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「ねえ、おせんちゃん。それ〝呪符〟だよね?気軽に写すとか言って、大丈夫なの?」
呪符。要は、呪いのかかったお札だ。
王宮内、誰かが誰かを呪おうとしていた証拠。
残しておきたいのは山々だけど、優先すべきは「浄化」だ。
いくら桜泉が国を守護する龍の子と言えど、影響がないなんて言いきれない筈。
不安げな珠葵に、桜泉は笑って右手の筆を振り回した。
一応まだ、店番としての立場は理解していて、龍河や姫天が白いふわふわの動物姿なのと比較して、桜泉は珠葵と年齢の近い、少女姿のままだ。
「大丈夫、大丈夫! 万一を考えて、一筆分だけ書かずにおくから。そうしたら呪いは成就しないでしょ? 不完全な呪式になるんだから」
「え……」
そう言うものだっただろか。
いや、でも、そう言われればそうかも知れない。
ただ、それって書き写す意味あるんだろうか……?
「何言ってるの、珠葵ちゃん! 《《あの》》雪娜が、一筆分欠けたくらいで、何の呪符か分からないと思う? そんなワケでハイ、これ書けたから! 姫天は今戻って来たばっかりだから、別の子に、雪娜の所に届けさせればイイじゃない!」
ほら、解決! と言わんばかりの桜泉に、珠葵は一瞬、呆気にとられてしまった。
【珠葵ぃ~お腹すいた~】
白い貂が、立ち上がった状態で尻尾をタシタシと床に何度も振り下ろしている。
その音で、珠葵はハッと我に返った。
「ああ、ゴメンゴメン、てんちゃん!ちょっと待ってね?」
店の方は、いつ、誰が訪ねて来るとも知れないので、いったん奥へと引っ込んで、机の上に置いた複数の紙の札に手をかざす。
「……っ」
するとその瞬間、札の周りの空気がふわりと舞い上がり、珠葵の手をそのまま包み込んだ。
ただ、その空気はあまり触れられて心地の良いものではなかった為に、珠葵は我知らず顔を顰めていた。
「!」
しばらくすると、文字が《《札から離れて》》宙に浮かびあがり、珠葵が茫然とそれを見ていると、何も出来ないうちに、あっと言う間に青い炎と化して、全ての文字が消えてしまった。
そして燃え滓の代わりに、コトンと音を立てて〝珠〟が机の上、白紙になった紙の札の上に転がり落ちた。
「あはは、コレ、おせんちゃんに写しておいて貰って正解だった……かな?」
珠葵がこう言った作業をする時に願うのは、殺意や呪いと言った、お世辞にも前向きとは言えないどす黒い感情の昇華だ。
それが文字ごと燃えて〝珠〟になったと言うから、そこにはただ昇華させるどころか「浄化」が必要だった程の何かが籠められていたと言う事なんだろう。
おせんちゃんに、呆れられるだろうなぁ……と思いながら、白紙になった紙と、その上にある〝珠〟を持って、お店の方へと戻る。
「てんちゃん、お待たせ!」
わざと明るい口調でそう声をかけると、姫天は一度耳を立てて、こちらを向いてから、ぱあっと顔を輝かせて、こちらへと走り寄って来た。
【わぁい、珠葵ありがと!】
傍から見れば、珠葵が白い貂に餌やりをしているだけだ。
【えへへ、いっぱい集めて、いっぱい食べて、桜泉みたいな美少女目指すのー】
本来ならば、駆除されるべき魔物の一種だった筈が、珠葵の術で癒されてしまった事により、今では龍河や桜泉と同じ様な神獣の眷属に、片足を突っこみかけている。
そして、姫天のくりっとした愛らしい目で見つめられた桜泉も、ちょっと照れた様にそっぽを向いた。
「み、見上げた心がけよ! その調子で珠葵ちゃんのために働いていれば、アタシの次くらいには美人になれると思うわ!」
口調は高飛車なようでいて、耳が赤くなっている。
(か、かわいい……)
照れる桜泉も、キラキラと桜泉を見上げる姫天も、どちらも可愛い。
特に典型的な天邪鬼ぶりを発揮している桜泉に、珠葵はクスリと笑った。
【珠葵ぃ~、《《それ》》雪娜のところに持って行った方が良いの~?】
視線を桜泉から、床に置かれたままの「不完全な呪符」に一度向けて、姫天がこちらを窺う様に首を傾げた。
「そうだねー。でも、てんちゃんは今日はもうたくさん働いてくれたから、それは……そうだね、呉羽にでも頼もうかな」
【え~】
「だってほら、てんちゃん、ソレ持って行っちゃったら、帰りに絶対、また巡回してくるでしょう?真っすぐ行って真っすぐ帰って来るって約束出来るなら、お願いするけど……」
珠葵がそう言って、わざと姫天に顔を近付けると、やはり後ろ暗いところがあるのか、姫天はフイっと顔をそむけていた。
【だって、いっぱい手に入るなら、それにこしたコトないよね~?】
「うん、ないよ。ないけどね? だったら次は別のコにあげないと、不公平でしょー?」
【むぅー】
小さな頬を膨らませる姫天が……どうしよう、カワイイ。
うっかり許可を出しそうになったのを見透かされたのか、手近な帳簿を掴んだ桜泉が、ていっ! と、珠葵の頭をそれで叩いた。
「いたっ⁉」
「そんなにキツく叩いてないもの! って言うか、絆されかかってどうするのよ、珠葵ちゃんチョロい!」
「いや、チラッとね? チラッとだけだってば! だって、それやったら絶対、他の子が拗ねるし!」
「何よ、分かってるんじゃない、紛らわしい!……ってか、呉羽? 呉羽に行かせるの?」
何ならもう一度叩こうかと言うところで、桜泉がピタリとその手を止めた。
コクコクと、珠葵は頷いている。
「だって、雪娜さんトコだよ? 王宮内で王族並みに警護されてる所だよ? 呪詛入りの札を剥がしてくるくらいなら、他の子でも良いけど、それだけは呉羽くらいしか辿り着けないよ」
「「…………」」
珠葵の言葉に、龍の子と貂が人間みたいな仕種で顔を見合わせている。
「ま、まぁ……間違って祓われちゃっても困るもんね」
【そうだけど……かえって祓われないかも?】
実際に、姫天の心話は、限られた者にしか届かない。
珠葵は理解が出来ているけれど、何も知らないお客さんが来れば、桜泉と珠葵の会話に見えるかも知れない。
こう言う時には、視線を何とか桜泉の方に向けておかないといけない。
いざと言う時に、不審に思われないようにする為だ。
「――相変わらず、失礼なヤツらだな」
「⁉」
そこに突然割って入った声があり、それを予期していなかった全員が、身体を跳ね上げた。
「おいコラ、珠葵。何で呼んだ側が驚いてんだよ」
いつの間にやら、葛籠の隣に、さっきまで気配もなかった獣がいた。
見た目は白狐。
ただし、尻尾が――たくさんある。
一、二、三……と数えかけたら「何でだよ!」と、何故か叱られてしまった。
龍河や姫天たちと違って、こちらはハッキリと声が聞こえる。
「オレ様の尻尾の数くらい覚えとけよ!」
「いや、ほら、ニセモノだったら困ると言うか……?」
「こんな高貴なニセモノがいてたまるか! 学習しろ!」
そう叫んだ白狐は、ふんっと背中をこちらへと向けた。
――そこには、九つの尾が確かに存在していた。