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自覚

 神殿に移ってから、信じられないほど穏やかな時間が過ぎていった。

 神殿を訪れる癒しを求める信徒に私たちは癒しを施しては記憶を消していく。

 人々を癒すことで、エドガーとオスカーの心も癒されていくようだった。


 神殿に属さないので、エドガーはエドガー、オスカーもオスカーのまま何一つ変わらない。私は心が焦るのを見ない振りして、保護した子供達の世話をし、穏やかな日々に溶け込もうとしていた。


 秋の中庭の木々は黄色く色づき、午后の梢のざわめきが心を落ち着けてくれる。私は心が焦ると中庭で休むのが日常になっていた。


「君が、ただの売られて来た子供だなんて俺は信じないよ」


 中庭の壁にもたれかかって休んでいた私に、オスカーが言う。


「出会った時から君には、人を助けるという明確な意思があった……君は一体、何者なんだ? どうして俺たち兄弟を助けてくれたの? そろそろ教えてくれないか?」


 前髪がはらりと流れて見えた顔は兄とよく似ているが、オスカーの黒色に見えるほどの暗い藍色の瞳は不思議とエドガーと全く違う印象を与える。


「別に……貴方達を助けたのは、ただの気まぐれよ」

「嘘だね。俺と兄さんには、他人の嘘がわかる。君は嘘をついている。君の中には、もっと、年上の女性(きみ)がいる……」


 オスカーは壁に手をついて私を押し付ける。背の高い彼に見下ろされる形になるが、真剣な表情からはいつもの余裕が感じられない。


「リリー……俺のものになって。俺には君が必要なんだ……」


 オスカーの瞳は黄金に変わっている。無意識か意識的にか私に洗脳を施そうとしている。


(無理に得ようとしても、得られるものなんてないのに……)


 前世ではオスカーが力を使う度に恐怖したものだが、その胸の内を知る今は彼と穏やかに対峙できた。


「嫌よ……絶対。それに、あなたは銀髪の女の子が好きなんでしょう?」


 オスカーは一瞬、きょとんとして、笑い出す。


「銀髪? 誰、それ? なぜそう思うの?」

「何となくよ……」


 (前世、帝国の王妃に相応しそうだという理由で、私を操って美しい銀髪の公爵令嬢を狙っていたくせに……)


 オスカーが公爵令嬢を狙ったせいで、私は今ここにいるのだと思うとなんだか可笑しい。


「俺と一緒に来れば、天下が取れるよ。絶対に損はさせない」

「へえ、例えば、私が王族を魅了して、貴方が兵を洗脳して国を乗っ取るとか?」


 怜悧な目が驚いたように見開かれる。勝色の瞳は本来なら皇帝となるシヴァにふさわしい色なのだろう……


(だけど、それは違うわ……)


「君、本当に面白いな。俺が考えてる事を、次々と当てる。ますます、俺のものにしたいな」


 オスカーの優美な手が私の顎を摘み、上を向かせる。


「いいえ、貴方は変わったわ。もう、決してそんな事はしない。貴方は、人を傷つける人ではなくて、癒す人よ」


 オスカーの瞳は黄金から、穏やかな星月夜の色に変わる。


「……本当に、惜しいな……兄さんが君を好きでなきゃ、俺が貰うのに……」


 オスカーは私の顎から手を放し、指の背で頬を撫でる。


「俺は、君が好きだよ」


 オスカーの告白に私は目を見開く。

 前世のシヴァに洗脳されていた私は、彼に心酔し、シヴァが求めた公爵令嬢を憎んだ。以前の私なら喜んだろうが、その言葉は、もう欲しくない。


「……ごめんなさい……」

「……君は、兄さんが好きなの?」

「……違うわ……」

「じゃあ、他に好きな奴がいるの?」


 誰もいないはずなのに、一人の顔が思い浮かんだ。


「……そんな顔しないで……忘れなくていい、ソイツの事……だから……」


 ひどく寂しそうな声がする。


「リリー……俺と一緒に来て……君が居れば、他なんてどうでもいい……」


 オスカーに見つめられながら、私は彼の事を思い出していた。


 真銀縁の眼鏡の奥にある、漆黒の瞳――



『君の人生は、いつも誰かのものだった……』


『しかし、本当は他の誰のものでもなく、君の為にある』



 優しく言ってくれた、彼……



「何をしている!」


 エドガーが、私の前に割り入ってくる。


「彼女に手を出すなオスカー……君を、殺したくない」


 エドガーの目は黄金に光り、オスカーを見据える。長い間視線が交錯するが、オスカーがふっと諦めた様に笑って背を向ける。


「兄さん……俺は、兄さんだから引くんだからね?」


 オスカーの足音が離れ、彼が去ったとわかっても、私の動悸は収まらなかった。


「大丈夫……? 弟が怖い思いをさせてすまない」


 エドガーが両肩に手を置いて気を鎮めてくれるのを、私は拒否する。


「……いいえ……私、もう……行くわ……」


 自分でも顔が真っ青だとわかるが、今は一人になりたい。


「……リリー?」


 エドガーの困惑した声が耳に残るが、私は逃げるように自室へと戻り扉を閉め、座り込んだ。



 オスカーに迫られて初めて気付いた。



 私は、カーライルが好きだ。



 でも、今の世界のエドガーではなくて……



 もう存在しない世界の、彼が好きなのだと。



 元の世界の彼にしか触れてほしくないと……



 過去を変えて、元の未来(カーライル)を消してしまって、やっと気付いた。



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