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酒場にて-3-

 その酒場は今日も盛況であった。

 つい先日、害獣の大軍に取り囲まれながらも奇跡的に損害を出すことなく賑わいを見せるその店は酒と煙草の臭い、絶えぬ喧騒が続く。

 先日その酒場を害獣の軍勢から守った老人が坐していた、店主の立ち位置に程近いカウンター席には、今日もまた見知らぬ客がいる。

「――で、何の用だ姉ちゃん。ここはメイドの来るところじゃねェ、王都のカフェにでも行ったらどうだ」

「お構いなく。マスター、ミルクを一杯」

 怪訝な顔つきで店主は注文通り、ジョッキに注がれたミルクを差し出した。

 少女だった。物腰の良さからして育ちはいいのだろうと店主は推測。だが、言葉遣い云々を抜きにしてもこんな酒場とは無縁な場所に住む人間だと店主はすでに結論していた。

 その理由は、少女の服装に他ならない。

 漆黒の布地に映えるフリルがあしらわれた白いエプロンドレスにホワイトブリム。旅人が持つような大きな鞄からして、主人を追って屋敷を飛び出してきた侍女ともいうべき格好だ。艶やかな赤毛は侍女としての職務のためであろうか、肩口で短く切り揃えられている。

 ならず者も多くたむろするこの酒場においては身包み剥いでくれとでも言わんばかりの身なりの少女は、どことなく眠たげに言った。

「……お尋ねしたいことがあるのですが……」

 おずおずと上目遣いで聞いてくる少女に、店主は気軽に頷いた。

 だが、桜の花びらを思わせる可憐な唇から紡がれた言葉に、店主は思わず耳を疑った。

「――聞き間違いしたみたいだ、もう一回言ってくれ」

「このあたりの適当な盗賊、額のいい賞金首を教えていただけますか?」

 喧騒が止んだ。

 賞金首を探している。それはさほど珍しいことでもない。日夜新たな賞金首が現れては消え、腕に覚えのある冒険者が現れては消える。それは既に当り前に循環していくと、酒場に集う人間は知っているのだ。賞金首と冒険者のどちらが勝つのかは彼らの知ったところではない。

 だが、彼女はどうだ。どこからどう見たところで賞金稼ぎを営む冒険者にはとても見えない。それどころか、賞金首にさらわれて身代金を要求される人質と言った方がしっくりくる。

「教えてやるよ嬢ちゃん」

 熊を思わせる大男が下卑た笑いと共に、少女の隣に座った。酒場の客がざわめく。

 赤銅色のプレートメイルを巨体に纏う大男――籠手には隻眼の熊を象った紋章が刻まれている。豪商の子息を人質に取ったことで得た巨万の富をもとに肥大化し、現在ではこの地方でも指折りの大金を懸けられる盗賊の印だ。

「……臭いますわ」

 恐怖と言う感情が欠落しているのか。それが店の主人の率直な感想だった。たった一言で男の形相を怒りに塗り替えた少女はグラスに並々と注がれたミルクをちびちびと味わっているだけで、何の意も介さない様子なのだから。

 男が少女の胸倉を掴み上げた。物事の分別がつかない子どもならばまだしも、少女は盗賊相手に波風立てればどのようなことになるのかを知っていて当然の歳に見える。凍りついた空気の中、少女はやはり恐怖の一かけらも抱いていない。ただ、呆れた風に溜息をつくだけだ。

「テメェ、誰に向かって何ホザいてんのかわかってんのか? ああ?」


「 口も臭いし手もイカ臭い。最低ですわね、鼻が曲がってしまいます 」


 次の瞬間。店主は目を疑った。

 自分の胸倉をつかむ男の腕に手を置いたと思った直後。

 枯れ枝を折るような音と共に男の体が浮き上がり、カウンターへと叩きつけたのだ。

 丈夫な木材で作られているはずのカウンターにめり込んだ男は抵抗することもできず、ぴくりとも動かない。

 手首を掴み、捻りながら男の体を持ち上げ、叩きつけたという単純な動作。だが、小柄な少女が男一人を小枝のように持ち上げたという奇天烈な事実に観衆は度肝を抜かれていた。

「この侍女服は先代から授かった大切なもの。どこの馬の骨ともわからない下種に触ってほしくないものですわ」

 怒声と同時、酒場にいた数人の男たちが少女を取り囲んだ。手に持つのは刃渡りこそ短いもののその刃を光らせるナイフや短剣。一突きでも場所が悪ければ死に至る紛れもない凶器だ。

 背後からの突進に、少女はそれをいなすようにくるりと一回転。ついで真正面から迫る薙ぎ払いを軽く後ろに下がって避け、左右同時に放たれた突きを、

「――三流、いえ、三流でもないですわね。この程度で賊を名乗るなんて恥知らずもいいところですわ」

 両腕を交差させ、人差し指と親指で枝でもつまむように切先を白刃取り。そしてそのまま二人を振り回すようにして投げ飛ばした。

 必死の形相で四方八方から襲いかかる男たちとは対照的に、少女はそれこそ舞うような流れる動きで翻弄する。向けられる刃に対しては宙を舞う羽毛の如く軽やかに避け、放つ一撃は鋭く男たちに突き刺さる。

 手拳は剃刀、足はさながら戈のよう。それでいて迫る脅威には柳を思わせる滑らかな挙動で悉くを避けるその様は、間違いなく武人のそれであった。

「このガキ――ッ!」

 逆上と共に掴みかかる男に少女は軽く苦笑した。

 襟ぐりを掴もうと伸ばされた手は、しかし左の蹴撃で叩き落とされる。

 苦悶の呻きで僅かに体をのけ反らせたのが男の最大の過ちだった。蹴り足を鋭く引き、軸足にすることで勢いを倍加させた後ろ蹴りが、男の肩に直撃。

 騎兵の突撃を思わせる速度と重量感が載せられた一撃だ。

 放り投げられた人形のように吹き飛んだ男の五体がカウンター奥の酒棚に叩きつけられ、瓶の割れる音と酒の匂いが店内に充満していく。

「……さて、次はあなたの番ですのよ?」

 残心を残したままの少女が瞳を向けた先には、血相を変えた大男が立っていた。まさかこんな女が――自分の胸にも届かないような女が大の男を粉砕したのだ。

「……お、おぉおォォォオオオオオッッ!!」

 腰に差していた短剣を逆手に構え、決死の形相で襲いかかる男。退路を断たれた者に特有な、前しか見ていない突撃だ。しかし、その速度は速い。先のもみ合いとは一線を画した、しっかりとした攻撃だ。

 だが、少女は軽く苦笑。

 風を切る音と共に迫る刃に少女は僅かに半身ずらし、凶刃を回避。そして、軽やかな跳躍と共に天へと掲げられた右の踵を、男の脳天へ振り抜く。みしり、という湿った亀裂音。

 踵の直撃によって砲弾の如き初速を得た男の頭が床板に叩きつけられたところで男の意識は切断された。

 だが、勢いをまるで殺さないまま下へと振り抜かれた鉄槌は男の頭ごと、樫で作られた丈夫な床板を薄い氷のように突き破る。

 ずんぐりとした下半身が床から生えているような滑稽な図ではあったが、その光景がどのように生まれたのかを知る者は戦慄する他ない。銅で作られた兜が無残にひしゃげて転がっている有様が、彼女の蹴撃の威力を忠実に物語っている。

 地獄絵図と化した酒場を一瞥して、少女はミルクの注がれたジョッキに手を伸ばした。

「子どもの盗賊ごっこでも、もう少し真剣にやり取りをするものですわ」

 だが、それを遮るものがある。店主の手が、ジョッキを少女から遠ざけたのだ。

「――あの爺さんと言い嬢ちゃんと言い、最近ここに来る新顔はロクな奴がいねェ。ここに店を構えてもうすぐ20年になるが、こう短い間に店がぶっ壊れるのは今までにねぇことだ……」

 苦悶にひくつくこめかみを押さえて呟く店主に、少女はさも心外だという口調で自らの手荷物を顎で示す。

「ただ手足を使っただけで、コレを抜かなかったんですのよ?」

 その先にあったのは、淡く艶めいた月草色の鞘に納められた一振りの刀。華美な装飾のない堅実な威風を備えた業物だ。

 店主は青ざめた。素手でここまでやってくれたのだ。もしもこの得物を振り回していたなら、どの首が床に転がっていたか知れたことではない。

「さて、マスター。つかぬことをお聞きしますが、背の高い御老人を見かけませんでしたか? 黒い外套と険しい表情でお酒をたくさん飲んでいたと思うのですが」

「ああ、グナイゼナウの爺さんか」

 店主の口からごく自然に出てきた探し人の名。驚愕に表情を染めた少女は、先のチンピラへと向けられたのとほとんど変わりない速度で店主の襟を掴み、

「マスター、どこでその名を? 答えによっては貴方の頭が鞠みたいに床に転がりますわよ?」

「じ、爺さんが自分で名乗ったんだよ! キメラの大軍が押し寄せてきた後、山の向こうの山賊を討つってことで一人で歩いて言った! 手ェ離せコラ! 苦しいじゃねぇか!」

 山賊ですの? というさぞ辟易としたような少女の問いに、店主は言葉を付け足した。

「大体グナイゼナウって言ったら光の国じゃあ指折りの軍人だろ? 嬢ちゃんはその軍人の娘か何かか?」

「いいえ。現当主であらせられますハンス・フィリープ・フォン・グナイゼナウ様の家令を勤めておりますイリューシ・アウフシュナイターです」

 若かった頃にハンスの副官であった先代家令のヨハン・アウフシュナイターに拾われた好運な娘。それがイリューシだ。極めて高い『素質』に恵まれた彼女は幼いころから二人の武に薫陶を受け、今では並みの冒険者を超える戦闘力を有する魔法使いとなっている。

 だが、魔法使いという言葉が適当なのかどうか。それは誰もが疑問に思うものだった。徒手格闘に特化した身体強化の魔法と防禦結界、そして加護の力を有する大業物による至近距離での戦いのみに血路を見出す様は、魔法使いと言う語感からはあまりにもかけ離れている。

「ご当主様のことです。暇つぶしがてらに賞金首を適当にひねりながらその辺りをうろうろしているのではないかと思っていたのですが……」

「アンタさりげなく結構失礼なこと言ってんな。まあいい。その山賊だが、皇国に属しながら反旗を翻して半年、潰されないまま今も勢いを保ってる数少ない連中だ。懸けられた金も半端じゃねぇが、長をやってる奴も冒険者をガキ扱いするくれぇの化け物らしい」

 民衆の蜂起として対処するために軍を結成しても相手は散発する遊撃的な勢力のため、少数精鋭となる冒険者への依頼が得策という判断なのだろう。軍の運用費の一部をそのまま懸賞金にしていることから金額も弾み、更には皇国から役職を与えられる可能性も望める為に志願する者は後を絶たない。

 志願者が押し寄せる半年の間、その盗賊は滅ぼされるどころかその勢いを増しつつある。軍の戦力を盗賊の制圧の為に割くよりも、国内の腕に覚えがある者に解決を求める方が何かと都合がいいのだろう。

 だが、それがハンスの出奔と何の関係があるのか。イリューシの疑問はそこにあった。護国鎮府卿という名誉職に近い権力のない役職でありながら、皇国の中でハンスの人望は極めて篤いままだ。それが今の王とその周囲から好ましく思われていないのも少女は理解していた。だからこそ、辺境への出奔という付け込まれるような行動を取るハンスの考えがイリューシにはわからなかった。

「頭目の名前はイスラファル。人狼と人間のハーフらしいだが、出始めてしばらく経つのに人間の賊をよくまとめて今も勢いを伸ばしてやがる」

 異民族系の名前だ。恐らくは皇国への併合を拒み、抗戦を保ち続けた少数部族の出だろう。夜空の星ほどに多くあった部族を力で統一した今となっては僅かにしか残らない、前時代の遺産だ。

 抗い続ける者が次々と消えていく中で、生き残った者たちは独自の技術を手に入れ、それを子から孫へと受け継がせているという。特に人狼と人間のハーフという今の頭目は、異種族間での交流が抵抗なくその部族の中で広がっているということの象徴なのかもしれない。

「人間の血が濃いのか傍目から見ればガタイのいい山賊にしか見えねぇそうだ。実際に出くわした冒険者の話じゃあ林に生えてるでっけぇ木を花の茎みたくポキポキ折りながら蹴散らされたって話で、馬鹿力の方は人狼譲りってことだろうな。近場には最近小型の竜も見られるらしい、生半可な装備で行くのは死にに行くのと同じだぜ?」

 イリューシは軽く笑った。

「その程度で死にに行く? その程度の場所が死地なのですか? 急ぎ発ちます、お話ありがとうございました」

 問答無用と言わんばかりに酒場を飛び出そうと立ちあがったイリューシの両肩を、店主はがっしりと五指で掴む。

 面喰った様子のイリューシに店主は、

「俺も連れてけ嬢ちゃん。一人の護衛くれぇ楽なもんだろ、爺さんと嬢ちゃんにはキッチリ話つけとかねぇといけねぇからな」

「……ご当主様に、何か用が?」

「確かにキメラを片付けてくれりゃあ酒代は見逃すって言った。――言ったが、店の酒樽全部を空にしろとは言ってねぇ! つーか人間の胃袋にあんな量の酒が入るのか? 王都からの仕入れは毎日ってわけでもねぇのに、在庫がなくなったおかげで数日は店を畳む羽目になったんだぞ!? おかげで店は大赤字だ!」

 蒸留酒と水は似たようなものだ。そんなことを言いながら屋敷のブランデーの樽を全て空にしたことをイリューシは思い出した。酒に関してはザルどころか、ザルの木枠と言うべき強さを誇る猛者だ。酒代を見逃すという台詞はそのまま、その店の店主が首を吊るのとさして変わらぬ意味を持つ。普通なら命が助かったのだから酒代くらい見逃せと言うのだろうが、この場合はそうも言いきれない。

 熟考の末、イリューシは渋々首肯する。酒代は屋敷に戻ればすぐに払うことが可能だが、あいにく屋敷にすぐ戻るつもりは毛頭ない。だが酒代を踏み倒すというのは皇国の守護者として名高いハンスの栄誉に傷がつくことであり、精算を済ませるべきだろう。

「わかりました。では、その盗賊の首に掛けられた賞金を弁済へと充てましょう」

「必ず戻ってくるんだろうな?」

「いえ、同行していただけないのなら、その保証はありませんね。ご心配なさらなくても身の安全は私が保障しますわ、マスター」

 口をあんぐり開けたままのマスターを見て、イリューシはそう言った。

「さあ、参りましょう。賞金首の賞金を狙う以上、他に先を越されては意味がありません」


ごきげんよう、estでございます。今回は酒場でのお話の第3部分をお届けします。

なんかエラい爺さんとやたら強い無愛想な女の子と二人のキャラにやや圧されるメイドが絡むファンタジーとなってます。たぶん。

一番かわいそうなのは店の酒を飲み干された揚句、よくわからない内に鉄火場に巻きこまれるマスターなのでしょうがメイドさんと一緒なので多分大丈夫でしょう。

次回はハンスとウルスラの出会いから。感想、応援、力になります。

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