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第1話《龍の少女》

 まどろみから醒めたばかりの頭を軽く振って、少女は目をこすりつつ前を見た。

 火の手が上がる、人の営みの残骸。在るのは瓦礫と化した建物と、五体を叩き斬られた人間の一部だった。

 立っているのは彼女だけだ。風貌は異質、異様と呼ぶ他ない。年の頃は十五にも満たないであろう大人の胸ほどもない上背に黒曜石を思わせる右の瞳。

 本来ならば二つで一対となるであろう双眸というものを、彼女はどうやら片方失ったらしい。左の額から頬にかけて広がる傷痕は表情を浮かべることなくひきつれ、傷の中心である左目は眼帯が覆っている。

 左手に握るのは、彼女より明らかに大きい巨剣だ。大の大人の背で考えても一人と半分ほどはある、およそ振るうことなど不可能な物体を携えている。

 その剣は旧い叙事詩の英雄の名と同じ《ザイフルート》。如何なるものをも断ち砕く、神秘や秘蹟に類似する神剣。

 剣と呼ぶにはあまりに大きく、鉄塊と呼ぶには美しすぎた。神が為に作られた兵器たる、簡素ながらも完結された造形美によって輝く銀の至宝。たゆとう湖面のように風景を写す銀の刃に今は、赤い汚れがべったりと貼りついていた。

 頬についていた血を、少女は空いた右手で拭う。返り血を浴びたのはいつ以来だろうか。光皇国の衛兵と戦った時か、西の龍と戦った時か。どちらにしろ相当昔の話になる。剣をふるう最中、絶えず続いていた頭の痛みが剣を鈍らせたのだろうか。

 少女は空を見上げた。紅蓮と紺碧を混ぜた半端な紫色が、鋭い山の峰に削られている。

 円環により大地は成る。火、水、地、風、光、そして闇の六色に分かたれた大地が相食むように円環をなす。

 光の大地として名高い光皇国の一集落――光の加護を受け、魔術と科学の恩恵に幸せを謳う人間の住処であったその場所も、少女の訪れによって屍と血の山河になり果てた。

 誰が来るのだろうか。ふと浮かんだその想いに、少女は独り苦笑した。誰が来ようと何が来ようと、阻むのであればこの剣で斬り開くのみ。

 ――ああ、静かだ。

 静けさだけが少女の中に響いていた。心地よくも悲しい無音に身を、心を委ね、巨剣を大地に突き立てた。夕の日が墓標のようにして突き立てられた巨剣に穏やかに降り注ぐ。

『 またかウルスラ。無闇に人里を消すなと母様に言われたろう 』

 地を揺るがすような響きがその静寂をかき消した。それは、ウルスラと呼ばれた少女がもっとも気の置けない仲間として信頼する龍の声だった。

 風車や大樹などといったものとは比べ物にならないほどの巨大な龍だ。尾の一薙ぎで一つの集落を叩き潰せるであろうその巨体の翼をゆっくりとはためかせ、少女の隣に降り立った。暴風に残骸が吹き飛ばされる中でも少女だけはまるで動じることもなく瞳を瞑っている。

「…………」

『 ここは光の国の要衝だ、兵隊ごと潰されたと知ればすぐにでも大軍が押し寄せてくる 』

 円環を成す六つの国の中でも軍事力では飛び抜けた力を持つ光皇国こうおうこくは、その圧倒的な軍事力と秀でた技術力によってその領地を着々と増やしていた。人知及ばぬ未開の地を切り拓き、人に抗うモノを害獣と呼んで討ち滅ぼし、そうして繁栄を手に入れた国家だ。

 その光皇国でも随一の力を持つ魔導は、強大な力と残忍さで名高い西の巨龍を一人で討ち取ったという。人一人が龍を、しかも一つの城塞をも凌ぐ大きさで知られる巨龍を討つなど御伽噺そのものに他ならない。

 いつしか相見えるときがくるのであれば、この剣で斬り伏せるのみ。これまでも立ち塞がるものはそうしてきたし、これからもそうなのだろう。そのことに疑問を抱いたことは一つもない。

 弱さ故に人は抗う術を編み、そして他の全てを呑みこもうとする。弱さ故に少女はあの日、あの森で死んだ。

 今ここに立つのは諸国からと呼ばれる小さな、しかし強き龍だ。吐息を吐くことも尾を薙ぐこともできないが、彼女には英雄の名を冠する剣と龍にも比肩する膂力がある。負ける道理などあるはずがない。その確信を察したように、巨龍はその目を空へと向ける。

『 なるべく早く戻るんだぞ? 遊びも過ぎれば群れの動きに差し支えるからな 』

 苦言を呈した巨龍はその翼を力強く羽ばたかせ、宵闇が滲みだす西の空へと飛んで行った。

 忠告した巨龍の言った通り、数刻と経たずしてその地に降り立ったのは、鎧にその体躯を包んだ騎士達だった。

 光輝く白銀の鎧に身を包んだ騎士だ。凄絶が広がるその焼け野が原において彼らは間違いなく救いの手と言うべき存在だろう。だが、彼らが救うはずの誰かなど、とうの昔になくなっていた。

 最初に挙がった声は誰のものだったのだろうか。怒りと使命感に燃え上がる力強い炎のような雄叫びが始まりの合図となった。

 義憤であった。自らがその武装をもって守るべき、その命を賭して救うべき無辜の民草が、暴虐なる害獣に蹂躙されたのだ。容赦なく彼女に向けられた幾つもの殺意が、その事実の冷酷さを物語る。

 ときの声と共に、鋭い槍の穂先を少女に向けその楯を構える騎士達が素早く左右へと展開していった。統率されたその動きには一切の無駄もなく、無数の切先に捉えられた少女はものの数秒で完全に包囲された。

 人が相手であるならば投降を呼びかけるだろう場面において、しかしその声はない。彼女は人ではないということを、騎士たちはよく理解していた。

 諸国の中でも目覚ましい発展を遂げた光の国に根差す最大の害悪。幼き外見に反し、一にして百の兵を凌ぐ力を持つ怪物。人の姿でありながら害獣に指定された龍の化身。現に彼女の傍らに突き立つ巨剣にはべったりと貼り付いた鮮血があり、彼女の足元には散らばった亡骸があるのだ。

 死を以ても購うことは叶わぬ大罪を犯した咎人に、光の名の国が誇る白銀の武者達がその戦意を集中させる。

 硬い足音と共に間合いが、敷き詰められた槍衾やりぶすまによって詰められていく。どの穂先が彼女の柔らかい四肢を貫くのか。肌を裂き、臓腑を抉り、骨を断つのか。

 不動を保っていた少女が動いた。巨剣の柄を握る左手に、力を込め。

 力強い加速を得て少女は突撃した。

 乾いた硬い大地に亀裂が走る。それほどの踏み切りによって得た加速と共に、少女は己が武装を薙いだ。

 重い音が響く。義憤に駆られた戦士が、その無知ゆえに命を落とした音だ。がしゃ、という音は鎧を纏ったまま腹を真横に断ち切られた騎士の五体が、重力に従って焼けた土に転がった音だ。降り注ぐ赤い色彩の中、包囲の一端を破った少女はそのまま反転。

 兜ごと頭を真っ二つにされた者。

 ある者は槍持つ腕を落とされた。

 ある者は足を失い地べたを這いずり回る。

 痛みと恐怖に駆られ彼女と対峙する者も、抗うことの無意味を悟りその時を待つ者も、等しく彼女によって皆殺された。

「この……っ!」

 絶望と驚愕に声音を震わせながらも、残った最後の一人が剣を高く振りかざす。

 せめて一撃。この一撃さえ通れば、目の前の怪物を討ち取れる。決死の覚悟は騎士の力を限界まで振り絞らせ、疾風の如き速さと雷火の如き力強さをその一太刀に宿らせた。魔力の上乗せによりその威力を飛躍的に増した一閃だ。

 仮に人が相手であれば、その一太刀を防ぐ手だてはなかっただろう。

 少女は姿形はともかくとして、紛うことなく龍であった。そして、騎士の青年は龍殺しの聖人ではなかった。

  無慈悲な、しかし苦痛を味わう間もないという意味ではこれ以上なく慈悲に溢れた一撃が、騎士の頭を叩き落とした。

 ぷつりと糸の切れた人形のように、前のめりに倒れ込む。それきり、その男は動かなかった。最期の戦意とともに放つはずであった剣を大上段に構えた構えたまま。

 そうして、その焼け野が原は静けさを取り戻す。

 ――淀みない静けさに満ちるその場所にあるのは有象無象の亡骸のみ。その全てを手に掛けた少女は、ただ、音を聞く。

 高鳴ることのない心の臓腑が刻む音を。哀しげに響く風の音を。流れる赤色が大地へと還っていく音を。

 人の生み出す煩わしい音を消す。それだけが少女の望みだった。強大な力を有する光の国に彼女が住処を選んだのも、もっとも音に満ちた場所であったからだ。

 人を滅ぼし静穏を取り戻す。その為だけに、少女は聖人の名を冠する巨剣を振るい続ける。

 鼓膜に刻まれる規則正しい雑音を振り払うように、少女は西の空を見やった。

 天上に座す無数の星は咎めるわけでもなく褒め称えるわけでもなく、ただウルスラを照らしていた。

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