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10 罪人のための最後の晩餐①


 ベルファルクは、冷えた体に汗が伝うような感覚を覚えた。サーシスが自分に向けた剣のその後ろ、森の茂みの中。きらりとした小さな光を、見つけてしまったからだ。


「(……………リリーナ)」


 直感がそう告げた。


 魔剣は、珍しく自身が焦っているのを感じた。魔剣だった頃は、たとえ火の海に投げ込まれようが、心はいつも凪いでいたというのに。


 ベルファルクは、リリーナの目的を、冷静に分析する。自分ではなく、サーシスの背後に立っている。村からこの位置までは、どう回ったとしても、好きな方の後ろに立てる。リリーナはわざわざ選んで、サーシスの背後に立ったのだ。


 リリーナは、自分の味方をしようとしている可能性が高いと、ベルファルクは、そう結論づけた。

 リリーナの家に置きっぱなしにしていた、なんとかサーシスの元から奪い去って、ずっと修復作業を続けていた手紙が、アルム本人が、彼女をそう動かしたのだろうと。そう思うと、ベルファルクは、脈打たないはずの心臓が震えるような感覚を覚えた。


「(………………無謀だ)」


 だが、同時に、魔剣としてのベルファルクが、冷徹にそう判断した。


 リリーナは、ただの村娘だ。


 本人はそれに苛立ちながらも受け入れているようだが、本当に、戦場に立ったこともなければ、剣を握ったこともロクにない、ただの少女だ。


 ――――"剣とは呪いである"。

 それが、魔剣ベルファルクが持つ持論だ。


 ベルファルクに限らず、剣というものは軒並み、振るわれる為の代償を欲しがる。対価は、"安らぎ"だ。安らぎを砥石に、剣は磨かれていく。

 剣を振るった人間は、第一に、自己を抱きしめることができなくなる。剣は、自分を振るうその両手が、柄から離れることを許さないからだ。


 そうして、安らぎを自分から生み出せなくなり。

 誰かの"帰る場所"であることができなくなる。


 太陽の光のような、苛烈な光となることはできる。だが、一度でも戦場に出た人間は、やさしい微睡のような、そういう安寧を、自分から生み出せなくなる。これをベルファルクは、"呪い"と、そう形容している。


 あの勇者アルムですら、そうだった。


 リリーナという少女に、アルムとサーシスが惹かれた理由を、ベルファルクは、鉄の魔剣なりになんとなく、言語化できる気がした。リリーナは、彼ら二人の帰る場所であり続けたのだ。闇に包まれた暗い森の中を歩き、自分を見失う二人に。


 リリーナは、ランタンを手に持って、こう言い続けたのだろう。


「何やってるの。ほら、帰りましょ!」


 ……勿論、物理的な話ではない。

 だが、それが戦場に立つアルムとサーシスにとって、どれほどの救いだったのかは、いくらベルファルクとて、想像に難くはなかった。


 リリーナは、サーシスの強さを、理解していない。

 彼は、()()()()()()()()()という呪いに呪われ続けただけで、王国で二番目に強い男なのだ。リリーナの接近に、サーシスが気が付かないはずがない。


「サーシス」


 ベルファルクは、そこで初めて、覚悟を決めた。サーシスの名を呼び、投降の意思を示すために、両手を上げようとする。


 サーシスは、まともではない。


 肥大化した奴の自尊心は、もはや、魔物のそれに等しいと、ベルファルクは理解していた。

 そんなサーシスが、リリーナを()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。自分の本性の露呈と、リリーナの命と。それを賭けて、後者を選ぶ確率は、さして高くないだろう。目の前の騎士は、あまりに身勝手な理由でアルムを殺した男なのだから。


 ……投降すれば、アルムの遺体は、今度こそ、完全に葬り去られる。それは、ベルファルクにとって耐え難い苦痛だった。


 だが。

 リリーナという少女を。アルムの最も守りたかった女の子を、自分のような魔剣にすら、気遣わしげに微笑むあの子が失われるのには、自分とアルム、両方の魂が引き裂かれるような感覚を覚える。


「(アルム、すまない)」


 無二の相棒に、心で詫びた。それから目を閉じようとして、ベルファルクは、――――辞めた。ふと、思い出したのは、リリーナが、自分と対話を試みようとした時のことだった。あの少女は、存外に、真実をよく見ようとする目を持っている。


 本当に、リリーナは、無謀なだけの女の子だろうか。そんな少女を、アルムが、開け方の分からない宝箱のように、大切にするだろうか。


 少し考えて、ベルファルクは、やがて、上がりそうになる口角を抑えた。リリーナの意図に、ようやく気が付いた。


「(……あのおてんば娘が)」


 無表情を装いながら、サーシスを見上げる。

 サーシスの視線が一度だけ、先ほどの光の方を向いていた。恐らく、サーシスもあの光に気がついている。

 だが、サーシスはすぐに視線をベルファルクに戻すと、ゆったりと、演説でもするように語りかけてくる。


「……投降でもするか?魔剣ベルファルク。投降を受け入れよう。私からの条件は、ただ一つ。お前は、この剣に戻って、もう一度魔剣になって、私に尽くせ。アルムをただの骸に戻して、私に忠誠を誓え」


 こいつは、ベルファルクを、欲しがっている。


 哀れな男だとは思う。

 天に才能を授かったことで驕り、それを超える才能(勇者アルム)が現れた結果として、かわいかったはずの弟のような存在を憎悪するようになった。ベルファルクにしても、リリーナにしても――――アルムの物を手に入れなければ、気が済まないのだろう。アルムから奪って、それを身に纏うことで、アルムへの勝利を誇示したいのだ。


「(ああ、本当に。愚かな人間だ。己の目が、曇っていることにすら、気が付かない)」


 ベルファルクの口に、笑みが浮かんだ。


 それに内心驚いて、ベルファルクは、自分の口を抑えたが、喉から漏れた笑いを殺し切ることはできなかった。魔剣として数百年を過ごしていたので、およそ、感情表現というものは己から死滅したと思っていたのだ。


「…………何がおかしい」

「…っくく、いや?失礼、つい。なあ、サーシス。貴様は、どうして今も尚、アルムの影を追っているんだ?」

「……時間稼ぎのつもりか?魔剣」


 ベルファルクは、両手を挙げた姿勢のまま、喉の奥で笑った。それからすぐに、ああ、これは駄目だなと思う。あまりにも、アルムらしくはない。


 なのに、口に浮かぶ笑みをどうしても抑えられなかった。嘲りを止められなかった。笑みの形をして溢れ出た怒りは、存外、心地が良い。


「貴様が欲しがるものは、いつもそうだろう、サーシス。アルムの得た勇者の称号。アルムの剣の才能。アルムの魔剣(この俺)――――リリーナ」

「黙れ……!魔剣風情が、よく喋る」

「俺には分かるぞ、貴様が努力をしなかった理由が。貴様は、本気で努力をしても尚、アルムに届かない事を恐れたのだろう」

「……っ、黙れ、黙れ、黙れ!」


 時間稼ぎというサーシスの評は、あながち、間違ってはいなかった。サーシスは、剣先をベルファルクに向けたまま、背後のリリーナを忘れてはいない。――――それでいい。


「お前のような鉄屑に、何がわかる!?アルム、アルム、アルム、いつもあいつだ!私があいつの物を欲しがると言ったな、不正解だ、ベルファルク!私があいつから奪いたいんじゃない。あいつが、私から奪ったんだ!名声、才能、リリーナまでも!全部、全部、私が手に入れるはずだった……!」

「だから、殺したのか」


 ベルファルクの声は、地を這うようだった。


「…は、はは。そうだよ。でも、何が悪い?私は、取り返しただけだ。私からあいつが奪っていったものを」

「本当に手に入ると思っているのか?」


 サーシスは片眉を上げた。


「俺は確かに鉄屑だが、はっきり言えるぞ、サーシス。貴様は、何も手に入れる事はできない」


 サーシスという男は、天から賜った才能を、原石のままに放置した。血が滲むような努力など、この男はしたことがない。そんなことをしなくても、大抵のことが出来たから?――――違う。ベルファルクには、確信があった。


「何かを得る為に一歩を踏み出したこともないのに、アルムを羨む。そんな奴が、何かを手に入れられる筈がない。なぜ、アルムが勇者だったと思う?奴は、その心のあり方が、()()()()()だからだ」


 こいつは、努力をするのが怖かったのだ。


 もっと正確に言えば、努力をして尚、アルムに叶わないのを恐れていた。だから、剣技を磨くべく、血反吐を吐きながらも剣を振るわなかった。だから、リリーナにも、想いを告げなかった。


「貴様は、自己を磨く事すらしなかった、臆病者の、なまくら剣だ。そんな貴様に、俺が、忠誠を?――――笑わせるなよ、人間が」

「ベルファルク、貴様!」


 サーシスが腕を引いた。このまま、ベルファルクの喉を突く気だろう。ベルファルクは、すぐさま叫んだ。


「今だ、リリーナ!」


 サーシスの背後のリリーナに声を張り上げる。


「馬鹿が、私が気付いていない訳がないだろう!」


 サーシスが、腕を引いた勢いのままに、背後の茂みに剣を払う。剣先は、柔絹を破り去るように、覆い茂る葉を切り裂く。


 それは、当然、予想できていた。サーシスが、きらりと煌めいたあの光に気が付いていないはずがない。あれは、リリーナが首から提げているペンダントの光なのだから。

 三年の旅で、アルムに授けられたリリーナからの祝福を、何度も何度も疎ましく思っていたサーシスが気が付かないはずがないのだ。


「な…………」


 だが、そこにあるのは、木に引っ掛けられたペンダントだけだ。


 ――――隙を逃がすことだけは、絶対にしない。

 ベルファルクは、時間を稼いでかき集めた魔力を形にする。


 魔剣であるベルファルクが使えるのは、当然、ロクな魔法ではない。相手の魂を吸い尽くす魔法だとか、闇の大穴を召喚してそこに相手を放り込む魔法だとか、そういう類だ。実際、剣に宿るまでは、よくそういう魔法を使っていた。


 だが、今の彼は、()()()()()()()()であり、アルムの肉体に宿っている。当然、使える魔法も変容するのだ。


 ベルファルクは、光の魔法を放つ。

 光線のように、真っ直ぐに光は伸びていく。


 次の瞬間――――森の中で、()()()()()()


 銀色の光が、森の中を一瞬、太陽が昇ったかと錯覚するほどに眩く照らした。


 勇者アルムの得意魔法。世界を照らす光にして、サーシスが唯一使えない魔法属性。


 サーシスはすぐさま反応する。展開を読んでいた、という訳ではない。完全な反射。それでも、サーシスは剣先で光を受け流すように動き、身を躱す。


「馬鹿が、視界を開かせてどうする!」


 サーシスが、歪な笑みを浮かべた。今の光で、サーシスはリリーナの本当の居場所に気が付いた。すぐさま、そちらを振り返る。


 だが、次の瞬間。

 リリーナの手元が、きらりと光った。


「……………は、」


 サーシスは、リリーナが持っているかつての自分が送ったその手鏡に、目を見開いた。


 一瞬の硬直。

 それにより、彼は、光線の本当の狙いに気がつくのに、一手遅れた。


 光線は、サーシスの脇を通り、リリーナの持つ手鏡に吸い寄せられた。ぴたりと、鏡面が正面から光魔法を受け止める。そして、反射した光が、直角に跳ねた。

 眩い光が、もう一度、サーシスの方へ、向かってくる。


「が……あぁっ……!!」


 サーシスの背中に、光が突き刺さった。


 背中に食い込んだ光が、サーシスの身体の内側から、まるで彼の罪を裁くように弾けていく。


 剣が、サーシスの手元から離れた。だが、地面に接することはなかった。全力で走り出していたリリーナが、その剣をなんとか地面に接する前に抱えた。


 リリーナは、大事そうに一度剣を抱えた。


「(――――上出来だ)」

 

 内心でそう唸って、ベルファルクは、剣を寄越せというように、リリーナに手を差し出した。

 リリーナは、一瞬だけ何か言いたそうな顔をしたが、すぐさま、ベルファルクに剣を思い切り投げた。


 体をくの字に曲げているサーシスの方に走り出しながら、回転しながら空を駆ける剣の柄を、ぱしりと的確に掴む。


『…あー!ごめん!またキャッチできなかった…!!!絶対、すげえいい技になると思うんだけど!』


 懐かしい声が、頭の中で聞こえた気がした。


 まだ、目の奥に先ほど放った光が残るようだった。光が、瞼の裏を焼いたように、目頭のあたりが少しばかり熱い。涙も出ない死体だというのに。


 リリーナと、目が合う。リリーナは、口を結んだまま、少しだけ笑っていた。


「……本当に、とんだおてんば娘だな」


 あのアルムを振り回す女なだけはある。

 漏れた声には、安堵と感嘆が入り混じっていた。


 一気に距離を詰めると、ベルファルクは、サーシスに、剣先を静かに向けた。顔を覆っていたサーシスが、手袋に包まれた指の隙間から、悔しそうに、ベルファルクを見た。

次回、決着します。

裏切りの騎士の断罪の時。

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