第十二話 木下藤吉郎という男
栄枯盛衰。桶狭間の合戦の後、今川義元の嫡男・氏真が家督を継ぎますが、今川氏は急速に衰退します。松平元康の独立や武田信玄の駿河侵攻の影響で今川氏は滅亡しました。義元の死から9年後のことです。
桶狭間の戦いに勝利して帰還すると、
領民から熱烈な歓待を受けた。
「我が尾張の殿様は最早、天下人と同じだ」
などと、気の早い領民は、
今川義元を討ち取った事で、信長様を、
大いに持て囃す。
そして清洲城に軍勢が戻ると、
「よかった、生きて帰ってきて」
愛都が俺を出迎えてくれ、
「どうしたの、その酷い傷は」
と、脚の傷を手当てしようとしたので、
俺は愛都を制止して言った。
「俺の事より、秋元殿を手当しなければ」
愛都の父親である秋元長勝は、
砦の攻防で、二ヶ所の矢傷を負っていた。
愛都は長勝を家に連れ帰り、
「お父様、しっかりして」
必死に手当をしたが、
しばらくして長勝は死んでしまう。
「家督は弟が継ぐことになっの」
と、愛都は言ったが、
弟はまだ若く、元服したばかりであった。
「あなたの脚の傷はどうなの?」
「俺は、すっかり良くなったよ」
その後、信長様は領土の安定のために、
今川氏から離反した三河の松平元康と、
同盟を結ぶ。さらに、
犬山城の織田信清を破ることで、
「ようやく、この信長も尾張を統一できた」
その頃、信長様は重臣たちに向かって、
こう言ったという。
「今が美濃を攻める絶好の機会である」
美濃の斎藤家は、道三と義龍の親子の争いの後、
勝った義龍も33歳の若さでなくなり、その後、
まだ14歳の義興が家督を継いだ。
「あの美濃という土地は是が非でも手に入れたい」
この頃、清洲城に、
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)という小物がいた。
藤吉郎は信長様から、
「あの木下藤吉郎という奴は、よく働いている」
と、気に入られて、
小物から足軽に取り立てられ、
さらには足軽組頭にまで昇進した。そして、
「藤吉郎よ、墨俣に城を築け」
信長様から直々に大抜擢の命を下される。
墨俣一夜城の築城は、豊臣秀吉の立身世物語の初期のエピソードですが、実在したと確定できる史料がなく、現在では江戸時代に創作された架空の物語であるという説が有力です。




