11 罪人のための最後の晩餐②
リリーナは、ただの村娘だ。
世界を救う魔法など持っていないし、勇者の遺体を操る魔物らしき人物と、勇者亡き今、最強になったもう一人の幼馴染の間に割って入る程の力もない。どれだけその事実を呪おうと、爪を立てようと、現実は変わることはないのだ。
まともに戦闘に参加すれば、その時点であの偽アルムの足手纏いになると理解していた。だが、加勢をしなければ厳しい状況だというのも、理解はできていた。
だが、リリーナは、ベルファルクという魔剣のことを何も知らない。
彼が魔剣だということも、"魔剣"が、勇者の遺体に寄生しているという真実も知らない。
分かるのは、ベルファルクがアルムの遺体に寄生している魔物らしき何かだということ。そしてどうも、アルムを想ってくれているらしいということ。アルムの想いを継いで、自分を、心配してくれていたらしいということだけだ。
だから、リリーナは、結局は一番よく知っているアルムを頼るしかなかった。
18歳で村を出る前のアルムが既に習得していた光魔法。常人でそれを習得することは難しく、優秀な魔法使いですらも一握りのものしか目覚めない属性だという、それ。アルムの勇者性を象徴する、光。アルムの遺体に寄生している彼ならば、或いは。いや、それよりも、アルムが、彼にきっと力を貸すだろうと、確信めいたものを持っていたのかもしれない。
ベルファルクが放った光を見ながら、リリーナは、泣きたくなった。世界を救う光、まばゆい勇者の象徴、希望の光。
「(……そんなもの、何一つ、いらなかったのになぁ、あたし。あんたが、いてくれるだけで良かったのに)」
アルムが村を出たあの時も、リリーナは、そう思ったけれど、言わなかった。
「(でも、すごく、あったかい。アルムらしい光ね……)」
世界を救うと、そう言い出したアルムの奥底にある想いが、こんな風に暖かいのを知っていた。
だから何も言わずに、彼を送り出した。それしかできなかった。昔から、アルムというやつは、ずるい幼馴染だったから。こんな風に、世界各地で、希望という名前をした暖かさを、ばら撒いてきたのだろう。
初めて、リリーナは、彼が勇者として旅立ったことを、引き留めなかったあの選択を、ほんの少しだけ、肯定できたような気がした。
✴︎
リリーナは、息を整えながら、目の前の光景を俯瞰する。
サーシスに剣を突きつけるベルファルク。それを、悔しそうに眺めるサーシス。ベルファルクが、口を開いた。
「貴様の負けだ」
アルムと全く同じ声。
だが彼が言わなそうなセリフで、ベルファルクはサーシスを追い詰めた。奇しくも、かつての模擬試合と殆ど同じ構図だった。
「…その目で、その顔で、私を、見下ろすな」
サーシスが、噛み締めた歯の隙間から漏れ出るように、唸るような声を上げた。ベルファルクが、眉根を寄せる。
「サーシス。俺から貴様に語る言葉は最早無い。本来なら、貴様を勇者殺しの罪に問いたい所だが……癪なことに、その立証は難しい」
サーシスは、何も言わなかった。勝ち誇る事もなく、悔いる様子を見せるでもなく、立っていた。ベルファルクが、視線をリリーナに寄越した。
サーシスに、言いたいこと。聞きたいこと。
どうしてアルムを殺したのか。
本当に全部が嘘だったのか。
手紙を破り続けた時、どういう気持ちだった?自分だけが手紙を出して、返事を貰って。返事が来ないままに、手紙を書き続けるアルムを見て、優越感に浸ったりしたの?どんな顔で、アルムを殺して、どういう白々しさで、あたしに、アルムのことが心配だと、そうほざいたの!
波のように、感情が混ざり合っている。やがて渦巻いて、何を問うべきか、わからなくなってくる。
リリーナは、深呼吸を一つした。ゆっくりと口を開く。
「――――サーシス」
サーシスは、何も返さなかった。
ただ、その視線が、ひどくゆっくりとリリーナの方を見た。
彼は、リリーナの口から発される言葉をこそ、恐れているようだった。罪人は静かに、断罪の時に、怯えている。その紫水晶の瞳を見て、リリーナの中で渦巻いていた感情が、静かに整った。
「……本当に、アルムの事が、嫌いだったの?」
何を問うべきかは、わからない。
でも、何を問いたいかなら、はっきりとわかった。
「ああ、大嫌いだ。好きだった事など、一度もない」
それで充分だった。
リリーナは、くるりと踵を返して、サーシスに背を向ける。サーシスが、手を伸ばして、リリーナの腕に軽く触れた。
「触らないで」
リリーナは、その手を振り払うと、サーシスの頬を打った。肉を打つ乾いた音が、静かな森に響いた。
サーシスは、状況を理解できないように少し固まった後、伸ばした手を彷徨わせた。迷子の子供のようにも見えた。
リリーナは、懐に入れた手鏡の感触を感じていた。
先ほどのベルファルクの光魔法を浴びて、鏡は役割さえ果たしたものの、衝撃に耐えられずにひび割れてしまっていた。そのひびを見た時に、リリーナは、狂おしいような感情に一度、襲われた。
壊れた手鏡は、アルムの破かれた手紙もを想起させた。ボロボロに破られて、なぜか復元可能な程度にきちんと取ってあった手紙。
アルムとサーシスと過ごした日々が、思い起こされる。すべての真相を知った今となっては、薄氷一枚の上に成り立っていた日常。リリーナがその日常に暖かさを感じ、アルムがその日常に尊さを感じ、サーシスが、歯噛みした愛しい日々。肩を組み合うアルムとサーシスに、口を尖らせたことだってあった。
目頭に、熱いものが集まってくる感覚を感じた。怒りとやるせなさで、肩が震える。
「あんたのこと、許さないわ。何があっても、この先たとえ思い直したとしても、そうでなくても、絶対に」
サーシスの頬を打った手が、じんじんと痛む。
まともに戦った事などないが、いつだったか、店の中で酒を飲んでいた騎士が「殴るときは、殴る側も結構痛い」と言っていたのを、ぼんやり思い出した。
手を、ゆっくりと降ろして、サーシスを見た。
ずっと一緒だった幼馴染。アルムを卑劣に殺した男。卑怯だと、まぎれもなく思う。自分の事が好きだったというのなら、せめて全うに振られに来いとも。
きっと、ベルファルクがいなければ、全てがサーシスの思い通りになっていたのだろう。
アルムを亡くしたリリーナは悲しみに暮れて、サーシスはそんなリリーナに寄り添い、やがてその腕の中にリリーナを抱いていたのかもしれない。そう思うと、この計画のあまりのおぞましさに、背中から悪寒が走りそうだった。絶対に、許すことはできない。でも、だけれど。
リリーナはもう一度、サーシスを見る。
サーシスの掌には、先ほど囮に使ったペンダントが、握られていた。二人に「ちゃんと帰ってきてね」と言ったその日。アルムに渡したそれ。リリーナは、目を伏せた。
罪状と言えるほどのものだと、彼女以外は言わないであろう。だが確かに、リリーナは、それは自分の罪でもあるのだと、静かに自覚した。
「……でも、…サーシスとアルムが、旅立った時。それ、サーシスにあげられなくて……ごめんね………」
最後に言いたい事は、それだけだった。
リリーナが言葉を終えると、サーシスは、力を失ったように、膝から頽れた。ぬかるんだ地面に頭を打ち付けるように着く。
「……あ、……うっ……、あぁぁぁ゛…………」
やがて彼が漏らしたのは、静かな嗚咽だった。
夜の雨は、いつの間にか止んでいた。夜の森にも朝の光が差し込んでくる。強い光ではなく、柔らかな光が、サーシスの頭上に差し込んだ。
ヴェールのような優しいその朝が、静かに、罪人の罪を問うていた。