、と忘れていたように振り返り、
「エルンスト、通りすがりの魔術師だ。……逃亡中の、ね」
月日が経つのは早いもので。estでございます。
ぼちぼち更新していきたいものです。