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 フリオがいるという溜まり場は、繁華街とカレゲリスの中間に位置する場所にあった。建物はぽつぽつ点在しているものの、人の気配がしない、うら寂しい通りだった。

 建物のほとんどは、その周辺がフェンスで囲まれており、鉄条網が張り巡らされている。親切にも《立入禁止》の看板が掛けられているが、その警告を守らない連中にとっては格好のアジトだ。

 通りで一番広い敷地を持つ縦長の倉庫が、フリオの溜まり場だった。古びた佇まいで、枯れたツタが壁を覆い尽くし、窓の鉄枠は錆びきっている。倉庫の周りには、腐った木材やコンクリートの塊、いまどき珍しいドラム缶などが、そこかしこに打ち棄てられていた。

 いかにも“悪人が集まっていそうな”場所である。これは自分たちが、林の猟師小屋を秘密基地にするのと変わりないのかもしれない。異様な空気に満ちた倉庫を見上げて、ディーノはふとそう思った。


「ノンちゃん、覚悟ええか」

 先に立つマックスが、振り返ることなく尋ねた。ディーノの意思を確認するため、というよりは、さあ乗り込むぞ、というニュアンスだろう。

 本心を言うなら怖い。今すぐにでも方向転換して帰りたい。

 だが、来るなと言われたのに、ついて行くと宣言したのはディーノである。怖いが、マックスを一人で行かせたくないのも本心だ。マックスはディーノのその想いを汲み、同行を許した。今さら逃げることはできない。

 ディーノは深呼吸し、ひとつ頷く。

「うん、行こう」

 ディーノは腰にウエストポーチを提げていた。その中には、いまやアベラルドの形見となってしまったスリングショットと、合成樹脂の弾が入っている。いざとなったら、これで身を守るつもりだった。

 拳銃を持っている大人相手に、こんなおもちゃが通用するはずがないのは分かっている。だが、何もないよりマシだろうし、逃げる隙をつくることくらいはできるかもしれない。

 

 ――決して人に向けて撃ってはならないこと。


 アベラルドとの約束を、今日破ることになっても後悔はしない。



 

 倉庫にドアはなく、搬入口として機能していただろう大きな入り口が、怪物の顎のようにぽっかりと開いていた。これから乗り込む少年二人を、悪しき胃袋に誘おうとしているかのように。

 内部は天井まで吹き抜けになっていて、奥に二階への階段があった。地面は砂だらけで、雑草があちこちに生えている。何かの機械が隅の方に積み上げられているが、すでに壊れているのは一目瞭然だ。窓のガラスはほぼ割れていて、風が吹くと呻き声のような音が聞こえた。

 殺風景すぎる倉庫内の中央に、安っぽいテーブルが一台置かれている。テーブルの上にはカードゲームや、吸い殻で溢れた灰皿が置いてある。周りの地面にはアルコール飲料の空き瓶や缶、食べ物の包みがそのまま捨てられていた。

 テーブルの両側にそれぞれ一脚ずつ、古ぼけた長ソファがある。フリオは向かって右側のソファに寝そべり、携帯端末エレフォンをいじっていた。


「ガスパル、来るの遅いで。アポとりつけたんか?」

 フリオは、マックスとディーノの足音を、仲間のものと思い込んだようで、端末画面から目を離さず、そう言った。

 フリオのソファから二、三メートルほど離れたところで、マックスが足を止める。ディーノは彼の斜め後ろについた。

「どうなった? なんか言えやお前」

 苛立たしげに文句を言いながら、フリオがようやく顔を上げる。やってきたのが仲間ではなく、少年二人だと気づいた彼は、怪訝そうに眉根と口の端を歪めた。

「マックス? それとうしろのでかいのは……、この前アパートに来たオトモダチか。お前ら何しに来たんや。どうやってここを知った? あ?」

 がさついたフリオの声はドスが利いていて、子どもを震え上がらせるのに充分な威力がある。ディーノは思わず一歩退いてしまったが、マックスは微動だにしなかった。

「どうやって知ったかとか、どうでもええねん。お前に訊きたいことがあんねん」

「お前?」

 フリオの目が怒りで見開かれる。

「クソガキが、誰に向かって“お前”言うとんのや。舐めた口利いとったら痛い目ェ遭わすぞコラ」

 フリオはソファから腰を浮かし、今にも飛びかかってきそうな勢いだが、マックスは少しも怯まなかった。それどころか、フリオの脅しを無視している。

「アベラルド・コルテス、知ってるやろ。オレらの小屋で殺された。殺される前に、おっちゃんはお前に会いに行ったらしいな。何でや」

「はァ? そんなん聞いてどないすんじゃ」

「それはお前に関係ない。オレらは、おっちゃんに何があったんか知りたいだけや。お前に会いに行って、そのあと殺された。オレらの小屋でな。殺したんはお前か?」

 マックスは最大の疑問を、直球でフリオに投げた。

 アベラルドを殺した犯人として、フリオは最も有力な容疑者だ。もし本当に彼が殺したのなら、いったい何の理由があったのか。マックスとディーノが知らなければならないのは、そこである。

 フリオの、マックスを見る目つきが、ぎらぎらと殺気立ってきた。ディーノの方はちらりとも見ない。眼中にないようだ。

 その隙にディーノはウエストポーチに手をやり、中のスリングショットに触れた。フリオが危害を加えようとしたら、ためらわず樹脂弾を放つつもりだ。

 緊張で心臓がどきどきしている。額に汗が浮き出ているのは、暑さだけのせいではないだろう。

「俺があの男を殺した? なかなかおもろいこと言うやんけ。証拠はあンのか、証拠は」

「ない。けど、お前はオレらの小屋に勝手に入り込んで、悪さしようと企んでんねやろ。そんなときに、おっちゃんが小屋で殺された。お前が何か関わってないわけないやろ!」

 マックスが吐き捨てるように叫ぶと、フリオはついに立ち上がった。持っていた携帯端末をソファに投げ捨て、数歩こちらに近づく。ディーノは恐怖で逃げ出したくなったが、必死の思いで踏みとどまった。

 フリオは悠然とマックスを見下ろし、馬鹿にしたように鼻で笑った。


「お前があのヘタレとうとると聞いたときはな、なかなかおもろいことになったと思うたで。しかもお前、まだ何にも聞いとらんらしいな。お前がどういうつもりでアベラルドと会っとんのか気になっとったが、まさかまさか、ホンマに何も知らんのか」


「どういうこっちゃ。何が言いたいんや」

 一瞬だが、マックスが怯んだ。

「あのヘタレが何者なにもんなんかっちゅーことや。お前にとってのな」

 フリオが邪悪な笑みを浮かべる。小さな生き物を嬲りながら食おうとする、ハイエナの顔だ。

 ディーノは、身体中がぞわぞわする厭な感覚にとらわれた。腹の底から虫が湧き出て、背中を駆け上がって這い回るような嫌悪感だ。

 フリオが大事なことを言おうとしている。おそらくマックスにとって、とても、とても重要なことだ。


 でも――。


 ディーノは唾を飲み込み、そっとスリングショットを持ち変え、パウチに弾を置いた。

 理由はわからない。いや、本当はわかっていて、それを認めたくないだけなのかもしれない。隠され続けてきた真実の切れ端を、ディーノはアベラルドの小屋で見つけてしまった。その全貌は、きっと見てはならないものなのだ。

 マックスに聞かせてはいけないことなのだ。


「お前の母親が、そんな口堅いとは思わんかったわ。まあ、よう言われへんやろなあ。あんな女でも、ちいとは母親らしい感情があんねやろ。ほなら俺が教えてやる」

「なんやねん、お前に教えてもらうことなんかないわ!」

 マックスは意地を通して声を張る。が、フリオの威圧感に圧され片足が一歩下がっていた。

「なんやマックス、知りたいんとちゃうんか。あのヘタレが何の用で俺に会いに来たんか。耳かっぽじってよう聞け。あいつはな、お前の」

 フリオの言葉は中断された。ディーノがスリングショットで放った樹脂弾が、彼の右手の甲に命中したからだ。

 小さいながらも強烈な一撃を喰らったフリオは、「ギャッ!」と叫び、被弾した右手を胸に抱えた。

「このジャリガキ! なにさらすんじゃボケ!」

 瞳に怒りの炎をみなぎらせ、フリオが睨みつけてくる。本気で怒る大人の目はこんなにも怖いのかと、ディーノはすくみあがった。家族が自分を怒るときなど、可愛いものだったのだ。

 フリオに先を続けさせてはならない、マックスに聞かせたくないと、とっさに手が動いてしまったが、その結果、彼の怒りが自分に向くだろうことを失念していた。

 フリオが大股でこちらに近づいてくる。逃げようと思っても、震える足が地面に埋まってしまったかのように動かない。

 マックスがフリオの腰に飛びついた。ディーノに注意を向けていたフリオには不意打ちだった。両者もろとも地面に倒れ込み、周囲の砂が舞い上がる。

「ノンちゃん逃げえ!」

 マックスがフリオにしがみついたまま叫んだ。フリオはマックスを引き離そうとするも、小柄な身体のどこにそんな力があるのか、まったく動かない。 

「早よ行け!」

「で、でも」

「ええから早よ!」

 マックスの必死な声が呪縛を解いた。ディーノはもつれる足を何とか動かし、倉庫の入り口を目指して駆け出した。

 背後でフリオが怒鳴り散らしている。だが、マックスが抑え込んでくれているようで、追いかけてはこなかった。


 全速力で倉庫の外へ出て、敷地を横切り、道路にたどり着いたところで、ディーノは走るのをやめた。

 荒い呼吸を繰り返し、胸に手を当てる。心臓が激しく鼓動を打ち、汗が吹き出た。

 後ろを振り返る。フリオは追ってこない。マックスが来る気配もない。言われるまま逃げ出してきてしまったが、これからどうすればいいのだろう。

 もちろんマックスを連れ戻さなければならない。でもどうやって? 誰かに助けてもらうしかない。誰に? 警察だ。マックスは警察を信用していないが、いい人だっているはずだ。

 ディーノは周辺を見渡した。このあたりには人けがない。助けを呼ぶなら、人が大勢いる所まで行かなければ。

 でも、警察を連れて戻ってくる間に、マックスが殺されるかもしれない。

 助けたい気持ちと恐怖感がぶつかり合い、身体が次の行動に移れず、ディーノはただ、その場でぐずぐずとうろたえるしかなかった。 

 逃げろと叫んだマックスの表情が、脳裏に浮かんでくる。あれは怒り? いや、後悔だろうか。

 友達を巻き込んでしまった後悔。


 心臓が鎮まるにつれ、ディーノは落ち着いて呼吸できるようになった。そのおかげだろうか、頭の方も少しずつ冷えていく。


(何してんねやろ、僕は)


 なぜマックスに、ディーノを巻き込んだことを後悔させなければいけないのだろう。ついてきたのは自分なのだ。マックスに責任はない。自分で決めたことなのだ。それなのに、一人で逃げ出したことが恥ずかしい。

 なんのためにここまで来たのか思い出せ。ディーノは自身を叱責した。


 ――マックスと二人へ来たのは、


 戦うためだ。


 自分もマックスも、今まで散々、大人たちにいろいろなものを奪われてきた。

 自由、尊厳、権利、そして居場所。いたいと願った場所を。 

 何ひとつ守れないまま、奪い取られっぱなしで終わっていいのか。

 今ここで逃げたら、この先どんなものも守れなくなる。最後に残されたものまで失ってしまう。ちっぽけだろうとたしかにある自尊心と、マックスとの友情が。


(逃げたらあかん)


 ディーノは大きく深呼吸し、来た方向へきびすを返すと、全力で走った。


 


 倉庫に戻って目にしたのは、鉄パイプを振り回すフリオと、身軽に攻撃をかわすマックスの姿だった。フリオがひと振りするたび、鉄パイプは蜂の羽音のように唸る。だが動きが大きく雑なので、小柄ですばしっこいマックスは、やすやすと回避していた。

「こンガキが!」

 フリオが鉄パイプを頭上高く振り上げる。危ないとディーノが叫ぶより早く、マックスはその場にしゃがみ込んで砂をかき集め、フリオの顔に投げつけた。

 まともに砂を受けたフリオは、条件反射で目を瞑りたたらを踏んだ。すかさずマックスが腹に跳び蹴りを喰らわせると、ぐうと呻いてテーブルに倒れこんだ。取り落とした鉄パイプが、がらんがらんと音を立てて地面に転がる。

 マックスはディーノが戻ってきたことに気づくと、何か言いたげに口を開いた。しかし、結局何も言わずに頷いた。その表情はどこかほっとしているように見えた。

「ええかげんにせえよクソガキが! ホンマに殺したるぞ!」

 左手で腰を押さえ、よろめきながらも体勢を戻したフリオが、更に怒り募らせた。どこに隠していたのか、彼の右手には拳銃が握られている。

 フリオは煮えたぎるマグマのようにぎらついた目でマックスを見据え、銃を向けた。

「マー君!」

 たまらず声を上げたディーノを、フリオはマグマの眼差しで睨んだ。

「そこのデカいガキも、あとでたっぷりかわいがったるからな」

 さすがのマックスも、銃を突きつけられてたじろいだ。が、フリオから目をそらさず、逃げようともしない。

 フリオは、銃の持ち手側に付いている突起に指をかけた。ディーノは震える手でもう一度、スリングショットのパウチに弾を置く。テレビで見た記憶に間違いがなければ、たしかあの突起を倒すと銃が撃てるのだ。

「ガキを殺すんは趣味やないが、まあ、場合によっちゃポリシーを曲げなあかんこともある。大人に歯向かったアホな自分を恨むんやな、マックス」

「やったらええやん。人殺しの卑怯もんが!」

 フリオの口元と指先がピクリと動いた。ディーノは素早くスリングショットを構え、フリオの右手首めがけて樹脂弾を放った。

 弾は狙いどおりに命中、フリオはまたしても悲鳴を上げるはめになった。

 マックスがフリオの右腕にしがみつき、タトゥーが刻まれた腕に噛みつく。痛みで絶叫するフリオの手から、拳銃が零れ落ちた。 

「離せ! 離さんかコラ!!」

 フリオが激しく腕や身体を揺らし、マックスが振り払われた。尻餅をついたマックスを、容赦なく蹴りつける。マックスは顔や頭を守ろうと身体を丸めた。

「やめろ!」

 ディーノはマックスを助けに駆け寄ろうとしたが、突然うしろから肩を掴まれて阻止された。振り返ると、見知らぬ男がしかめっ面で立っていた。

「フリオ、お前子ども相手に何やってんだ」

 言葉のイントネーションから、テノクティラ・シティの外からきた人間だということは分かった。

 名前を呼ばれたフリオは、マックスを踏みつけたまま男を一瞥した。

「遅いねんガスパル。お前待っとる間、このくそ生意気なガキどもに、礼儀を教えたらなあかんようなったんや」

 ディーノは、ガスパルと呼ばれた男の手から逃れようと、腕を振り回したり身をよじったりしたが、まったく歯が立たなかった。マックスも、フリオの足をどけようと暴れているが、効果はない。

 ガスパルは、虫を見るような目つきで、ディーノとマックスを交互に見る。

「ガキ二人くらいなんてことねえだろう。さっさと片付けようぜ。先方を待たせるとあとが面倒だ」

 事もなげに言い放つガスパルに、ディーノは戦慄した。この男は、溜まり場になぜ子どもがいるのか、その理由を知ろうともせず、始末するというのだ。人の命を奪うことに、何のためらいもないのだろう。

 仲間の登場に威勢を取り戻したフリオが、残忍な笑みを浮かべた、そのとき。

「そんな簡単に……」

 踏みつけられたままのマックスが、腹から声を絞り出す。

「やられるかっちゅーねん!」

 弾みをつけて振り上げた足が、フリオの股間に命中した。フリオは呻きながら両手で急所を抑え、身体を折り曲げる。その隙にマックスは、急いでフリオの足の下から逃れた。

 反撃されるなど想像もしていなかったのだろう。ガスパルが呆気にとられている。チャンスだ。ディーノは勇気を奮い起こし、ガスパルを突き飛ばした。相手が怯んだ隙に後退して距離を空け、スリングショットを構える。

 構えてから撃つまでの一連の動作が、完全にディーノの身体に染みついていた。流れるような最小の動きで、狙いをつけたらただちにパウチを放つ。もう迷いはない。絶対に外さない自信が、今のディーノにはある。

 撃ち出された樹脂弾は、ガスパルの左側のこめかみをかすめるような軌道を描いた。ガスパルは条件反射で目をつぶり、頭を右に倒してこれを回避した。

 だが、それでいい。目的はガスパルに“目を閉じさせること”なのだ。ほんの一瞬掴んだその隙に、ディーノは拳銃を拾い上げる。

 初めて手にした本物の銃は、思いのほかずっしりと重く、両手でなければ握れなかった。これが武器の重さなのだ、命を奪える威力を持った物の重さなのだと思った瞬間、氷水を被ったように全身がぞくりと震えた。

 この銃は、アベラルドを殺した銃かもしれないのだ。

「そいつを返しな坊主。おもちゃにするには十年早いぜ」

 ガスパルが手を差し伸べながら、大股で近寄ってくる。ディーノは銃を胸に抱え、脱兎の如く走り出した。

「ガスパル! そのデカいガキ逃がすなよ!」

 フリオの怒鳴り声が、倉庫内にこだました。

 ディーノは走りながら、視線でその声のもとをたどる。フリオは、階段を駆け上がるマックスを追いかけていた。 

 マックスを助けるためにスリングショットを撃とうかと考えたが、すぐに取り下げた。こっちもガスパルを引きつけるので手一杯だ。

 もうお互いに助け合っている場合ではない。それぞれで対処しなければならないのだ。

 ディーノは、入ってきた方の反対側にある、ドアの外れかけた出入り口から外に出た。そこは倉庫の裏手で、フェンスの向こう側には、こぢんまりした煉瓦造りの建物が建っていた。

 背後からガスパルが近づいてくる気配がして、ディーノは倉庫の外壁に沿うように走った。

 だが、逃げた方向が悪かった。建物の角を曲がった先が、行き止まりだったのだ。中身の詰まった麻袋が山のように積まれ、道を塞いでしまっている。

 まずいと思い振り返ると、すでにガスパルに退路を絶たれていた。

 ガスパルは、何の感慨もなさそうな淡泊な表情で、ゆっくりとディーノとの距離を詰めてくる。

「ほれ、銃を返せ。大人の言うことは素直にきくもんだぞ。いい子にすりゃ、家に帰してやってもいい。子どもを殺したって面白くねぇからな」

 ガスパルは勝利を確信している。いや、勝ち負けで判断すらしていない。彼やフリオにとって、ディーノもマックスも敵ではないからだ。

 逃がしたディーノが、家族や他の大人にここで起きたことを話したところで、おそらく誰も真剣に聞き入れないだろう。子どもの大げさな話、という程度にしか受け取られない。ガスパルはそれを分かっているのだ。

 子どもだから、甘く見られている。

 

 ディーノの中で、何かがふっと軽くなった。今まで重いと感じていた何かが、すうっとその重みを失ったのだ。

 同時に、頭の中が冷たく静まり返った。視界がやけにはっきりして、ガスパルの首筋の血管さえ鮮明に見える。

 ディーノは両腕をまっすぐ伸ばしたまま、胸の高さまで持ち上げた。その手には、奪った銃が握られている。

 銃口を向けられたガスパルは、びくっと肩を上げて立ち止まった。

「おい坊主、そいつを下に置け。言っただろう、おもちゃじゃねぇんだ、お前には何もできやしねえ。いいから置くんだ。でないと怪我するぜ」

 ガスパルがそう言うのは、ディーノの身を案じたからではなく、間違って発砲された弾が当たってはたまらないからだ。

 けれど、ガスパルの懸念こそ間違っている。

 ディーノは銃の持ち手の突起――撃鉄に指をかけて下ろした。

 銃の先端に小さな凸型、持ち手側には同じくらいの大きさの凹型の突起が、それぞれついている。その凹凸が、ぴたりと合わさるようにして狙いをつけるのだと、ディーノは本能的に察した。

 凹凸の直線上の先にあるのは、ガスパルの腹部だ。

 雲行きが怪しいことを察したのか、ガスパルがうろたえ、身じろぎした。

「よせよ、お前、本物の銃なんか撃ったことないだろう。それで俺を殺す気だとしたって、どうせ一発も当たらないんだ」

 ガスパルの言葉は正しくない。間違って当たることなどない。なぜなら――、


「僕は狙いは外さへん。絶対に外さへん。撃てば分かるやろ」


 平淡だったガスパルの表情に、恐怖の色が差す。


 突然、頭上でけたたましい破裂音がした。ディーノとガスパルが驚いて音のした方を見上げると同時に、大きな物体が麻袋の山に落ちてきた。

 きらきらした粒が、雨のように降ってくる。ガラス片だ。倉庫の二階の窓が破られたのだ。

 落ちてきたのは、マックスとフリオだった。二人はもつれあったまま麻袋の山を転がり落ち、更に地面を転がり、ディーノとガスパルの間で止まった。

「マー君!」

 マックスはフリオの上に跨った状態だ。彼は左手でフリオの首を絞めており、高らかに掲げられた右手に、ナイフのように鋭利なガラス片を握っていた。

 フリオはマックスをどけようともがいているが、マックスは石化したかの如く、まったく動かない。

 ディーノとガスパルも動けなかった。誰かが下手に行動すれば大惨事になる。

「マックス、ええんか? 俺を殺せば、お前もう後戻りでけへんぞ。アベラルドのことも、何もわからへんようになるぞ、ええんか!」

 フリオは、まだ自分が優位であるように振る舞っているが、それが虚勢であることは明白だ。マックスが微塵も怯んでいないのだから。 

「どうでもええ」

 マックスは、手にしたガラス片をフリオの顔に近づける。


「お前が来てからおかしなった。全部お前のせいや。けど、もういい。お前のことも、おかんも、もうどうでもええ。もううんざりや。お前らなんかいらん。消えろ」


 ガラス片を握る手に力が込められた。透明なガラス面を、赤い筋がしたたり落ちる。

 止めなければ。いくらなんでも、マックスに人殺しはさせられない。ディーノがそう思ったときだった。

 ガスパルの背後、そして麻袋の山の向こうから、大勢の男たちが現れたのだ。

 何が起きたのかとディーノが目を丸くしている間に、たちまちガスパルは男たちに取り押さえられた。マックスとフリオは引き離され、フリオは羽交い絞めにされた。

 フリオとガスパルは暴れながら罵詈雑言を喚き散らしていたが、リーダーらしき大柄な男性に一言二言何か言われると、さっと顔色を変えておとなしくなった。

 二人はそのまま男たちの集団に連れて行かれ、残されたのはディーノとマックス、そしてリーダー格の男だけだった。

 あっという間の出来事だった。

 ディーノはマックスを見やる。マックスもディーノを見た。気が抜けたような呆けた表情だ。きっと自分も同じような顔をしているだろうと、ディーノは思った。

 大柄な男が、ディーノとマックスの前に立つ。190センチ近くはありそうな身長と、がっしりした筋肉質な体格は、山を連想させる。来ている黒いスーツのボタンが、今にもはちきれそうだ。

 彼は子どもたちをしばし見つめたあと、まずはディーノに片手を差し出した。その意味するところを察したディーノは、慌てて拳銃を彼の掌に載せる。銃を離した途端ぶるぶる震えだした手を、胸に抱くようにして組み合わせた。

 男は撃鉄を戻してから、銃をジャケットの内側にしまう。代わりにハンカチを取り出し、今度はマックスに手を差し出した。

「なんやねん、何も持ってへんぞ」

 強気なマックスの態度を、男はまったく気にしていないようだ。無言のまま片膝立ちになり、マックスのガラス片を握った方の手を掴んで、その指を開かせた。

 マックスの表情が痛みで歪む。男は血まみれのガラス片を払い落とすと、赤く濡れた小さな手をハンカチで丁寧に包んだ。

 手当てされたマックスは、ハンカチでくるまれた手とディーノを交互に見た。どう反応していいか迷っているのだ。ディーノも同感である。

 立ち上がった男が、スラックスの膝についた土を払う。

「底辺の小物とはいえ、裏稼業者バックワーカーであるあの二人を追いつめるとはな。たいしたガキどもだ」

 男の口元が吊り上った。笑ったのかもしれない。

「ついて来い、話がある」

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