未来へ
私とエドガーは、自身に認識阻害と消音の魔法をかけ、姿を隠す。通常、王宮では外部からの侵入に備える為に敵感知や隠形防止などの様々な警備魔法が張り巡らされているはずだが、エドガーが作った月長石がついた魔道具がそれらを無効化してくれる。エドガーは腕輪、私は髪飾りだ。
門番と兵士、召使い達に次々と魅了と洗脳をかけ、王の寝室に忍び込んだ。
豪奢な寝室は暗く、老年期にさしかかり先に王妃が亡くなった王は、側室を持たずに一人寝をすることを好んでいた。
消音魔法で扉を開け、光魔法で寝室を照らすと気づいた王が声を上げるが、魔法にかき消されて声は響かない。
強い認識阻害で姿の見えない私たちの襲撃におびえる王は滑稽で、この人の子や孫が実直に育ったのが不思議に思う。
私は王に手をかざし洗脳魅了をかける。白髪は龍の血を表す金色を失っているが、洗脳魅了を容易くはじく。
焦る私の手にエドガーが左手を重ね共に王に向ける。これまでにないほど大きな魔力が手を伝わり、王の表情が虚ろなものへと変わっていく。
(やったわ……)
王に洗脳をかけた後、研究所長の遺体を異空間収納から出して、寝室に置く。
カーライルから引き継いだ異空間収納に時間停止機能がついていたからアロンザの遺体は腐敗しないで済んだが、血しぶきが全く飛び散っていない事を疑問に思う者もいるはずだ。
虚ろな目をした王が、私の思考を読み取ったエドガーの指示で部屋に浄化魔法をかける。部屋が王の魔力で満たされると王は眠りにつく。
アロンザの壊れた国宝の魔道具にムーンストーンを埋め込んだものをエドガーが遺体の脇に置いて全てが終わる。
人体実験をやめる気になった王と、魔道具で王宮に秘密裏に出入りしていた研究所長が意見を違え言い争いになり、研究所長は死に、王はこれを機に退位し、自分の息子に王位を譲る……という筋書きにする。
「上手くいくかしらね……」
龍の血を引く王に洗脳をかけるのはエドガーがやってくれたので成功したようなものだ。
散歩から帰って来た時には、朝になっていた。夜が終わると、私達の魔法は泡のように解け、元のフロックコートとワンピースに戻り、寂しさを感じる。
「僕が、上手く行かせるよ。ソイツも、君の世界で上手くやっていた様だし……」
黄金色の朝焼けが私達を照らし、清らかな光に洗礼を受けた様な気持ちになる。
神殿の中庭に、エドガーは異空間収納から揺れ長椅子を出す。
「貴方には、保護した子供たちを任せるから、これからも負担をかけてしまうわね。とても迷惑をかけてしまって、ごめんなさい……」
昨日、神官長の隷属の首飾りをエドガーにかけ直してもらって、伯爵家で保護した身元の知れない子どもたちの今後を彼に任せた。快く引き受けてくれたエドガーがいるので、私は安心して元の世界に帰る事ができる。
「そんな事はない。君に会えてよかったと、心から思っているよ……この魔道具は、一つの世界で、一人が使えるのは一度きりだから、元の世界に戻ったら、僕達はもう会えなくなる」
(そうだったのね……)
「私達が、共闘した証……いつか、何処かに埋めてほしいの……」
私は時間停止機能がついている異空間収納から箱を取り出して彼に渡す。エドガーの抉られた目と、切り取られたリリーの腕が入っている。エドガーは私の表情で何が入っているのか察したのか、頷いて哀しみの詰まった箱を自らの異空間収納に移動させる。
「ああ……必ずそうするよ……」
これで何も気掛かりな事が無くなった。
「寂しくなるわ……そういえば、前に言っていた、心配しなくていいって、どういう事?」
私は、とても気になっていた事を聞いた。
「…………」
珍しく沈黙する彼を不思議な気分で見つめる。
「エドガー、教えて?」
「……何を聞いても、僕を……僕らを嫌いにならないと……約束してくれるかい……?」
悪事がばれた子供のような顔をして、すまなそうに私を見る。
「嫌いになんてならないわ。絶対よ!」
エドガーは深くため息をつく。
「もし、僕が……同じ状況に陥ったら……」
「陥ったら?」
「……恐らく……いや、絶対に……」
「絶対に……?」
エドガーは根負けした様に言う。
「君の複製人間……いや、正確には複製人形を作っているはずだ……」
「……は?」
「君の細部の核から、肉体を復元して、時魔法をゆっくりかけ成長させ元の年齢の16歳で止める。多分、君が戻る事を考えて、君の体を準備している筈だ……」
「……な、何よそれ‼ 禁術中の禁術じゃない!」
「そう……禁術だよ。これまでに成功した人は誰もいない。だけど、僕なら絶対そうするし、ソイツは絶対成功させるだろう……」
「貴方の中には、確信があるのね……」
(エドガーは天才だとオスカーが言っていたけど、今の魔術理論を超越し過ぎているわ……)
禁術は倫理的な観点とその危険性から魔術師達によって研究する事自体が禁忌とされたものだ。教科書一つ存在しない上、複雑怪奇な魔法に薬、様々な呪文を組み合わせるので、術者自体が行使しようとして亡くなる事も多い。
「……嫌になるくらい、ソイツの気持ちがわかるよ……もし、君が戻って来た時に、君の精神と波長の合う肉体に入る事が出来ても、それが誰かの恋人や妻だったら絶対に耐えられない。君を誰にも触れさせたくないんだ……」
顔を赤らめて目を逸らすエドガーに、こちらもどぎまぎする。
「でも……だけど、その肉体の精神や魂はどうなるの?」
「複製人間には精神と魂が入っているが、複製人形は精神も魂も何も入っていない。本物の肉体と機能は同じだけれど、文字通り人形なんだ。……ただし、ソイツは、君の滅びた肉体から魂を移植しているはずだ……」
「私の魂が入ってる?」
「そうだ。いうなれば今の君は、元の体に魂を残し、抜け出した精神体なんだ。実体のない君が、今の体に宿っているという事だ」
エドガーは続ける。
「君の今の肉体は、厳密には魂が一つと、精神体が二つ入っている事になる……その魂は、今の肉体の魂で、君が今の肉体に留まれば、5年から10年ほどで君の精神は肉体の持つ精神と魂と、完全に融合するだろう……」
「カーライルは、全てわかっていたの?」
「……ああ。ソイツは君の精神を過去に飛ばすと言った……魂ではなく。だから、君が迷わず帰って来られるように、君の複製した体には君の滅んだ体から移植した君の魂が目印として入っているはすだ。君が戻っても違和感のないようにまっさらで最高の状態の肉体を準備していると思うよ……」
(あっさり言うけれど、魂の移植だって禁術だわ……)
禁術を使った事が他者に分かれば、当人は禁固刑で一生牢を出られないか、最悪処刑されてしまうだろう。
「エドガー……カーライルと、貴方って……一体どうしてそんなに私を好いてくれているの……?」
思わず聞いてしまう。想ってくれるのは嬉しいが、やっているのは生命の冒涜である。
(しかも、自分の命を危険に晒して……)
私の問いかけに、恥ずかしそうにしながらも答えてくれる。
「……それは、僕の方が聞きたい……前に、『君が今いるこの世界の歴史を変えても、元の世界には何一つ影響しない』と言ったけれど、必ずしもそうでないのかもしれない。過去・現在・未来は、分ける事ができない。三世不可分と言うんだが、君と会った時、僕は、何とも言えない懐かしさを感じた……それは、僕やソイツが……過去や未来の君の存在を感じ取っていた……からとも言える……」
「難し過ぎて、よくわからないわ。彼は『僕はこの世界の何処かに君がいるだけで生きていける』と言っていたわ……」
エドガーはゆっくりと首を振った。
「それは、嘘だよ。君が僕を選んでもいい様に言った、強がりだ……僕が、君無しで生きて行けると思う?」
「……思わないわ……」
(私と、もう一人のリリーがいなかったら、この人とカーライルはどうなってしまうのかしら……)
今でさえこうなのに、明らかに間違った道に進んでしまう気がする……
「……だから、この話はしたくなかったんだ……だけど、僕が君に説明せざるを得ない事だって、ソイツの考えた通りなんだろう。オスカーは僕を完璧な人間だと思っているけど、僕も、ソイツも……欠点だらけの、本当にどうしようもない奴なんだ……君は、そんな奴でもいいの……?」
心配そうな彼に私は微笑んだ。
(そんな人だからこそ、放っておけないわ)
「ええ。彼は、私を初めて愛してくれた人よ」
何の迷いもない私の言葉にエドガーはしばし瞠目し、安心した様な羨ましい様な顔をする。
「ソイツは果報者だね……」
「エドガー……彼も、貴方も、人を幸せにできる人よ。私は本当に感謝してるわ……」
「こちらこそ」
私は揺れ長椅子に横たわる。
エドガーが差し出した手を、私は強く握り返した。
「元気でね。君に会えて、本当によかった」
エドガーは哀しそうな、しかし穏やかな目をして微笑み、そっと長椅子を揺らした。