シヴァ
神殿に逃げ込んですぐ、私は神官長に神殿中の上位神官から下級巫女まで身分に関係なく神殿の大広間に整列させる。
「神官長様が、皆さんの顔を見たいと仰っています」
下々の者は、普段接する機会のない神官長と対面し、感極まっている。
神官長に一人一人に挨拶をさせ、その横にいる私とも目を合わせたタイミングで皆に洗脳魅了をかけていく。
先程駆け込んできた私たちを目撃し、訝しんでいる者もいるかもしれない。噂が広まる前にエドガー達がここに居る事がばれない様に情報操作をする。
『何を聞かれても、知らないと言いなさい。誰かが彼らを追って来たら、密かに逃がしなさい』
命令を声に出さず相手の頭の中に響かせる。列に並んだ最後の一人に洗脳魅了をかけると、人々は散り散りに自分の仕事へと戻っていく。
これで当分の懸念は無くなった。内部から情報がもれなければ、外部の人間がいくら探していても、彼らを見つける事はできないだろう。
神殿の皆が夕食をとっている間に、私は中庭で夕日を浴びながら休憩する。流石に神殿中の人間に洗脳魅了をかけるのは骨が折れた。そよそよと涼しい梢の音を聞きながら中庭の回廊の壁にもたれる。
(この中庭は研究所の中庭に作りが似ているのね……)
長方形の中庭は小規模な貴族の邸宅だったら丸ごと入ってしまいそうなほどの広さで、四方は神殿の回廊に囲まれ、何本か背の高い木が植えられ、魔法で刈り込まれた芝草は青々としたいい匂いがした。
前世でカーライルが研究所の中庭から送り出してくれたから、私は今ここにいるのだ……
「何を考えているの?」
いつの間にか、祭服に着替えたオスカーが側にいる。兄弟ともすらりと背が高く、踝まである白い祭服がよく似合う。
「……いえ、何も……」
オスカーが私の顔を覗き込む。夕日が彼の顔を影にする。
「君、神殿中の人に何かしただろ? 一体、何をしたの?」
私は顔を背けた。
「別に……話していただけよ……」
「君から、何故か兄さんの魔力を感じるんだ……君、何故、出会ったばかりの兄さんの魔力を、こんなに持っているの? 君の魔力と、兄さんの魔力が似ているだけ?」
出会った時から訝しんでいたのだろうか。流石に前世で皇帝になっただけあって、信じられないほど聡い。
「……さぁ。知らないわ」
オスカーの、エドガーによく似た怜悧な目で射抜くように見られる。
「君、俺と一緒に来ないかい?」
「……え……?」
何故、前世、魔物の森で出会った時と同じ言葉を言われているのか。
「俺と一緒なら、きっと楽しいよ」
オスカーが伸ばす手を、私ははねのけた。
「貴方、何て暗い目をしているの……? 貴方の兄さんは、明るい目をしているのに!」
私は悲しくなった。前世では気づかなかったが、オスカーの藍色がかった闇色の瞳は冥府への入り口の様だ。オスカーが笑い出す。
「兄さんが、明るい目をしているだって? 兄さんは、俺よりずっと暗い目をしていたよ。兄さんの目が明るくなったとしたら……それはリリー、君のせいだろう」
「私の……?」
戸惑う私を見るオスカーは真剣そのもので、夕日に照らされた黒髪と瞳は煌めき、彼の美しさを強調していた。
「君は、兄さんが初めて興味を持った人間だ」
声にはどこか悔しそうな響きがある。
「兄さんはね、何でも出来る天才なんだ。勉強も、運動も、剣技も、魔法も……兄さんに勝てる奴なんて、誰もいなかった。だけど、兄さんは、誰にも興味を持っていなかった。兄さんが研究所から逃げられなかったのは、俺のせいだ。俺が……騙されて隷属の首飾りをされて……首飾りは兄さんの目を取られた怒りで、さっき壊せたけど……俺が人質になったせいで兄さんは無理矢理拷問されて……俺は、兄さんを助ける事が出来なかった……」
少し長い前髪が顔にかかって表情は見えないが、泣いているかの様な声だった。
そんな経緯があったなんて……
(オスカーは自身の気持ちをお兄さんの前では話せなかったのね……)
「貴方は……自分に対して、怒っているのね……」
オスカーの悲しみが伝わってくる。
自分が騙され人質に取られたせいで、兄は拘束され鞭打たれた挙句、目をくり抜かれた。それを見ているだけしか出来なかったら、どんなに悲しかった事だろう。
「君は、凄いよ。俺みたいに騙されず、逆に相手に隷属の首飾りを付けたんだろ?」
「……だいぶ危なかったけどね」
私はカーライルがくれた能力があったので難を逃れただけだ。
「……俺は、さっき、ようやく能力が引き出されたようだ……今なら、何もかも出来ると思う」
彼が取り巻く魔力を肌がビリビリするほど感じる。思えば、魔物の森で出会った時の彼も、こんな様子だった。あの時、彼もとても傷ついていたのだ。
私はオスカーに近寄り、胸の辺りに光魔法を使う。もう傷は癒えているが、心はなかなか癒す事が出来ない。
「憎しみを、すぐに返そうとしないで……大変な事になるわ」
「へぇ、大変な事って?」
「貴方が、今、動けば……何の罪もない人が何万人も死ぬ事になるでしょう?」
前世でシヴァは各国の兵士に次々と洗脳をかけ、いくつもの国を壊していった。
「……」
「貴方達には、誰も傷つけてほしくないわ。何も出来ない自分に対して怒りがあるのなら、変わるべきだわ」
力が無いから、力を熱望する。だけど、身に余る力を得ても、使いこなせずに暴走させてしまう。破壊衝動がある彼が強大な力を急に得たら――
「……ねぇ、リリー、君、精神操作系の魔法が使えるなら、制御の仕方を教えてよ……このままだと、何もかも滅茶苦茶にしてしまいたくなるんだ。この国の周りから、攻め落として、最後に、兄さんのいるこの国を壊す……そういう事しか考えられないんだ……」
私はやっと、前世のオスカーが何を考え行動していたかわかった。
兄を守れなかった悲しみが、オスカーをシヴァにさせてしまった。
(前世で気づけなかったあなたの気持ちが、やっとわかったわ……)
「……シヴァって、知ってる? 東洋の破壊の神……今の貴方に似てるけど、シヴァは再生の神でもあるの」
前世のシヴァからの受け売りを話す。前世のシヴァは破壊しか出来なかったけど……
「……破壊と再生の神?」
「貴方は、とても辛い目に遭った。だけど、そこから立ち直れる強さを、貴方は持っている。大丈夫、絶対、立ち直れるわ。私が、貴方達を支えるもの」
私は、彼も救いを求めていたのだと知って、泣きそうになる。彼はもう、前世で人を利用するだけだった彼とは違う。
「ありがとう……リリー……」
背が高く、大人びている少年は、夕日の中でやっと12歳の少年に戻れたように微笑んだ。