15話 至高の飲物
ある日の午前中の鍛錬時に、アデンがバンブロックに耳打ちしてきた。
「今日の昼頃に行商人が来るみたいだ」
一瞬「おおっ」と声を上げるバンブロックだったが、良く考えたら金は100ガジャしかないのを思い出す。エール2杯分ほどの価値しかないのも思い出した。
それでもこの塀で囲まれた娯楽の少ない世界では、ワクワクせずにはいられない。
行商人が来たのは昼食の時だった。
奴隷らが昼の食事をしている最中に、広場に数台の屋台や露店が設営されていく。そこでは雑貨や食べ物が売られる様だ。もちろん娼婦らしき者達もチラチラ見える。
食事が終わると奴隷達には、休憩時間が与えられた。剣闘士奴隷に加えて、使用人の奴隷までもが休憩を許された。
バンブロックは他の奴隷達に混じって、その露店や屋台を見物する。
果物にチーズに野菜や魔物肉の串焼きが、良い匂いを広場に漂わせていた。
ワインやエールなどのアルコールまでも売っていた。ただしアルコールは、一人3杯までと制限がある。
それに加えて日常雑貨なども売られている。
目を輝かせた奴隷達は、大喜びで露店に立ち並ぶ。
始めは我慢していたバンブロックだったが、結局は手にエールと炒り豆を包んだ葉を握っていた。
バンブロックにとっては、久しぶりのエールである。
殆んどの奴隷達はエールを買っている。
それを見ていたら、我慢なんて今のバンブロックには到底出来るはずもなかった。
手にした木製のジョッキを覗き込む。
僅かにシュワシュワしている。
まずは一口だけ飲んでみる。
口の中にシュワシュワが広がる。
もう我慢出来なかった。
ジョッキの中身を一気に喉に流し込む。
ゴクゴクと喉を鳴らす。
「か〜、旨え〜、やっぱこれだよこれ」
次に炒り豆を口へ放り込み、バリバリと噛み締める。
程よい塩味が口の中を満たす。
そして再びエールを流し込む。
「かぁ〜っ、たまらん!」
ここ最近で最も良い顔をするバンブロック。
すっかりグリーンスキンの、飴と鞭の策略にハマっていた。
ただエールが一杯だけで満足出来るはずもない。だがツマミを買ったからもう金が無い。
「次の試合はファイトマネーが出るんだよな。よぉし、ちょっと本気で頑張るか」
すっかり脱走の事など忘れてしまっていたバンブロックであった。
それから3日が経った夜、バンブロックに次の剣闘試合の日どりが伝えられた。他の剣闘士達よりも早いマッチメイクである。それは人気剣闘士並みであった。
特に主人であるウマッハは、この養成所からチャンピオンを出す事が夢であった。このまま行けばバンブロックがチャンピオンになる可能性も十分にある。
そう考えて、バンブロックへの期待が大きくなりつつあった。
そして剣闘試合の前日になって、やっと対戦相手の情報がバンブロックに知らされた。
いつもの様に通訳としてアデンがバンブロックの所に来た。
「ロック、明日の対戦相手なんだがな、どうやら結構人気の半獣人らしいぜ」
「そうか。どうせ大した情報は無いんだろ」
「ああ、そうなんだ。だけど前評判は良いらしいな。この街じゃ数試合しかやってないらしいけどな、あっと言う間に決着がついたって話だ。ちょっと気を付けたほうが良いかもな」
「分かった。油断しない様にするよ」
対戦相手は隣街で活躍していた剣闘士らしく、余り情報が入ってこない。しかしバンブロックはいつもの事だと考えて落ち着いていた。普通に鍛錬をこなし、いつも通りの日課を過ごした。
そして試合当日の昼過ぎ、バドの街の中心位置にあるコロシアムへと向かう。試合が午後からなので出発も遅い。
しっかり首輪も嵌められる。
さらにこの日のウマッハ養成所からの出場者は、バンブロックただ1人。
ただ、バンブロックが獣車の檻に乗り込む時、アデンも一緒に乗り込んで来たのには少し驚く。
バンブロックはてっきり、アデンは通訳として一緒に行くのかと思ったらそうでは無かった。アデンも剣闘試合に出場する為に乗り込んで来たのであった。
アデンによるとランクCの出場予定の剣闘士が昨日怪我をしてしまい、その代わりに出場しないかと、つい先程連絡があったそうだ。
ウマッハは喜んでそれを受けたのだそうだ。
今回コロシアムへ行く剣闘士が二人しかいないため、見張りのオーク兵も少ない。
いつもなら見張りのオーク兵が獣車の横にあるステップに立つのだが、今回は別の獣車に乗って移動するようで、バンブロックとアデンは檻の中で心置きなく会話出来た。
心置きなく会話と言っても、やはり話すのは剣闘試合についてである。
アデンが対戦相手について話し始める。
「俺の対戦相手はランクCの中でも上位剣闘士なんだよ。そいつに俺が勝てばだよ、ランクCの中の上位剣闘士の仲間入りだよ。この俺がだぜ。いや~ランクBも近いってか。うはははは」
アデンにとってこの試合はチャンスであった。
「それは楽しみだな。アデン、頑張れよ」
「ふははは、任せとけって」
そんな会話をしている内に獣車はバドの街のコロシアムへと到着。
到着して間もなくすると、早くもアデンの剣闘試合が始まった。
バンブロックは控え室の小窓から、アデンの試合を見守る。
対戦相手はリザードマンで、左手に投網、右手にトライデントという三叉の槍を装備。フィッシャーマンという戦闘スタイルである。
戦法としては投網で相手の足や武器に引っかけ、動きを止めた上でトライデントで止めを刺す。ちょっと戦い辛い相手である。
試合開始のドラムと共に両者は前に出る。
アデンの武器はロングソードに丸盾とオーソドックスな装備だ。
だがその装備だと相手の間合いの中へと入り込まないといけない。
リザードマンが投網をアデンの前に投げる。
たったそれだけでアデンは前に出られなくなった。
投網を踏めば足を絡め取られるからである。
アデンが投網を避けて回り込もうとすれば、リザードマンは再びアデンの手前の地面に網を投げ広げる。こうなるとアデンは前に出て行けない。
そこへリザードマンのトライデントが、上手いタイミングで襲ってくる。
アデンはそれを盾で防御するので精一杯であった。
バンブロックは控え室の小窓に顔を張り付かせ、必死に試合を見守る。
ーーアデン、しっかりしろ!
そこでアデンが投網を踏んでしまう。
リザードマンはそれを見逃さない。
投網を波立たせる様にして、勢い良く引いた。
すると網が足首に絡まり地面に倒れるアデン。
そこへリザードマンのトライデントが伸びる。
アデンは慌てて盾で上半身を防御する。
しかしリザードマンが狙ったのは下半身。
トライデントの三叉の刃が、アデンの足の肉を削る。
「ぐぅっ」
アデンは横に転がり網から抜け出そうとするが、足首に絡まった網が解けずに余計に絡まってしまう。
そこへ再びトライデントが迫る。
「ぐわぁっ」
今度は反対の足に突き刺さった。
これでアデンは立ち上がれなくなった。
それを見ていたバンブロックは、控え室の小さな窓から叫んだ。
「試合終了のドラムを鳴らせっ、勝負はついてるだろ!」
そんな悲痛な叫び声も、観客の盛り上がる歓声に掻き消されてしまう。
リザードマンが地面に横たわるアデンに近付き、トライデントを振り下ろす。
バンブロックが必死に叫ぶ。
「誰か止めろ〜!」
そこでドラムが鳴り響いた。
しかしドラムの音は少しだけ遅かった。
振り下ろされたトライデントは、アデンの胸に突き刺さっていたのである。
アデンが苦しげに表情で息を吐く。
「ごふっ……」
鮮血が口から噴き出した。
そのまま力が抜けた様に、ガクリと首がバンブロックの方へ向いた。
アデンの眼光が徐々に薄れていく。
「アデン、気をしっかり持てって。アデン!」
もはやバンブロックの声はアデンには届かない。
それを尻目にリザードマンは、トライデントを高々と掲げて観客席に向かって勝利のアピールをする。
すると血に飢えた観客は熱狂して大歓声だ。
バンブロックは細長い小さな窓に、顔を一杯に近付けて叫ぶ。
「救護班っ、救護班はどうした!」
しばらくしてやっと救護班の半獣人が2人来て、その場でアデンの様態を見るが、その内の1人が首を横に振っていた。
「もたもたするなっ。早く医務室へ連れて行けって!」
そしてアデンは担架に載せられて退場して行った。
こうなってはバンブロックには何も出来ない。控え室でうな垂れるだけだ。




