第五話 浮野の戦い
火縄銃は1543年に種子島に漂着したポルトガル人によって伝来したというのが定説ですが、その他にも諸説があります。当時の日本は火器において世界に後れを取っていましたが、戦国武将が大量に鉄砲を用いるようになり、戦国時代の末期には、世界一多くの鉄砲を保有する国になりました。
信長様は弟の信行を誅殺した後も、
次々と邪魔者を排除した。
俺は、この頃の信長様に対して、
非情な恐ろしさを感じる。
「この信長が無慈悲になるのは乱世の定めなのだ」
群雄割拠の時代を一城の主として生き抜くには、
それなりの覚悟が必要である。
「そうですね、信長様の尾張の統一は目前です」
「そして次の敵は嫡流岩倉織田氏の信賢である」
1558年。信長様は2000騎の軍勢を率い、
浮野の地で信賢軍3000騎と激しく交戦した。
この合戦で、信長様の鉄砲の師匠・橋本一巴は、
「そこに、おわすは林弥七郎殿と、お見受けした」
と、敵軍の弓の名手に呼びかけ、
「我こそは橋本一巴なり、いざ尋常に勝負!」
鉄砲対弓の異色の一騎討ちを挑むのだった。
その次の瞬間、一巴が鉄砲を撃ち、
ドォン。
シュッ。
弥七郎が矢を射った。弾丸と矢が宙で交錯して、
「うがッ」
「あうッ」
互いに相手に命中する。近くにいた俺は、
「橋本殿!」
急いで駆け寄ったのだが、
一巴の脇には深く矢が刺さっており、
「お気を確かに、大丈夫です」
手当をしたが、その後、一巴は息を引き取る。
対して、弥七郎は負傷したところを、
若武者の佐脇由之に斬りかかられ、
「おのれ、小僧っ子が」
と、反撃して由之の左腕を斬りつけたが、
なおも由之に組み伏せられ、
その首を討ち取られたらしい。
「林弥七郎の首級、佐脇由之が討ち取ったり!」
その後、我軍に援軍1000騎が到着して、
一気に形勢が傾く。
信賢軍は1200人を超える戦死者を出し、
岩倉城へと逃げ帰り、籠城した。
「こうなれば気長に包囲せよ」
信長様は数ヶ月の長期戦で岩倉城を攻め、
最終的には、降伏した信賢を追放する。
こうして信長様は、
また一歩、尾張の統一への道を進めた。
源為朝は平安時代末期の武将です。鬼ヶ島の鬼を引き連れて戻って来たなど、数々の逸話を持つ人物ですが「五人張り」という、5人がかりで張る強弓の使い手であったと伝えられ、数百人が乗る大船を強弓の一矢で沈めたとの伝説が残されています。




