Ⅸ
サントスは、口数の少ない男だった。元々は、私とお姉様付きのバトラーだったけれど、笑った顔も怒った顔も、私はしっかりと見たことがなかった。こんなに饒舌に喋るということすら、知らなかった。
唖然とする私に気づいたのか、アンリお兄様は自嘲気味に笑った。
「…カティア、君は気づいていなかったんだね。…そうさ、この二人は恋人同士。君が不思議に思っていたシシィの社交界嫌いも、これを知れば納得だろう?」
アンリお兄様の穏やかなエメラルドグリーンの瞳が、どんどん、濁っていく。
「許されない恋だ、報われるはずもない。2人で生きる道など、ないのだから」
吐き捨てるように、アンリお兄様は続ける。
けれど、そのあとにお兄様が続けた言葉を聞いて、サントスとお姉様は、驚きに目を見開いた。
「…でも、アッヘンバッハ伯爵は、二人の結婚を認めようとしていたんだ」
「え…?お父様が…?」
「そう、サントスは優秀で見込みがある、とね。零細といえど、貴族出身であるから、なんとかなるだろうと」
これには、私も驚きを隠せなかった。お父様は、とても用心深くて、厳格な人物だもの。
いくらサントスが貴族の出身だったとはいえ、使用人とお姉様の結婚を認めるなんて。
でもきっと、本当のこと、なのね。
だって、いまここで、アンリお兄様がこんな嘘をつく理由なんて、一つもないのだから。
「アンリお兄様、」
「…僕は、カティアと婚約することが正式に決まる前に、アッヘンバッハ伯爵に直談判した。シシィを、…愛しているから、結婚を認めてほしい、と。伯爵は、シシィとサントスのことを気にかけながらも、僕のことも無視できないと、わかっていたからね」
私は、アンリお兄様の言葉の一つ一つに、シシィお姉様を”愛している”と言ったその言葉に、傷つかずにはいられなかった。それでも、私は…。
「僕と君は似ているね、カティア」
「…え?」
「君が僕でないといけないように、僕もシシィでなければいけない」
「代わりなんていないんだ」
氷の礫を、無理やり、飲み込まされたかのようだった。
何も言い返すことができなかった。アンリお兄様の言いたいことが、わかってしまう。痛いほどに。
アンリお兄様は、サントスとシシィお姉様をもう一度見据えると、深く息をはいた。
「でも、もう…終わらせてくれ」
アンリお兄様から、殺気のような、禍々しい雰囲気が消えていくのがわかる。
重苦しい沈黙が続いた。
「…アンリ」
そんな沈黙を破ったのは、お姉様だった。
「優しいあなたに、こんなことをさせてしまって、ごめんなさい。…さようなら」
お姉様は、アンリお兄様を見つめていた。アンリお兄様も、虚ろな瞳をしながら、お姉様の顔をしっかりと見ていた。けれど、段々と沈痛な面持ちに代わり、唇を噛んで必死に感情を抑えているのがわかる。
これは2人の、最後の瞬間なのだ。
お姉様はそんなアンリ様を見ても声をかけることはなかった。サントスも、何か言いたそうに2人を見守っていたけれど、やがて二人は屋敷の中へと消えていく。
私は、遠くなる2つの後ろ姿をただ見つめ、その場に立ち尽くすしかなかった。