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閑話 ヴェンの転生3

 竜は翼を広げ、今日も青に溶けていく。


 イーリルと呼ばれる山脈が2つに分かれる頃、大地は限界を迎えたかのように一斉に凍り始める。


 クラト・フロウド。

 魔人大陸北部に存在する3つの氷原のうち、東部のものを指す言葉。

 夏の僅かな時期を除くと植物は自生せず、魔物の姿は滅多に確認できない。

 響く音は積もり続ける雪ばかりの全てが凍る極寒の世界。


 イズヘン・イルド。

 魔人大陸北部に存在する3つの氷原のうち、西部のものを指す言葉。

 氷原の中では唯一大型の樹木が自生しているが、それらは一般的な木とは少し違う。

 それら樹木によってか、氷原でありながらも豊かな生態系が構築されている特異な存在。

 だが彼らも樹木同様やはり一般的に目にする生物とは異なる。異様な光景が広がる醜悪な世界。


 そしてこれらの間、分かれたイーリルの間には未だ人の知らない氷原がもう1つある。

 厳密には氷原ではない。山脈と氷海に閉ざされたこの地域では常に凄まじい東風が吹いており、時期によってはイーリルからも吹き下ろされる。

 複雑且つ強力な気流によって軽い砂は常に吹き上げられ、地表には露出した岩盤と浮かないだけの質量を持った礫だけが転がっている、砂嵐の吹き荒れる岩石砂漠。

 雨も降らず、雪も降らず、およそ生物が居住するには適さないはずだが、ここにはいくつかの建築物が残されている。


 互いに体をぶつけ合う砂嵐だが、ある一点においては全くの無風。その上空には1つの影が浮いていた。

 風を操る緑竜の登場に、暴風達は鎮まっていた。いたずらがバレないよう願う犬のように、ただ表面だけを取り繕う。

 あるいは竜は気にもしていないのかもしれない。その巨体からは信じられないほど静かな着地を行ない、背に乗せた魔人と共に1つの建築物に近づいた。


「これが入り口?」

『そうだ。その体なら"流れ"も見えるだろう』


 背に乗せていた魔人、まだ年若い少年は箱に近づき、その模様を興味深そうに眺めている。

 彼らが見ているのは、常人であればただの大きな灰色の箱。本来は完全な立方体であるのだが、半分以上は礫で埋まってしまっている。

 だが魔力が見える者には少し違って見える。これは周囲の魔力を吸い込み続けているし、透視することができるのであれば、深層にまで細かく書き込まれたその魔法陣も読み取れるかもしれない。

 今の人々へは継がれていない、幻人だけの技術の1つによって作られた巨大な三次元魔法陣。


『きっと今度こそ見つかる。さあ、備えよ』


 竜の声により、少年は表層の魔法陣に触れないよう慎重に手を伸ばす。

 その様を眺める竜の目はどこか懐かしいものを見るかの如く、視線こそ合ってはいるがやや遠くを見ているように、現実とは少しズレている。

 少年はそれに気付かず箱に触れ、何も起こらない状況に困惑し、少ししてから竜に声を掛けた。


「……あれ、ウィルン?何も起こらないんだけど」

『あ、あぁ、すまぬ。――紡ぎし言葉は我が名の元に。"開け"』


 ウィルンと呼ばれた竜の言葉は、ほとんどの人種が忘れてしまった魔力の言葉。

 魔力の言葉に反応した箱は、一瞬紫色に光った後に、彼らを周囲の空間ごと飲み込んだ。



◆◇◆◇◆◇◆



 次に彼らが見た景色は、先程までの岩石砂漠ではなく、地平線の彼方まで広がる青々とした草原であった。

 日は高く昇り、穏やかな風が流れている。振り返ればいくつかの建物が見られるが、しかし生物の姿はどこにもない。


「……またこのパターン?どうしても飛べないの?歩くのなんて面倒臭いなぁ。せめて魔術くらい使えればいいのに」

「グラゥガ、グ……」


 そこは魔力が存在していない特異な空間。長時間の滞在が死を意味しているし、魔術を全く扱えないということにもなる。

 魔法であれば使えることがあるが、彼女の魔法は全てが不可。それは彼女の理に起因しているが、いくら説明しても少年は納得してくれない。

 少年も今はまだ魔法が使えない。故にこの制限時間のある広大な空間から、自らの足で探し出す必要があった。


「ねえ、早く変身してよ。何言ってるか分かんないし、時間もあんまり無いんだよ?」


 今回のヴェンは少々言葉が多い。

 彼女はそう考えつつ、この空間で許されている数少ない行動の1つを始めた。

 彼女には多くの枷が掛けられており、その1つが異空間での極端な行動制限。この空間では彼女は満足に体を動かすことができなくなる。

 しかしこれには対抗策があり、自らの体を縮める事で十分に活動できるようになることは知っていた。

 だが彼女は竜であり、旧竜種でもある。竜には独特のプライドがあり、自らの姿を変えるというのは本来あってはならぬもの。変身なぞ、と呟きつつも体を小さくさせていき、最終的にはヴェンと呼ばれた少年の肩に乗るほどのサイズで落ち着いた。


「いつもと逆ってのも皮肉だね」

「お喋りも良いが、足を動かせ。我もここは分からんのだ」


 何が皮肉か、と彼女はヴェンの言葉を呟きつつ、流れる景色に目を向ける。

 この世界は偽りのもの。つまり人によって作られた模造品であり、無限に広がるかのような空間も、実はそれほど広くないことを知っている。

 これがダンジョンの本来の姿。幻人達が作ったもう1つの世界であり、永久に続く平和な世界。訪れたのが彼らでなければ、あるいは常世と呼んだかもしれない異なる世界。

 彼らの正面には天を貫くような高さの建造物。本来の体であればひとっ飛びなのだがと彼女は自らの状況を自嘲気味に笑った。


「何笑ってんの?なんか面白いことあった?」

「ふん、お主の言葉もたまには的を射るのかとな」

「なぁにそれ。それより走るよ、おいで」


 ヴェンは彼女に声を掛けると、体内の魔力を闘気へと書き換えていった。

 魔術も魔法も使えない空間ではあるが、闘気だけは例外的に扱える。恐らくは自身だけで完結しているからだろうと彼女は考えつつ、彼の胸に抱かれる形となった。

 変身は竜のプライドを傷つけるものではあるが、この瞬間だけは満更でもない。そう考えているのだが、残念ながら彼には伝わらないし、彼女も伝える気はない。

 彼女は旧竜種にしてはかなり柔軟な考え方をしているのだが、それでもやはり旧竜種ならではのプライドがある。彼の事を矮小な存在だと見下すつもりはないのだが、価値観というのはなかなか変えられるものでもない。

 胸元に抱かれる至福の時。だがそれは長くは続かず、気付けば60はありそうな階層の建物の屋上に到着してしまっていた。


「ウィルン、次はあっちに行くよ」

「そうか……」


 彼が指を差したのは隣の建物。小さな村1つくらいならそのまま飲み込んでしまいそうな建物だが、縦長だったこの建物とは違い、今度は平べったい。

 彼女はヴェンに降ろされてしまい、幸せな時間が終わったことを理解する。それと同時に翼を広げ、滑空の準備をする。

 変身後であれば魔力に頼らずとも滑空くらいなら十分に行なえる。彼が飛び降りるのを確認し、自らも空に飛び込んだ。



◆◇◆◇◆◇◆



 2人はいくつかの建物を繰り返し確認したが、目当てのものは見つからない。

 焦る彼らの体からは魔力はもうほとんど感じられない。それは制限時間がすぐそばまで来ている証拠であった。


「ヴェン、次が最後だ。お主も我も、そろそろ限界だ」

「……そっか、仕方ないね」


 彼らが最後に選んだのは、地下に続く階段。

 広さも奥行きも全くの不明だが、とはいえ近くの建物はほとんど見尽くしたため、ここくらいしか選択肢がなかった。


 金属のような壁からは、薄っすらとだが確実に光っており、やや暗くはあるものの探索するには十分なほどの光量を齎している。

 内部は分かれ道こそ多かったものの、随所に地図が壁にかかっており、迷うことなく進むことができた。

 階段を下ること4回。彼らの魔力はほとんど底を付き掛けた頃、最深部の部屋に到着した。

 部屋の中央には眩しいほどの光を放つ球体が据えてあり、これこそが彼らの探しものだった。

 この球体には彼女とヴェンの記憶が封印されているのだが、この施設のものは今まで一度も手にする事ができなかったためか、回収したどの記憶よりも明るく輝いている。


「急げ!時間が……」


 もはやヴェンの闘気はほとんど機能しておらず、そこらへんの一般人と変わらない。

 彼女は最後の力を振り絞るように飛び降り、ヴェンは球体へと駆け抜ける。彼が球体に触れた瞬間、球体からはより一層強い光が放出され、その全てがヴェンへと流れ込んだ。


「ウィルン!?」


 球体には記憶だけでなく、この世界を訪れた全ての魔力も保存されている。記憶と同時に魔力を回復させた彼は、彼女を掴むと全身全霊の闘気を以て凄まじい速度で階段を駆け上がった。

 彼の胸元には意識を失ったウィルンが抱かれており、もはや一刻の猶予もないことは明らか。

 一足で階段を昇りきり、二足で廊下を通り抜け、数秒と掛からないうちに来た位置まで戻ることができた。


『幻人ヴェンの言葉により、"繋げ"!』


 新たに思い出した記憶によってか、先程までは使えていなかった魔力の言葉を使い、ヴェンはティリムに戻るための魔法陣を起動させる。



◆◇◆◇◆◇◆



 緑竜の姿を確認できないと判断したのか、穏やかであった先程までとは打って変わり、風はその本性をむき出しにする。

 砂を巻き上げ、礫を巻き上げ、愚かにも足を踏み入れてしまった少年を襲おうと我先にと駆け出す風は、しかし到達する事はできない。

 長く秘められていた記憶を取り戻した少年は、風などでは到底太刀打ちのできる人物ではなかった。


『"送れ"』


 ウィルンを優しく抱き上げた彼は、その鼓動に安堵しつつ自身の魔力を注ぎ込む。

 それがどれほど無謀で無意味かは彼が知らないわけじゃない。しかし新たに得た知識には、真の効果を彼に知らしめていた。


『彼の者、強き者。其の者、弱き者。此の者、世界の理を見る者。

 我は理を乱す者。此は我が魂、其は我が体。……強きとも弱きとも、呼ぶは全てが我が言葉』


 器の言葉と呼ばれる詠唱。本来は自らを移し替えるための詠唱だったが、ウィルンはこれを喪失し、不完全な形で使用していた。

 彼の記憶にはその全文がありありと蘇っており、ただそれを写し読むだけ。

 なぜこの詠唱を探していたのか、いつから失われていたのか。それらを全て思い出し、どのような効果があるのかも今は思い出せていた。


「なあ、これで幸せか?」


 自らに語るのか、彼女に語るのか。

 吹き荒ぶ風により、その音は彼女には届かない。仮に風が止んでいたとしても、彼女はもはや虫の息。彼の言葉を理解するだけの力は残されていなかった。


「最後くらい、人間らしくしてやるよ。だから……。

 俺のわがままも、聞くんだな。――テクワイタ・クニード」


 彼女に顔を寄せ小さく呟いた彼は、魔言と呼ばれる言葉を唱え始める。

 魔言によって、彼の魔力が変質していく。両の手から流れ出す魔力は光を喰らい、全てを飲み込む闇が広がり始める。


「シト・シムナ・ゼロ・リーヴェン・シト・フィール・クニード」


 彼は魔言によって自らの領域を拡張させ、その魔力を闇に喰らわせる。魔力を喰らった闇は更に広がり、とうとう2人を飲み込み始める。

 もはやその姿は外から確認できず、音すら響かない闇の中で、彼はひたすらに言葉を続けていく。


「テズロ・フィール・ウニド・ゾエロ・シト・マ・リーヴェン」


 拡張し続ける闇の中、闇では喰らえない異質の魔力が噴き出し始める。

 魔力を放つほどに彼らの体は失われ、希薄な存在となりつつあるが、言葉だけが続けられる。


「テクワイタ・シムナ・マ・リーヴェン」


 異質な魔力に打ち勝った闇が、遂にはそれすらも飲み込み始める。

 もはやそこにはただ闇が広がるのみ。しかしどこから出ているかも分からない、闇すらも飲み込めない音だけが響き続ける。


「テレイト・ソルド・クニード・シト・デルア・マ・リーヴェン・シト・ニノ・シムナ」


 闇の中心、唯一残されていた彼の魔石から光が溢れ出す。

 その光は無限に広がり続けた闇を喰らいはじめ、とうとう闇は縮小し始める。

 光が闇を喰らい、闇が光を喰らう。両者の生存競争は、最終的には互いが互いを喰らい尽くして何も残らない。


 いや、それは正しくない。

 何も残らないはずがなく、混ぜ合わされた魔力からは新たな存在が生まれていた。

 もはやヴェンもウィルンも居ない。新たに産み落とされたそれ(・・)だけが佇んでいた。

 次回更新は12月30日(水曜日)です。

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