Ⅷ
お姉様を覆った黒い影の正体。
それは、バトラーのサントスだった。真っ黒の燕尾服と、腰まで伸びる長い黒髪。
どこからともなく現れたサントスは、アンリお兄様からかばうようにして、お姉様を胸の中に抱き込む。
お姉様もサントスの気配を感じると、安心したように体の力を抜いて、サントスの胸に寄りかかった。
何も知らない私にとって、その光景は異様だった。私の知っているサントスとお姉様の関係は、使用人と主人。ただそれだけだったから。
確かに、サントスが、お姉様を好ましいと思っている様子はあった。
でもそれは、お姉様が、他の貴族たちのように偉そうな態度を取らないから。
確かに、お姉様の外出にもよくついて行ったり、お姉様がプレゼントしたネクタイを大事に使っていた。
でもそれは、優しい主人の言いつけを守り、忠義を尽くしていたから。
そう。私は、2人が少しだけ、特別な関係だったのを知っていた。。
……少し、だけ?本当に?
もしも、サントスがお姉様を好きだったら?お姉様も、サントスを好きだったら?
……そんなこと、考えたこともなかった。私にとって、恋をする相手はアンリお兄様、つまり貴族。身分を超えて、恋をする可能性なんて、思いもよらなかったのだ。
それに、私は、アンリお兄様に恋をしてからは、お姉様のことを、無意識にライバルのように感じていて、アンリお兄様を取られたくなくて、少しの隙も与えたくなくて、お姉様を遠ざけていた。
年の近い2人の間に私が無理やり割り込んだり、わがままを言っても、なんでもないように笑うお姉様に腹が立っていたけど、そんなことはまるで無意味だったんだわ。
だって、お姉様はサントスに恋をしていたのだから。
アンリお兄様は、伸ばしかけた手を静かに下げる。
そして、恋人のようにしか見えないふたりを、苦々しく眺めていた。
「…サントス、これはどういうこと?」
「アンリ様は、すでにご存知かと思っていましたが…」
サントスは、目の端でアンリお兄様を捉えながら、答えた。
「君は、ただのバトラーだろう。主人の娘に手をだすということが、一体どういうことかわかっているの?」
「…わかっています。わかっていて、一人の男として、ここへきました」
サントスは、乱れた前髪をかきあげて、アンリお兄様に相対した。
お姉様を、自分の後ろに隠して。
「俺は、地方の子爵家の出身です。15の時に口減らしのために家を出され、アッヘンバッハ家のご当主に雇って頂きました。多大なる恩があり、本来ならば、親交の深いフライベルク伯爵家の長男であるあなたに逆らうことも、シシィお嬢様に触れることも、許されない」
お姉様は、静かに首を振って、サントスの後ろ姿を見つめていた。
「…シシィ様への思いを自覚したとき、俺は、この身の上ではシシィ様と生きる未来はないと、夜明けにこの屋敷を去ろうとした。けれど…お嬢様は、小さなカバンを一つだけ抱えて、門の影で俺を待っていました。シシィ様は、いつものように笑って、俺に言ったのです。”一緒に生きるのよ”と。”どんな身分でも関係ない、一緒に生きて欲しいだけなのだ”とも。…それが、シシィ様の覚悟でした。」
「……それで?」
「だから、俺も、シシィ様と共に生きる未来を、諦めることは、やめたのです」
執事とお嬢様の恋?
大好物です。