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慟哭

 神殿の隅の小部屋の窓から、朝日が入ってくる。秋はますます深まり、朝晩の気温差が窓硝子をぼんやりとくもらせている。

 自分の気持ちに気付いてから、私は何をする気力もなくなり、食事もとらずに部屋にこもってしまう。

 簡素な小部屋の寝台の上で昼過ぎまで部屋から出てこない私を、エドガーが気づかって声をかけてくれる。


「リリー……何か、心配な事があるの……? 入ってもいいかい?」


 部屋には私が魔法で鍵をかけていたが、エドガーは容易く開けて、ためらいがちに部屋に入って来る。

 私は掛物にくるまり、寝台に伏せたまま迎える。

 壁際にある椅子に腰かける音がし、いつもと同じ穏やかな声が聞こえる。


「オスカーは、シェラード家を取り戻したら、冒険者になるらしい。今朝、書き置きがしてあって、神殿を出て行ったようだ」


 突然のオスカーの出立に驚き、思わず顔を上げてしまう。目が合うとエドガーは穏やかに笑うが、弟を思う顔は寂しそうで、仲のいい兄弟が少し羨ましくなる。

 私は子どもっぽく伏せていることを恥じ入り、掛物を下ろし身を起こした。


「無理しないで」


 寝台から降りようとする私を押し戻し、掛物を足に丁寧にかけてくれる。

 どんな時も優しいエドガーの気遣いに涙が出そうになって、慌てて口を開く。


「貴方は、家の事はいいの?」


 (研究所所長は、彼らを売られて来たと言っていたけれど……)


 神殿で暮らす中で、彼らの生い立ちを詳しく聞いた事はなかった。踏み込んだら傷つけるような気がしたし、聞いたとしても自分の事を語らなければ公平フェアじゃないと思っていた。


「嫡男なのに、無責任と思われるかもしれないけれど、貴族の義務はこれまで沢山の魔道具を作る事で果たして来たと思っている。領民にも十二分に還元出来た。だから、叔父がいくら領民から搾取しても、オスカーが家督を取り戻すまでに、彼らが極端に飢えるという事はないはずだ。それに、僕はシェラード家の存続には、あまり興味が無いんだ……」


 曖昧に笑ったエドガーは前世のカーライルとは違い、黒髪をまとめず自然に流している。白磁のような肌と白い祭服、漆黒の髪と瞳が対比して、おとぎ話から抜け出たように美しいのに、儚げで現実味がない。


「どうして……?」


 (触れたら、消えてしまいそう……)


 普段は話さない事を話してくれるのは、私を気遣ってくれているからだろう。


「……僕らの母は高魔力を見込まれて隣国から嫁いで来たけど、完全な政略結婚だった。それゆえに、家庭に愛情はなく内実は不幸だった。父と母が笑っているところを、僕らは見た事がない。母が病気で亡くなって、父親も病に伏すと、叔父……父の弟がやって来て、我が物顔で家を仕切る様になった。叔父はオスカーを騙して隷属の首飾りを付けさせ、人質にして僕に家督を手放すように要求した。僕はそれに従ったが、安全は確保されず、僕とオスカーは共に研究所に売られ、叔父は大金と家督を手にした……」


 屈辱的な話なのに、様子が変わらず淡々と言うエドガーに驚いてしまう。


「……大変な事じゃない! 貴方も、オスカーと一緒に叔父さんから家督を取り戻すべきだわ!」


 感情をあらわにした私を見て、少し安心した顔をした後、エドガーはゆっくりと首を振る。


「シェラード家の事は、オスカーに任せるよ。彼なら上手くやるはずだ。僕は、昔から家の事にも、家族の事にも、何にも興味が持てなかった……だけど、今は……」

「今は……?」


 エドガーが射るような目で私を見る。瞳には熱がこもっている。

 前世でも、同じ熱のこもった瞳が私を見つめていた。


「今は、君に興味がある。言い換えれば、君にしか興味が持てない。君の側を、一瞬だって離れたくはない……」


 私はあまりの事に唖然として声が出ない。


伯爵家としての莫大な財産や人脈、富をも放ってしまう理由が孤児の私なんて……


(私に、そんな価値はないのに……)


 想われているのに胸が痛む。私は彼に応えることができない。


「僕にはね、リリー、不思議な特技があって、その人の本質が、出会った瞬間に解ってしまうんだ……」

「…………」

「君は、自分を聖女じゃないと言うけれど、君ほど傷つき、傷ついたが為に人に優しく出来る純粋な人間を僕は知らない。君の心は、いつだって美しい」


 熱のこもった瞳から目を背け、彼の言い分を否定する。


(私は、そんな人間じゃない。私はとても汚いのよ……)


「……そんな事はないわ。私は、ただ、がむしゃらに……泥まみれに生きて来ただけよ……」


 私は前世、シヴァに操られ他者を陥れ、彼の手駒となって沢山の国の王位を簒奪(さんだつ)する事に協力した。

 私が前世してきた事を知ったら、彼は何て思うだろうか。


「僕には、君の必死に生きようとする姿が眩しい。僕には無いものだ……僕が君に惹かれるのも、君が必死に生きている、生きようとしているからだ。泥の中で咲く一輪の蓮の花……それが、君だよ」


 (そこまで、私を見てくれていたの……)


 私の泥まみれの人生を……そんな風にとらえてくれているなんて……


「リリー、僕でよければ、話してくれないか……?」


 エドガーは立ち上がり、寝台の私の足元に腰掛ける。


「君が、僕をミドルネームで呼び続ける理由は、何? 君は、一体、何を隠しているの?」


 穏やかに言う彼の声は前世のカーライルと同じで、私は耐えられなくなる。堪えきれずに涙が溢れる。


「信じるはずないわ。驚くほど荒唐無稽な話ですもの……」


 涙が頬を伝い、雫になって巫女服を濡らす。


「僕は、君を知りたい……君の全てを、知りたいんだ」


 真摯な目が、私から逸らされることはない。


「馬鹿ね。知って後悔するのは、そっちよ」


 これまで隠してきたのに、言えば全て壊してしまうだろう。


(貴方を、傷つけたくないわ……)


 エドガーの指が、頬を伝う私の涙をすくう。


「後悔してもいい。君の全てを話してほしい……」


 エドガーの目は、私の全てを受け入れてくれた、あの日のカーライルの目と同じだった。


 私は、躊躇いながらも、ぽつりぽつりと話し始める。


 話し終わった時には、既に夕刻になっていた。



 ***



「私は、未来の世界から貴方の作った魔道具を使って時を遡ってやって来たのよ」


「私が洗脳魅了を使いこなせるのも、完全回復が出来るのも、全て、未来の貴方が与えてくれたものだからよ……」


 口を開く度に、エドガーが傷ついて行くのがわかる。


 だけど、堰を切ったように私は泣き叫ぶ。もう止まらなかった。


「何も持って無くて、聖女でも無くて、襤褸(ぼろ)みたいな私を……未来の世界のカーライルは……好きだと言ってくれたの……」


 エドガーは衝撃を受けた顔をしていたが、目眩を感じたように立ち上がると、壁際の椅子に座り込んだ。


「……参ったな……自分に嫉妬する日が来るとは思わなかった……」


 窓から差し込んだ夕日に照らされてもなお、エドガーの顔は青ざめていた。


「君が、僕をミドルネームで呼ぶのも、そのせいだったのか……あの時、君が現れなかったら、僕は能力も発揮出来ず、傷つき、神殿に運ばれるだけだった。神殿で自分の始めの名と姓を捧げて、神殿に帰属していたという事か……」

「おそらく……元の未来の貴方は、神殿に帰属した後で様々な能力を発揮して、研究所の所長になっていたわ。洗脳魔法を使ったのだと思うわ……」


 エドガーは頷き、私の考えを肯定する。


「今の僕も、君がいなければ、きっとそうしただろうな。拷問されている人がいるなんて、嫌だから、自分が所長になって、人体実験などない様にしただろう……」

「……でも、元の世界の貴方は、カーライルは……いつも眼鏡をかけていて、反逆罪で捕まった私を拷問したわ……」


 疑問を口にする私にエドガーは素早くこたえる。


「……眼鏡をかけているのは、多分、自分への戒めだろう……自分が拷問に遭って、目を抉られた時の気持ちを忘れない様に。決してやり過ぎない様に。だけど、ここ最近能力を使ってわかったけれど、洗脳(ブレインウォッシュ)で感覚のリミッターが外れているかどうかを見極める事は、徹底的に体内を調べないと絶対に出来ないはずだ。君を拷問している時、ソイツがどんな気持ちだったか、君に……わかる?」


「……わからないわ……」


 前世の彼が何を考えていたのか、わからなかった。けれど、私が彼を好きだと……私の心に前世の彼がいると気付いたのは、彼の心の痛みを察したからではないか……


 (自分がされた拷問を他者に施す時、彼はどれだけ苦しかっただろう……)


 私の表情を読み取ったエドガーが続ける。


「ソイツは、とんでもなく馬鹿な奴だという事だよ……君を救う為には君を拷問して君にかかっている魔法を突き止めなければならない……自分の感情を殺して君を切り刻んだ……僕にはできそうもない……」


 言って、エドガーはこれまでにないほど暗い目で私を見た。


「君が、僕以外の元に行くのならば、君を殺してしまいたいな……」


 その闇の深淵のような瞳を見た時、以前オスカーが言っていた意味を私はやっと理解する。


『兄さんは俺よりずっと暗い目をしていたよ。兄さんの目が明るくなったとしたら……それはリリー、君のせいだろう』


 様々な才能があっても、何にも興味が持てない自分。だけど、やっと興味を持った人間が、未来の自分が差し向けたものだと知ったなら、誰を怨めばいいのか。


「しかし、それをすれば僕は、君が言う元の世界の僕に負けた事になる。僕……ソイツは、どんな世界でも、君が生きる事を望んだ。君が自分の手から離れて、やり直す事を望んだ。引き裂かれる様な想いで、君を手放したんだろう……そんな男に勝てる筈はないよ……」


 エドガーは諦めたような、自嘲を含んだ笑いを浮かべる。


「……私は、貴方に殺されたいわ。未来の世界のカーライルは、もう消えているはずだから……」


 涙が次々と溢れ落ちてくる。彼を傷つけていることがわかるのに。言葉にすれば、これ以上傷つけてしまうのに……


「私が、貴方を助けた事で、元いた未来は消えてしまった……私が会ったカーライルは、私が消してしまった‼」


 私は、見て見ぬふりをしていた事実を叫んだ。


「私が愛してるのは、今の貴方じゃなくて、消してしまった未来の貴方なのよ……」


 エドガーの顔を見る事が出来ない。何て残酷な事を言っているのだろう。


「私が元いた世界は、私が過去に帰った事で、存在しなくなってしまった。でも、私は、その世界の記憶と力を持っていて、それが無ければ、貴方とオスカーを助ける事も、子どもの自分を助ける事も出来なかった……存在しない世界の記憶と、力を持っている私は、一体どうなるの? 元の世界と一緒に、私もいずれ消えてしまうの?」


 じわじわと真綿で首を絞められているような気がする。


「貴方が殺さなくても、私は……いずれ、消えてしまうのかもしれないわ……でも、カーライルに会えないのなら、それでいいわ」


 私の言いように、エドガーは衝撃を受けている様だった。


「……君は、つまり、消滅した世界の、消滅してしまった僕に会いたいの……?」


 彼の感情のない声に頷き返す。


「ええ……そうよ。馬鹿な話だと思うけど、もう会えるはずなんてないけれど、私は、元の世界に戻って、カーライルに会いたいのよ……」


 私は涙を拭った。


 そう、彼は、初めて私を愛してくれた人だった。

 逆行する直前、カーライルが言った言葉を、私は思い出していた。


「『愛してる』と……言ってくれたのよ……こんな私を……愛してると……」


 口に出せば、何て軽い言葉になってしまうのだろうか。

 だけど、何の計算もない、只、愛情しかない彼の気持ちが、私は嬉しかった。


「歴史を変えてしまうと気付いてからも……何故、僕らを助けてくれたの?」


 張りつめた声にはどこか幼さが感じられる。私は、エドガーたちを母親のような目で見ていたことに気付く。


「貴方達を見捨てる事なんて、貴方が傷つくのを許すなんて……絶対に、出来ないからよ。私は、もう誰にも傷ついてほしくない。見捨てられるのなんて、私一人で沢山だわ……」


 私は疲れ切り、脱力する。胸の中の重いものを吐き出した後に残ったのは、何も無かった。


「少し……考えさせてほしい……」


 エドガーの静かな声がして、扉の閉まる音が響く。


「馬鹿ね……何をやってるのよ……」


 私は自分自身に毒づく。


 元の世界の彼に会いたくて、その想いを抑えられなくて……エドガーを深く傷つけてしまった……


 結局、私は、この世界の彼も失ってしまうのだ。



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