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邂逅 -b-

 彼女は恐れを抱いたことがなかった。

 身を苛む痛みも、肌に深く刻み込まれる傷も、彼女を屈服させるには足りなさすぎた。

 それは、彼女が敗北を知らなかったが故のこと。

 彼女を龍たらしめた、母たる龍との出会いの日から、彼女は恐怖という感情をその胸に抱いたことは、ただの一度もなかったのだ。

 そんな彼女が初めて得た、死の恐怖。与えた魔導は《極光》の名を冠する老人だった。龍にも劣らぬ威風と、龍をも凌駕する力を持つ男だった。

 引きずるようにして進める足取りに力はない。龍の姫君との名で呼ばれ、円環を成す諸国から畏怖された害獣とはとても思えぬ有様だ。

 龍を名乗るに値しない。そのように宣言した低い声がウルスラの耳から離れることはない。光を侍らせ容易く自分を死の淵に叩き落とした、あの老人の言葉だ。血の喪失によって冷たくなっていく体とは対照的に、胸の奥には老人への復讐の炎が強く燃え上がっていた。

 自分は龍だ。誰もが認める力があり、誰もが恐れる力があり、そして円環を成す国は彼女を龍の姫君と呼ぶ。それを認めないのはあの男だけ。

 その時だった。

「ッ――ぁ?」

 間の抜けた声と同時、口から零れたのは一筋の赤い滴りだった。

 胸元から突如として生えた、とある異物にウルスラは目を見開いた。

 矢。赤く濡れた透明な矢が、彼女の胸を背中から深く貫いていた。

「やっぱ神様ってのはいるもんだ。手負いの龍姫を俺に仕留めさせてくれるなんてよ!」

 耳障りな下卑た笑い声さえ耳に入らないほどの激痛にウルスラは苦悶の表情を浮かべた。背中に手を回し、矢を強く握り締めた彼女は無造作に矢を引き抜いた。ぶつり、という音の連続と共に矢尻の返しが肉を抉るにも関わらず、その表情は僅かに歪むだけだ。地に投げ捨てられた弓矢が、魔力を失って水に還り、土に吸い込まれていく。

 前方に跳躍しながら身を翻し、矢傷を与えた者の顔をウルスラは捉える。中背のやや年老いた魔術師と、その男の前で剣を構える若い男だ。

 胸から脈に合わせるように流れ出る赤い色が、彼女の体を濡らしていく。誰の目から見ても相当な深手だ。

「親父、やっぱりやめよう。手負いだっていってもあんな身のこなしだぜ、勝てるわけないよ」

「放っておけば死ぬようなメスガキ一匹に何ビビってんだ!」

 強い罵りと同時、詠唱が紡がれる。

「《水の精霊、清き流れを司る美しき女神よ。濁りを生む邪な者を貫く矢となれ》――!」

 巨剣は携えたまま、彼女はふらりとたたらを踏む。僅かに半歩、真横に身体を揺らすことで飛来する水の矢を回避。

 携えていた巨剣も、今では彼女の速度を奪う足枷に他ならない。だが、それでも彼女は剣を手放そうとはしない。

 次の矢を矢筒から抜いた射手の男が、少女に狙いを定めた。その直前に飛び出した剣士が、真正面からウルスラに斬りかかった。

 傷さえなければ、剣士の行いは狂気の沙汰以外何物でもない。素手で刃を弾き、剣圧だけで人を消し飛ばす小さな龍を相手に剣で挑むという判断自体が大きな誤りだ。

 だが、既に傷を負った彼女は年相応の少女に他ならない。大上段から振り下ろされた剣の一撃も、その後方から迫る水の矢も、彼女を確実に死に至らしめる。

 その時だった。

「――遅いね。まるでのろまだ、蠅もあくびをするんじゃないかな」

 飄々とした声が金属音と重なった。金髪の青年が、頭に金属の輪が数個ついた杖で剣士の一撃を受け止めていた。

 渾身の一振りを受け止められた剣士の体が衝撃に軋む。その刹那、青年が繰り出した蹴りが剣士を突き飛ばした。

 だが、それと重なるようにして襲いかかる矢の雨。これまでとは違う、大量の矢が青年とウルスラを貫かんと降り懸かる。

「水の矢、なかなか見事な術式だが――」

 納めた青年が、杖を握っていない左の手で印を結ぶ。

 そして、

「――《土剋水》」

 全ての矢が巨大な重力を受けたかのように、青年の足元に突き立った。数秒の間もなく矢は魔力を失い、水となって消えていく。

「土は清らかな流れに濁りをもたらす。幸いここは土の上、そんなちっぽけな水じゃあここらの土を押し流すことなんか出来ないよ?」

「うるせぇッ!」

 激昂の声と共に、魔術師の両腕に淡い光が灯り始めた。魔力を集束させ、更に強力な魔術を放つための予備動作だ。

 だが、そんな隙を見逃す青年ではない。

 懐から青年が取り出したのは、金色に輝く小さな刃物だった。中央の柄の上下から伸びる刃と、細かな彫刻の施された装飾品のような外観だ。

独鈷とっこよ!」

 青年の放った刃が不自然なまでの加速を得て、魔術師と剣士の手の甲と両足に突き立った。

 独鈷と呼ばれた武具が、甲高い音を響かせた。音の響きが生んだ淡い光が凄まじい速度でその鋭さを倍加させていき、一瞬で雷鳴にも似た光となり剣士と魔術師を飲み込んだ。

 数秒で収まった光の残滓の中、二人の男が崩れ落ちるように膝をついた。

 その様子を確認した青年が、ウルスラへと歩み寄る。杖の輪が立てる鈴のような音が、彼女の鼓膜に響き渡る。

「災難だったね。まさかあんな連中がつっかかってくるとは……竜の名を背負うのも楽じゃないみたいだ」

 そう言って青年が手を差し出してきた。

「立てるかい? 近くに人狼ルゥ・ガルーの集落があるから、そこでひとまず話を聞こう」

 青年の表情は穏やかで、嘘をついているようには見えない。だが所詮、到底信じることなどできるはずもない人間の言葉だ。青年の言うままについていって、傷が癒える保証などどこにもありはしない。

 残る僅かな力で、ウルスラは青年の手をはたいた。音が立つほどでもないささやかな、しかりはっきりとした拒絶の行動。ここで誰の助けも得ず朽ち果てることこそ、龍としての最期の誇りだと彼女は考えていた。

「……仕方ない、失礼するよ」

 青年がしゃがんでウルスラに目線を合わせたかと思うと、真正面から彼女の体を抱きかかえた。横抱き――新郎が新婦にするような、いわゆるお姫様だっこという抱き方だ。

 不意に自分の体が持ち上がった感覚の直後には、青年の顔とウルスラの目はすでに正しく目と鼻の先というべき距離にあった。何とか抵抗しようと試みるものの、既に手足も動かない。助けられるくらいなら死んだ方がマシだと舌を噛み切ろうにも、そんな力さえ残っていない。身体の重みが頂点に達し、視界が隅から少しずつ黒を広げている。

「眠ったほうがいい。眠りにつけば傷も塞がるだろう?」

 なす術もない状況のまま見上げた、なぜか機嫌のいいような笑みを浮かべた青年の表情が、ウルスラの最後の記憶だった。

少しずつメインキャストを揃えていきたいと思います。

執筆する時間がもう少し欲しいorz

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