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断章u

 薄暗い密林の中に、響く音がある。

 鳥か獣か見当さえつかない、得体の知れない何かの声。耳障りなまでに高らかなその声に隠れて、草木をかき分ける音が僅かにある。

 人の手が未だ及ばぬ地。歩みを進めるその人間は、――少女と呼ぶにも、幼すぎた。

 背丈は恐らく、大人の腰ほどに満たない。身にまとう服は寒村によく見られる、みすぼらしい襤褸ぼろ。涙は既に流し尽くしたのか、少女の顔に浮かぶのは疲労の色と諦念の色だけだった。眼球を失った左の眼窩は痛々しげな赤色を乾かせ、乾いて砂のようになった泥と混じり褪せた色となって少女の顔を染めている。

 残った片方の漆黒の瞳には、年相応の輝きもない。ただ踏み締めるべき足場を探し、行く末さえ知らぬ道なき道を歩き続けるのみ。

 道と呼べる道さえなく、周囲に生息する魔獣は極めて危険かつ強大。公に認められる冒険家でさえ探索の依頼を拒むとされる、この世界屈指の陸の孤島。獣が暮らし龍が息づく地だ。

 少女が息絶えるのを今かと待つ鳥。少女の喉笛に狙いを定め息を潜める獣。しかし、その何れもがその機会を計れずにいる。

 高く聳える大木に寄りかかり、息を荒げ。頭上を仰いで少女は何日が経ったのかを考えていた。

 ――三日だろうか、四日だろうか。恐らく五日は経っていないだろう。既に手足の感覚さえ薄れ始めている。これで意識がなくなれば、待ちわびている誰かの腹を満たすことになるのだろう。

 木から身を離した少女は足を引きずりつつも前へと歩く。だが、それを遮ったものがあった。

 轟音。そう呼ぶにしても、小さすぎた。爬虫類を思わせる巨大な足が木々と獣を踏み潰し、巨大な手は少女の細い体躯を握るようにして掴み上げた。

 龍だ。恐れるべきものの代名詞でもある巨大な異形が、赤い眼で少女を見ていた。

 龍は刃を思わせる、無数に並ぶ歯を見せた。笑っていた。何故ここにいる。喰われに来たのか。馬鹿と呼ぶにも値しない。まるでそう言っているようだった。

 少女の表情はと言えば、恐怖にその顔を歪めることもなく、静かに龍を視るのみだった。

 彼女は龍の知る人とは違っていた。人は龍を恐れ、それ故にその知の限りを駆使して龍に抗う為の術を編み、そして龍へ切先を向ける。神話の頃より続く、人と龍との関係だ。火薬を作り、魔法を編み上げ、鉄と火によって自らの住処を貪欲に広げる人間と、その少女はあまりに乖離していた。

 魔法の恩恵を受けようと、鉄と火の力を手に入れようと、龍はおよそヒトにその爪や牙を本気で仕掛けることはなかった。長い悠久の歴史の中でそれほどまでに龍を追い詰めたのは《龍殺し》の名を与えられた聖人と、今の時代を生きる賢く気高き魔導のみ。

 龍がそのかいなをだらりと下ろす。

『 逃げろ 』

 轟きと呼ぶべきであろう低音が木々の葉を震わせ、響く。

『 逃げて見せろ、人間。追いかける私から、お前を引き裂こうとするこの爪と牙から、逃げて見せろ 』

 ただの余興にすぎない。生きる望みの糸を垂らせば、他の人間と同じく彼女も逃げるはず。竜はそう考えた。

「……どこに?」

 少女の問いに、龍は戸惑った。低い唸り声でひとつの間をとり、

『 どこへでも逃げればいいだろう 』

「逃げる場所なんて、帰る場所なんてない。帰る場所を亡くしてしまった。だから私は待っているの」

『 何を、だ 』

 哲人のような達観した顔で、狂人のような無の顔で、少女は言った。

「――私が、死ぬのを」

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