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邂逅 -a-

 密林の中の獣道。鬱蒼と茂る木々の葉を掻き分けて進む初老の姿がある。

 湿度が高く気温も高い、体力を奪っていく密林の気候。更には小型から大型まで多々ある害獣も多く頻出する、冒険者殺しとも呼ばれる密林。光皇国がその軍事力をもってしても、未だに未開のまま保たれるその地に初老はいた。

 短い白髪に鷲鼻、彫りの深い顔。額に汗の一つもかかず、険しい双眸は無秩序に生い茂った濃い緑へ注がれている。

 ――過去から見ても植生が変わっている、か。

 自らの持つ記憶と今の森を、初老は照らし合わせていた。過去に自分がこの地に入った時にもここは木々が群生する密林ではあったが、ここまで人間に害を及ぼす獣で溢れているということはなかった。森の周辺には幾つかの集落も存在していたし、その集落から本国へ納められる密林の果実や毛皮などは交易の上でも強い力を握っていたのだ。

 だが、ここ数年のうちにその集落は一つを残して全て消滅した。キメラと呼ばれる害獣の増殖とも、集落同士の衝突とも伝えられているが真相は定かではない。現在残るのは皇国に公然と反旗を翻す若き半人狼を頭目とする山賊のみだ。

 その山賊のアジトへ、初老――ハンス・フィリープ・フォン・グナイゼナウは歩みを進めていた。かれこれ三日は休まず歩いているが、その中で出くわした害獣の数はもう一日目にして数えるのをやめていた。屋敷に帰って家令の少女に武勇伝を聞かせても意味はないだろうし、多くを討ち取ったところで何かが変わるわけでもない。

 枯れ枝を踏み折り、落ち葉を踏み締め、無数の音の中でハンスは――背後を振りむいた。

 殺意。単眼巨鬼サイクロプスが裸足で逃げ出すような、龍の気配。害獣と言う矮小な響きから最も離れた場所に立つ、空と地の覇者たる王者。

 しかし、山とさほど変わらぬ巨躯は、そこにはない。可憐とも言えよう一人の少女の姿しか、そこにはない。

 雪を思わせる白い肌の多くを露わにした軽鎧ライトアーマーと、その小柄な体躯からどう放たれるのか想像もつかぬ巨大な剣。

 ハンスは確信する。目の前の少女から放たれる殺意は巨龍のそれと、何ら変わらぬ鋭利なもの。少女の形をした龍だと、そう考えて何の差し支えもない。

 右手には大人の背丈二人分とも思えるほどの巨剣を握り、左手にはその剣で刎ねたのだろう首が三つ、顎を大きくあけてぶら下がっている。

「……貴方も、賞金首の盗賊? それともこの盗賊を追ってきた冒険者?」

 問いに意味はない。そうハンスは直感していた。目の前の《アレ》は問いの有無に関係なく、平等に皆殺す狂戦士オーガなのだと。

 ヒトがアレに出くわそうものなら、災厄に見舞われたのだとその命を諦める他選択肢はない。

 だが、彼は。

 極光と呼ばれし初老は、もはや人と呼ぶべきではない。

「通りすがりの魔導師だ。皇国に仇名す輩を直接この目で見定めるため、先を急いでいる最中でな。お主はどうやら賞金稼ぎではないようだが?」

 余裕ある笑みを浮かべ、肩をすくめたハンスの言葉に、少女も笑みを返して答えた。だが、その笑みは美しく、そしてそれを遥かに上回って獰猛な笑みだった。空腹の末にようやく獲物と巡り合えた獅子のような、渇ききった凄惨な笑みだった。

「一撃を受けて生きていれば、答えてあげるわ」

 同時。少女はその手に持つ首を投げつける。

 体を軽く右にずらした回避の直後、鉄塊とも思える巨剣が、神速をもってハンスへ叩き込まれた。


  ◆


 一撃の重みに、ハンスは口端を吊り上げた。

 突如として放たれた神速の逆袈裟。四半秒にも満たぬ瞬間と呼ぶべき間に展開した眩い白の幾何学模様――六層の防禦結界を、五層目まで抜く一撃だ。盗賊はおろか、天位の冒険者でも手傷を負うだろう攻撃の質。一枚が城塞都市一つの防禦力を持つと謳われた堅固な結界が、ただの一撃で五層を貫通した。

 その一撃を構成するのは、少女が持つ龍に等しき強大な膂力と、彼女が担う巨剣。

 ザイフルート。龍殺しの聖人の名を冠する、光皇国の聖剣の一振り。ただの一薙ぎで山を削り、天を裂き、地を砕く破壊の神剣。護国の英雄が死した時、《彼女》の亡骸と共に埋葬されたはずの奇跡の残り香だ。

「約束通り問おう――名を聞かせよ。それとも、龍の姫君たる者が約束を反故にするか?」

 その威力にハンスは確信する。彼女こそが皇帝の治める皇国において最も恐るべき――そして除くべき業敵、《龍姫》の名を戴く害獣なのだと。

 だが、名を聞いたのはハンスの武人としての矜持の問題だった。如何に皇国に仇為す存在であろうとその武の強大さに偽りはない。ただ、進むべき道が違うのみ。卓越したその武は、讃えられて然るべきだろう。

 驚の一色に表情を変えた少女は、しかしすぐに歳相応という言葉からかけ離れた静かな表情でハンスを見、

「――ウルスラ」

「うむ、良き名だ。してウルスラとやら。これほどの武を持ちながら、何故その刃を力なき民に向ける? 空と地の覇者たる龍の娘の行いとして、これほど見苦しいこともあるまい」

「関係ない。殺して殺して殺し尽くすだけ。次はその口が利けないようにしてやる」

 言葉は尽くした。そう言うかのような強い口調で少女は会話を断ち切った。そのまま大剣を大上段に構え、射殺すほどの鋭い眸でハンスを捉える。

 つい先ほどの剣は戯れに過ぎない。言葉はなくとも、彼女の気迫がそう雄弁に語っている。

 ハンスが覚えたのは、彼が忘れて久しかった戦闘への昂揚だった。城壁を超える堅固な結界は彼から危機感を奪い、軍勢を凌ぐ強力な魔法は彼から剣戟の交わりを奪った。その何れをも、少女は間違いなく満たせる。熟練の域に達した技術はなくとも、聖人の名を持つ剣と龍にも劣らぬ力が彼の武を呼び覚ましたのだ。

「ウルスラ、幼くも気高き龍の姫よ。お主の刃では私は斬れぬ。確かにその刃は地を砕くことも天を裂くことも出来よう」

 だが、という前置きの言葉と同時、ハンスは自らの首筋を親指で軽く叩いた。

「――この老骨の首は、そう簡単には落とせぬぞ?」


  ◆


 言葉に偽りがないことを、少女――ウルスラは本能的に理解していた。両の腕から体幹、両脚に魔力を集束させ、自らの身体が出す全力に身体自体が耐えられるよう強化の魔法を施していく。陽炎の如く揺らめく白い光の中に立つウルスラが握る巨剣が、その刃を鈍く輝かせる。必死させる、そう語る目はどこまでも澄み切って美しい。

 彼女がその隻眼に捉える初老――ハンスは懐からナイフを取り出し、迷うことなく掌へと突き立てた。

 溢れ出る命の赤色ごとナイフの刃を握りしめ、

「銀の王権が命ず。《極光》が眷属、光輝の剣能を顕せ」

 確かな言の葉の紡ぎが、彼を不敗の賢哲たらしめる一振りの剣を顕す。先のおどけた口ぶりからは考えられないほどの、威風溢れる凄まじい魔力。並みの魔物であるならその余波だけで消えても不思議ではない。

 動いたのはウルスラだった。

 踏み出した一歩。踏み締めたその一歩が、彼女と彼女の剣を巨大な砲弾へと変貌させた。

 音速を超過した速度で首筋へ吸い込まれるように放たれた一閃。ハンスが受けの構えで光輝の剣を構え、その刃に巨剣が叩き込まれる。

 音と光の轟きが森と其処に住む生き物を殺さんばかりに溢れかえった。鬱蒼と生い茂っていた木々が風圧で薙ぎ倒される。だが、ウルスラは止まらない。

 体を軸にし、ハンスが刃を受けた勢いを得て、逆回転の一撃を放つ。左から首を落とす薙ぎ払いだ。

 一撃で全ての敵を仕留めてきた彼女が放つ、初めての二の太刀。だが、最初の一撃よりも速度を得たその剣は、もはや振るうウルスラ自身ですら想像がつかない。

 二撃目。剣を構えなおす余裕もなかったのだろう、魔力光の飛沫が上がる。剣が大気を叩く音は更に大きく轟き、周りの世界全てが死んでしまったように静けさの中へと落ちる。

 間違いなく、これまで彼女が出遭った中で最強の魔導師だった。二の太刀を放つということは、彼女にとってそれほどに大きい意味を持っていたのだ。

 だが。

 だが、しかし。

「――ッ!!?」

 剣が、動かない。彼女の身体の一部とも言うべき剣が、動かない。何者かに掴まれている。

 刃を、巨剣の刃を、皺のある大きな右手が掴んでいた。

 受け止めたのだ。鋼にも勝る龍の肌を斬り裂く神の刃を、――ただの手のひらで。出来の悪い冗談のような光景であり、しかしそれは紛れもなく現実の光景であった。

「……何故、この剣が私を斬れぬかわかるか」

 極めて低い、諭すような声を拒むようにウルスラは両手に力を込める。それでもなお、ハンスの手のひらはしっかりと刃を握りしめている。

 手のひらからは赤い血が滲み、無事ではないことが分かる。だが、こうして言葉を投げかけるほどに目の前の老人は健在なのだ。刃と手のひらの接触面からは膨大な魔力光が滂沱として溢れ、ザイフルートの刃としての機能を完全に殺している。

「迅く、しかし重い、良き剣撃に違いはない。だが、それだけだ。こうしてお主の刃を止めるものと対峙し、現にお主は何も出来まい」

 無造作に放り投げるようにして、ハンスは刃を手放す。そして、

「だが、迷いなく放たれた良き剣であった。返礼を致そう」

 左の手に携える光輝の剣を両手に持ち、上段へ構えなおす。防禦の一切を考えから外した、攻撃のみに特化させた構え。

 どこから剣を放ったところで、あの構えから防ぐことは不可能。そう理解しているはずのウルスラの身体は、しかし動かなかった。

 手が、震えた。恐怖していたのだ。間違いなく、あの目前に立つ初老の男を。如何なるモノをも断ち切ってきたこの剣を、ただの手のひらで受け止めたあの男を。心の底から恐怖していたのだ。

「――《疾れ、極光》」

 超重量の巨剣を木の葉のように振り払い、初老はその手に持つ光剣を振り抜いた。

 剣先が描く軌跡と共に描かれる眩い白の魔力光。そしてそれは、全てを焼き払う瀑布となってウルスラへと殺到する。

 森ひとつを容易く焼き払う、超大規模の斬撃魔法。弾かれたザイフルートを地に突き立て、盾のようにして魔力波を防ごうとも、防禦の上から容赦なく超高熱の魔力波が肌を灼く。

 背後へと続く森の全てが一瞬で灰へと姿を変え、その爆轟の中でウルスラはしかし生きていた。

「……ッ!」

 だが、

「この微風そよかぜにも立ち向かえぬか。――ならば何故、龍を名乗る!」

 厳然と、無慈悲に響くバリトンと共に初老が彼女の眼前に立つ。脇に構えた光の剣――神々しい輝きを放つその剣は、間違いなく彼女を捉えている。

 直後。

 真上から振り抜かれた一閃と共に、ウルスラの意識は闇へと放り出された。


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