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人形たちの夜

作者: フェイツ

古き良き時代(と思う)の少女漫画、松本洋子先生の同名作品が原作です。私自身も少女時代に書いた作品を、読み返して手直ししながらの投稿です。古さを感じますね、携帯電話とかぜんぜん出てこないし(笑)

 妻の真子はその人形が気に入ったようだった。

 夫婦でショッピングに行った帰りに立ち寄った小さな人形店であった。

 新居に揃える家具の買い出しで、都内に出ていた。大きな手荷物は持ち帰ってはいない。テレビとかそうしたものは後日、宅配便で届くことになっていた。

その人形店には相原夫婦の他には二十歳(はたち)前後の女がいるだけであった。

 女は別枠の中に陳列されている三体のフランス人形を見て若い男の店員と話していた。うち一体の人形を購入して、女は出ていった。

 残った二体のフランス人形はかわいい少年と少女であった。なぜその人形たちだけが別枠に陳列されているのかはわからないが、他の製品からは感じ取ることのできない気品のようなものを真子は感じ取っていた。真子の目は、残されたその二体の人形に吸い寄せられていた。

 その棚の人形には値段の表示がない。

「この人形、もらえますか?」

 真子が店員を呼んだ。二十代に見える若い男であった。

「この人形を?」

 「はい」

 「…………」

 男は黙って真子を見つめた。冷たい表情の持ち主だと真子は思った。

 「あの、なにか……」

 男の沈黙が、真子は気になった。

 「あなたは、人形が好きですか?」

 男は訊いた。(のぞ)き込むような瞳だった。

 「え、ええ。はい……」

 「お断りしておきますが、その人形には心が宿っています。人形は持ち主の心を読むことができます。大切にしていただけますね?」

 「はい、もちろん……」

 「それなら結構です。お譲りしましょう」

店員の男はふっと、穏やかな笑みを浮かべて見せた。

 真子は二体のフランス人形を買った。

 人形店を出て、相原夫婦は肩を並べて歩き出した。

 「ねえ。さっきの店員さん、変わった人ね」

真子は店を振り返った。特別価格との説明を受けて、機嫌は良かった。

「そうかな。まあ、人形なんかを扱っている男などは、みんなああいう感じではないのか」

 相原俊樹は、さほど気にしなかった。

真子は人形好きだった。人形には心が宿っていると、男は言った。納得できないではなかった。少女時代に手に入れた数々の人形を真子はいまも大切にしている。捨てたりすることはできないのだった。犬が好きだが飼えないから犬のぬいぐるみを求める。一人っ子の真子は妹が欲しいとの願いを人形を手にすることで叶える。

そういった真子の性格は、相原は好きだった。相原自身、人形を粗末に扱うことには抵抗を感じている。心霊現象などは半信半疑だったが、それとは別の問題であった。出掛けるときには人形やぬいぐるみに向かって心の中で声をかけるくらいのことは、相原もしていた。

 相原夫婦は部屋に帰った。細かい雑貨などを片づけたあと、先住の人形たちの列の中に買ってきた二体のフランス人形を並べた。


 真子の様子がおかしかった。

相原俊樹は夜の十時過ぎにアパートに戻った。会社の同僚と焼鳥屋で飲んでの帰りだった。相原が玄関に入るなり、真子は相原の手を引いて寝室へ連れて行った。

「あなた。この人形、変よ」

 「変?」

 相原は部屋の電気を()けた。真子は震えているようだった。顔が蒼白(そうはく)になっている。

 「どうしたというのだ。べつに、何でもないじゃないか」

 相原は二体の人形を交互に見比べた。変わったところはない。真子の好きそうな人形であった。

 「人形の、目が……」

 「目? そういえば、ずいぶんきれいな目の人形だが……」

 「ちがうのよ」

 十数分前、真子は寝具の用意をしていた。人形たちのほうを見て笑いかけようとした真子の表情が凍りついた。きのう買ってきた二体のフランス人形の目が、真子を凝視していた。異様な光をたたえた瞳だった。瞳だけが生きているように思えた。

真子は他の人形を見た。他のどの人形も縫いぐるみも、きれいに並んではいるが視線はそれぞれ違う方向を見ていた。どの目も無機質であった。真子はもう一度フランス人形を見た。そっちの目だけが生きていて、真子を凝視していた。

 小さな悲鳴を口にして、真子は部屋を出た。震えながら夫の帰りを待っていたのだった。

 「しかし……」

 相原は言葉が続かなかった。途中で投げ出して放置された布団がある。人形を見た。美しい瞳の人形であった。たしかに、人形はこっちを見ている。美しい目ではあってもそれはやはり人形の目であった。生きてはいない。部屋の明かりを受けて無機質に光っているだけであった。

 「君は、この人形の目が気に入って買ったのだろう。たしかに印象的な目だとは思うよ。だが、それだけだ。久しぶりに都会へ出て、大勢の人ごみに何時間も揉まれたために、疲れたのだろう。明日になれば大丈夫さ」

 相原は二体のフランス人形を向かい合わせた。

 「そうだと、いいけど……」

 夫が戻って、真子はいくらか落ち着きを取り戻していた。

 「モナリザの目を知っているだろう。きっと、あんな感じだったんだよ。もう寝よう」

 酔いが残っているのもあって、相原は早く寝たかった。

 きょうはこの部屋で寝たくないという真子をどうにかなだめて、眠りについた。

 十二時過ぎ。

 真子が相原を揺すり起こした。

 「あなた、おきてよ! あ、な、た――」

 「どうした」

 相原は上体を起こした。真子の様子はただごとではなかった。

 「人形の目が、光って――」

 真子はしがみついて訴えた。

 「光ってなど、いないじゃないか」

 相原は棚を見た。カーテンから漏れる月明りを受けて人形たちの輪郭が不規則に並んでいるだけであった。

 「光っていたわ、光っていたのよ!」

 「夢でもみたのだろう」

 相原は電気を点けた。

 真子が悲鳴を放った。相原の体が凍った。

 向かい合わせに置いたはずのフランス人形がいつの間にか元に戻って、相原を見ていた。


 二体のフランス人形を詰め込んだダンボール箱を抱えて、翌朝、相原は部屋を出た。

 勤務先はさほど遠くない場所にある。毎朝、部屋を出るのは七時過ぎであった。相原は途中下車した。その駅の近くに人形店はある。

 真夜中の奇怪な出来事は、相原も認めざるを得なかった。少年時代に相原は怪奇に憧れていた。それだけに、いざ体験してみると気味が悪かった。人形を買ったときの店員の言葉もある。あのときは、ただ風変わりな男としか思わなかった。

この人形には心が宿っていると、男は言った。また相原自身、人形に関する怪奇な話は数多く聞いたことがあった。死者の霊が乗り移った人形や髪が伸びたり血の涙を流したりする人形、古くは縄文時代の()(ぐう)などに至るまで、人形にまつわる話は世界中どこへ行ってもどの時代にも存在する。もとは身代わりに使われたという説が濃厚だから、心霊的な話との関連が強いのだろう。

相原は人形を返すつもりだった。この時間に店は開いてはいまいが、二階が住居になっているから店の人間はいるのであろう。いなければ帰りに寄ってもよい。本来なら誰かに譲るか、抵抗はあるが捨ててしまうところだが、昨夜のできごとがある。万が一、捨てたりして(たた)られることにでもなれば、取り返しがつかない気がした。人形の祟りは恐ろしいものだと聞いていた。妻ほどおびえているわけではないが、気味が悪かった。

 店は閉まっていた。定休日だとある。相原は裏へ回った。痛みかけたドアがあった。ドアホンも何もない。ノックしてしばらく待っていたが、内部から返る声も気配もなかった。

 相原は(あきら)めた。古い建物であった。住居は別のところに持っているのかもしれない。そうだとすれば店員がこの店に来るのは明日以降だ。相原は玄関の前にダンボール箱を置いた。

 出社した。

 夕刻、相原は電話を受けた。妻からであった。

 〈あなた! 人形は持っていってくれたわよね!〉

 「ああ。……おい、何があった?」

 相原の胸中にドス黒い不安がにじんだ。

 〈いるのよ! ここにいるのよ!〉

 真子の声は半狂乱であった。

 相原は定時にならないうちに退社を申し出た。異様なことが起こっている。たしかに、人形を詰めた箱は店の裏の玄関に置いてきたはずであった。その人形が、あろうことか部屋に舞い戻った。真子が買い物に出た隙だったという。あり得ないことが起こっていた。違う人形を誤って入れたのか――いやと、相原は否定した。そんなはずはない。それに、箱に詰めるところは真子も見ていたのだ。

――店員の仕業なのか!?

それを考えてすぐに否定した。身許みもとも知らない相手の住居を容易に割り出せるはずがない。さらに留守中に怪盗の如く部屋に侵入して人形を置いて出たことになるのだ。もし可能にするなら、尾行から何からよほど大がかりな組織を組んでいなければならない。

 相原は部屋に走り込んだ。

 真子が放心したような目で相原を見た。

寝室に入った相原は、その場で棒立ちになった。

 ばらばらに分解された人形や縫いぐるみが、絨毯(じゅうたん)の上に無残に転がっていた。まるで、人形同士がすさまじい殺し合いを展開したかのようであった。

 棚の上には二体のフランス人形だけが残っていた。四つの無機質な光が相原をとらえた。


 相原は人形店に向かっていた。

 会社には休暇をとってあった。

 昨夜、人形をどうするかで真子ともめた。真子はなかば錯乱状態にあった。人形は捨ててもまた戻ってくるに決まっている。その人形にはもう触れたくない、店に返してきてほしいと懇願した。

 昨夜は人形を箱に入れて眠ったのだった。

 相原も真子も睡眠不足に陥っていた。

 正午を少し回っている。人形店は開店していた。

 「この人形を引き取ってもらいたい」

 相原はすぐに切り出した。人形を買ってから昨夜までのことを早口に説明した。

 「それは、できません」

 男の返答は、冷たかった。

 「しかし……」

 「最初に言ったはずです。その人形には心が宿っていると。人形はもう、あなたたちを自分の主人と決めたのです。大切にしてください。もしもその人形の身に何かがあったときには、あなたがたの身にも災いが振りかかるでしょう」

「しかし……」

 相原が同じことを言おうとしたときであった。店に入ってきた女がいた。相原はその女の顔を覚えていた。相原たちが人形を買った日に人形店にいて、同じ棚の人形を買っていった女であった。女は黙って相原を見つめた。

 「その人形はあなたがたを見守っています。大切にしてあげれば、やがて幸福が舞い込むでしょう。人形にはそういった力があるのです」

 「…………」

 相原は黙った。

 男と女が相原を見つめている。どういうのか、相原は言葉が出なかった。

 男も女も同じように冷たい目をしていた。

 相原は店を出た。

 途中のゴミ収集所で立ち止まって、思考錯誤の末に人形を入れた箱を捨てた。

 部屋では真子が不安そうな表情で待っていた。

 「返してきてくれたの?」

 「ああ。返してきた」

 相原は人形を捨てたことを隠し通すことにした。

 その晩は何も起こらなかった。翌日は、相原は出勤した。

 勤務時間中、相原は気が気ではなかった。電話が鳴るたびに神経が(とが)るのを覚えた。真子からではないのかと思うのだった。しかし夕刻になっても、真子は電話を寄越さなかった。相原は安心した。何事もなかったのだ。あるいは人形は誰かに拾われたのかもしれない。相原はもう、人形のことは忘れることにした。

 「お帰りなさい」

 真子は思ったよりも明るい表情で迎えた。

 「大丈夫だったか?」

 「私は平気よ」

 真子は笑みを浮かべている。相原の腕に自分の腕を絡めてきた。相原は真子を抱き寄せた。唇を重ねようとした相原の動きが止まった。真子は目を開けていた。相原は真子の瞳を覗き込んだ。その瞳の光に、人形店の男と女の無機質な光がダブった。同じ瞳であった。

 相原は真子を押し退けた。寝室に走り込んだ。

 棚の上に二体のフランス人形が戻っていた。


 相原は街を歩いていた。

 日曜日の夕暮れであった。

 あの日以来、部屋には帰っていない。

真子が、人形に魂を奪われてしまった。いや、真子の体が乗っ取られたのだった。人形に宿っていた魂が真子に乗り移ったのだった。真子の瞳は人形のように冷たくなってしまっていた。

 どうしていいのかわからなかった。相談できる相手がいない。話しても、誰も信じるはずがなかった。相原が相談される側にあったとしても、やはりそういった話は信じられまい。

 部屋には戻れない。戻れば、相原もまた人形に乗り移られる。

 人形に体を奪い取られた真子の魂は、どこへ行ったのか……。

あの人形はなんであったのかと思う。

 どこの、誰がつくったのか。どういう経過を経て魂が宿ったのか。

 相原の足は知らず知らずのうちに人形店の前に向いていた。

 相原は足を止めた。

 人形店の前で男がわめいていた。

 相原は様子を見ていた。店の入口の前には店員と、この前の女がいる。通りがかりの人間も何人か足を止めて見ていた。男のわめいている内容から事情はすぐに察知できた。わめいている男は女の恋人か何かで、店員の男に女を奪われたらしく喧嘩を売りにきたのだ。

 「そんな女、くれてやる! いいさ、誰とでもやる女なんだ、そいつは」

 男は力任せに人形をアスファルトに叩きつけた。

 鈍い音がして人形の首が折れるのを、相原は見た。

 女は冷たい目で壊れた人形を見下ろしていた。

 「気が済んだのなら、もういいだろう。行きたまえ」

 店員は冷静な口調で男を突き放した。

 男は無言できびすを返した。

 店員と女が店に引っ込むのをちらりと見て、相原は身を潜めていた場所を出た。男のあとを追った。

 「あんたなんかに、何がわかる」

 声をかけた男の顔は泣きそうにゆがんでいた。よく見ると、まだ少年のような面影が残っていた。相原よりは歳下であろう。

 「あの女性は、あの店で人形を買ったのだろう」

 「そうさ。それがどうかしたのか」

 「そのときのことを、話してくれないか」

 相原は強引に、男をスナックに誘い込んだ。

 「あいつは、ミサコは、あの人形を買ってから変わっちまったんです」

 飲み始めて少し落ち着くと、男の言葉づかいが丁寧になった。男の名は三浦といった。相原が歳上だということに気づいたようであった。見かけよりも臆病そうな若者だった。

 三浦とミサコは二年前に駆け落ちしてこの町に来ていた。

 ミサコは三浦よりも一つ歳上であった。中学生時代に知り合ってからずっと付き合ってきたのだという。ミサコの両親が二人の関係を知ったのは三浦が高校二年生のときであった。両親はどうにかして、娘を三浦から遠ざけようとした。しかし、ミサコは親の介入を拒んだ。その当時のミサコは高校三年。親はミサコの卒業を待たずに転校させる手段を取ろうとした。三浦とミサコは連れ立って東京にやって来たのだった。苦難はあったが、それぞれの仕事をみつけ、同級生からの関係の支援で住居もみつけ、ここ最近になってなんとか落ち着いてきたのだった。

 そのミサコが、あっけなく三浦を突き放した。好きな男ができたのだという。三浦はその男の居場所を突き止めた。ミサコがフランス人形を買ってきた人形店の経営者の男だった。

 三浦には、あの人形がミサコを変えたとしか思えなかった。ミサコの瞳が冷たくなった。表情までが暖かさを消していた。まるで人形のように、喜怒哀楽を表に出さなくなっていた。

 ミサコは人形店に行ったまま、戻らない。

 「じつは、おれの妻もそうなんだ」

 相原は人形を買ってからこれまでのことを話した。同じ日にミサコが人形を買っていたことも話した。

 「すると、やはり、あの人形が……?」

 「そうとしか、考えられまい」

 相原はタバコを潰した。

 「それじゃ、ミサコはどうなるんです」

 「わからない」

 相原は苦しげに首を振った。人形が魂を持っていたことは間違いなかった。そして、その魂が真子とミサコの体にそれぞれ乗り移ったことも。すると、真子とミサコの魂はどこへ行ったのか。

 一つの肉体に二つの魂は共存できない。とすると……。

 ――人形か!

 真子とミサコの魂はそれぞれの人形の中に封じ込められたのか。

 相原は三浦を見た。三浦もそのことに気づいたようだった。おののいた表情を相原に向けていた。かりに人形と魂が入れ替わったのだとすれば、三浦は取り返しのつかないことをしている。ミサコの魂が入った人形を叩きつけて壊してしまった。

 首の折れた人形を見下ろしていた女の冷たい瞳がある。

 ――どうすれば……。

 相原は頭を抱えた。これからどうすべきかがわからなかった。真子の魂をふたたび真子の体に戻し、人形の魂はふたたび人形の体に戻すか、消滅させる。しかし、その方法がわからない。人形は二度も箱を脱出して、置き去られた場所から相原の部屋に舞い戻っている。他の人形たちの存在を拒み、すさまじい殺し合いの果てに自分たちの空間を占領した。そんな恐るべき力を持った人形に、どう立ち向かえばよいのか。


 真夜中に、相原は自分の部屋に帰った。

 真子の姿がなかった。

 寝室に入った。人形の姿もない。

相原は全身から血の気が引くのを覚えた。真子は人形を持って外に出ている。行き先はあの人形店だとしか思えなかった。いまの時間、店に誰もいないとすれば店員の男の家にいる。

 相原は走り出した。町は寝静まっている。途中でタクシーを拾った。人形店がこの時間に営業しているとは思えないが、店員の住居はわからない。わからなくてもいい、翌日の開店まででも待ち続けるつもりだった。

 しかし、人形店には明りが入っていた。

 タクシーが走り去ったあと、相原はその場に立ったままでいた。

 男が歩いてきていた。三浦であった。

 「おい……」

 相原は三浦を呼び止めようとした。三浦の表情には生気がなかった。締まりなく口が開いていた。(うつ)ろな目で相原を見たが、意思表示はしなかった。

三浦と別れてまだ一時間余りしか経っていない。三浦はあれからここにやって来たのだ。人形店の中にいたのだ。そしてここで、何かがあった。三浦は精神に異常をきたしているようであった。

表のドアは閉まっていた。外からは中の様子が見えない。裏の玄関に回った。ノックはしなかった。いきなりドアを開けて入り込んだ。

店の中には三人の人間がいた。店員の男とミサコ、そして妻の真子であった。

 「妻を、返せ」

 相原は最初から喧嘩腰になった。

 「そろそろ来るころだと、待っていたよ」

 男は冷静に答えた。

 「どういう、ことだ」

 相原は真子を見た。真子は少女の人形を抱いている。真子の瞳は冷たかった。ミサコの瞳も同じであった。三人とも同じように無機質の光をたたえた目で相原を見ていた。

 「われわれには、君の体が必要だ」

 「妻の体は、きさまらが……」

 相原は、あえいだ。

 「その通りさ。君の妻の魂は、あの中にある」

 男は(あご)で指した。真子が抱いている人形だった。

 「この女の体にあった魂も……」男はミサコの肩に手を置いた。「同じように人形の中にあった。しかし、女の恋人がその人形を壊してしまった。人形が壊れれば、その中にある魂はその瞬間から消滅してしまうのだ。あの男は自分の手で、恋人を殺してしまった」

 「…………」

 「人形のことが、聞きたいのだろう」

 男は静かに、カウンターの椅子に座った。その後方にも棚があって、同じようなフランス人形が二体、置かれていた。両方とも少年の人形だった。その片方は、相原の部屋から真子が持ち出した人形のかたわれであった。

 「あるところに、足の不自由な少女がいた。少女は友達のいない、寂しい子だった。少女にとって心が許せるのは、自分の兄と、六人のフランス人形だった。少女は人形たちを可愛がっていた。ところがある日、兄の留守中に、少女の家は放火魔の犠牲になった。少女は人形を救うことに必死になった。炎に包まれた部屋から自分が逃げることよりも、人形を救おうとしたのさ。少女は人形を、自分の持っていた金属製の宝箱に入れて、二階から窓の外に投げた。少女は焼死体となったが、人形たちはどれも傷一つ負ってはいなかった」

 男は、人形から相原へと視線を移した。

 「それほど愛されていた人形たちに、魂が宿っていたとしても不思議ではあるまい? その人形たちはいつしか自分たちの意思を持ち、生身の温かい体を持ちたいと切望するようになったのだ」

 「…………」

 「最初に生身の体を手にしたのは、ぼくだった。今ぼくが操っているこの体は、焼死した少女の兄の体なんだよ」

 「…………」

 「ぼくは仲間の人形を管理しながら、買い手が来るのを待っていた。できるだけ美しく、若い肉体を選んだ。あるカップルが二体を、そしてこの女が一体を、最後の二体を君たち夫婦がそれぞれ引き取ってくれた。この女とぼくは、人形の中にいたときに恋をしていたのだ。人形だって恋はするものなのさ」

 「…………」

相原は、言葉がなかった。

 「残る一体は君の体に入る。君たちはこれからも、愛し合うことができるのだ。肉体は肉体同士、そして君たちの魂は人形の中でね。さあ、おとなしくするのだ。苦しいことは何もない。君の妻の魂は人形の中で君を待っている」

 相原の体から力が抜けていた。男の、そして真子とミサコの目が光り始めていた。

男の背後にいた少年の人形が動き出すのが見えた。人形は相原を()っと見つめていた。人形の目も光り始めていた。その人形は生身の体が来るのを待ちわびていた。執念の結晶を突き刺すような光であった。意識が薄れてゆくのを、相原は感じていた。


女子高生たちのグループが人形店の前を通った。

 そのうちの一人がショーウィンドーに陳列されている三体のフランス人形を見て立ち止まった。少女は黙って人形を見つめた。

 やがて、仲間が気づいて少女を呼んだ。少女はショーウィンドーから離れた。仲間のあとを追いながら、少女は何度かショーウィンドーを振り返った。

 少女の目には、人形たちの表情がなぜか哀しげに映っていた。




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