3.欲がない? いえいえ、欲深いですよ
「マドレーヌです。どうぞ」
「マドレーヌ? 聞かない菓子だな」
「当店オリジナルのスイーツとなっております」
「そうか!」
オリジナルと聞いて目を輝かせた王子は、躊躇いなくマドレーヌに手を伸ばします。あ、待ってください。毒見が、まだです。
「あの、王子様。あの花、ラナンキュラスなのですが、カエルと関係が深いのをご存じですか?」
「ん、あの花が?」
「そうなのです。ラナンキュラスは異国の言葉で『小さいカエル』を意味します。そして、この花はカエルが好む湿地に自生しており、葉の形状がカエルの足に似ている事から名付けられたと言われているのです」
「へぇ」
王子が隣のテーブルに置かれた花瓶に目を向けます。良かった、前世の弟の受け売りが役に立ちました。今世で同じ花があって良かったです。さぁ、王子が花に現を抜かしている今ですよ!
側に仕える男性はチャンスを見逃すことなく、マドレーヌを一つ口に放り込みました。そしてコクリと頷いてアイコンタクトを送ってきましたので、私も同じ様に頷きます。
“機転を利かせていただき、ありがとうございます”
“いえいえ、お気になさらずに”
“とても美味しいです”
“ありがとうございます”
何故、私は会ったばかりの男性とアイコンタクトを交わしているのでしょうか。王子という共通点の所為ですか?
王子は花から視線を戻すと、マドレーヌを一口齧りました。
「おぉ、これは美味しいな」
「ありがとうございます」
お世辞ではなく本当に美味しかったのか、それとも空腹だったのか。王子は5個ほどマドレーヌを堪能していましたが、傍に仕える男性に「セドリック殿下。そろそろ本題を」と言われて「そうだった」と私に向き直りました。
「それで君に礼がしたいんだが、何がいい? 何でもいいぞ。遠慮なく言え」
“何でもいい”なんて無責任な言葉を、王子が使って大丈夫なんですかね?
ふと男性を見ると、口角を僅かに引き攣らせていました。あ、苦労なさっているんですね。
「僕が出来る事なら何でも叶えてやる。望みは何だ?」
「特にないですね」
「ない、だと?」
「はい」
予想外だったのか、王子は不自然に言葉を区切って目を見開いています。
「僕の婚約者になりたいとか言わないのか?」
「はい?」
えっ、何ですか、それ。自分との結婚が褒美になると思っているんですか? 自意識過剰すぎません? え、気持ち悪いんですけど。
私が若干引いていると、横に立つ男性は顔を青くしていました。本当に苦労さなっているんですね。
「僕は第三王子だが、王族だからな。苦労はさせないぞ」
お金の苦労はですね。けれど、権力とか見栄とか、貴族のマナーとか社交界とか色々苦労しそうです。だから私は嫌ですよ、王子と結婚なんて。そして、それ以前の問題があります。
「あの、王子様。私は、この通り平民ですから王子様と結婚は出来ませんし、したいとも思いません」
そうです、身分の問題です。私は身分についてと同時に、さりげなく自分の本音も告げました。
「そうか、身分の問題か。身分なんて、くだらないと思うんだけどな」
フンと鼻を鳴らして、不満そうな王子。
おっと? 仮にも王族である王子が言っていいんですか、そんなこと。
「くだらなくはありません。身分制度というものは必要なものです。もちろん、悪い面もあります。けれど、身分制度があるからこそ国は成り立ち、経済は回るのです。王族が守られるのも身分制度があるからです。身分によって貴族と平民の役割があるからこそ、保たれる安寧があります。中には不正を行う貴族や、虐げられる平民もいますが。でも、それは身分制度が問題なのではありません。悪事を働いても良いと思う、人を虐げ傷つけても良いと思う心、倫理観が問題なのです。人としての正しさを持っているかどうかが重要なのだと私は思います」
と、思わず語ってしまいました。いけません、言い過ぎてしまった気がします。これは不敬にあたるのでは?
「王子様、すみま」
「そうか、確かに君の言う通りだ。君は凄いな! 平民なのに見識が高いんだな」
思案していた王子に、謝罪しようした私の言葉は遮られました。王子は、パァッと顔を明るくしています。素直な王子ですね。ちょっと素直すぎて、危うい感じがしますけど。
「では、礼は何にしようか。屋敷か土地か、宝石や貴金属、お金でもいいぞ。何が欲しい?」
「特にないですね」
「ない、のか?」
キッパリ言い切ると、またも王子は不自然に言葉を区切って目を瞠りました。そんなに驚く事ですか?
「はい。今の生活に満足していますので。どうしても何かというのなら、貧困で困っている人達に施しをしてください。もしくはガラの悪い人達を取り締まってください」
「君は欲がないんだな」
「そうでしょうか?」
欲はありますよ。だから、この間の手伝いも行った訳ですし。あの給金は、私の老後の大切な資金になりました。
「分かった。僕の使える権限を使って、貧困に喘いでいる人達を救えるようにしよう。それから治安の維持にも努めよう。しかし、これは僕ら王族が行って当然のこと。だから君への礼は、まだ残っている。でも君は、特にないと言うのだろう?」
「そうですね」
「では、これはどうだろうか。今後、何かあった時には僕を頼ってくれ。今は問題もなく生活に満足しているかもしれないが、これから先に何もないとは言い切れないだろう?」
「それは、確かに」
「何か願いが出来た時、それを叶えるというのでは、どうだ?」
それは、とても有難い話ですね。確かに、今は何もなくとも今後は分かりません。つまり、これは貸しという事ですね。
「ぜひ、その案でお願いします」
「あぁ、了解した。それでは、何かあれば遠慮なく僕の元に来るように」
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、王子は笑み浮かべて満足気に帰っていきました。側に仕えていた男性も安堵の表情です。良かったですね。
残された私と店長と女将さんは、ドッと疲労感に襲われてしまったので、今日は店を早じまいしたのでした。