伯爵邸
残酷描写が多々ありますので、苦手な方はご遠慮下さいますようお願いします。
私はルフアンというテミニル国の北の貧しい村で生まれた。テミニル国はミッドランド王国から見て南に位置し、前世でシヴァによって滅ぼされた国の一つだ。私のいる村は北のミッドランド王国との国境付近にある。
私の朝は早い。早朝から家事をしないと両親は私を殴った。前世では身だしなみを整える時間すら与えられなかったので、肩口より短い髪をゆっくりととかす。
前世の鍛錬で使えるようになった水魔法で顔を洗い身支度を整える。
「何やってるんだい! 早く掃除をし‼」
物置部屋に勝手に入って来た母親が手を振り上げて私を殴ろうとする。
痩せて暗い表情の顔は相変わらずで、まだ30代のはずだが茶色の髪には白髪が沢山混じっている。いつも生活に疲れてイライラしている様子だった。
私は母親を見つめ、魅了をかける。吊り上がっていた眉は落ち着いて眼差しは優し気なものに変わる。
「……すまないね、怒鳴っちまって。掃除はあたしがするよ。あんたはゆっくり寝てな」
虚ろな目をした母が部屋を出て行く。私も物置き部屋から出ると、隣の居間で寝ている、昨夜から呑んだくれていたであろう父親に近づく。
前世の父もお金もないのに毎日酒を飲んでいた。飲んでは暴れるのを繰り返し、妻と娘を殴り、働きに行かなくなった。父と母の罵り合う声を子守唄に私は育ったのだ。
父を呼んでも起きないので、顔に水魔法で水をかけると驚いて、私がやったとわかると怒って鬼のような形相で殴りかかってくる。
私は強めに魅了をかける。
父の表情は母以上に虚ろなものになり、私に深々と白髪まじりの頭を下げる。
「リリー、父さん、呑んだくれて済まなかった。これからはきちんとするから」
父親は汲み置きの井戸水から水を大量に飲むと、何ヶ月ぶりかで畑仕事に行く。記憶の中で父が働いているのを見たのは初めてかもしれない。
「チョロいわね。今までの人生は何だったのよ……」
幼少期から今までの私は、両親からの虐待に怯え、親の機嫌を取り、家事に炊事に畑仕事にと忙しかった。
12歳にしては瘦せこけ、近所の人にたまに食べ物をもらえなければ私は死んでいただろう。
母親はかいがいしく朝食を作り、畑仕事に行った父を呼んでくる。薄いスープと硬い小さなパンだけの食事だが、この家にとってはご馳走だ。
三人そろっての食事など前世で数えるほどしかとった事はない。母親に作らせた朝食を食べながら、私は言う。これがここで食べる最初で最後の食事になるだろう。
「私を人買いのバーグに売って欲しいの」
私が提案すると、父親と母親は滅相も無いとかぶりを振る。
「大事なお前を、あの鬼畜な人買いに売るはずないじゃないか‼」
「そうだよ、何を言ってるんだい!」
二人は、以前私が心底言ってほしかった言葉を叫ぶ。前世で、12歳の私をバーグに喜んで売ったのは両親だった。バーグはいい金額で子を買ってくれるが、連れて行かれた子は皆、貴族の玩具になり死んでいるという噂だった。前世では連れて行かれる恐怖で泣き叫び、着いた先で噂が本当だと知った。
前世では売られるのが嫌で両親にすがりついたが、殴られて別れの言葉もなく人買いに差し出されただけだった。
両親は労働が大嫌いで、私を虐待し、食いものにしていた。高値で売れるまで育てただけでも彼らにとってはすごい事なのだろう。
前世でどう頑張っても得られなかった両親からの愛情を、今世で魅了を使えば簡単に得られるだろう。
でも、もうそんなものいらない。
(いらないと思えてやっと、仮初めでも親の愛情を得られるなんて……)
私は皮肉に笑うと魅了を強くする。
カーライルの魔力は私の魔力と心地よく混ざり、とても楽に洗脳魅了を使うことができる。両親は私の目を見るとますます虚ろになっていく。
「私を、人買いの所に連れて行って」
二人は片付けもせずに立ち上がると、私の手を引いてバーグの家まで向かう。シヴァが私を探している事はわかるけれど、私にはどうしてもやる事があった。両親に私を売らせて、魅了を解くと、両親は不快そうに私を見た後、嬉しそうに金を持って去って行った。
もう彼らと会う事はないだろう。今世でも別れの言葉などない。期待していたわけではなかったが、やはり私は誰にも頼れない、一人で生きなければいけないのだと実感する。
人買いは私を他の売られた子達と一緒に粗末な荷馬車に乗せ、更に北のミッドランド王国へと向かう。
長い旅に疲弊する子供達を「更に酷い事が待っているんだぜ」とバーグが嘲笑う。
私はバーグに「これから、一生をかけて、売り払った子供達に償いなさい」と命令し、子どもたちの貧しい携帯食とバーグの豪勢な食事とを交換させる。
バーグはぼんやりとしながら頷いた。
***
人買いに連れて来られたのは、トラウド伯爵家だった。隣国にすんなり入れたのも、この伯爵が手引きしていたからだろう。普通なら国境を大人数で超えるのに通行証がいくつも必要なはずだが、伯爵とバーグは懇意にしている為、国境のある伯爵領も自由に通過できた。
夏の終わりの秋の風が私たちを冷やした。
ようやく伯爵家に着いたのは正午過ぎだった。私たちはすぐさま大広間に通され、冷酷な蛇のような目をした家令にトラウド伯爵と対面させられる。
伯爵はでっぷりと太って、脂ぎった気持ちの悪い拝金主義の小男だった。
伯爵は下舐めずりして私達を見て、メイドに風呂に入れさせ、貴族風の服に着替えさせる。子供達は喜ぶが、それも一瞬だけだ。
「可愛がってやるからね」
フィリップ・トラウド伯爵は嗜虐趣味を持った変態で、領地や他国から子どもを買ったり攫ったりして変態行為に及んでいた。
私も最終的に、四肢を切られ、目を抉られ、魔物の棲む森に捨てられ、痛みと憎しみで発狂した。
子供が発狂して魔物に襲われる声を、伯爵は何よりも娯しんでいた。
私が今この男をどうにかしなければ、コイツは何度でも繰り返す。
「私を最初にして」
私は自ら家令に名乗り出ると「何があっても動くんじゃない」と小声で命令する。
動けなくなった家令の様子がおかしいと近づいてきたトラウド伯爵に、魅了を最大にかける。
「あんたが捕らえてる子ども達を、今すぐ解放しなさい!」
トラウド伯爵は脂汗をかき、虚ろな目でフラフラと地下牢へと牢を解放しに降りていく。
昼間には明るみになる事を恐れて絶対に牢に行かない伯爵が地下牢に降りた事でメイド達が驚きあたふたしている間に、私も地下牢に降りた。
真っ暗な地下牢をところどころで照らす、壁に備え付けられた魔道ランプの明かりを頼りに地下牢へと急ぐ。
夏の終わりだというのに震えるほど寒い地下牢は伯爵家の1階と同じ広さのだだっ広い空間の真ん中が通路になり両側は全て個別の牢になっている。
その一つ一つの牢の中に、暗い目をして傷ついた大勢の子ども達がいる。どの子も絶望した顔でこちらを見ていて、血の臭いがする。
伯爵が牢の鍵を全て解放しても、子どもたちは怯えて出てこない。
私は子どもたちの恐怖となっている伯爵に命令する。
「メイドに子ども達の手当てをさせて、あんたの弟に家督を譲ったら、あんたは魔物の森の奥に行きなさい!」
前世、魔物の出る森に四肢を失った私を捨てたのだから、これぐらいはさせてほしい。この男一人では絶対に魔物の森で生きていけないが、これまで子ども達にしてきた事を返すだけだ。四肢があるだけましだと思ってほしい。
トラウド伯爵の弟は、よく出来た人物であるが、この男がいる為に領地を継げなかったとメイド達の噂話で知っていた。
伯爵は急いでメイドに子ども達の手当てを命令し、自分は弟に家督を譲る準備を始める為に地下牢から出て行く。
私は遅れてやって来たメイド達と一緒に子供達を救出する。この人達も虐待を知ってはいたけど、伯爵を恐れて糾弾も密告も出来なかった。中には甘い汁を吸っていた者もいるだろう。そういう者は伯爵と一緒に魔物の森に行かせよう……
牢の中は惨憺たる有り様だった。伯爵はまず子供達に性虐待をし、それに飽きると嗜虐趣味に走る。
地下牢に入れられた子供達は皆、身体の一部を取られていた。手足の指を一本ずつ、目を、鼻を、唇を、手を一本ずつ、そして足を…魔物の声が聞こえる様に耳を残し、叫び声が通る様に舌と歯は抜かれない。死なない程度に止血をされて、子供は四肢が無くなったら捨てられ、伯爵は魔物に襲われる子供の断末魔を聞きながら、馬車で上機嫌に帰っていく……
私は目玉と両手の無い12、13歳くらいの少年を助け出そうと肩を貸す。申し訳程度に止血された布から血が滲んで私の服を赤く染める。
「足の……腱を切られていて……立てません……」
地下牢から連れ出そうとしたが、少年に拒否される。少年は諦めた様に言う。手を取られ目をえぐられた事により、自分の命はあと数日だとわかっているのだろう。
「僕を……殺して下さい……」
唇を削がれて、少年は上手く喋れないが、最後の願いを言う。ここから逃げられても、こんな体で生きていけるはずなどない。自分がもう何もできない事を少年は理解している。
私は絶句した。
(彼は前世の私と同じだわ……)
私も、酷すぎる拷問に殺されるだけの運命を受け入れる事しか出来なかった。早く殺してほしい。毎日体の一部を取られていく事に耐えられる人間なんてこの世にいるのだろうか。
(過去に戻って、一番変えたかった事がこれなのに……)
過去に戻った事は予想外だったが、洗脳魅了を持ってすれば、こんな状況の子どもたちを助けられるのではと思っていた。
だけど、私に出来る事など、何一つない。
自分だけ助かっても、傷ついた人を助ける事も出来ない。
(私はなんて無力なんだろう……過去を変えたいなんて……傲慢だったんだ……)
私は少年を抱き締め泣いた。死を迎える人に何をしてあげられるのだろうか。
「ごめんね……」
私だけ助かって。
(なぜ、こんな目に遭わなければならないのだろう。一体、なぜ……?)
私も殺してほしい。変えられない過去など、地獄のやり直しに過ぎない。
胸の中が熱くなり、涙が次々と溢れ落ちてきて少年の身体にかかる。
少年の欠損した身体が、少しずつ輝いていく。少年の体が発光し、光に満たされる。
抉れた目が盛り上がり再生し、両腕が復活する。
「パ…………完全回復…………‼」
周囲のメイド達が思わず叫ぶ。子供達が唖然として私と少年を見ている。
癒された少年は自分の両腕を見て、抉られたはずの目に手を当て、しばらくわなわなと震えていたが、信じられないものを見るように私を見つめる。
「あ……あなたは、聖女様だったのですか……? 僕を……僕を癒してくださった!」
私は自分でもこの奇跡に驚きながら首を振った。
前世では光魔法を全く持っていなかった。普通、上位貴族か神官、聖女しか光魔法は使えない。ましてや完全回復は絶対的な才能が必要で、研鑽を積むだけでは決して辿り着けない領域なので聖女や神官さえも使える者はほとんどいない。
「……私は、聖女じゃないわ……」
私が震える声でやっとそう言っても信じてもらえず、欠損した子ども達に群がられ、次から次へと子ども達を癒した。
「……カーライル……あんた、なんて物をくれたのよ……‼」
私の呟きは、癒し終えた子ども達の涙と感謝の言葉にかき消される。
怨嗟と呪詛を吐きながら死ぬしかなかった子ども達が、笑っている。
(私が努力してもどうしようもできなかった過去を変える為に、あなたはこの力を与えてくれたのね……)
子ども達を癒し終わった後、私は声も無くしばらく泣き続けた。
私の人生が変わり始めた。